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【四州島記 完結編 一】戦乱の足音

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【四州島記 完結編 一】戦乱の足音

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第八章  包囲殲滅戦

「い、一大事にございます!。前線の兵達が、裏切りましたっ!」

 伝令の急報に、九能軍の首脳陣が色めき立つ。
 床几から立ち上がった九能 茂実(くのう・しげざね)が、伝令を詰問する。

「裏切った?東野軍に、寝返ったのか?」
「い、いえ。そうではございませぬ……」

 伝令は、力なく頭(かぶり)を振った。
 
「長谷部様が――」
「長谷部?」

 予想外の名前に、オウム返しに聞き返す茂実。

「長谷部様が……。何処からともなく長谷部 忠則(はせべ・ただのり)様が現れ、兵達に戦場からの離脱を指示され……。長谷部様の子飼いの兵達が、続々と戦場から離脱しております」
「バカな!長谷部はとうの昔に死んでおる!馬鹿者どもが、敵の計略にまんまと騙されおって――」
「いえ、アレは――アレは間違いなく長谷部様にございます。それがし、この目でしかと見ました故、間違いございませぬ」
「バカな!何故、長谷部が――」

 暗殺したハズの長谷部が現れたという報告に衝撃を受け、茫然自失とする茂実。


 一方、長谷部謀反の報は、東野軍首脳部にも届いていた。

『参謀長、敵兵が次々と戦場を離脱していきます!離間の計が成功した模様です!』

 【特殊作戦部隊員】からの無線を受け、ルカが全軍に指示を出す。

「全軍に連絡。本隊は後退を停止、その場を死守せよ!両翼は敵軍に進軍開始!敵を左右から囲い込め!」
「了解。中央本隊は現位置を死守。左右両翼は進軍を開始」

 ルカの指示を、ダリルが復唱する。
 それを聞いた【特殊作戦部隊員】が無線を使い、各隊に指示を伝達していく。
 ルカは最後に自ら無線を手に取ると、源 鉄心(みなもと・てっしん)に連絡を取った。

「お待たせ鉄心!行動開始よ!速やかに敵後背に回り込み、その退路を立て!!」
『了解!』

 予備兵力として最後まで残されていた鉄心率いる騎馬隊は、中央本隊が撤退を続ける間、密かに左翼隊の一番端まで移動していた。
 そして今、一気の敵の背後まで移動しようというのだ。
 正面からは中央本隊。
 横からは左右の各隊。
 そして背後からは、鉄心の騎馬隊。

 古の名将、カルタゴのハンニバルによる『カンネーの殲滅戦』の忠実なる再現。
 それこそが、この戦いにおけるルカの狙いだったのである。
 そして今、それは完成しようとしていた。



「申し上げますっ!」
「今度はなんじゃ!」

 長谷部謀反のショックからようやく立ち直ったばかりの茂実が、伝令に怒鳴り散らす。

「我軍の背後に、敵騎馬隊が現れました!」
「なにィ!一体、どこから現れた!」

 予想外の報告に、茂実は絶句した。
 いつも涼やかな顔をしている水城 隆明(みずしろ・たかあき)も、今度ばかりは驚きを隠せないでいる。

「わかりませぬ!しかし、我軍は退路を完全に絶たれました!」
「グヌヌヌ……。かくなる上は、全軍敵本隊に突撃せよ!何としても、雄信の首を上げるのじゃ!」
「我軍は、左右からも敵の圧迫を受けております!とても無理ですっ!」
「やるんじゃ!雄信の首を上げる以外、我等が生き残る術は無い!」

 茂実は、悲鳴に近い声を上げた。
 にわかに顔色を変えた伝令たちが、前線へと駆け出していく。

 その後も、入れ替わり立ち替わり、伝令が本陣へと駆け込んで来た。
 その全てが、味方の圧倒的不利を告げては立ち去っていく。

 幾人の伝令が、現れては消えていったであろうか。

「カラーーン」

 辺りに、乾いた音が響いた。
 茂実の手から、軍配が滑り落ちたのだ。
 茂実は、よろけるように二、三歩後ろにたたらを踏むと、ガックリと、床几に腰を下ろした。そのまま、呆けたようになっている。


「殿、隆明様っ!」

 新たな伝令が、陣中に駆け込んできた。

「背後からの敵が、すぐそこまで迫っております!このまま座して死を待つよりは、敵に膝を屈するべきかと!」
「降伏せよというのか……?」

 茂実が、力なく答える。

「ハッ!例え一時、敗北の屈辱に甘んじる事になろうとも、今は、お命を第一にお考え下さい!」
「……それは、出来ぬ」

 しばしの沈黙の後、茂実は、絞りだすように言った。

「殿っ!」
「何ゆえっ!」
「例えこの身がどうなろうとも、長谷部だけは生かしておく訳にはいかん」

 ゆらりと、茂実が立ち上がる。長谷部への憎しみでドス黒く染まったその顔は、まるで悪鬼の様だ。

「こうなれば、なんとしても囲みを突破し、長谷部を追うのだ!あやつを逃がす訳にはいかん!」
「殿っ、血迷うてはなりませぬ、殿!」
「馬引けぃ!これより、敵陣の突破を図る!」
「お待ち下さいっ!」

 静止する家臣を振り払うようにして、本陣を後にする茂実。
 その後を、転げるように追う茂実の家臣。

 隆明は、その背中を黙って見送った。


 茂実とその家臣達がいなくなり、ガランとした本陣。
 その時、陣幕をまくり上げ、一人の男が現れた。
 雑兵の身なりだが、その鋭い目つきは、男が只者では無いことを物語っている。
 この男は、隆明の忍びなのだ。

「戦況はどうなっています?」

 隆明はあくまで静かに、男に訊ねた。

「お味方は、完全に敵に包囲されています。全滅も、時間の問題かと。ただ――」
「ただ?」
「脱出は可能です。それがしが、敵兵を買収しておきました。そこから、包囲の外へ抜け出せます」
「よくやってくれました。では、すぐに案内を」
「隆明様と皆様は、まずお召し替えを。あちらに、雑兵の具足を用意してございます」

 忍びの者が、隆明とその腹心達を、陣幕の外へと導く。
 とうとう、本陣には誰もいなくなった。


 その、ガランとした本陣の隅――。その一隅(いちぐう)がぐにゃりと歪み、ゆっくりと人の形を取る。
 《隠形の術》を使って潜入していた、土雲 葉莉(つちくも・はり)である。

 葉莉は、もう一度周囲に誰もいないのを確認すると、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)に無線で連絡を取った。 

「もしもし、ダリルさんですか?あたしです、葉莉です。読み通り、二人とも降伏する気はありませんでした」
『やはり、ダメだったか……』

 無線の向こうで、ダリルがため息を吐く。
 茂実や隆明に降伏を進言した伝令は、実はダリルが用意した偽物だったのだ。

『それで、二人は?』
「はい。茂実は、よっぽど長谷部殿が憎いらしく、『敵陣を突破して長谷部を捕まえるんだ!』って言って、馬で出てっちゃいました。隆明殿の方は、予定通りです」
「了解した。葉莉は、すぐに茂実を追ってくれ。位置が分かり次第、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)たちに連絡を」
「ハイ!わかりましたです!」

 葉莉は無線を切ると、すぐにまた姿を消す。
 一瞬、地面を踏みしめるわずかな音がしたが、それもすぐに聞こえなくなった。

 本陣は、本当に空になった。


 
 それから後の戦いは、まさに一方的だった。

 背後から突撃した源 鉄心(みなもと・てっしん)の軍が、不意を突かれ混乱する敵軍を、中央軍の方へと追い立てる。
 その中央軍では夏侯 淵(かこう・えん)が《武神降臨》を用いてその真の姿――かつての魏国の将、夏侯淵妙才そのものの姿である――を現し、強力な闘気の壁を創りだして、敵の進路を阻んだ。
 左翼からはカルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)が《ハルマゲドン》を用い、辺り一帯に死と破壊をもたらしながら、敵を右翼へと追い込んでいく。
 そして右翼では、多くの東野軍兵士を率いたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)が、逃走兵の捕縛に当たっていた。



「う、うわわわわっ!」

 突然、何人もの兵士が、足元を蔦にすくわれ、宙吊りになった。蔦は見る間に兵士の身体を覆っていき、その動きを封じていく。
 辺りには、エースの《エバーグリーン》で劇的に成長したツタ植物にがんじがらめにされ、身動きの取れなくなった敵兵が、あちこちに転がっていた。

 一方向こうでは、メシエの《ホワイトアウト》でいきなり視界を奪われた敵兵の集団が、エースが《グランドストライク》で創りだした岩にぶつかり、大地の裂け目に落ちて、次々と行動不能に陥っていく。

 それでも対処しきれない敵兵は、リリアが【ワイルドペガサス】を駆って上空から追い詰め、捕縛した。

「全く、次から次へと……。キリがないわね」

 縛り上げた何十人目かの敵兵を地上に降ろしながら、愚痴をこぼすリリア。
 いい加減、ウンザリしているようだ。

「そうやって油断していると痛い目を見るよ、リリア。『窮鼠猫を噛む』という言葉もあるくらいだから」


 《グラビティコントロール》で兵の逃走を邪魔しながら、メシエがリリアに釘を差した。
 たちまち、東野軍の兵士たちが逃走兵を取り押さえる。

「べ、別に油断なんて――。そういうメシエだって、話しながら術使ったりして、危ないんじゃないの?」
「私は、慣れてますから」
「何よ、私が経験不足だとでも言うわけ!」
「いえ、決してそういう訳では――。強いていうなら、『老婆心』でしょうか」
「大きなお世話よ!」
「二人とも、それくらいにしておけ――兵たちが見ているぞ」
「えっ!」
「あっ!」

 エースに言われて、周りを見る二人。
 いつの間にか、兵たちの好奇の視線が注がれている。

「痴話喧嘩はそれくらいにしときなよ、ねーちゃん」
「兄ちゃんも、素直に一言『心配だ』って言やぁいいのに」 
「ち、痴話喧嘩だなんて、そんなんじゃありません!」
「私も別に、彼女の事が心配な訳では――」

 あからさまに顔を紅くして反論する二人を、笑い飛ばす兵士たち。

「若いねぇ」
「全く、戦なんざやってるのが、バカらしくなってくる」
「だ、だから、そんなんじゃありません!!」

 リリアがムキになって否定すればするほど、兵たちの含み笑いは止まらない。

「ほらほらみんな。仕事仕事」
「「へ〜い」」

 エースにたしなめられ、三々五々仕事に戻る兵士達。

(何よ、メシエったら……!そんなに私の仕事が危なかっかしいっていうの?それとも――)

 横目で、メシエを見るリリア。
 淡々と仕事をこなすその横顔から、彼の本心を見抜くのは、リリアには難しい芸当だ。

(それとも、本当に私を心配してくれたの?メシエ……?)

 戦の最中にもかかわらず、リリアの胸は、その後も高鳴ったままだった。
 
 
 
「見つけたぞ!九能 茂実(くのう・しげざね)!」

 突破口を求め、ひたすら馬を駆っていた茂実は、頭上からの声に、後ろを振り仰いだ。
 
 光羽二種の翼を羽ばたかせたコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が、今しも、茂実の馬に追いつこうとしている。

「お前に逃げ道はない!大人しく投降しろ、茂実!」

 だが茂実は、コハクの事を一瞥したきり、何事も無かったかのように馬を走らせている。
 その血走った目といい、引きつったような笑いを浮かべた顔といい、茂実が狂気に侵されているのは間違いない。
 殺した筈の長谷部が蘇ったという恐怖と、その長谷部が自分を裏切り全軍を崩壊に導いたという怒りとが、彼の全身を支配しているのだ。

(やっぱりダメか……。ならば――!)

 コハクは一気にスピードを上げると、茂実の馬の前に飛び出した。
 突然現れたコハクに驚いた馬が、後ろ足で立ち上がり、激しくいななく。

「うわっ!」

 馬を御しきれず、振り落とされる茂実。

「殿っ!」
「ご無事でございますか!?」

 わずかに付き従っていた家臣たちが次々と馬を降りると、刀を抜いてコハクの前に立ちはだかった。

「殿、我等が食い止めている内に」
「お逃げくだされ!」
「う、うむ」

 茂実はかろうじてそれだけ口にすると、脇目も振らずに逃げ出す。
 身を挺して主君を守ろうとする彼等の行動に、思わず憐憫の情を覚えたコハクだったが、敢えて心を鬼して、彼等に立ち向かった。

「可哀想な人達……。せめて、ほんの僅かな時間でも、僕が貴方達を解き放ってあげる――」

 コハクは、【女王騎士の盾】の発生するフィールドで敵の攻撃を全て弾き返しながら、手にした槍で、家臣たちをあっと言う間に突き伏せた。
 コハクの【忘却の槍】は、刺した者の記憶を一時的に奪う効果がある。  

「これで、少しは楽になれるといいけど――」

 コハクが、気絶した家臣たちを縛り上げたちょうどその時、向こうから、コハクを呼ぶ声がした。

「コハクー!ちょっと手伝ってー!」

 声のした方にコハクが歩いて行くと、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)がコハクに向かって手を振っていた。
 その足元では、恐怖に引きつった表情のまま、茂実が石像と化している。
 コハクが茂実と家臣たちの注意をひきつけている間に、【ベルフラマント】で気配を消した美羽がそっと近づき、【さざれ石の短刀】で茂実を刺したのである。

「やったね、美羽」
「うん!なんつーか、スッとした!」

 以前から茂実のやり口を不満に思い、事あるごとに襲撃を口にしていた美羽。
 その表情は、やっとの事で本懐を遂げた達成感から、晴れ晴れとしていた。

「でさ、コイツ、運ぶの手伝ってよ」
「うーん……。取り敢えず、この人達の馬を借りようか」
「あ、そっか!さっすがコハク!あったまい〜い♪」

 どうやら美羽は、石化させた後の事は何も考えていなかったらしい。
 取り敢えず美羽とコハクは、石化した茂実と家臣達を2頭の馬の背に載せると、東野軍の本陣へと運ぶ事にした。 

 本陣に着くまでの間の美羽は、ここしばらくの間見たことがないほどゴキゲンだった。
 周りでまだ戦が続いている事などまるで気にならない様子で、楽しげに鼻歌まで歌っていた。



 一方その頃、この乱のもう一人の首謀者である水城 隆明(みずしろ・たかあき)も窮地に陥っていた。

「まさか、貴方が裏切るとはね……。いや、その可能性も、十分考慮して然るべき……。私とした事が、随分な間抜けな真似をしたモノです」

『敵兵を買収して、脱出経路を確保している』という忍びの案内に従った隆明だったが、そこで待っていたのは、セルマ・アリス(せるま・ありす)リンゼイ・アリス(りんぜい・ありす)の二人だった。
 買収されていたのは、忍びの方だったのである。

「申し訳ございません、隆明様!」

 隆明と長い付き合いのあるらしい忍びの男は、隆明に土下座して詫びた。

「敵の兵士を買収している所を見つかり、隆明様を騙してここまで連れてくれば、罪には問わぬと言われ――」
「気にしないで下さい。全ては、私の不明の致す所――。大殿の命に従って、東野の後継者に名乗りを上げた事。大殿が、密かに広城雄信に手を伸ばしていた事に、気付かなかった事。九能茂実に賭け、大川に逃げ込んだ事。そして、貴方の裏切りに気付かなかった事――。何もかもが、失敗でした。そう、何もかも――」
 
 自嘲気味に笑う隆明。
 その顔には、疲労が色濃く刻まれている。

「一緒に来て下さい、水城隆明さん」

 セルマが、手にした【冥府の鎌】を隆明に突きつけ、投降を迫る。

「言う通りにしますよ、東野の契約者の方。ですから、その物騒なモノを引っ込めて下さい」

 隆明は両手を高く上げ、抵抗の意志が無い事を示す。
 セルマは、念の為《サイコメトリー》で彼が本物である事を確認すると、その手に【魔力の手錠】をかけた。

「すみませんが、手錠をかけさせて頂きます」
「ええ、どうぞ――縄目で無いだけ、余程マシです」

 精も根も尽き果てたのか、隆明は、セルマのされるがままになっている。

「どうしたのですか?――さあ、貴方達も、彼等の言う通りに」

 隆明がそう命じると、彼の家臣たちは、身に付けていた武器を放り出し、両手を高く上げた。
 
「ごめんなさいね。私は、これしか持っていないのです」

 リンゼイが、彼等の両手を縄で数珠繋ぎにする。

「我々は、一介の家臣に過ぎません。そのような気遣いは無用です」
「立派なのですね、貴方達は」
 
 張り付いたような笑みを浮かべる事しか出来ないリンゼイだが、その言葉に込められた賞賛の気持ちは、ちゃんと彼等に伝わったらしい。

「かたじけない」

 家臣たちは、深々と頭を下げた。


 こうして、九能茂実の乱は、呆気無く鎮圧された。
 この一方的な殲滅戦は、のち四州の歴史に、『日吉野の殲滅戦』としてその名を刻む事になる。

 殲滅戦であったにもかかわらず、茂実軍の損害は千にも満たなかった。
 大半が、逃げるか降伏するか、あるいは抵抗の挙句捕虜になってしまったのである。
 対する東野軍の死傷者も二、三百といった所であった。
 一万余りの兵が激突し、しかも一方が壊滅した戦としては、圧倒的に少ない数と言えるが、それでも死者がいれば弔いをせねばならないし、負傷者がいれば治療しなければならない。



 以上のような訳だから、後方の救護所に詰めているイコナ・ユア・クックブック(いこな・ゆあくっくぶっく)は、これまでの戦と同じように、黙々と働いていた。

 初めは、

(鉄心にもしもの事があったらどうしよう……)

 とか、

(この間のあの人みたいな、ヒドい怪我の人が来たらどうしよう……また、気絶しそうになっちゃうかも……)

 などと一人密かに気を揉んでいたが、それも戦が始まるまでの事。
 いざ戦が始まり、負傷者が運び込まれてくると、ただただ無心で、――それこそ疲労の極に達して倒れるまで――脇目も振らずに治療を続けるのが常なのだ。

 見た目こそ幼く、頼りなげなイコナであるが、実のところ、治癒師としての能力は高い。
 軽傷者は【蒼き涙の秘石】や【ルシュドの薬箱】を使い、重傷者には《潜在解放》した《命の息吹》を用いて、次々と傷を癒していくイコナの手際を、東野の軍医たちは目を丸くして見つめていた。

 結局イコナは、戦の勝利が告げられ、仲間達と喜びを分かち合うまで、ひたすら治療を続けた。
 そしてこの日、彼女が涙を流したのは、源 鉄心(みなもと・てっしん)ティー・ティー(てぃー・てぃー)の無事の帰還が伝えられた時の、ただ一度切り。

 彼女は、自分が手当した負傷者全ての命を、救ったのだった。