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【2020年七夕】Precious Life

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【2020年七夕】Precious Life

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●第五章 着付けサロン内にて その2

 佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)はホテルのエントランスにいた。
 主催者であるルシェールは先に行ってしまったのだろう。
 今日は佐々木にとっても特別な日。
 愛しい水神 樹(みなかみ・いつき)に会える日でもあるのだ。
 愛しいという言葉で表現するのも違う気さえする。もっと大切な、もっと柔らかな言葉で包み込みたい。そんな表現なら合うかもしれない。
 佐々木は樹を思い出して微笑んだ。
 彼女の凛とした姿。
 こちらを見るときの、はにかんだ笑顔。
 すべてが眩しい。
 佐々木の心に暖かなものが満ちていく。

 幸福。

 彼女が全てだった。
 どんな出会いも、戦いも、そのあとの栄光も、彼女がいなければ意味がない。
 彼女がいるからこその世界だった。
 彼女はザンスカールのイルミンスール魔法学校。片や、自分はタシガンの薔薇の学舎。
 会うためには一直線に行けても、タシガン空峡を越え、キマクを過ぎて、イルミンスールの森まで行かねばならない。
 彼女に会うためには色々と障害が多かった。
 だから、このパーティーの話を聞いたときにはチャンスが来たと思った。
 好きな人とパーティーに出れるのはありがたい。佐々木はそんな巡り会わせを感謝した。
「さて、どこに行ったのでしょう?」
 佐々木はルシェールに挨拶でもと思ったが、彼はどこにもいない。
 ロビーで調べると、祖母のところへ行ったとのことだった。
「しかたない。着物も着たいし……行きますかねえ」
 佐々木は着付けサロンの方へと向かった。

「あの〜」
 佐々木は顔を出した。
 着付けサロンの中は、暖色系の光とあたたかな木目の壁紙でとても優しい感じだった。
 並んだ着物、静かな空調が、時々、その着物たちを揺らしていた。
 笹の飾りの向こう側に、老婦人がいた。
 畳に正座し、着物を畳んでいる。
 ルシェールの祖母だろうか。
 その静かなたたずまいに、佐々木は見蕩れてしまい、声をかけ損ねた。
 着物の似合う女性というのは素敵だと思う。いつか、彼女もこのように年を重ねていくのだろうか。
 その時にも隣に居たい。
 佐々木はそう思った。

「おや、お客さんかい?」
「え?」
 佐々木は目を瞬いた。
 ぼーっとしている間に老婦人はこちらに気が付いたらしい。
「あの〜」
「お客さん、どうしたんだい? 声をかけてくださればいいのに」
「つい……」
「お客さんを放っておいて許されるような仕事なんか、この世の中にはありませんよ。客商売ならなおさらね。ルシェールの学校の人だろう?」
 美しいたたずまいの老婦人は、その姿に似合わぬ下町言葉だった。
 佐々木はまた驚いて見つめた。
「吃驚したかい? がらっぱちで悪いねぇ。昔からこんなでね」
「い、いいえ〜」
「生まれも育ちも洲崎だからねぇ。こんな仕事を任されても、言葉は変わりゃあしない」
「そうなんですか〜……実は着物を選んで欲しくって来たんです」
「そうかい。何が良いかねえ」
「普段着ないようなものが良いですねえ」
「はあ〜」
 老婦人は溜息をついた。
「どうしました?」
「あんたの学校、派手な制服だからね。それ以外となると、ほとんどが当てはまるんじゃないかねえ」
「そうですねえ、派手です」
「あの校長の趣味だからね」
「観世院校長をご存知ですか?」
「知ってるも何も、大の歌舞伎好きだろう? こんな業界にいれば、ちょっとは聞こえてくるよ。パラミタのことは知らないけどね」
「そうなんですかあ〜、さすが校長」
「歌舞伎の衣装にも興味がおありのようでね。売れといわれたら断れないんじゃないかねえ。まあ、あの人は優しいし、品の無いことはしないみたいだから、そういうこと言わないみたいだけど。」
「なるほどねえ。うちの校長は他校の生徒にも親切ですし」
「そうなのかい?」
「ええ」
「そうかいそうかい……今回のパーティーも校長先生がお膳立てしてくれたって言うじゃないか。ありがたいねぇ」
「ですねぇ〜。ルシェールくんが泣きついたって聞いてびっくりしましてけどねえ。校長にそういう風にした子って聞いたことないですね」
「おやまあ。ご迷惑をかけてしまったようだね。本当にあの子は……あ、そうだよ。これ……」
 そう言って、ルシェールの祖母は浴衣を出してきた。
 一つは水色に紺の竹の模様。もう一つは白地に竹の模様だ。同じものの色違いらしい。
「シンプルですねえ」
「あんたはそこそこ身長もあるし、似合いそうだと思ってね。帯は博多帯がいいねぇ。絞りも綺麗だけど、ホテルの中じゃ、だらしがなく見えるしね」
「そうですねえ。あ、その絞りも綺麗ですね」
「だろう? こんなに鮮やかな色は滅多にないよ。作家の作品なんだけどね」
「迷いますね」
「おやおや……そんなに真剣な顔をして。誰かいい人に見てもらいたいのかい?」
 そう言って夫人は笑った。
 その瞬間、佐々木は少し言葉を失い、そして笑った。
「図星みたいだね。そうかい、そんなに想ってるのかい。あんたの想い人は幸せものだ」
 老婦人は微笑んだ。
 どこか懐かしいものを見るような、優しい目で見ている。
 老婦人は手元にあった上品な桜染めのストールを折りたたむ。それをくるりと巻いた。
「あの…つかぬことを聞きますが……その〜」
「何だい。はっきりおし」
 手元は動いたままだ。
 水色の和紙に白い薄紙を敷き、ストールを綺麗に包んだ。
「はい。馴れ初め話などを…ご婦人、旦那さんにはどういう風にプロポーズされたんでしょうか」
「おやまあ…こんなお婆ちゃんの話を聞きたいのかい?」
 老婦人は話を聞きながら、包んだ物にシールを貼った。そして、竹筒に挿したクレマチスを取ると、リボンのようにして包んだ物に巻いた。
「えぇ……色々とですねえ。迷うことも多くて…なかなか会えないですし」
「そうだねぇ」
 老婦人は逡巡した後、ゆっくりと話し始めた。
「私の家は辺りでも大きな家でね。その時代じゃ珍しく大学に行けだなんて言われてね。勉強が嫌いじゃなかったんだけど、何かがしたくてね」
「何か…ですか」
「そうさ。あんたも何かしたくて、ここにいるんだろう? 私も同じさ。でもね、綺麗なものが好きだったから、京都の親戚のうちに修行に行ったのさ」
「え、両方?」
「そう…学校行きながら絵付けの勉強をしたよ。その時に出逢ったのさ」
「へえ……では、どちらが……」
「好きって言ったか…ってことだろう?」
 佐々木は頷いた。
「あの人の方さ。『あなたの残りの人生をください』って言われたよ」
「残りの人生…」
 佐々木は苦笑した。
 老婦人の言葉に照れたようだった。
「こう言うのは今も昔も変わんないんですかねぇ」
「そうだねえ。まあ、ね。女は嫁に行った先が、本当の人生の始まりさ。長くて50年以上連れ添うんだ。難しい話だよ」
「そうですねえ」
「人の人生は山あり谷あり。人と人の間では、時折、泥沼になる。でもね、蓮は泥の中でしか咲かないんだよ」
「泥でしか……咲かない」
「そうさ。蓮は泥の中でしか咲かない。人の善い部分もね、磨かなきゃ輝かないのさ。あんた、こんな話聞くってことは、お悩みはそこだね?」
「あ、えぇ……まあ。海峡を挟んで離れているので…なかなか会えませんしねえ」
「おや…寂しいね。それは…。でも、あんたなら大丈夫だよ。こんなに想っているみたいだし」
「そうですか?」
「えぇ、保証しますよ。彼女さんは幸せだ。あんたが幸せなら、彼女さんも幸せでいられるよ。愛はね、太陽なのさ」
「……」
 佐々木は赤くなった。
 このご夫人は情熱的な人らしい。
 何と言って答えたら良いかわからなかった。
「太陽は雲の向こうでも輝いてる。苦難の中でも、あんたが太陽だったら、越えられるのさ」
 そう言って笑った老婦人は、佐々木に包んだものを渡した。
 水色の和紙に包み、夏の花を添えた贈り物。
「私からだよ、その子におあげ」
 老婦人は笑った。

(その子の太陽にお成りよ……)

 そう、老婦人は佐々木に囁いた。