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第1章 再び、荒野を越えて

 広大なシャンバラ大荒野、その地平線を眺めて皇甫 伽羅(こうほ・きゃら)が呟いた。
「またここを通るとは思わなかったですぅ」
「すみません、わざわざ」
 間宮 隆(まみや・たかし)がその場にいる全員に頭を下げる。
 彼らは今、ライナスの研究所を目指して、シャンバラ大荒野を移動しているところだった。
“心の尽きる病”
 記憶や人格まで消滅していく奇病に冒された隆は、せめてパートナーだけでも救うために荒野を越えているのだった。
 過酷な旅であることは間違いないのに、それでも隆の窮状を知った有志たちは、その旅に嫌な顔ひとつせず付き合っている。
「気にしなくていいですぅ。私だっておふたりには幸せになってほしいですからぁ。頑張ってソフィアさんのところまで行くですよぉ」
「……はい、そうですね。行きましょう」
「どうかしましたかぁ?」
 少し歯切れの悪い隆に、伽羅が首を傾げる。
 そこに、水橋 エリス(みずばし・えりす)が声をかけた。
「隆さん、私のことを覚えていますか?」
「……ええと、すみません」
 申し訳なそうに隆が言った。
「いえ、いいんです。気にしないで下さい」
 伽羅と同じく、以前一緒に旅をしたエリスが、少し寂しそうに笑う。
「隆どの! それがしのことも忘れてしまったでござるか!」
 インパクトのある顔で隆に迫ったのは、伽羅のパートナーであるうんちょう タン(うんちょう・たん)だ。
 隆が戸惑った様子を見せると、うんちょうはこの世の終わりのように天を仰いだ。
「うんちょうでござる、ともに大荒野を旅したうんちょうでござるよ!」
「無理を言ってはいけないですぅ、嵩じいちゃん、うんちょうをとめてぇ」
 は、と短く応じ、皇甫 嵩(こうほ・すう)が、うんちょうを隆から引き剥がしにかかる。
「た、隆どの〜」と叫びながら、うんちょうが遠ざかっていった。
 そんな彼らの姿を、隆が無言で見つめている。
(僕は、どこまで忘れているんだろう……怖いよ、ソフィア……)
 不安を押し隠すように、隆はただひたすらに先を急いだ。


 隆の体調を考え、こまめに休憩を取りながら一行は荒野を進んでいた。
「そろそろキャンプの準備をしましょうか」
 日も暮れ、空に星が瞬き始めた頃、如月 さくら(きさらぎ・さくら)がそう提案した。ライナスの助手である彼女は、研究所までの道案内を務めている。
「あの、もう少し進みませんか?」
 隆が言った。
 少しでも早く、ソフィアの元に辿り着きたいのだろう。
 だが、隆の顔色が良くないことをさくらは見て取っていた。
「無理をしてはいけないわ。それでなくとも隆さんは体調が良くないんだから」
「僕なら、平気です。ですから――」
「ダメよ。休める時にはきちんと休んでおくべきだわ」
 なおも進みたがる隆を、さくらは根気強く説得した。
 その様子を見ていた藍澤 黎(あいざわ・れい)フィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)が、夕飯の後で隆に声をかける。
「隆殿、気持ちはわかるが、焦るべきではない」
「せや、倒れたら元も子もあらへん」
 そう言って、フィルラントは隆に外套を羽織らせた。
 日中とは違い、冷たい風が砂を巻き上げる。
「ソフィア殿の幸せは隆殿がいてこそであろう。なのに隆殿は、ソフィア殿から隆殿を奪おうというのか」
「ボクも、隆にはソフィアはんと一緒に生きてほしいねん」
「……」
 黙ってふたりの話を聞いていた隆だったが、
「諦めはいけない。きっとソフィア殿だって――」
「そんなことはわかってます!」
 突然、黎の言葉を遮り、隆は声を荒げた。
 彼らの言葉は、隆とソフィアを心配しての言葉だ。
 それは隆にもわかっている。
 隆ひとりではどうすることもできなかった状況を助け、わざわざこんな旅に付き合っているくれているのだ。
 感謝してもしれきれない。
 それでも、隆は自分の感情を止められなかった。それだけ弱っていたのかもしれない。
「僕だって、諦めたくなんかない! でも、わかるんです! 記憶が、自分の中にあるはずのものが消えていくのが! 現に僕は、あたなたちのことだって思い出せない!」
 隆は目を伏せ、ずっと抱え続けていたものを吐露した。
「……この恐怖だって、感情だってきっと消える。いえ、僕のことはいいんです。でも、ソフィアのことまで忘れてしまうのは、耐えられないんです……」
 全てが消えてしまう前に、パートナーだけでも助けたい。
 その気持ちは、黎とフィルラントにも痛いほど伝わってきた。
 パートナーを持つ者にしてみれば、決して他人事とわりきることはできない。
 俯き、泣き顔を隠す隆に、黎が声をかけようとしたその時――
「気をつけろ! モンスターだ!」
 風森 巽(かぜもり・たつみ)の警告が響く。
 闇に紛れ、スケルトンの集団が隆たちを襲おうとしていた。
 骨を軋ませ、迫る骸骨の戦士たちの前に、巽が立ちはだかる。
「ここから先は通さん! 蒼い空からやってきて! 二人の絆を護る者! 仮面ツァンダァァッ! ソゥッ! クゥッ! ワァンッッ!」
 マスクを被り、決め台詞を叫んだ巽が、スケルトンに突撃した。ライトブレードが光の弧を描き、スケルトンを薙ぎ倒していく。
「隆くん、こっちだよ!」
 巽がひきつけている間に、ティア・ユースティ(てぃあ・ゆーすてぃ)が隆の護衛についた。
 ティアはスケルトンに火術を放ちつつ、
「隆くん、タツミからの伝言だよ」
「え……?」
「『命にかえても、友人は必ず守ってみせる』だって」
「それは、どういう……」
 唐突な言葉に驚いている隆に、ディアが笑いかける。
「忘れられたって、ボクは覚えてるもん。だから友達! 友達を助けるのに理由が必要なの?」
 言われ、少し考えた隆がはっとする。
「……聞いてました?」
 ごめんね、とでも言うかのようにティアが可愛らしく舌を出した。
 直後、スケルトンの群れが一斉に攻め始め、それ以上の会話はできなくなる。
「敵の数の少ないわ! 全員で隆さんを護衛しましょう!」
 隆を守りながらサクラが言う。戦力の分散を嫌ったのだろう。
 サクラに応じるように、隆のそばに仲間たちが集まり敵に応戦し始める。
「必ず無事に送り届けます!」
「同感だ。決してふたりを見捨てたりはしない!」
「騎士の誇りにかけて、彼らを助けてみせる!」
 エリスの魔法が、巽のライトブレードが、黎のランスバレストがスケルトンを蹴散らしていく。
 その光景を目の当たりにした隆は、胸にこみ上げてくるものを感じながら、残っていた涙を拭うのだった。


「あの、昨日はすみませんでした」
 時間を置いて冷静になったのか、隆は昨日の夜のことを黎とフィルラントに謝った。
「気にすることはない。常に強い人間など存在しないのだから」
「隆、君の声に応えて皆が集まった様に今回も皆は君を見すてたりせぇへん。そやから皆を信じて、ソフィア殿を信じて、君も君自身を信じて、君の命を諦めるんやない」
 笑って答えるふたりに、隆は「はい」と頷く。
 だが、すぐに困惑した表情を見せ、言った。
「ええと、ソフィアはわかるんですけど、隆って誰のことですか?」