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エンジェル誘惑計画(第2回/全2回)

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エンジェル誘惑計画(第2回/全2回)

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第13章 蒼き封印


 多少、時間は遡る。
 薔薇の学舎生徒の早川呼雪(はやかわ・こゆき)はヘルに電話していた。すでにパートナーのファルには「俺に何かあった時は頼む」と言い含めてある。
「やあ、呼雪。電話をくれて嬉しいよ。僕に何か用かい?」
 ヘルが朗らかな調子で、電話に出た。呼雪は冷たい声で言う。
「ずいぶんと急がしそうだな。何度、電話をかけさせる」
「いやー、ごめんごめん。僕ってばモテモテな上に、砕音がじゃんじゃん電話かけてきてさー。そのせいで電話がつながりにくくなっちゃってるみたいだよ」
「自分自身の行ないのせいだろう。大変な事をしたな」
 呼雪は相変わらず、突き放すような口調だ。ヘルは苦笑まじりに言う。
「だってエンジェル・ブラッドから魔獣を孵したいんだもーん。苦情なら受付ないよ」
 呼雪は息を吐き、挑発的に言う。
「この前の話はどうする……聞きたいんだろう?」
「この前? えー、なんだったかなー? 聞くって何をー?」
「言わせるな」
 ヘルのわざとらしい口調に、呼雪は憮然と返す。ヘルはクスクス笑い、言った。
「君が約束を守ってくれて嬉しいよ。こっちにおいで」
 呼雪の視界が揺らぎ、気づくと彼は豪華な屋敷の一室に立っていた。目の前に立つヘルが「ようこそ」と肩に腕を回してくる。
 呼雪はいぶかしむ様子で、室内を見まわす。
「……ここが沼の奥なのか?」
「あそこに人間は住んでないよ。この屋敷は、タシガン郊外にある貴族の別荘のひとつさ。僕の協力者から、もらったものなんだ。寝室のベッドも天蓋付きで綺麗だよ」
 ヘルはにやけながら、呼雪の頬にキスをし、次いで彼の指にも口づけた。

「……ハッ……あ……」
 容赦なく攻め立ててくるヘルの指に、呼雪は苦しげな息をもらす。
 背後から、ぐいと抱きあげられ、ヘルの高ぶりを感じた。呼雪は唇をかんで、耐える。
 行為は初めてではない。だが、こういう事は汚されるような思いがあった。
 ヘルがすねたような声を出す。
「ねぇ、もっとイイ声を出してよー。君、唇かんでるじゃん」
「声、聞きたいなら……もっとその気にさせてみろよ」
 呼雪はごまかした。
「うーん。あ、そうだ」
 ヘルは呼雪を離し、ベッドの上にゴロリと仰向けになる。
「君が入れて、動いてよ」
「……!」
 呼雪はのろのろと体を動かし、ヘルの体をまたぐ。それに手をそえ、導こうとする。
「う……」
 思わず呼雪は辛そうな声をもらし、その体が震えた。
 突然ヘルが、彼を止めるように手をそえる。
「ストーップ。どうも砕音が沼の奥についちゃったみたいだ」
 ヘルは体を起こし、呼雪を座らせて軽く抱き寄せた。


 砕音と同行する生徒たちは、苦労しながらも沼を進んでいた。
 人食いヤドカリのいる辺りは、ヤドカリと戦ったり囮となる生徒たちが、彼らに道を作ってくれた。
 その奥に棲む巨大陸生クラゲに対しては、半透明のカサであたりを付けて遠回りして進んだ。
 やがて一行は沼を抜け、草地へとあがる。意外なことにヘルの姿が無い。
 エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)はそれまで砕音と打ち合わせておいた通りに、すぐにエンジェル・ブラッドを探しにかかる。
 エメの右手首には、砕音から渡された薄金色のコード状の物が巻きつけられていた。砕音によれば、宝石を捜し、また働きかけるブースターのようなものだという。
「こ、これは?!」
 しかしエメが最初に見つけたのは、血みどろで倒れる島村幸(しまむら・さち)だった。辺りを見ると、他にもやられた者がいるようだ。
「救助はオレたちがやるから、おまえはエンジェル・ブラッドを探すのに全力を尽くしてくれ」
 スガヤキラ(すがや・きら)がエメをせかし、プリーストを呼ぶ。
 エメは天使像へと思いを馳せ、祈った。
(セイル……ブルーストーンのもとへと私を導いてください。貴方が封じたように魔獣の復活を食い止めたいのです……!)
 一方ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)の捕らわれた穴は、すぐに見つけられる。
 見張り役の智彦は固まったままなので、ベア・ヘルロット(べあ・へるろっと)が小型飛空艇で穴に折り、ラルクを外に連れ出した。
「ラルク!」
 小型飛空艇があがってくると、砕音が走りよる。
「へへ……心配かけたな、センセー」
 砕音は周囲に教え子がいるのも忘れ、ラルクに抱きついてキスをした。


「なぁにしてんのかなぁ、君たち」
 ヘルが草地にテレポートしてくる。生徒たちは、あわてて武器を抜いて身構えた。
 だが薔薇の学舎生徒の柳生匠(やぎゅう・たくみ)は違った。彼はダガーを砕音の首元につきつけ、周囲の生徒たちも含めて「動くな!」と叫ぶ。
 これまで砕音を手伝ってきた匠の行動に、動揺が起こる。
 もっとも砕音に禁猟区のハンカチを渡していた片倉蒼(かたくら・そう)はなかば呆れながら思う。
(先生……ヘルと対決して、エンジェル・ブラッドをエメが探す時間稼ぎをするためなのでしょうけど……危ない橋を渡りすぎです)
 匠はヘルに鋭い視線を送りながら言う。
「砕音先生とエンジェル・ブラッドを交換してもらおうか」
 しかしヘルは呆れたような顔と声で、砕音に言う。
「あのねー、砕音。さっきもやったでしょ、その手」
 匠はヘルにふたたび言う。
「グダグダ言ってエンジェル・ブラッドを渡さなければ、あんたの欲しがってる先生が死ぬことになるぞ」
 しかしヘルは言った。
「無理っ! 絶対的な能力格差があるんだから、砕音が死のうとでも思ってない限り、その状態からでも何の苦もなく君を倒せるでしょ」
 匠はヘルに揺さぶりをかけようと言ってみる。
「もしかしたら、あんたは先生の先祖とかと因縁があって、彼に愛憎の感情を持っているんじゃないのか」
「なに、それ? 砕音のご先祖とか全然キョーミないんですけどー」
 ヘルはあからさまに「何を言ってんの、この人?」という顔で匠を見る。
 そこで匠は砕音に言う。
「砕音先生。ヘルの起こした問題とかさ。ヘルの真意に、奴の狙いのあんたが向きあってやらないと、根本的な解決に至らないんじゃねぇのか。それが出来んのは、あんただけだろ」
 砕音はため息をつく。
「柳生はその彼の真意が、何だと思ってるんだ? 俺にヘル・ラージャの悩み相談に乗ってやれってことか?」
 ヘルがそれを笑い飛ばす。
「砕音さぁ、こいつらは君を僕に差し出して、厄介払いしたいだけなんだよ。自分たちを、君と僕のゴタゴタに巻き込まれた、おかわいそーな人たちだと思ってるのさ」
 砕音は淡々とした様子で言う。
「……まあ、生徒たちに自覚が無いのは散々、感じてるけどな。自分たちが、いわば地球の各国家による侵略の尖兵として見られ、攻撃や憎悪の対象になるなんて微塵も思ってない。シャンバラにいる事、各学校に所属する事が、それだけで政治的行為であり、敵を作る事だという危機感は無いな。……この件は、各校長やシャンバラ側の偉いさんの責任もあるとは思うが」
 周囲の生徒たちは少し驚いた顔で砕音を見る。ヘルは言う。
「ほーら、やっぱり砕音は僕たちの側の存在なんだよ」
「『僕たちの側』?」
 砕音がヘルを睨む。ヘルは「あ」と一言つぶやく。
 突然、砕音が動いた。匠のダガーをはねのけながら銃を抜き、ヘルに何発もの弾丸を浴びせる。ヘルの右上半身と右腕が肉片、骨片に代わって消し飛んだ。だがヘルはテレポートで砕音の前に現れると、平然と左腕一本で砕音の腕をとった。
「砕音ー! いきなり何するんだよ、ヒドイなー。……あれ? なんか再生スピードが出ないよ?」
 ヘルはもぞもぞと体を動かす。痛みは、まったく感じていないようだ。砕音は彼を睨んで言う。
「おまえに普通の9ミリなんかブチ込むわけないだろ。殺しても死なないバケモノ相手でも一定の効果を持つように用意した特殊弾丸だ。……鏖殺寺院幹部の白輝精さんよ」
 周囲の生徒たちは鏖殺寺院と聞いて、さらに緊張を増した。ヘルが冗談じみた、うめきをもらす。
「げふ。やっぱりバレちゃったか。だから残念だけど、面と向かって君と会うの避けてたのに。さっすが僕らを殺しただけの事はあるや」
「おまえこそ、平然と新たな体で生き返ってくる上に、性別年齢種族まで変えた分身を作るって隠し芸まであったとはドびっくりだがな。人の名前にケチつけたおまえの方こそ、十も二十も名前を使い分けてるだろうが」
「隠し芸て……。一応、僕的には、それぞれの体を前世の自分みたいな神秘的な感じで認識してるんだけどー」
「知るか。自分で神秘的とか言うな」
 ヘルはげんなりした様子で言う。
「君の、カラダは総受け体質なのに、中身は実はツッコミ体質なところ、好きだよ」
「迷惑だ」
「……」
 唖然としている生徒たちの中で、そんな事はおかまいなしに会話に割り込む者がいる。性帝砕音軍を名乗る南鮪(みなみ・まぐろ)がヘルに指をつきつけて、わめく。
「ヒャッハー!! 砕音陛下の実力はおまえが想像してる範疇のレベルではない! もっと凄い! それを認め、軍門に下り性帝軍の一員となるべきなのだ〜ッ」
 ヘルはジト目で砕音を見る。
「砕音、なに面白そうな事をたくらんでるんだよ?」
「降伏勧告として受け取れ……」
 鮪はさらに調子に乗る。
「性帝陛下こそがナラカの王と知れェ〜。そして、そのお力になれる事を光栄に思え〜! ヒャッハァー!」

 一方、エメは地中に精神を集中させていた。
 心を落ち着けるにつれ、地中から何か力を感じる。
(これがエンジェル・ブラッド? ここに聖なるサファイア『ブルーストーン』も? ブルーストーンよ、私は魔獣ナグルファルを封印したい……!)

 霧に包まれた暗い草地が、急に明るい蒼い光に照らされる。
 地中から、まばゆい蒼い輝きを放ちながら現れたのは、深紅の宝石エンジェル・ブラッドだ。エメは確信する。
(エンジェル・ブラッドこそがブルーストーンだったのですね)
 エメは、蒼い光を発する赤い石を手に取った。魔獣の封印を願い、かつてその石を使った天使に思いを馳せる。

 まばゆい蒼い輝きが収まった時、その場にはエメの等身大の石像が立っていた。胸にはエンジェル・ブラッドが輝いている。まがまがしかった輝きは失せていた。
 右上半身を失ったヘルが、そこにテレポートしてきて、なんとも情けない声を出す。
「あ〜〜〜、魔獣がぁぁ〜。僕がせっかく二ヶ月かけて封印を弱めたのにっ封印を強化しちゃうなんてー」
 遅れて生徒や砕音が、そこに駆けつける。ヘルは砕音を見て、妙に甘えたような声で言う。
「ねぇ、砕音。君だったら、この状態からでも魔獣を復活させられるよねぇ?」
「断る」
「……ケチ」
 砕音はヘルに銃口を向け、怒鳴る。
「アホ言うな!! なんで俺がおまえの頼みを聞いて、弱者を食い殺す魔獣を復活させないといけない?!」
 ヘルはすねたように言う。
「だってー。君の力だったらエンジェル・ブラッドに関わらず、呪いのアイテムでも、封印された遺跡でも、眠れる女王器だって、封印するも封印を解くも自由自在じゃん」
「おまえは俺の、と言うか俺のパートナースキルにドリーム見すぎだ。アナンセがポータラカのデバッガー器機で、俺がその専属オペレーターってだけだ。理論上は可能でも、実際にやるには数百年はかかるぞ。終わる前に、俺が寿命で死ぬ」
 ヘルは大きなため息をつく。
「ちぇー、砕音のドケチ〜。僕の二ヶ月間の努力を返せよー。……まあ、でも、君も少しは今回の事で、君が守ろうとしている人間の本性に気づいたんじゃない?」
 砕音は肩をすくめて見せる。
「悪いが、多少は体をいじっていても、俺もどうしようもなく人間でな。その救いようの無さは、気づくまでもなく身に染みて分かってる」
「はいはい、そーですか。じゃあ、できる事もなくなったんで僕は帰るよ」
 ヘルがそう言って、テレポートで姿を消す。彼は先程よりも、わずかに肉体が再生してきているようだった。
 蒼が不安そうに、エメの石像を見て砕音に聞く。
「先生、エメは大丈夫なんでしょうか?」
「ああ。契約者だし、もともとの封印を強めるだけだからな。薔薇の学舎に戻ったら、石化を解くから安心してくれ。ヘルが撤退した以上、ナラカと校庭の結びつきは消えるだろうから、まずは急いで戻らないと。探してた人は皆、みつかったのかな?」
 砕音が生徒たちに聞いた。
 キラは携帯で、パートナーのココに連絡がつく。ココはすでに薔薇の学舎に戻っていると知って、キラはホッとする。
 一方、ファルも呼雪と携帯で話すことができた。
「コユキは今、タシガン郊外のお屋敷にいるんだって」

 一行は、エメの石像と要救護者をゴムボートに乗せ、それを小型飛空艇などで引っ張って沼へ向かった。
 霧が揺れ、何か方向感覚が狂う。ナラカと学舎校庭の結びつきが弱まっているためだろう。逆に、クラゲやヤドカリなどのモンスターも異変に動揺した様子で、生徒たちを襲ってくる事はなかった。
 ゆったりとした笛の音が、霧の向こうから響く。久慈宿儺(くじ・すくな)が放送室で吹く龍笛の音だ。
「あっちが薔薇の学舎だね!」
 ベアは、重くなったゴムボートを引く小型飛空艇を操縦して、笛の音が響く方向へ向かった。他の生徒たちもボートを押して急ぐ。

 行きよりも、だいぶ長い距離を歩いて彼らは薔薇の学舎の校庭に戻った。
 校庭のあちこちに巨大ヤドカリの死骸が転がっている。どうやらヤドカリとの戦いも、ほぼ終結しているようだ。モンスターが街に出た様子は無い。
 SPを切らして、学舎に残っていたプリーストメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)が携帯電話で連絡を受けて飛び出してくる。しばらく休んだ事でSPも回復している。
 救助されたのはサトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)島村幸(しまむら・さち)ガートナ・トライストル(がーとな・とらいすとる)の三人だ。彼らにヒールをかけまくって、メイベルはふたたびSPを切らす。
「どうにか全員、命は助けられそうですぅ。ヒールでは限界がありますからぁ、この後はお医者さんに運んだ方がいいですぅ」
 また石像になってしまったエメには、砕音が対処する。
 先程、美術展示室の天使像にした様に手を当てて集中する。そのまま三分ほどすぎた時、急速に石像に本来の色が戻っていく。
 胸からエンジェル・ブラッドが転がり落ち、砕音が受け止めた。今度はその宝石に何か念を込めるような仕草を見せる。
「エメ、大丈夫ですか?!」
 そばで見守っていた蒼が声をかける。エメはにっこり笑って、肩をほぐすように腕を回した。
「ええ、少々窮屈できたが、面白い経験をしました」
「もう……面白いなんて」
「何を言います。『面白そう』こそ、至上の動機!」
 言い切るエメに、蒼もようやく安心したようだ。
 それからエメは手首に巻いていたコードを、つかれた様子の砕音に返す。
「先生、同じ方法でセイルも元に戻すことはできませんか?」
 砕音は辛そうな顔で答える。
「いや、守護天使セイル・アレンの魂そのものは、もう天に召されている状態だから無理だ。天使像はいわば付喪神(つくもがみ)のできかけ状態だからな。これだと逆に彼を殺すことになる」
「そうでしたか……」
 エメは急に天使像と会いたくなり、美術展示室へ向かった。沼の奥での出来事を話して聞かせたかったのだ。
 砕音は留守中の出来事を聞こうと、グループをまとめる生徒を探そうとするが、激しい頭痛を感じて立ちすくむ。
「イテ……、うッ……」
 砕音はその場に座りこもうとするが、そのまま地面に倒れ込んでしまう。
 誰かがプリーストを呼ぶ声を聞きながら、砕音は意識を失った。