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第4章 <越前屋>にて


 熱い戦いが繰り広げられているのは、何も甲板ばかりではない。
 同時刻頃、彼らもまた目の前の獲物と死闘を繰り広げていたのだった。
 昼食を取る場所を探していたフィル・アルジェント(ふぃる・あるじぇんと)は、その異様な雰囲気に気付き、足を止めた。
「なんでしょう、このお店は?」
 中華のお店のようにも思えるが、ショーケースの中身はどれも同じ料理に見える。入り口から覗く店内では、その唯一らしい料理の皿を必死になって口に運ぶ客の姿があった。
 食堂に併設された熱気のこもるその店の、赤い縁取りがされた黄色い看板を見上げると、<越前屋>と書いてある。
「せっかくだから、私はこの赤の看板の店を選ぶわ!」
 いつもは冷静なパートナーのセラ・スアレス(せら・すあれす)は力強く宣言する。フィルもうなずき、
「とにかく入ってみましょう」
 二人が店に入ると、いらっしゃいませ〜、とウェイトレスの声が響いた。
「お二人様ですか、こちらへどうぞ」
 店の意味不明さとは関係なく、遊覧船らしく中は普通のレストランのようだった。だが店内にはコンソメやクリームのではなく、醤油や鶏の匂いが漂っている。席に着いてメニューを眺めると、匂いの正体は判明した。
「焼きビーフンばっかりですね。……でも、焼きビーフンって何かしら?」
 ビーフン。それはライスヌードルと呼ばれる米粉を使用した麺類の一種である。見た目は春雨に似ている。一般的には乾燥したものを水で戻して使用するが、これを炒め料理に使ったのが焼きビーフンである。野菜や肉・魚介類を入れて、中華風やカレーで味付けをすることが多いようだ。
 フィルはメニューの中でひときわ大きい文字で「オススメ」と書かれているものを見付けて、
「せっかくだから、私はこの手羽先入り焼きビーフンを食べてみたいです」
「じゃあ私もこれにします」
 ウェイトレスがメニューを閉じた二人を見付けてやって来る。注文すると、彼女は意味不明なことを言った。
「ニンニク入れますか?」
「えっと、入れないでください」
「……かしこまりました」
 ウェイトレスは厨房に走っていく。
「シェフ、手羽ビそのままでお二人様ですー」
「何だとぉ? 了解したぁ!」
 何故か語尾が上がるシェフのかん高い声が響いてくる。ちょっと不安に思う二人だが、程なく運ばれてきた焼きビーフンは大変美味で、二人は美味しく食べることができた──その異常な量を除けば。
 そう、だからうきうき観光しながらこの店にフィル達より先に“入ってしまった”アリス・ハーバート(ありす・はーばーと)ミーナ・シーガル(みーな・しーがる)は、その量におぼれかけていた。
 周囲をよくよく見れば、お客さんの大半が男性だ。彼らは一緒に注文した、または持ち込んだ烏龍茶をそれぞれビーフンの横に置いている。
 目の前のビーフンに目を戻す。
 皿は、パスタ皿より一回り大きいかな、ぐらい。その量が半端ではない。縁をはみ出している山盛り具合。一人前を頼んだはずなのに、普通の店の焼きビーフンなら二人前の量はある。
「何かとんでもないことになってるね。食べきれるのかな」
 アリスは自分の巻き込まれ体質を恨んだ。というより、巻き込んだ方かもしれない。
 日頃お世話になっている自称保護者のミーナにバカンスをプレゼントし、お昼までは楽しく過ごしていたが、ここで食べようと言い出したのもアリスの方だった。
 箸を止めるアリスとは違い、ミーナの方は食欲旺盛に平らげようとしている。
「ヒャッハ〜、美味しい物なら何でも歓迎だぜ! アリスを苦しめるビーフンだってミーナちゃんがやっつけてやるぜ」
「もう、パラ実の真似はやめてよ」
 仮にも百合園生なのに、とアリスは付け加えるものの、ミーナは聞いていない。
「大丈夫だって、アレに比べれば……」
 ミーナが指さしたのは、隣の席で先ほど奇妙な注文を終えた真崎 加奈(まざき・かな)のテーブルだった。ウェイトレスが山盛りの何かが乗った皿を二つ、彼女の前に置く。テーブルには加奈持参の“ダイエットティー”が置かれている。
「お待たせいたしました。ご注文は“ハバネーロといちーご大福ダブル重ねナムナムハチミツかけ風特大ケーキ”と“スッポンのにゃんにゃんからあげめんたい味ルルルルル〜♪”で宜しかったでしょうか?」
「はい!」
 元気よく加奈は返答し、舌を噛みそうな注文を難なく言い終えたウェイトレスににっこり笑いかけた。(自称)グルメの加奈は、その無茶な注文が通ったことに感謝しつつ、その二皿を見てまた笑顔になる。
 先に食べる一皿目に決めたのは、こちらは食事の“スッポンのにゃんにゃんからあげめんたい味ルルルルル〜♪”。
 地球のスッポンと同じかどうかは分からないが、それっぽい肉が猫のに肉球型にくりぬかれている。からりと揚がったその肉球が、ビーフンの上に乗っており、明太クリームソースがかかっているという一品だ。
 二皿目のデザート “ハバネーロといちーご大福ダブル重ねナムナムハチミツかけ風特大ケーキ”は、加奈の目線まで届く三段重ねのホイップクリームがかかったケーキに、苺の変わりに苺大福、苺ソースの変わりにハバネロソースが赤い彩りを与えていて、一見華やかそうに見えるが、かかっている及び何故か生地にマーブル状に練り込まれたハバネロが、ホイップクリームの甘さと相まって、舌に刺激的なパンチを打ち込んでくる微妙な一品だ。
「噂に聞いてただけあって、美味しいな〜。毎日は無理だけど……またお父様に頼んで、お休みの日は毎日来ようっと!」
 ぱくぱく食べ進む加奈を見て、アリスはミーナと顔を見合わせた。
「あれ、メニューにありましたっけ?」
「注文を聞かれたときに、なんか周囲の人が呪文を唱えてたじゃん。アレンジしてくれるらしいんだよな」
「アレンジの域を超えてるみたいなんだけど」
 翻り、冷静に店内を観察していた高務 野々(たかつかさ・のの)に隙はない。
「手羽先入り焼きビーフンを小でお願いします」
「ニンニク入れますか?」
 ウェイトレスの質問に、
「そのままで」
「かしこまりました」
 程なくやってきたビーフンに、色々と妄想を巡らせていた野々の目に残念な色が浮かぶ。
「か、唐揚げではないなどと……そんな馬鹿な……」
 哀れ、野々の期待は裏切られてしまった。焼きビーフンに乗っていた手羽先は、蒸されたものだったのだ。
 手羽先といったら唐揚げ、それが世界の常識ではなかったのか? ビーフンはどうでもいい。出身地で親しんだ手羽先をパラミタで食べられる、ただそれだけの為に、野々は<越前屋>にやってきたのだった。
 もう一度メニューを開く。隅から隅まで眺め回して、手羽先の唐揚げだけのメニューが隅っこに小さく書かれているのを発見して、野々は再び注文した。
「……済みません、手羽先のみ追加、タレとスパイスとで一皿ずつお願いします。それから……」
 やって来るまでにビーフンを(手羽先は後回しにして)何とかお腹に入れると、野々は蒸された手羽先を食べ切る。
 さっき理解した謎の呪文によると、この店はかなりのアレンジに答えてくれるらしい。そして手羽先はここにある。であればやることは一つではないか。
 テーブルに次々と手羽先料理が並べられ、美しい茶色に揚がった手羽先で埋め尽くされる。濃いタレ、スパイスが効いたものの基本二種に、ゴマがついているものついていないもの、赤味噌の風味があるもの……。
 野々は、心底幸せそうに微笑んだ。
「さあ、手羽先パーティにしましょう」

「忙しいねっ」
 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)はバイト仲間の山田 晃代(やまだ・あきよ)に呼びかけた。突然背中から話しかけられて、晃代の肩がびくっと震える。
「どうしたんですか晃代ちゃん? 厨房覗いて……?」
「う、うんちょっとねー。ヴァーナーさんもナニか用カナ?」
 以前、演劇部で同じ舞台に関わった二人は顔見知りである。晃代の様子がおかしいのに、ヴァーナーはすぐに気付いた。
「具合が悪いですか? だったらお休みもらっても……」
「大丈夫だよっ」
「そうですか? そうそう、さっき素敵な人がいたんですよー」
 ヴァーナーは窓際の席をそっと目で示した。
「今日はいたずらをする人どころか、出会いまであって嬉しいです」
 そこでは百合園と遠く離れた位置にある、しかも男子校の薔薇の学舎の生徒が二人、焼きビーフンをそれでも優雅に口に運びながらほのぼのと談笑している。一人ははかなげな美形、一人は褐色で元気が良さそうなドラゴニュートだ。
 早川 呼雪(はやかわ・こゆき)ファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)の二人である。
「コユキはいつも小食だねぇ。こういう機会なんだし、もっと食べなよ」
「そうか? 俺は普通だと思うが……」
 確かに半分くらいしか、箸は進んでいない。というより、ここの食事の量が普通ではないと思う。が、ファルはいつも以上の食べっぷりである。
「んも〜、コユキって小食だから細っこいまんまなんだよ〜」
 既に二皿平らげて、三皿目のメニュー選びにとりかかっている。
「なんだかボクが食いしん坊みたいじゃない」
「……。責めているわけではない」
 ともすれば食事を忘れて抜いてしまうような呼雪だが、ファルの豪快な食べっぷりは見ていて楽しい。
「楽しいって言えば、船員さんもみんな白鳥なんだね!」
「そうだな。久しぶりにのんびりしている気がするな。食べ終わったらデッキにでも出ようか」
「うん! あ、でももう一皿ね。すいませーん!」
 声に呼ばれて、ヴァーナーはそちらへ向かっていった。
「手羽先ビーフンをもう一皿追加。……コユキは?」
「いや、俺はいい。先ほどから申し訳ない」
 ファルに顔を向けられ、呼雪は首を振ってから、ヴァーナーに謝った。焼きビーフンだけでなく、白鳥クッキー付きクリームソーダやら、ファルはヴァーナーに色々頼んでいたのだった。
「ボクのことは気にしないで下さい。手羽先ビーフンもう一皿ですね? かしこまりました」
 ぺこりと頭を下げて注文を承って厨房に戻ると、また晃代が不審な踊り? を踊っている。
「どうしたんですか?」
「うわっ」
 あまりの驚きぶりに、ヴァーナーのエプロンドレスからハリネズミ──ハリネズミの着ぐるみ姿のゆるスター、ハーイがぴょこんと顔を出した。
 晃代は頬をかくと、渋々と言ったように口を開いた。
「……えーと、実は……真面目に働いてるのに言いにくいんだけど……」
 ヴァーナーが<越前屋>でバイトする動機は、既に晃代は聞いていた。
 彼女はバイト代を、桜井静香校長のチャリティーに寄付するつもりだったのだ。ついでにお客さん達に声をかけて可愛い・綺麗なお友達を作れたらいいなと思ってはいたが、晃代に比べればまぶしいぐらいの素直さである。
「僕、手羽先入り焼きビーフンが目当てでバイトに来たんだよね」
「あれ、さっき賄いで食べましたよ?」
「うん。……じゃなくて、でもそれだけだと、食べれるのってその時だけ、だよね」
 晃代の目当ては再現するためのレシピの入手である。
 調理バイトが募集されてなかった以上、潜り込む手段はウェイトレスだけ。しかしウェイトレスが頻繁に厨房に入り込んで、手元をじっと見るわけにはいかない。なので何とかのぞき見したり、注文を伝えるついでに盗み見したりしているのだ。
「結構、アレンジも多くって、どれがオリジナルなのかなかなか分からないし、結構手間がかかってるみたいで、そっくり同じのは作れそうにないんだ」
 晃代は注文用紙の一番上に挟み込んだ、メモをヴァーナーに見せる。そこには調理手順、火力についてなど、細かい字で書き込まれていた。
「シェフもなんか鬼気迫ってて、隙がなかなか見付からないんだよねぇ」
 調理場で忙しく働いている中年男性は、部下達に細かい指示を出しながら、まさに戦場にいるが如く敏捷な動きでビーフンを炒めている。
 ──でも、美味しい物のためならきっとレシピを手に入れてやる。
 晃代はそう誓うのだった。