リアクション
〇 〇 〇 亜璃珠は、優子をホールの外へ連れ出していた。 少し生き抜きをしようと声をかけて。 「分校長ではなくなるけれど、これからも何かあれば相談に乗るわ」 河原の方に歩き、普段分校生達がベンチにして駄弁っている丸太に並んで腰掛ける。 「分校長として見聞きし積んできた経験と、あまり自慢できるものではないけど実績もあるもの」 「うん、ありがとう。キミには改めて何かお礼をしないとな……。今後は当分役員には百合園生を入れないつもりだけど、時間がある時には分校生の一員として生徒会を助けてあげてほしい」 「……そうね」 勿論、分校生達を助けたいという気持ちもある。 でもそれが、優子の助けになるのかどうかというと……分からなくなってきた。 「最近……どうしたの?」 川の方に目を向けながら亜璃珠は優子に問いかけていく。 「なんだか……切羽詰っているように見える。戦地にいるような、そんな顔。なにかまた、無理をしているように見えるんだけれど……」 亜璃珠は優子に目を向けた。 「何を考えてるの? よかったら、話してみて」 最近の優子の様子については亜璃珠も耳にしていた。 だけれど、彼女は会議で自身の考えを述べることはなかった。 百合園で行われているパーティも欠席。分校の方を優先した。 互いに余裕もなく、今のようにちょっと息抜きをするので精一杯で、ゆっくり話しをする機会もなかった。 亜璃珠は優子の本音が聞きたかった。……許されるのなら。 「すべきことが多過ぎて。その道の険しさに、覚悟を決めているところ、かな」 優子は軽く目を閉じて、そう言った。 ふわりと川の方から風が流れてきて、二人の黒い髪が流れた。 「光がとても暖かい。風もこんなに心地よいものだなんて……気付かなかった」 頭を振って髪を払って優子は目を開くと、亜璃珠に労わるような目を向けた。 「私には、亜璃珠の方が切羽詰っているように思える。分校のこと任せきりですまなかった。校長とアレナのことも、助けてくれたことに感謝している」 亜璃珠は優子の言葉に、首を左右に振って俯いた。 胸が苦しかった。 優子が苦しんでいると思われること。 そんな状況下にあるということ。 自分がやってきたことが本当に正しかったのか、自信がなかった。 優子がどうしたら楽になるのかわからないし。 自分自身もどうしたら楽になれるのかわからない。何が喜びなのかも分からなくなっていく。 「してきたことが正しかったのか分からない。どうしたらいいのか分からない」 今が、できる最善の結果かもしれない。 だけれど、アレナはここにはいない。 帰らない人もいる。 確かに平穏は戻った。 でもこれは本当に自分の望んだものだろうか……。 亜璃珠は優子の顔を見つめる。 その顔に浮かんでいるのは厳しさと自分への労わり。 ……一番大切な人は幸せ、だろうか。 本当に分校を任されるべきだったのか。 視線を優子の腕へと移す。 あの時離宮で、この腕を取ったのが本当によかったのかすら……今はわからなかった。 「亜璃珠も私も、反省すべきところはある。でも、亜璃珠が私の代わりにしてきたことに関しては、全て正しかったと私が肯定する。悩む必要はない。私自身に関しては、全てに全力を尽くしたし、恥ずべき行いは一切していない。だから過ぎたことへの悔いはない」 同じように、落ち込んでいるのではないかと思っていた優子だけれど、そうではないようだった。 「離宮での作戦では、北区にもっと契約者を割ければよかったが、体制的に、私個人の命令で行えることではなかった。あの規模の戦闘を予想して、戦闘要員となる契約者を募っておけばよかったかというと、世界情勢的に集まりはしなかっただろうし、こっちに集まっていたのなら、ヴァイシャリー側で死者が出た可能性がある。そして亜璃珠がもし私の負担だけを考え、側でサポートすることを優先したのなら亜璃珠が行えたこと……アレナの命を守ることや、分校で出た意見を纏めることが出来なくなり、ヴァイシャリーは分校の力を借りれず、アレナと私は命を落とすという最悪な結果を招いていた可能性が高い」 しっかりとした言葉で言い切り、優子は亜璃珠がしてきたことを認めていく。 「私達は全てにおいて、最善を尽くして、今がある。結果に満足できていないのなら……自分だけの力ではどうにもならないことがあるということだ。自分を責める必要は、ない」 亜璃珠は瞳を揺らしながら顔をあげて。 優子の少し厳しくて整った顔に目を向けて問いかける。 「優子さんは、どう思っているの? どんな道が見えているの」 揺らぎを消して、拳を固めていき亜璃珠は続ける。 「何かやるつもりなら、付き合うわ。吹っ切るなんて多分無理」 今度は優子が考え込む番だった。 優子の迷いは過去ではなく、未来にある。 「……研究所も、拠点も本部も、病院も。女王復活に関する一連の事件も。全て、白百合団の指揮を自分でとりたかった気持ちがある。指揮をとれば、前線で戦いたいという気持ちも湧いてくる。でも、身体は1つしかなく、自分で行えることは凄く少ない」 眉間に皺を寄せてそのまま彼女は深く考え込む。 ホールの方からは時折分校生達が騒ぐ声が響いてくる。 何の悩みもないような、明るく楽しい声だ。 百合園の会議室ほどではないにしろ、その中にも心から楽しめない人もいるのだろうけれど。 亜璃珠は何も言わずに、優子の次の言葉を待っていた。 優子はしばらく考えた後、大きくため息をついて語り出す。 「答えはもう出ているんだ。ここに来る途中で全て確認もした。……私は白百合団の副団長は続けられない」 「でもきっと、それは周りが許さない」 「続けたい意思はある。だから、今回の信任投票で変わらず支持者が多いようなら、肩書きはそのままだろう。だけど、仕事は当分――もしかしたら卒業までずっと、他の役員に任せることになる」 亜璃珠は戸惑いながら優子を見つめ続ける。 「生徒会の方に既にそう願い出ている。私が副団長として信任されたのなら、副団長代理が、万が一団長となった場合には、団長代理という役職が出来ることになる」 「……何をするつもりなの?」 軽く頷いた後、息をついて優子はゆっくりと語り始める――。 アレナは一切動くことが出来ない状態で、心だけ5000年もの間、生き続けてきた。 優子が彼女をその不完全な封印から解き放った時、彼女の精神は既に崩壊していたといってもいい状態だった。 とにかく、彼女は『死』を望んでいた。 『死』は『楽になれること』と信じて疑わなかった。 優子と契約をして、一緒に百合園で過ごすようになってからも、彼女のその気持ちは変わることはなかった。 アレナは優子の死を恐れてはいなかった。 優子が死んだ時には自分も一緒に死んで、楽になれるからと。 寧ろ優子が自分の信念に従って、戦場で勇ましく最後を迎えるのなら。その側にいられるのなら。 それは、アレナにとって『幸せなこと』だった。 「百合園で過ごすうちに、少しずつアレナの思いも変化していき、それを望ましいと思っていたけれど……よく解ってなかったことがある」 アレナが優子を大切に想う気持ちが、想像よりずっと強かったということ。 優子に迷惑をかけることを、かなり嫌っていたこと。 優子の邪魔になりたくないと、切実に思っていたこと。 そんな今のアレナの気持ちを、優子はよく理解していなかった。 「離宮でアレナに突き飛ばされた後、何故彼女がそんなことをしたのかしばらく理解できなかった。だけれど、話を聞いて回って確信した。私に背負わせたくなかったんだろうな、と。十二星華としての使命を」 アレナは自分の所為で、優子の負担が増えることは絶対に嫌だと思っていた。 それを理解した時。 じゃあどうすればいいのかと、優子は分からなくなった。 「私がアレナを連れ戻すために、何か行動を起こしたら、それが大変であれば大変であるほど、多分アレナは酷く苦しむ。人柱になったという結果より、それは彼女にとって悪い結果、なのかもしれない。自分はいないほうがいい存在だと自分を否定していってしまう可能性もある」 亜璃珠はアレナのことを良く知らなかった。優子の側には常に彼女の姿があったけれど、彼女は控えめで、皆が優子を取り巻いている時には、そっと席を外すような娘だった。 「眠りに着く前、彼女は私には想像ができないほどに苦しんだだろう。だけれど、眠っている今は何の苦しみも感じることがない状態だ。その彼女が再び目を覚まして良かったと、生きていたいと思える世界では、今はない。アレナを取り戻したいという私のエゴだけで彼女の為に動くことは誰の為にもならない」 優子のことも、知っているようで知らない。 彼女達の出会いや互いへの想いも知らないのだから、亜璃珠には口を挟むことが出来なかった。 「アレナが敬愛しているアムリアナ女王が無事にシャンバラに戻ってこられ、シャンバラに平和が訪れ、女王の代わりである必要がなくなった時、それがアレナが戻ってくる最良の時だと思う。……だから、私はそれを目指していく」 その言葉に、亜璃珠は不安になる。 優子がどこか遠くへ、離れていってしまいそうで……。 「私は、ラズィーヤさんと共に、東シャンバラのロイヤルガードを設立し、率いていくつもりだ。もう、百合園の生徒だけとは言っていられない。皆とシャンバラを……世界を築くために剣を取る。これは私の意志だ。アレナの為というわけじゃない」 そう言いきった後、ごく小さな声で優子は誰にも明かしていない心中を吐露していく。 「ラズィーヤさんは、アレナを連れ戻すための研究も裏から進めて下さるそうだ。……正直、可能とは思えなくて、私に重責を背負わせるための甘言かとも思った。だけど、アレナの為に動いてくれている、動こうとしている、そして協力したいと申し出てくれる人がとても多いから……皆と、ラズィーヤさんの言葉を信じることに決めた」 強い眼を優子は亜璃珠に向けてくる。 「私は私のすべきことに全力を尽くす。亜璃珠は素行の問題があるから百合園からロイヤルガードに推薦されることはないだろう。立候補して規律に従い、共に戦ってくれるというのなら歓迎する。百合園を優先し、白百合団員として百合園を守って欲しいとも思う。だが……キミにはキミの人生がある。親しい友もいる。キミが負担を背負うことを喜ばない者もいるだろう。周りとよく話し合って、道を決めてほしい」 優子は亜璃珠にロイヤルガードに入れとは言えない。 いつか彼女に話したように、素行に問題があるところ、そんな彼女だから慕ってくれる人達がいるから。 大切な人や自分を犠牲にして得られた結果は、関わる人々にとって良い結果になりえないのだから。 「なんか……全て話したら、少し楽になった。鈴子とか百合園の友人には、言えないこともあるからな……」 優子は、ふっと息をついた。 「聞いてくれてありがとう。……戻ろう」 そして立ち上がって、亜璃珠に手を差し出した。 離宮に行く前と同じような、穏やかな微笑みを見せて。 |
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