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冬空のルミナス

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冬空のルミナス

リアクション


●Prologue

 12月になって走り出した『師』も、ラストスパートに入っているころといえよう。
 すなわち、大晦日。
 雪こそなけれど骨に、しみわたってくるような寒さだ。コートの襟を立ててもマフラーを巻いても、冷気がどこかから入り込んでくる。
 けれど二人に寒さは届かない。
 なぜって、握りあった手と手の温かさが、そのすべてを帳消しにしてくれるから。
「年末も二人きりかぁ……なんだか二人で過ごすほうが多くなってきたな」
 つぶやく彼は匿名 某(とくな・なにがし)、年内に終えるべき仕事はとりあえずすべて片付き、白い息を上げながら冬の夜、恋人と肩寄せ合いながらの散歩道。場所は、大都会空京。
 そうですねぇ、と返す彼女こそ『恋人』こと結崎 綾耶(ゆうざき・あや)だ。
「……なんとなくこうなるんじゃないかなとは思ってましたが、やっぱり寂しいですねぇ……」
「まあ、あいつらも年の最後と最初くらい好きな相手と一緒にすごしたいのはよくわかる」
 パートナーたちのことについて話しているのだ。ちょっと前まではいつも、二人の周囲にはうるさいくらいパートナーたちがいたものだが、某の言うようにこのところ、彼ら彼女らはそれぞれの事情で姿を見せないことが多くなった。
 感慨にふけるように某は冬空を見上げた。
 ふっと星を眺めたり、あるいは、街のイルミネーションを目に宿したり。
 ……ちょっと振り返ってみたり。
 どうにも、落ち着きのない様子の彼なのである。
 ――もしかして。
 通常のカップルの場合、相方の女性は、こんなことを思うかもしれない。
 ――彼、えっちなホテルでも探しているのかも……?
 でもあいにくと某たちは通常のカップルではないのであった。
「ただならぬ気配がするんだ」
 時刻は既に深更、いずれ日付が変わるころだ。空京の人通りもまばらになってきている。それだけに某は、皮膚に張り付くようにその気配を感じ取っていた。足早に道を急ぐ。
「なんだか今日はあいつの気配が感じられまくって困る」
「あいつ、とはまさか」
「ああ。髭……だ。年末にあいつの顔と笑い声を聞いて年越しとか嫌すぎる!」
 髭。おお、髭。『髭』とは、ある男の通称である。
「ということは某さん、空京まで来たのは……」
「髭の気配をキャッチするたびに移動していたらこうなった。どうも、うまく誘導されたような……」
「誘導?」
 いつしか周辺には、人の姿はなくなっている。街中にぽっかりと開いた穴のような無人地帯だ。
「なんかさっきから悪寒がするんだよ、すごく!」
 この瞬間、某は街灯りが陰ったような気がした。
 気のせいではなかった。

 数分前。
 黒いマスク、黒マントに黒いコート、だがシャープな印象はなくむしろ正反対、小太りの体型の男がビルの影から、煌々たる街灯りを見つめていた。
「くそっ……ここもカップルだらけだ……!」
 ぎり、とマスクマンの奥歯が噛みしめられる冷たい音が漏れた。そのサングラスの下の目には、どんな表情が宿っているのだろう。
 このとき、
「終わりと始まりの狭間。幸つかめぬ哀れな嘆きを聞き入れて我降臨」
 マスクの男つまりミスターXの真後ろから、なにげなく厳かな言葉が聞こえた。決して大きな声ではない。しかし、耳をとらえて離さぬものがその声にはあった。
「だ……誰っ!」
「私の名は重要ではないよ。どうしてもというのならミスター ジョーカー(みすたー・じょーかー)とでも呼んでくれたまえ」
 シルクハットにフロックコートの紳士は、帽子を取って丁重にお辞儀をした。
 丸みを帯びたサングラスをかけ、白手袋をしている。ロマンスグレーの髪には壮年の気配があり、丁寧にカットされた口髭も彼の紳士度を高めているといえよう。
「慟哭の若者よ、君が良ければ、その無意味かつ空虚な怨嗟の矛先を求めるのであれば、我が手伝って進ぜよう……いかなる制裁を下すかは、君次第だがねぇ!」
 紳士は、妙に時代がかった口調であった。
「若者よ。語らずともわかる。君はカップル……多少グッドな発音にすれば『カポー』が憎いのであろう。たぎる血を感じながら、カポーを蹴散らしたいという心の声を聴いているのであろう」
「そんなことは……」
 ミスターXはジョーカーの言葉に尻込みし、太い体をよじって別の物陰に移ろうとした。
「いまさらなにを恐れる! そこに用意したゴム状の怪物も、すべてその心の声のなしたものであろうが!」
「はうう……」
 見透かされていた、というのを声にモロ出ししながらミスターXは後じさる。一方、ジョーカーは深くうなずいて見せた。
「私の陰湿かつさりげない誘導で哀れな子羊を恨み深き桃色の元へ導く。その甲斐あって彼らが無益なる争いを始めたなら、紅茶を飲みながらでも傍観させてもらおうかねぇ……よければ、一緒にどうかね?」
 ジョーカーの髭、その下にある口から発せられた優しい言葉が、悪魔の腕のように優しくミスターXの背中を押した。
 すなわち、「やるなら今だね」のゴーサインだ。

 そして時は元の時間軸へ。
「ってなんか既視感たっぷりなピンクの物体キター!?」
 某と綾耶の目の前に、ぴょっこりぷっくり現れた。
 桃色の、ぷよぷよしたゼリー状のものが。サイズは直径1メートル前後か。半透明でふるふる震えている。ゼリーでつくったホットケーキのようだ。
 そいつは叫んだ。
「り・あ・じゅ・う・コ・ロ・ス−!!」
「やっぱりこいつかー!」

 某はすぐに思い出しました。
 いつぞやの空大オープンキャンパスの日、目撃したこの怪物を。
 特に、カップルばかり襲いまくる純粋悪意の塊のような桃色ゴム怪物を!
「冗談じゃない! 髭で年越しも勘弁だがこういうのはもっと嫌だっての!」
「リアジュウセイバイ! セイバイー! ゴセイバイシキモクー!」
 ひらりと怪物が躍りかかってきた。その様、水中の蛸が飛んだかのごとし。
 前回、ゴム怪物と遭遇したときのことを某は思いだしている。ああいうのはもうゴメンだ。特に今日は。
「綾耶! あのときの雪辱戦だ!」
 とっさに身を屈めて一撃をかわすと、某は右腕を伸ばす。そこにはもう、巨大剣フェニックスアヴァターラ・ブレイドが禍々しき刀身を剥き身にし、しかと握られているのだった。
「といっても一応は街中、全力で暴れ回るわけにはいかない。綾耶、フォロー頼むぞ」
 某が上半身を力の限り捻ると、剣の切っ先から真空の刃がほとばしった。冬の空気を両断し、真空波はゴム怪物をとらえる。見事! 怪物は両断されていた。
 しかしそれで終わりなはずがない。すでに彼らの周囲にはおなじようなピンクのゴムゴムが数匹、うぞうぞと蠢いているのだった。
 だがもちろん某はこれを想定している。綾耶も同じだ。
「言われなくたって!」
 乾いた空気を伝導するかのように、バチバチッと青白い火花が四散した。魔力のもたらしたものだ。
 綾耶が、魔法のヤドリギを召喚したのだ。
 ヤドリギは並の大きさではない。敵たるゴム怪物と比べても見劣りしない。それが猛然と、手近な標的に襲いかかった。
 某と綾耶、なんの合図もせずに背中合わせになって周囲を睥睨していた。彼らにはもう、言葉はもちろん目くばせすら必要ない。
 某が斬る。綾耶が、ヤドリギや行動予測で彼をバックアップする。
 それは見事なコンビネーション。二人は別の人間というよりは、まるで一つの生き物のようだ。
「……って、やっぱりあいつも絡んでやがったな!」
 某は視界の隅に、悠然とこちらを見おろす髭紳士の姿を認めた。
「この髭野郎!」
 と同時に手加減無用の真空波を、彼はその方向に打ち込んでいた。
「ハァーハッハッハ! 今年最後の余興は楽しんでもらえたかな!?」
 ぐんぐんと風の刃は飛ぶ。その鋭さは紳士のサングラスにも映り込んでいる。
 されど、真空波が髭をとらえることはなかった。
「我は薄幸という淡き光に惹かれた移ろいゆく瞳。それ以上の光を見るには、あまりに三千界の闇夜に浸かりすぎたのだ……いざさらば! ハァーハッハッハ!」
 命中する直前、髭ことジョーカーは、高笑いの残響とともに姿を消したのである。忽然と。そよ風のように。あるいは、温かき掌に落ちた一粒の雪のように。(なおこのとき、慌ててミスターXも逃げていったのだがそれには某も綾耶も気づかなかった)
 やれやれ、と綾耶は額を拭った。
「……なんだか、ドタバタした年末になっちゃいましたねぇ」
「……たしかにドタバタしちゃったな」
 苦笑交じりに某は剣をしまう。
「だったら正月は家でのんびり、ふたりっきりの時間を過ごそう。そういう正月もアリだろ?」
 この言葉に、綾耶が一も二もなく首肯したということを記してこのページを閉じよう。