イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

獣人の集落ナイトパーティ

リアクション公開中!

獣人の集落ナイトパーティ

リアクション


第2章 恋の話と戸惑う狼 6

 焼き芋を思わせる、甘い香りが辺りを漂っていた。厨房の一角で、料理服に身を包んだ少年が必死で銀紙の上に生地を練りこむ。その隣では、なにやらガチャガチャと騒々しい音を立てて金髪の少女がカードを叩くように動かしていた。
「……クリス、慎重にな。調理器具壊すなよ。パイ生地はバターが溶けないように気をつけろ」
「もー、ユーリさん、私、これでもだいぶ上達したんですよ? 調理器具を壊す確率、60パーセントです。前は99パーセントだったのですから、大進歩ですよ」
 本来は粉をまんべんなく混ぜるため、切るように動かすカードであるが、少女が使うと、なぜかガタン! ガタン!と音が鳴りながらボールの中の生地を破壊しようとする。
 神和 綺人(かんなぎ・あやと)クリス・ローゼン(くりす・ろーぜん)――二人を見守るユーリ・ウィルトゥス(ゆーり・うぃるとぅす)は、はらはらした様子で彼女にときどき助言を与えていた。
 そんな三人の後ろを、使い終わった調理器具を片付けたり材料を用意したりとぱたぱた動くのは、神和 瀬織(かんなぎ・せお)だった。小柄な彼女が動くたび、足下まで届かんばかりの黒髪がゆらゆらと揺れた。
「おーい、兄ちゃんたち、調子はどうだ?」
 四人は一斉に声のもとへと視線を注いだ。そこに立っていたのは、粉やソースで少しばかり汚れたエプロンを身につける、獣人のシェフだった。
「順調ですよー。まったく問題ないです」
 人の良いにっこりした笑みを向けるクリスは、ガタン! と再び音を鳴らしてカードを叩いた。きっと問題ないと思っているのは彼女だけであろうが、そこはシェフも察したのか、苦笑するだけに留まった。
「あ、はは……まあ、うまいこといってるならよかった。もしなにか聞きたいことでもあったら、遠慮なく聞いてくれよ。今日は優秀な料理人が助っ人で入ってきたんでよ、ちったぁ時間も空いてるんだ」
 そう言って、シェフは左手で何かを切るような仕草を見せた。それを見て、綺人たちもすぐに理解する。左手で肉を切り捌くシェフは、いまは会場のほうへと行ってるところだ。
 聞きたいこと、と言われたことで、綺人はふと頭に浮かんだことを口にした。
「あの……そういえば、料理とは関係ないんですけど……このパーティーって恒例のものなんですか?」
「いや、うちじゃあこんなのやるのは初めてだな。ドンチャン騒ぎをやることはあったが、集落内の内輪騒ぎってだけだったからなぁ。こんな風に参加者を募るってのはなかったぜ」
「そうなんですか? じゃあ、なんで急に始めたんでしょう……?」
 訝しい顔をする綺人に、シェフが言葉を続けた。
「なんでも、うちの長の娘さん……リーズの嬢ちゃんに恋愛意欲を与えるためらしいぜ。確かにあの娘は昔っから弓矢に剣とか、男よりも武芸に興味を持ってたからなぁ。浮いた話なんて一つもなかったぜ。多分、だからなんじゃないか?」
 シェフの答えに、綺人はなるほどといったように軽く頷いた。
 通りで、パーティの催しのプログラムが恋愛事に関係したものばかりのはずである。それには、こんな理由があったのか。
「リーズさんの恋愛意欲を高めるためのパーティーだったのですね! 恋愛は良いモノです! リーズさんも良い人が見つかるといいですね」
 クリスはパーティの目的を知ると、力強くここにはいないリーズの幸せを願った。
 そんな彼女と綺人を見て、獣人のシェフは悪戯な笑みを見せた。
「ま、リーズの嬢ちゃんじゃねぇけどな。あんたらはどうなんだ? 若ぇんだからよ、恋の一つや二つ、あるんじゃないのか?」
「ぼ、僕たちですか……?」
 シェフの悪戯心に綺人は戸惑い慌てたが、一度落ち着くと、静かに語った。
「んーと……僕の場合は、とある出来事あって、クリス――彼女に対して恋愛感情を抱いているんだって気付いたんです」
 そっと、彼は隣にいるクリスを見やった。それまでガタンガタンとカードを動かしていたクリスも、それに気づいてはたと止まる。恥ずかしげに頬を朱に染めて、綺人につなげるように静かに語った。
「……ここまで来るのは色々苦労話があるのですが……今は、幸せです」
 二人は、シェフが微笑ましく思うほどの笑顔を彼に向けた。
「クリス、今は幸せなのですね」
 そんな二人を見て、瀬織は柔らかい笑みを浮かべた。が、それがそのまま次の言葉を紡ぐ。
「……綺人との関係が進まなくて、欲求不満ではないのですね? 綺人の寝込みを襲おうとしたのは、わたくしの見間違いなのですね?」
「……瀬織、襲うだなんて失礼な。アヤの寝顔を堪能していただけです」
 小声で瀬織に弁解するクリスだったが、恐らくそれは襲う一歩寸前である。とは言え、恋愛によって二人がいま幸せであるのは、瀬織にとっても嬉しいことだった。
「……わたくしは巻物ですから、恋愛には興味がありません。しかし、幸せそうな様子を見ていると、羨ましいと思う時があります」
「恋愛か……昔、恋人はいたが……」
 僅かに憂いの色を見せて、ユーリは言った。静かなその声は、哀しい響きを持っていた。
「彼女を愛して、後悔したことはないとだけは言えるな」
 そっと、ユーリは微笑した。それは、きっと彼にだけしか分からぬ過去の出来事だろう。だが、それが彼にもたらしたものは、少なくともいま、彼の心の中に深く根付いているに違いなかった。
 バキッィッ!
「あ……」
 優しい雰囲気に満ちていた空気を割った音に皆が振り返ると、粉々に割れたカードを持ったクリスが苦笑していた。細かく割れた破片の入った生地は、恐らくもう……使えまい。
「……パイ、足りるだろうか?」
 ユーリの呟きは、深いため息となって消えた。

 小石を擦るような水音の中で、ジャブジャブガチャガチャと食器を打ち鳴らしつつ、ゴシゴシと丁寧な挙措で皿を洗う者がいた。
「うん……綺麗……ですね」
 最後の一枚を洗い終えて、キュキュっとそれを拭いた神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は、水しぶきに濡れたエプロンを外して外に赴いた。一仕事を終えた彼は、体を伸ばして固くなった体をほぐし、喧騒に包まれるパーティ会場の方角を眺めた。
「盛り上がって……皆さん、良い出会いがあれば……良いですねえ。……恋愛は……照れます」
 真っ赤になった顔で一人呟き、そのへんに置いてあったスタッフ休憩用の簡素な椅子に彼は座った。雑用
 そこに、空になったお盆を持って、パートナーであるシェイド・ヴェルダ(しぇいど・るだ)が帰ってきた。ウェイター服に身を包む彼は、椅子に座る紫翠を見て軽く目を見開く。
「なんだ、もう終わったのか」
「集中してたら、すぐに終わりまして……」
 苦笑する紫翠の横で、シェイドは立ったまま会話を続けた。
「シェイドは、どうしていたんですか……?」
「なに、ウェイターとして料理を運んだりしていたが……会場の熱にやられてな。涼みに戻ってきたところだ」
 不気味なほどに整った顔立ちをしている美形の青年は、会場の熱とやらを皮肉るように微笑した。
 紫翠を横目で見るその瞳は、青金石の輝きを放って彼を鋭く捉えていた。まるで、そう……それは獣か何かが獲物を狩るような目にも似ている。シェイドの手が、会場を見ている紫翠の肩にかかろうとした。
 すると、そこに突然影が揺れて一人の女が現れた。
「良い抱き具合です」
「レラージュ?」
「久し振りです。あなたは、楽しまないのですか」
 にこにこと笑顔を浮かべるレラージュ・サルタガナス(れら・るなす)は、紫翠の背後から彼を抱きしめるようにして寄り添っていた。深いスリット入りのチャイナドレスを着た艶かしい女は、これもまた、シェイドと対を成すかのように美しい容貌をしている。
「裏方ですけど……楽しんでますよ。……あ、あのところで……重いし……恥ずかしいのですが」
「あら、これって私の愛情表現ですよ?」
 苦笑して彼女の腕をはずそうとしていた紫翠に、妖艶な笑みを浮かべたレラージュがささやいた。すると、それまでどこか気分が優れなかった紫翠の体が、徐々に崩れ落ちる。シェイドが、慌ててそれを抱きとめた。だが、ふらついた彼を抱きとめたシェイドは、そのまま彼を介抱するでもなく、まるで接吻を交わすように紫翠の首筋に顔を埋めた。
 ず……と肉を穿つ音が聞こえると、紫翠の首から血が吸われてゆく。吸血鬼――シェイド・ヴェルダは、十分に血を吸ってようやく紫翠の首から顔を離した。
「ルダ……まったく昔から、変わって無いわね? さすが、プレイボーイ……手を出すの早いと言うか。当分、起きないんじゃないの?」
 生気を吸われ、かつ血を吸われた二重苦の紫翠は気絶しており、シェイドは彼をそっと椅子に座らせた。
「おいおい、人の事言えるか? お前も恋多き女で、浮き名流して居ただろう? ふらふらと色んな奴に手を出してさ」
 旧友である二人は、お互いを懐かしむように言葉を交わした。
 悪魔――サキュバスの女と吸血鬼の男。種族は違えど、人間の血と精を好む二人の者は、ともに一人の男をパートナーとしているのだった。
「……なんか昔から、好みは重なっていたよな」
「そうよね〜。好み重なるから、争奪戦だったわね」
 二人は、椅子に座って気絶している紫翠に目をやった。
 寝息を立てているかのように穏やかに目を瞑る紫翠を見ていると、その血と精を奪いたい欲求に駆られてくる。二人は、どちらともなくお互いを見据えた。
「ま、今度の争奪戦は負けないけどね」
「どうかな? 俺を甘くみてたら、後悔するぞ」
 二人は不敵に笑った。
 知らぬは本人ばかり。気絶する紫翠は、自分の知らぬところで、まして自分の奪い合いが起こっているなど知る由もなかった。