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桜井静香の冒険~出航~

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桜井静香の冒険~出航~

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第6章 深夜の攻防


 ラウンジの窓の外はすっかり日が暮れていた。
 遊覧船は三分の二以上の行程を終え、丁度というより意図的にだろうか、窓の外はヴァイシャリーの繁華街の灯りのゆらめきを絵画のように描き出していた。
 ネオン輝く日本に華やかさでは及ばないが、蝋燭の灯火のような穏やかな気持ちにさせる風景だった。それに高い空に輝く星達がはっきり見えるのは、空気が澄んでいるからだろう。
 窓際の席には、桜井静香とフェルナンが向かい合い、他の席には食事を楽しむカップルの姿が見られる。ちなみに、ボランティアとして参加しているスタッフは、三食フェルナンの会計持ちで食べられるようになっていた。
 静香と同じ卓には、葉月 可憐(はづき・かれん)と、アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)が少し間を空けて座っている。
 オークションが終わったところを、一目で百合園の生徒と分かるよう、制服着用の上で待ち伏せして一緒にお茶を楽しむ計画、第一段階は成功だ。
「葉月さんは最近百合園に入学したんだってね。こちらの彼女はパートナーさん?」
「可憐のパートナーで、アリスと言います。以後お見知りおきください♪」
 アリスは控えめに、座ったままお辞儀をする。
「うん、よろしくね。二人とも、学院生活はもう馴れたかな。困ったことはない?」
 紅茶を飲める温度まで冷ましながら、可憐は、
「はい。もっと百合園のことや、校長先生のことをお話ししてみたいです。これから行く場所がどんな場所なのかとか、あ、あと普段校長先生が何をしてるのかとかも知りたいですっ! 校長室にいるのか、普通に教室で授業を受けているのかとか、お昼はどう過ごしてるのかとかも聞いてみたいかもっ!」
「ほ、ほら、可憐落ち着いて……ね?」
 まくし立てる可憐をアリスが後ろからなだめる。静香はくすりと笑って、
「あはは、そんなに興味を持ってくれて嬉しいよ。僕はね、普段は校長室で仕事をしているよ。というか、大抵校長室にいるんだよね……お昼は、パートナーのラズィーヤさんとか、生徒会のみんなと一緒にいることが最近は多いかな。ラズィーヤさんはお昼といわず、大抵一緒にいるんだけど。パラミタに来てから、お屋敷に住まわせてもらってるしね」
「仲が良いんですね」
「ラズィーヤさんにはお世話になりっぱなしなんだ」
「今回はいらっしゃらないんですかぁ?」
 アリスの質問に、静香は一瞬ぎくりとしたように見えた。が、すぐ表情を元に戻して、
「うん、いくらパートナーでもたまには別行動ってこともあるよ。これから行く先に関してはフェルナンさんの方が詳しいから、彼から説明して貰おうかな」
 ちらり。
 苺のイタリアンソーダをちょびちょび飲みながら、同じ席に着いていた七瀬 歩(ななせ・あゆむ)はフェルナンの顔を伺った。
 歩はオークションではバイトをしながらフェルナンと静香の間を観察していたが、話しかけれるような雰囲気ではなかった。でも、今なら色々聞けそうな気がする。
 見たところ、彼ら二人の間に恋人のような親しげな感じはない。フェルナンは誰にでも親切そうで、ツアー主催者として、静香には校長としての立場を考慮して接しているようだったし、静香の方はフェルナンに遠慮がちに見える。
 歩は、いつも静香さんと一緒のラズィーヤさん抜きっていうのは、フェルナンさんがらぶらぶになりたくて……? と妄想してドキドキしていたのだが、まだらぶらぶ雰囲気は感じない。
 フェルナンはいつも浮かべている微笑みのまま、
「明日の早朝、ヴァイシャリー湖に浮かぶ無人島へ到着予定になっています。本格的な探索はなされたことはありませんが、海賊の根城になっているとか、そういう危険なことはないようです。皆さんには浜辺で水遊びをしていただいたり、草原で散歩をしていただいたり、普段触れることのない自然の中で寛いでいただければと思っています」
「宿泊は船になるんですか?」
「基本的には。ご希望でしたらキャンプを張っていただいても構いませんよ」
 できれば素敵な王子様と一緒だったらいいな、と歩の思考が一瞬別のところへと飛ぶ。
 オークションに来ていたカッコイイ人もそうだし、あっちにいるゆる族さんの中身──むしろその辺にいるおじさんも実はゆる族で中身が王子様くらいカッコイイのかもしれない……!
 周りにいるカップルを羨ましそうに見て、歩はもう一度目の前の二人に視線を戻した。やっぱりらぶらぶオーラは出ていない。
 しばらく歓談した後、お茶会はそのままお開きになった。帰ろうと席を立つフェルナンが廊下に出たところを見計らって、歩は声をかけた。
「静香さんとは上手くいってますか?」
「エスコートできているか不安になりますが、ご満足いただける船旅にしようと思っています。オークションは無事に済んでほっとされているのではないでしょうか」
「ええっと、そうじゃなくてですね」
「ああ、もし異性への好意……という意味でしたら、ご心配なく。皆様の校長先生を取ったりはいたしません」
 むむ、と歩は眉根を寄せる。もし言っていることが本当だったら、尚更、なんか、怪しい。
 背中で結んだ髪をいじりながら、
「静香さんの秘密とか色々調べてるみたいですけど、乙女にはいっぱい秘密あるんだから、あまり詮索したら嫌われちゃいますよ?」
「勿論、秘めたままの方が上手くいくのであれば、そうしたいところです。ただ、女性の秘密は、往々にして男性の足もとをさらっていくものですからね」
 フェルナンは苦笑を浮かべる。
「機敏な女性と違いって、男には、扇の裏で“彼女”が微笑んでいるのか、舌を出しているのか判らないのです。これも愚かさと笑ってください」
 言い終えると、おやすみなさい、言い置いて、通路の向こうに行ってしまった。
「何か腑に落ちないなぁ……」
 彼女は廊下で一人、首をひねるのだった。

 夜の帳も降りた頃。
 殆どの乗客が自室へ戻って寝てしまうか、或いは恋人や友人達がデッキであちこちに置かれたランプの灯りを楽しみながら、グラスやカップを傾けている頃。
 船内を、人目を避けるように歩く人物がいた。日本だったら小学生にしか見えないので補導されているところだ。彼女は百合園女学院生の一人、飛鳥井 コトワ(あすかい・ことわ)
 彼女の脳内では、旅行といえば夜這いの方程式が確立している。目的地は桜井静香のベッド、目標物は桜井静香。
 抜き足差し足、なるべく足音を殺し、息を潜めて、物陰の闇にとけ込むように。どこにいるかも分からないが、きっと見張っていそうなラズィーヤを警戒しつつ。
 一歩一歩、扉に近づく度に邪な夢が膨らむ。
 寝ている彼女のベッドに忍び込んで、眠っている彼女の匂いと体温を堪能。起きそうになったら口を塞いで、首筋にキスして身体をまさぐって舐めて思う存分弄び──いけるところまでいっちゃおう!
 こんなことを考えているのは別にコトワだけではなく、同時刻、姫野 香苗(ひめの・かなえ)も静香の部屋を、幻 奘(げん・じょう)はパートナーには黙って自室を抜け出し、女子客室のあるフロアを目指していた。
 コトワは静香のスイートルームの前までやって来ると、鼻歌でも歌い出したい気分でドアノブを回した。
 ──回らない。堅い手応えが返ってくるだけだ。
 当然である、鍵など持っていないのだから。ついでに静香には夜這いされる趣味はない。
「え、ええっと、バレないのはムリっスか。ならばここは正攻法でご挨拶に〜」
 動揺してノブをがちゃがちゃさせるのを止めて、ノックをしようとしたところに。
「──何をしていらっしゃるの?」
 カツカツとわざとハイヒールの音を響かせて、暗闇の中から現れたのは、警備中の崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)だった。その手には既に鞭が握られている。
 コトワは彼女の質問に胸を張って悪びれもせずに答える。
「旅行といえば夜這いっスよ? 常識っス礼儀っス」
「残念ですわね、私はあなたのようないたずら好きの子猫ちゃんが大好物なの。大人しく捕まって、お仕置きされましょうね?」
「あっかんべーっスよ」
 コトワは下瞼を手で引っ張って、挑発するように舌を出した。 亜璃珠はそれを受けてとてもにこやかに、嬉しそうに、
「あら……やんちゃなのね。ますます躾が必要そうだわ」
 淫乱と高飛車、種類は違えどドSとドS。両極は反発するという原理に則って、深夜の寝室攻防戦が始まった。

 翻って“愛くるしい”ネズミの着ぐるみを着たゆる族・幻奘は、昼間ナンパした──というより声をかけまくった他校の女子生徒のいずれかの寝室を目指し、女子客室のフロアの前へと辿り着いていた。
 成功確率は低い。警備だっているだろう。
 だが討ち死に上等。何故ならそこに男のロマンがあるからだ!
 胸を期待に膨らませつつ、色が変わった絨毯の上に一歩踏み出したとき、
「こちらは女子の客室、立ち入り禁止よ」
「イヤなカンが当たってしまいましたね」
 こちらも警備の宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)セリエ・パウエル(せりえ・ぱうえる)が目の前に立ちふさがった。
「と……トイレに行こうと思っていたアル」
「お手洗いでしたら男子客室の方が近いですよ。ここから一番近い場所までご案内しましょうか」
「いやいや、一人でも行けるアル。伊達に中国4000年の歴史を生きてないアル」
「お気をつけて」
 くるりと反転した幻奘は、背中に視線を浴びながら、しぶしぶ部屋へと戻ることにしたのだった。