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夜をこじらせた機晶姫

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夜をこじらせた機晶姫

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chapter.3 エレーネルート1・推論 


 瀬蓮らが空京で聞き込みを行っていた日の前夜。
 空京を出発したエレーネは、何名かの生徒たちと共にヒラニプラへと向かっていた。その道中、生徒たちは蛮族を警戒しつつも、昼間会った機晶姫とメモリに映っていた老人について思いを巡らせていた。
「なぜ、老人はヴィネの記憶を消したのでしょうか」
 空京で情報集めをしている生徒と同じ疑問を口にしたのは、菅野 葉月(すがの・はづき)。彼の疑問に対して、同じくエレーネと共に行動をしていた戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)がある推測を立てた。
「もし、あの老人がマッドサイエンティストだったとしたら……何か周囲が理解出来ないような異常な研究をしていて、それをヴィネ殿のメモリに保存していたのだとしたら」
 ごくり、と葉月が唾を飲み込む。
「その異常性の高いメモリが原因でヴィネ殿の精神が蝕まれ、止むを得ず初期化した、ということは考えられないでしょうか」
「つまり、老人はヴィネを助けるため記憶を消したのであって、悪い研究者ではない、と」
「まあ、あくまでも推測のひとつですけどね。単純に、老人が邪な研究家で都合の悪い記憶を消したかった、ということだって考えられますし」
 小次郎は一通り自分の考えを話すと、一息ついてから少し言葉を足した。
「いずれにせよ、簡単に善悪を決めず、客観的に判断したいところですね」
「そうですね、ミーナ、君はどう思います?」
 葉月がパートナーのミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)に話を振る。が、葉月が顔を向けたその先に、ミーナの姿はなかった。
「……ミーナ?」
 きょろきょろと周りを探る葉月。そんな彼に、小次郎のパートナー、リース・バーロット(りーす・ばーろっと)が声をかけた。
「先程、ふらふらとおひとりであさっての方向に行ってしまわれた女の方がいましたが……もしかして、あなたのお探ししている方でしたか?」
「……きっとそうです」
 極度の方向音痴にも関わらずしょっちゅうひとりでどこかに行ってしまうミーナをこれまで何度も見てきた葉月は、リースが見た光景を容易に頭の中で再現出来た。リースから大体の方角を聞くと、葉月は軽くお礼を言ってリースを追いかけていった。
「このあたりは蛮族が出ると聞きましたが……大丈夫でしょうか」
 葉月の背中を見ながら呟く小次郎に、リースが答える。
「禁猟区で一応周囲の警戒はしていますので、心配はいりませんわ。今のところ特に危険が近付いている様子もありませんし」
 彼女が口にしたその言葉に嘘はなかった。現に禁猟区も反応を示していない。が、リースは何か不穏な気配をどこからか感じ取っていた。それがどこから来ているものなのか、何が原因なのか彼女には分からない。
 何となく。そんな曖昧な感覚だけで、小次郎や他の生徒に無闇に動揺を与えるわけにはいかない。リースは気のせいだと言い聞かせ、小次郎の後ろを歩き続けた。

 リースと同じように妙な感覚を覚えていた者がもうひとり。宇都宮 祥子(うつのみや・さちこ)は、その空気の出所に見当がついていた。祥子が僅かに視線を向けた先には、メニエス・レイン(めにえす・れいん)がいた。メニエスの態度は一見ごく普通で、特にトラブルを起こしそうな様子も見えない。が、祥子の目にはそれがすでにある種の違和感として映っていた。
 ――こんなに教導団の生徒がいるにも関わらず、どうして彼女はエレーネと一緒に私たちについて来たの?
 そう、彼女、メニエスにとって教導団とは憎むべき存在でこそあれ、同じ旅路を行く存在ではないはず。ましてや教導団生徒と共に行動するなんて、何か裏があるのではないか。祥子は、メニエスへの警戒を怠らないよう気を引き締めた。
 そのメニエスはといえば、先程から聞こえてくる教導団生と蒼空生の会話にうんざりしていた。
 マッドサイエンティストが、研究対象を助けるために記憶を初期化した? 馬鹿なの? 本当のマッドサイエンティストは、モルモットの精神状態なんて二の次、自分の研究結果が一番大事に決まってるじゃない。ああ、やっぱりこんな連中と一緒に来るんじゃなかった。
 声には出せない思いを心の中でぶちまけるメニエス。彼女には敵対心よりも優先させるべき目的があったためエレーネたちについてきたのだが、その機嫌は悪くなる一方だった。もちろん、それを表には出さぬよう気をつけてはいるが。
 それにしても。メニエスは少し先を歩いているエレーネから目を背け、誰にも聞こえないように舌打ちをした。
 本当あの機晶姫ったら、視界に入るだけで鬱陶しい。能面みたいな面しちゃって。そののっぺり顔にありったけの魔法をぶつけて、これ以上ないくらい醜い面にしてあげたい。ああもう、壊したい。あなたを、分解したい。
 堪えきれず口を僅かに歪ませたメニエスを見て、祥子はさらに警戒を強めた。



 辺りはすっかり暗くなり、満月と呼ぶには少しだけ丸みが欠けている月が空に浮かんでいる。
 道明寺 玲(どうみょうじ・れい)は自ら志願し、夜の番に務めていた。そこに、同じ教導団の小次郎とリースがやってきた。
「見張り、お疲れ様です」
「これ、温かいお飲み物ですわ」
 ふたりを見た玲は一礼し、遠慮気味に飲み物を受け取った。
「それがしの様な者にお気遣いいただき、ありがたいですことですな」
 どうやら教導団の立場的には玲の方が下っ端らしかった。
「今は軍事訓練中でもないんですし、そこまでかしこまらなくても……」
 苦笑しつつ、小次郎が玲をリラックスさせようとする。
「は、しかし何分それがし、これが初めての依頼でして」
 勝手がよく分からない様子の玲は、とりあえず自分に出来ることをし、経験を積もうとしていた。そんな勤勉な玲にふたりは感心するが、玲自身は至って普通のことをしているつもりであった。
「見張りはこのままそれがしが続けますので、どうぞおふたりはお休みになられるのが良いかと思われますな」
「あまり根を詰めすぎるのも良くありませんわよ? さあ、あなたこそ少しお休みになられるとよろしいですわ」
 リースに半ば無理矢理見張りを交代させられ、所在をなくした玲は、止むを得ずテントへと戻った。
「ふむ……まあ、上官の指示とあらば、仕方ないですな」
 どこか飄々とした様子で貰った飲み物を口にする玲。彼女は見張りをしている最中、考えごとをしていた。
 映像にあった老人の動機は不明だが、もしかしたらヴィネに何か特別な感情を持っていたのではないか。それは、研究者としての関心か、はたまた全く違うものなのか。玲は見張りを交代してからもしばし思考を続けたが、やがてそれを止めると、再び外へ出た。今は考えても分からないことなら、現時点で出来ることをしよう。彼女はもう一度見張りをするため、小次郎とリースの下へと歩き出した。

 見張りが行われている場所から少しだけ離れたところでは、プレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)がテントを出てぼんやりと月を眺めていた。
「眠れないのかな?」
 不意に、後ろから女の子の声がした。振り返ったプレナの前にいたのは、カレン・クレスティア(かれん・くれすてぃあ)だった。
「ううん、お昼に他の人たちがお話してたこと、プレナもちょっと考えていたんですよぉ」
「お昼……あっ、どうしてヴィネは記憶を初期化されちゃったんだろう、って話?」
 プレナはこくん、と頷き、自分の考えを話し始めた。
「プレナは、あのおじいさんが、ヴィネさんのパパだと思ってるんですぅ。だって、ヴィネさんに残ってたメモリも、きっと初期化の時に消そうと思えば消せたはずだから……おじいさんは、ヴィネさんに何かを残したかったんじゃないかなぁ、って思いましたぁ」
「ボクも、あのメモリに映ってた人は、悪い人なんかじゃないって思ってる! たぶん、何か理由があるはずだよね! 記憶を初期化しなくちゃいけなかったのも、ヴィネを手放しちゃったのも」
「でも、もし本当にパパだったら、わざわざ離れ離れになっちゃうなんて悲しいですぅ」
 のんびりした口調ながらも、その声色からは落ち込んでいる様子が見て取れた。カレンは、ぎゅっと拳を握ってプレナに言う。
「そうだよね、ヴィネだって記憶がないままひとりぼっちで辛かっただろうし……うんっ、必ず、本当のことをあのおじいさんに聞こう! そしてヴィネの親だったら、ボクたちでもう一回ヴィネと会わせてあげようよ!」
 力強いカレンの言葉に、プレナは顔を綻ばせた。

 と、ふたりの目が暗闇の中動く影を捉えた。
「プレナたちの他にも、起きてる人がいたんですねぇ」
「ちょっと、確認に行ってみよっ!」
 プレナとカレンが影を追い、茂みから様子を窺う。そこにいたのは、九弓・フゥ・リュィソー(くゅみ・ )、そして彼女のパートナー、マネット・エェル( ・ )九鳥・メモワール(ことり・めもわぁる)たちだった。ふたりはそっと聞き耳を立てた。
「ますたぁ、あのご老人にお会いしたら、何をお話するつもりなのですか?」
 マネットの質問に、九弓が答える。
「もし、あの老人が一般的に善人と称される類の科学者であったとして……おそらく他の生徒たちは、初期化の原因とか、ヴィネと老人が離れた理由とかを探ってるはず。でも、一番考えて調べなきゃいけないのは、そこじゃないと思う」
「ふぅん、じゃあ、九弓の考える最優先事項、っていうのは何?」
 含みを持たせた言い方の九弓に、九鳥が続きを促した。
「優先事項というか、課題ね。『魔法で未来を呼び寄せることが可能か』といったところかな」
 ハテナマークを浮かべるマネットと九鳥。九弓はさらに言葉を続ける。
「あくまでも推測だけど、ヴィネはある種の記憶障害のようなものなのよ。おそらく彼女本来の記憶装置は揮発性のはず。光が当たらないことで動力が切れて記憶内容が消去されてしまうから、不揮発性メモリを搭載した……そんなとこだと思う。なら、このまま老人に会わせたところで、ヴィネの動力問題を根本から解決しないと同じことの繰り返しになるだけよ」
「確かに……老人がある程度技術を持った機晶石の研究者だったなら、その人でも解決出来なかったってことだものね」
「そう、そこよ。一方に特化している者は、他方からのアプローチを度外視している可能性がある」
「他方? あっ、ますたぁ、もしかしてそれが……」
 九鳥やマネットの言葉に、九弓が頷く。
「魔法の力なら、解決出来るかもしれない。たとえば魔法で光を集めて、一時的にそれを蓄積させる回路をつくる、とかね。こういうことなら、イルミンスール生に持って来いの課題でしょ?」
「それには、もう少し魔法と機晶技術の関係性について調べる必要がありますわね、ますたぁ」
「そうね……あたしとマネットはそっち方面の情報を調べてみる。九鳥、あんたはこのまま一行と共に老人の下へ向かって。後で落ち合う形がベストね」
「分かった、気をつけてね」
 そして、そのまま九弓とマネットは闇に消えた。

 しばらくそのやり取りを眺めていたプレナとカレンは、どちらからともなく顔を見合わせると、「なんだか難しいこと言ってたね」と一連の流れをやや適当にまとめた。
「……でも」
 プレナが穏やかな表情で言う。
「みなさん、ヴィネさんを助けるために一生懸命色んなことを考えているんですねぇ」
「ボクたちもヴィネに幸せになってもらうために、いっぱい頑張ろっ!」
 思わず声のボリュームが上がるカレン。そんなカレンのところに目を擦りながらやってきたのは、パートナーのジュレール・リーヴェンディ(じゅれーる・りーべんでぃ)だった。
「カレン……まだ起きていたのか?」
「あ、ごめんジュレ、おっきい声出しちゃってたかな」
「いつになく張り切っているのだな」
 そう言葉を漏らしたジュレールにカレンは「だって……」と呟いた後、少し間を置いてから言葉を発した。
「ひとりぼっちだったヴィネに、温かい思い出をあげたいんだ」
「そうか……もちろん、我も手伝う。同じ機晶姫として、出来るだけサポートをするつもりだ」
「うん! じゃあ明日のために、そろそろ寝ようかなっ。プレナも、おやすみ!」
 ジュレールとテントに戻りながら、カレンはさっき喉のところで別の表現にすり替えた言葉を頭の中でフラッシュバックさせていた。
 ――だって、なんだかジュレと似ていてほっとけないんだ。
 それは決して届かない、否、おそらく届かせる必要もない言葉。カレンが一瞬言葉を選んだのは、そんな意識が彼女に働いたからだろうか。

 言葉を内に留めたのは、カレンと別れたプレナも同じだった。彼女、プレナにはカレンに話せなかったある憶測があった。それは、口に出してしまうのが躊躇われるような、とても悲しい筋書き。
 こんな推理は間違っていて、本当の答えはもっと明るいものでありますように。
 プレナはそっと祈り、目を閉じた。