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リアクション
シャンバラ儀式場を守れ! 4
闇よりも玄(くろ)い双眸、いくらか紅みを帯びた金髪。
鉄鞭のようなな、やや切れ者すぎる印象を与えがちな顔立ちだが、目元と唇にたたえられた穏やかな笑みは、彼の容貌を親しみやすい印象にしている。
爽やか、そんな表現を使いたくなる。
一方で彼は、一度ちらりとでも見たらもう忘れられないような、強い吸引力をもつ姿でもあった。
名はロイ・グリーン(ろい・ぐりーん)。
ロイはここ、シャンバラの儀式場に集ったそうそうたる顔ぶれに比しても決して負けぬ存在感を放っている。
それだけに、こう思ったものは少なくないだろう。
――何者だろうか、と。
ロイは教導団の制服の襟元を緩め、生あくびを噛み殺し噛み殺し、何年も前からここにいるような顔をして来たるべき刻を待っている。
ずっと前から教導団にいたと言っても、十分通るほどに泰然としていた。
だが彼に見覚えのある者は、この場にはほとんどいないのだった。
ロイの制服は真新しい。上下ともに糊がきいており、おろしたてといっても通用しそうに見える。いや、本当におろしたてではないのか。本日袖を通したばかりのように、汚れひとつ見えない。
実際ロイは、つい先日薔薇の学舎から転入してきたばかりなのである。
それなのにもうなじんでいるのは、天性の素質であろうか。
「いよいよだな」
ロイのパートナーエドワード・ゲネス(えどわーど・げねす)がやや遅れて姿を見せ、彼に並んだ。
ロイと比べるとエドワードは、ずっと軍人らしい顔立ちだ。大理石から切り出してきたように精悍で髪も短い。鍛え上げられた肩の筋肉が、制服の下から盛り上がっている。
しかれどもエドワードにも、ロイ同様の愛嬌というか、どことなく親しみやすいところがあった。遠目には峻厳で手の付けようのなさげな断崖絶壁が、近づいてみると意外にも、柔らかい苔に覆われていたとでもいうかのような。
「まさか本当に転入するとはな」
エドワードは他人事のように言う。
「決戦に合せて、ってやつさ。バラバラに戦ってたんじゃ勝てないからな」
かく応じるロイの言葉にしたって、これから生死を分ける決戦に挑む人間の発言には聞こえないだろう。
されど誰も、彼らの口調に不誠実さな淀みは見いだせないのではあるまいか。
二人とも真剣なのである。
真剣に検討した上での、転入であり従軍なのである。
その志はこの場に結集した誰にも、遅れを取るものではなかった。
このとき、ロイの姿勢が一変した。
背筋を伸ばして胸を張り、まさしく兵士そのものの態度となる。ブーツの踵同士をぶつけて直立していた。
「大尉!」
ロイは敬礼した。肘を肩から上にする正式の敬礼であった。エドワードも同様だ。
「ご苦労」
威風堂々、そう表現するしかない。
青年将校が、長い影を曳いて姿を見せたのである。
クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)、階級は大尉。
本日クローラはその左右に、セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)、ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)を連れていた。
それだけでもうロイは圧倒されそうだが、クローラの随員はそれにとどまらない。
長い影とロイが錯覚したものは、クローラ率いる傭兵団《DoW》であった。いずれも正式の教導団軍装ではないが、触れなば切れそうなほど鋭い闘気と、炯々たる眼の輝きを宿した集団である。
――すげえ。
というのがロイの正直な感想だ。傭兵団は十数人。いずれもが飢えた狼のような戦意をたたえている。ひとたび牙を向けば恐るべき戦力になるに違いない。
常に薄笑みを浮かべているセリオスにしたところで、本気になれば傭兵団を凌ぐ実力者だろう。セリオスにまつわる『伝説』は様々に耳にしている。
さらにユマ・ユウヅキ。ロイは彼女とは直接の面識はないが、ユマが鏖殺寺院の暗殺兵器『クランジ』であり、かつて単身で蒼空学園に乗り込んできたこともあるという話を聞いたことがあった。
目の前を往く姿を目で追わずにはいられない。ユマは、儚げな雰囲気すらただよう相当な美女だが、綺麗な薔薇には刺のたとえもある、敵に回したい人物ではない。しかも現在ユマは、クローラの妻だというのだからなおさらだ。
とはいえその両者に《DoW》まで従え、今、歩調を緩めることなく歩みきたるクローラこそが、もっとも恐ろしい人物であるのは疑いようがなかった。
クローラの目元は涼やかである。
顔つきも知的で、尊大ぶるところがない。どちらかといえば柔和というのがあてはまろうか。
それでいてまったく、クローラの立ち姿には隙というものが見あたらなかった。
ロイは想像する。
今、抜刀して挑みかかったとて、そればかりかエドワードと二人がかりで銃を抜こうとて、クローラには傷の一つもつけられないだろう。瞬時に叩きのめされ、場合によっては腕の一本や二本、折られているに相違ない。脳内で何度か高速シミュレートしてみたが同じだった。
これが歴戦の勇士の凄味というものだろうか。
経験の差だろうか。
自分もいつか、大尉のいる高みに到達できるだろうか。
そんなことをロイは考えた。
ところがこのとき、ロイの緊張を和らげる芳香があった。
花の香。
高原の風のような気持ちの良さもある。
そんな香を連れて、跳ねるような足取りで入ってきた少女があった。「遅れちゃうね」
最初に目を引いたのは彼女の長い脚、すらりとした身長。そして豊かなバストにつややかな黒髪だった。褐色の肌も惚れ惚れするほど瑞々しい。
ユマとはまた違った意味で華やかな、衆目を集めずにはおれない姿である。
抜群のプロポーションを窮屈そうな軍服に押し込んで、長身の少女はユマに並んだ。【鋼鉄の獅子】の徽章を付けているところからして、同僚なのはまず間違いなさそうだ。
「ローラさん」
ユマが呼びかけた。
「ユマ!」
来たよ、と彼女はユマに手を振った。
「そうか、あの娘(こ)が……」
エドワードがつぶやく。
ロイも理解していた。
彼女はユマ・ユウヅキ同様、クランジの一人である。たしかクランジ ロー(くらんじ・ろー)と呼ばれていたはずだ。しかし現在では売り出し中のモデル、ローラ・ブラウアヒメルとしてのほうが有名だろう。ローラはユマとは友人同士らしいが、一時的に教導団の制服を着て【鋼鉄の獅子】に参加しているのは意外だった。
「点呼を開始する!」
クローラ大尉が部隊に向き直ったとき、すでに全所属兵員が彼に向かって屹立していた。
切れ目なく点呼が終わると、クローラは振り返って少佐の階級章をつけた男に敬礼する。
「以上、【鋼鉄の獅子】儀式場守備隊、結集しました!」
――いつの間に!?
ロイは息を呑んだ。
クローラの前にはたしかに、ユージーン・リュシュトマ少佐が立っていた。
だがリュシュトマが、とこから現れたのか、いつ現れたのか、ロイはまったく記憶していない。
テレポートしてきたかのようにこつ然と、無から出現したようにしか思えなかった。
実際はここに歩いて到達したのだろう。それだけリュシュトマという男が、気配を消す隠密の技術に長けているということであろう。
リュシュトマは隻眼、初老の軍人である。といっても老兵とあなどることはできないだろう。その肉体は引き締まり、黒豹のように無駄がなかった。敵の首くらい簡単にへし折ってしまいそうだ。
彼の眼帯側の顔半分は、赤黒い火傷の痕で覆われている。これは捕虜になったとき拷問を受けた結果だという噂があるが、真実は明らかではない。ただ、その容貌が、直面する者に恐怖を与える種類のものであるのは疑いようがなかった。
「少佐、我らはいつでも行動できる状態にあります。お言葉をお願いします」
クローラの依頼に、しかし少佐は首を縦に振らなかった。
「大尉。本部隊の指揮官は貴官だ」
「……!」
クローラが身震いするのがはっきりとわかった。
だがクローラ・テレスコピウム大尉はすぐに部隊兵たちに向き直り、己の使命を果たしたのである。
「【鋼鉄の獅子】本隊はイーダフェルト防衛だが、儀式場を決して軽んじているわけではない。だから俺が来たのだ!」
応、と低く重く、そして熱い賛同の声が一斉に返ってくる。
「我ら部隊の使命は儀式場の死守! すまんが、作戦終了まで皆の命をくれ!」
応! 声はますます高まった。
「人々に一切の不安を与えぬよう、民の盾となり世界を守ろう」
魂を込めたクローラの声に、それ以上の叫びが応じた。
散開し配置についた折に、セリオスはクローラを捕まえた。
「『だから俺が来たのだ』……か」
「笑ってくれていい」
クローラは特に恥じ入る調子もなくそう答える。
「自信過剰、だったかもしれない」
「そうは思わないよ。いい演説だった。僕はね、クローラ……君とは付き合いが長い。色んな時期の君を知っている。自信も実力もまだまだの頃、実力はついてきたけど自信が足りなかった頃、そして今……ようやく、自信が君の実力に追いついた。そう思ってる。過剰ではなく、十分な自信がね」
「よしてくれ」
さすがにクローラも照れたか、手を振ってセリオスへの返答とした。
「でも、これは僕だけが思っていることじゃないんだ」
「ユマか」
「いいや。ある人がね、『それでいい』って。クローラがこれだけのことを言えるようになるのを待っていた、って」
驚いたようにクローラはセリオスを見返した。
「それはまさか……」
「だから『ある人』さ。ある意味、僕以上にクローラの成長を見守ってきた人かもしれない」
それ以上の発言をさせず、セリオスは笑みを浮かべてクローラから離れた。
「あ、そうそう! ユマの感想なら直接聞くといいよ!」
小走りにセリオスが駆け去ると、ちょうど入れ替わるようにしてユマがやってきた。
「いよいよ、ですね」
「ああ」
「怖くはないか」
「怖くない、と言えば嘘になります。けれどどこか別の場所で、クローラの帰りを待つだけだったとしたら、もっと怖かったと思います」
クローラは少しためらったが、夫の顔になって彼女をそっと抱きしめた。
「俺達の未来は俺達の手で守ろう」
「はい」
短いが、それでも忘れ得ぬ時間が流れた。
腕を解いたとき、すでにクローラの顔は軍人に戻っていた。
「敵には必ず複数名で当たれ。長期戦を覚悟し適宜交代せよ」
基本的な事項を、確認するように伝える。
このときローラ・ブラウアヒメルが入ってきた。
「お邪魔……じゃない?」
「構わない」
クローラが用向きを問うと、ローラは外部に電話をしていいかと許可を求めた。
「友軍にか。短時間であれば問題はない」
「良かった。一応、勝手な行動はダメ、そう思ったよ」
ローラはうなずくと、すぐに電話を取りだしてどこかに連絡した。
「もしもし……」
嵐の前の静けさ、という。
大荒野の岩に腰を下ろし、仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)は立てた剣を支えにして目を閉じていた。
静かな風が磁楠の前髪を揺らしている。眠っているのか、集中しているのか。
その足元では七枷 陣(ななかせ・じん)が、イオリ・ウルズアイ(いおり・うるずあい)の作業を見守っていた。
イオリは、かつてトレードマークだった郵便配達夫のような帽子を目深に被り、黙々とスナイパーライフルの手入れをしている。銃腔内にブラシをかけて乾かし、外装も丁寧に布で拭う。なにか一つ動作を行うたび、具合を確かめるようにスコープを覗いては戻していた。いずれも手慣れた動きで、そこに無駄はひとつもない。
唐突にイオリが口を開いた。
「……楽しいか?」
「えっ?」
「銃の手入れは地味な作業だ。観察していても楽しくはないだろう」
作業をじっと見られていることを、イオリもそれなりに意識しているようである。
少し考えて、陣は言葉を選ぶように言った。
「オレが楽しいかどうか、っていうより……楽しそうやな、って思った。イオリが」
「僕が?」
「違うか?」
「手入れは単なる日常に過ぎない。まあ、これだけ本格的にやるのは久しぶりだから、楽しそうに見えたかもしれないな」
「せやろ?」
「だけどこれは、命を奪うための道具だ」
イオリは、狼のような目で陣を見上げていた。
「楽しい楽しくないではなく、怠れば命を奪われるのは自分、そう考えながら追われるような気持ちでやってる。それに、できるだけの準備をして挑むことは敵への……なんていうか、僕なりの敬意の示し方だよ」
そうだった。
陣は思い出す。
イオリはその手で、大黒美空の命を奪ったのだった。
仇を取る――美空の報を聞いたとき、陣の心にその意志があったのは事実だ。
だが今、美空を撃ったイオリを迎え入れ、自分の人生を生きさせることで、陣はかつての復讐心を昇華させた。
イオリは過去の自分の行為について何も言わない。後悔とか反省とか、そういった表現を使ったことはない。
イオリを殺してどうなる――陣は思う。
それで美空が帰ってくるのか。否だ。
それよりはイオリに、美空の分まで生きさせるほうがいい。
だが彼女が図らずも口にした『敬意』という言葉に、陣は少し救われたような気がした。
陣は話題を変えた。
「算段はあらためて確認するまでもないか。イオリ、お前にチートなまでのスナイプ能力はもうないのは知ってるけど、その名残くらいはあるやろ。インカム越しに指示を出すから……」
「遠距離からサポートする、だろ? わかってる。できるだけのことはさせてもらうさ」
それと……と、一呼吸おいて陣は続けた。
「万一オレらが抜かれて敵が迫ってきたら、状況を見つつ後退するんや。わかってるとは思うけど命を無駄にすんなよ」
イオリは何も言わない。
「イオリにとっちゃ、未だにここはクソな世界なのかもしれん。けど生き続けてりゃ、ここだってそんな悪いものでもないかもしれんやろ? だから生きてくれ。機晶姫としての寿命を迎える、そのときまでさ」
それでもイオリはすぐに答えず、しばし黙って手入れを続行していたが、やがて銃を置いた。
「わかった」
それから、と言ってからイオリは足元に視線を落とした。逡巡しているようだった。
だが、意を決したように顔を上げた。
「それに……僕はもう、世界をクソだなんて思っていない」
かつての敵、クランジΙ(イオタ)は名をイオリ・ウルズアイに改めた。
以来、彼女は『イオタ』と名乗らなくなった。過去の名で呼ばれてもあまり喜ばないようである。
生まれ変わったなどと簡単に表現していいものではないだろう。しかし、『イオタ』と『イオリ』の間に大きな隔たりがあるのは事実ではないか。
このとき磁楠が岩から滑り降りてきた。
「そろそろだな」
磁楠は首を巡らせる。
空の一角が曇り始めていた。
雲が出てきたからではない。敵が一斉に出てきたためだ。
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