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図書館の自由を守れ

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図書館の自由を守れ

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3日目 火曜日




 早朝・図書館前テント。
 正門が開くまで、まだ余裕のある時間。今日一番始めに目が覚めたのは伽耶だった。
 テントの外に人の気配を感じたのだ。
「誰かいるの?」
 伽耶が声をかけると、やや間を置いて返事が返ってきた。
「……聞きたい事がある」
 男性の声だった。声は簡潔に用件だけを告げた。
「……図書館解放活動の状況を教えて欲しい」
「ちょっと待って。今そっちに……」
「……待て。……このままでいい。……顔を見られたくない」
 伽耶はこの奇妙な来訪者をいぶかしんだ。
 こちらの情報を知りたがっているのに、自分の顔は明かせないと言う。この時間に訪ねてきた理由も、自分の姿を誰にも見られたくないからだろう。だが、知りたがっているのは図書館解放活動の状況である。ここまで警戒して訊きにくるような情報ではないはずだ。
「ごめんなさい。お話を伺ったら、すぐに帰りますから」
 ふと、別の声がした。今度は女性の声だ。
 伽耶が知る事はなかったが、男性のほうはクルード・フォルスマイヤー(くるーど・ふぉるすまいやー)。女性のほうはそのパートナーである、ユニ・ウェスペルタティア(ゆに・うぇすぺるたてぃあ)である。彼らはある理由で人目忍んでいるのであった。
「事情が飲み込めないけど、すぐ帰るなら……」
「ありがとうございます」
 不思議に思いながら、伽耶は状況を話した。
「……解決の見込みはあるのか?」
「解決出来ないと思ったら、こんな活動してないよ」
「……愚問だったな。……すまない」
 そう言うと、クルードとユニは小声で相談を始めた。
「どうしますか?」
「……彼らの成果を待とう」
「でも、上手くいくとは限りませんよ?」
「……何もしないとは言ってない。……準備は進めておこう。……俺たちの計画は最後の手段だ」
 話がまとまったのか、クルードは伽耶に再び話しかけた。
「……三日待つ」
「えっ?」
「……それで駄目なら。……俺たちが動く」
「……ごめん。話が見えないんだけど」
「……朝から邪魔をした。……お前達の成功を祈る」
「ちょ、ちょっと待って!」
 伽耶は慌てて外に出た。
 しかし、そこに来訪者の姿はなかった。
「……夢じゃないよね」



 昼休み・図書館。
 今日も貸し出しカウンターに座り、柳川先生は書類の整理に励んでいた。
 その様子を熱い視線で見つめるのは、再び登場の大草義純である。
 昨日のファーストコンタクトは失敗に終わってしまった。自分の気の弱さを悔やみ、決意を新たにこの場に立った。今日の彼はひと味違う。もう誰が来ても絶対に引かない、そう彼は胸に決めていた。
 しばらく落ち着かない様子でうろうろしていたが、やがて意を決して先生に話しかけた。
「あ、あの、柳川先生」
「あら、昨日の……?」
 義純の顔を見て、柳川先生は穏やかな表情を浮かべた。
「お……、覚えていてくれたんですか?」
「ええ。どうしたのかと気になっていましたよ」
「……嬉しいです」
「それで、どういったご用件ですか?」
「じ、実はあの……」
 と言いかけた所で、今日も今日とて邪魔がものが現れるのであった。
「よっ、センセ」
 軽薄な調子で先生に声をかけたのは、瀬島壮太(せじま・そうた)である。
「今日もお仕事お疲れさん」
 壮太は横から、義純の前に割って入った。
 だが、今日の義純はひと味違う。彼は毅然とした態度で壮太に抗議した。
「い、今……、ぼくが先生と話してるんです」
「あんだよ、文句でもあんのか?」
 壮太に凄まれ、義純のなけなしの勇気は砕け散った。
「な、ないです……」
 義純はガックリと肩を落とし、図書館の彼方へフェードアウトしていった。


「ちょっと、あなた。相談に来た生徒に何するんですか?」
「大事な用なら、どうせまた来るって」
 そう言って、壮太はカウンターに山積みになった書類を一瞥した。
「書類整理なら手伝うぜ、センセ」
「……これは私の仕事ですから。生徒に手伝ってもらうわけにはいきません」
「でも、すげー量だぜ。仕事たまってんじゃねーのか?」
「い、いえ。その……」
「遠慮すんなって」
 壮太は書類に手を伸ばしたが、柳川先生はすかさずそれを止めた。
「つれねーな、センセ」
「用がないなら帰りなさい」
 先生は厳しい目で壮太を見据えた。だが、そんな事で挫ける壮太ではないのだ。
「こうして見ると……」
「なんです?」
「怒った顔もいけてんだな、センセ」
 挫けるどころか、この状況を楽しむ壮太である。
「……ふざけてるなら、本当に怒りますよ」
「まあまあ……。こいつで機嫌直してくれ」
 用意した赤い革製の眼鏡ケースを取り出し、壮太はそれをカウンターの上に置いた。
 これは空京の商店で、壮太が手に入れたものだった。勿論、柳川先生にプレゼントするためである。クールな先生のイメージとは対照的な赤。しかし、この眼鏡ケースの赤色は落ち着いた色合いなので、先生も気に入ってくれそうである。もっともそれは受け取ってもらえれば、の話だが……。
「……なんですか?」
「何って、プレゼントだよ、プレゼント」
 怪訝な表情を浮かべ、先生は眼鏡ケースを見つめた。
「生徒から、こんなものを受け取れません」
「頭固いんだよなぁ……」
 そう言うと、壮太はカウンターに腰掛け、先生の頬に手を添えた。
「生徒とか教師とか……。そんなもんの前に、俺は男であんたは女だろ?」
「冗談はやめなさい!」
「俺が冗談言ってるように見える?」
 壮太はじっと柳川先生の瞳を見つめた。
「なあ、センセ……。俺の女になってよ」
 先生の唇に狙いを定め、ゆっくりと顔を近づける壮太。
 だが、一瞬の甘い時間は、突然現れた人物によって終わりを迎えるのであった。


「もう十分。そこまで」
 突然襟元を掴まれ、壮太は先生から引き離された。
「お、おまえは……、カルナス……?」
 現れたのはカルナス・レインフォード(かるなす・れいんふぉーど)
 壮太とは別ベクトルの軽薄さを持つ、恋愛道をひた走る求道者の一人である。
「先生の気持ちを無視してのこの蛮行、もっとエレガントに事を運べないのか?」
「良い感じだったのに、邪魔しやがって……」
 壮太はカルナスの胸ぐらを掴んだ。
 カルナスは不敵に微笑むと、腰に携えた剣に手を置いた。
「やれやれ。決闘の申し込みならいつでも受けるぞ」
 二人は火花を散らし、一触即発のムードである。
 だが、柳川先生の一言であっという間に鎮火した。
「図書館でケンカは許しませんよ」
 二人は互いに顔を見合わせた。
「ま、まさかケンカなんて……。少しお茶目な挨拶だよ、先生」
「そ、そうだぜ、センセ。俺はそんな非常識な人間じゃないって」
 そう言って、肩を抱き合う二人だったが、その手に自然と力が入ったのは言うまでもない事である。
「ま、それはそれとして先生」
 隙を見て壮太を押しのけると、カルナスは先生に顔近づけた。
「どうも本の撤去の件で、生徒の反感を買っているようだね」
「……それがなにか?」
「他の教師から学生時代の柳川先生の話を聞いたんだ。昔は文学少女だったそうじゃないか」
「……そうだったかもしれません」
「それなのに今は本を遠ざけようとしてる……」
 そう言って、カルナスは先生の手を取った。
「……随分変わってしまったんだね、先生」
 本来なら怒られそうなものであるが、先生は思う所があるらしく目を伏せた。
「……人は変わるものです。そして、変わらなければいけない時もあります」
「……オレはそれを悪いと言ってるんじゃないんだ」
 カルナスは悲しげな表情を浮かべた。
「でも……、辛い恋をして変わってしまったのなら、オレは悲しい」
「……はい?」
 思わず先生は首を傾げたが、カルナスは気にも留めなかった。
「いいさ。聞こうとは思わない。女性に過去はつきものだ。そして、過去が女性を魅力的にする」
 そう言うと、カルナスは浴衣を取り出し、先生の肩に羽織らせた。
 それは紺色の生地に朝顔が描かれた浴衣である。空京の日本雑貨店で仕立てさせたものだ。ちなみに、カルナスが先生と言葉を交わしたのは今日が初めて。この浴衣の寸法は、遠目から彼が眼力よって採寸した結果に準じている。長年生きた器物や生き物には不思議な力が宿ると言うが、人間も十八年生きれば不思議な技が使えるようである。
「いつもの聡明で凛々しい先生はとても素敵だ。でも、たまには肩の力を抜いても良いんじゃないか」
 そして、用意した赤い髪留めを、彼はそっとカウンターの上に置いた。
「木曜日に近くの町で夏祭りがあるんだ。一緒に行こう、先生」
「ちょっと待った!」
 目の前で口説かれては、壮太も黙ってるわけにはいかない。
「やめときなよ、センセ。木曜日は俺と海でも見に行こうぜ、俺の飛空艇でさ」
「邪魔をしないでもらおうか、瀬島くん」
「先に邪魔をしておいてよく言えるな、カルナスさんよ」
 しばらく睨み合い、火花を散らした二人は、同時に先生に目を向けた。 
「オレは信じてるよ。先生が正しい判断をしてくれる事を」
「俺に着いてきてくれ、センセ。絶対に後悔はさせねー」
 二人を交互に見つめる、先生。無表情ではあるが、彼女は困惑しているのである。


「……盛り上がってる所、すみません、先生」
 カウンターに現れた純吉花耶(すみよし・はなお)は、申し訳なさそうに声をかけた。
「いえ。全然構いませんよ」
「あの、ちょっと、先生?」
「俺たちの話も……」
 熱い視線を送る二人をスルーして、柳川先生は花耶へ向き直った。
「どうしました?」
「先生に見て頂きたい物があるんです」
 そう言って、花耶は本をカウンターに並べた。
 わくわくと心躍らせる冒険小説。幼少期を思い起こさせる心温まる絵本。悲しみを吹き飛ばすような楽しい漫画本。花耶の本棚から選び抜かれた、花耶のお気に入りの本達である。しかしながら、どれも図書館にあれば貴重書書庫送りになってしまうタイプの書籍ばかりである。
「この本はあなたのものですか?」
「そうです」
「生徒の私物まで管理するつもりはありませんが、わざわざここに持ち込むとは反抗的な態度ですね」
「そ、そんなつもりで持ってきたんじゃありません」
 花耶は慌てて否定した。
「ただ、私が本を大好きな事を伝えたくて……」
 花耶がここに来た理由を察し、先生は厳しい目つきで彼女を見据えた。
「聞きたくありません」
「先生だって、本当は本が好きなはずです!」
 覚悟を決めてここまで来たのだ、花耶だってここで引き下がるわけにはいかない。
「私の前にこんな本を持って来るなんて……」
 先生はカウンターをコツコツと指先で叩いた。彼女にしては珍しく落ち着かない様子である。
「……どうかされたんですか?」
 先生の異変に気づいた花耶だったが、その質問には答えず先生は立ち上がった。
「……失礼します」
「ま、待ってください!」
 服の裾を掴み、花耶は去ろうとする先生を引き止めた。
「本が嫌いになっちゃったんですか……?」
 真剣に先生を見つめる花耶を、先生は少し苛立った顔で見つめ返した。
 やがて、その手を振りほどくと、先生はヒールの音を響かせ無言で去って行った。