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第2章 恋の話と戸惑う狼 4

 泉 椿(いずみ・つばき)はきょろきょろとあたりを見回していた。
「うーん、どこかに良いイケメンはいないかな〜」
 ナイトパーティのチラシを見てやって来た彼女は、さっそく目的であるナンパに勤しんでいるところだった。もちろん、これまで何人かの男に声をかけたが、そのいずれもが失敗に終わっている。というのも……夜の素敵なムードを楽しもうといわんばかりに、カップルばかりが参加しているからだった。
 紅葉色の髪が、視線を動かすたびにゆらゆらと揺れた。見た目は小柄で可愛らしい少女だ。ナンパに走らなくとも、おとなしく立っていれば恐らくは向こうから声をかけてくる人もいるであろう。しかし、それをおとなしく待っていられるほど、彼女はおしとやかではなかった。
「おおっ、発見! なんかヒーローみたいでかっこいいな……」
 椿の視界に映ったのは、背丈の高い精悍な男だった。わき目もふれず、椿は男のもとへと一直線に駆けよる。
「あ、あのっ、携帯番号とメールアドレス……」
 男が椿に振り向いたとき、彼女は彼の隣に一人の少女がいることに気づいた。
「あ〜、彼女いるのか」
 がっくりと椿はうなだれた。結局、良い男というものにはすでに彼女がいるものなのだろうか。突然目の前で落ち込んだ椿に、男は困惑したような顔をした。
「大丈夫か?」
 優しげに椿を覗き込む男と、それを拗ねたように見る少女。そんな彼らに、冷やかしの声がかかった。
「違う違う、朱里はアインの奥さんよ」
「ル、ルカさんっ!? もう、なに言ってるんですかっ!」
 恥ずかしさに顔を真っ赤に染めた蓮見 朱里(はすみ・しゅり)は、横で自分をからかうルカに怒鳴った。それがどこか微笑ましい様子にも見えて、椿はため息をついた。
「いいなあ〜、あたしも早くこんな素敵な旦那様がほしいぜ。かっこよくて優しくて最高じゃん」
「そ、そうですか……?」
 パートナー――アイン・ブラウ(あいん・ぶらう)を褒められて、朱里は悪い気はしなかった。まるで自分のことのように照れる彼女に、椿はうらやましそうに続けた。
「そうだよ〜。なあ、知り合ったときどっちから声かけたんだ?」
 椿に尋ねられて、アインと朱里はどちらともなく恥ずかしげに頬を染めた。
 精悍で格好良いアインも良いが、照れているアインもこれはこれで心をくすぐる。椿でなくともその様子にうずうずと悪戯心の湧いた連中は、次から次へと二人に質問をぶつけた。曰く、どちらが先に好きになったのか、告白の言葉はなにか、普段はどんな風に二人で過ごすのか……そのテンションについていけていないのは、残された男性陣とリーズを含む数少ない女性たちだけであった。
「み、みなさん、すごいですね……」
「普通の女の子って、ああいう風にはしゃがないといけないものなのかな?」
 加夜の呆然とした声にリーズは肩をすくめて応えた。
 すると、それまで朱里とアインを囲んでいた女性陣たちの空気の中で、どよめきにも似たものが生まれた。その中心にいたのは、端整な顔立ちながらも、軽薄さが表情として目立つ大柄の男である。
「お嬢さん、よろしければ一緒に踊りませんか?」
 爽やかな白い歯をきらりと見せて、デビット・オブライエン(でびっと・おぶらいえん)は微笑んだ。その手がそっと握るは、戸惑いを見せるセルファの手であった。見るからに分かりやすいナンパである。もちろん、普段の彼女であれば、軽く一蹴してそんなものに引っかかるはずもないのだが……。
「え、えーと、ど、どうしよう、かなー?」
 セルファはわざとらしく声を張って、ちらちらと後ろの男性陣を見た。視線は、事を静観していた知的な若者へと注がれている。若者はそれに気づくと、しばし考えをめぐらせた後、納得したようにこくりと頷いて笑顔でぐっと親指を立てた。
「〜〜〜〜っ!」
 それを見たセルファは、苛立ちと腹立たしさと情けなさと……心の中で怒りが爆発する。
「お、お嬢さん、オレと一緒に……」
「あー、もう、うっさいわねっ! ったく、いつまで触ってんのっ!」
 自分に全く目を合わさないセルファに再度台詞をかけるデビットであったが、セルファは彼の手を叩くように振り払うと、ずんずんと地面を蹴りながらその場を立ち去った。
 親指を立てた若者――真人をぎっと睨みつけ、
「ふん!」
 鼻息荒く、彼女はそっぽを向いたのだった。
「俺、なにかしましたかね?」
「うーん、あー、なんてーか、あれやな。知らぬは本人ばかりってやつ?」
「…………?」
 まったく意味の分かっていない真人は、陣の言葉にきょとんとした顔で首をかしげた。陣も人のことを言えるか分からないが、それにしてもつくづくセルファには同情を覚えざるえなかった。
 と、セルファにふられたばかりにも拘らず、デビットはどうやらまるでめげていないようだ。すぐに気を改めて、次の目標へと声をかける。それは、もちろん赤髪の中から獣耳を生やした獣人であり……。
「やあ、お嬢さん、よろしければ、俺と一緒に踊りませんか?」
 セルファに対しての言葉とそう変わりない台詞が、リーズへとふりかかった。見るからに嫌悪感を丸出しにしている彼女は、鋭い目でデビットを睨み、ぐっと拳を握った。
 あ、やばい……。誰もがリーズの拳の飛ぶ光景を予見した。が、次の瞬間には、少しばかり小柄な青年がデビットの肩を叩いていた。
「そのへんで止めとけよ、デビット。迷惑がってるだろ?」
 笹井 昇(ささい・のぼる)の冷静な声が、かろうじてリーズの沸点を抑えることに成功した。こんなこともあろうかと、彼はデビットを見張っていたのだ。
「デビット、おまえは相変わらずナンパか? まあパーティだから分かるけど……遊びじゃなく本気の彼女を作る気はないのかよ?」
 昇につなげるように、彼らの知り合いでも椿は声をかけた。呆れたように自分を見つめる二人の視線に、デビットは心外そうに言った。
「おいおい、なに馬鹿なこと言ってんだ昇、椿。こういうパーティーってのは若い男女の出会いの場なんだぜ。ナンパ上等、こちらでお召し上がりですか? それとも、お持ち帰りですか? の世界なんだよ。つまり、ここのいる女性の皆さま方は、ナンパされたがっていると見て相違ないわけだ。ま、いっちょ見てなって、オレが手本を見せてやるから」
 力説したデビットは、リーズの鋭い目を見ても全く怯まず、次なる目標へと向かった。ある意味で、大物にでもなりそうな愚鈍さである。疲れきったため息をつくリーズに、昇が申し訳なさそうに言った。
「……すまん。あれでも気はいい奴だから、許してやってくれ」
「別にかまわないけど……迷惑さえかけなければね」
「きつく言っておく」
 リーズでも驚くほどに、しごく当然のように生真面目な顔で彼は返答した。どこか父にも似ているその挙措に少し驚いていたとき、ふいに鼻を誘う濃厚な匂いが漂ってきた。
 それが何かを知る前に、彼女の目の前に料理の載った皿が差し出された。皿を持ってきたのは、シェフの服に身を包む若き男である。
 リーズは、男と一緒にいる青年たちにも気づいた。男と同じくシェフの格好をしているのは、鮮やかな金髪の青年であり、もう一人は一輪の薔薇を胸元に刺した青年だった。
「初めまして、だな」
 男がそう告げた。そのとき、先刻、朱里とアインとともにやって来たルカが、大声を張り上げて駆け寄ってきた。
「ダリル! エース!」
「まったく、一人で勝手に行くとはな。おかげでスタッフが一人減って大変だったんだぞ」
 ダリルに叱責されて、ルカは誤魔化すように笑った。
「あ、リーズ、紹介するね。こっちがダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)。そしてエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)。一応、今回のナイトパーティでみんなスタッフとして参加したわ」
 ルカは一人一人を指差してリーズに紹介した。続けて、補足のように付け加える。
「ま、見ての通り、ダリルはシェフ、エオは羊、エースは見たままね」
 三人の呆れたようなツッコミは放っておいて、ルカはマイペースに紹介を終えた。もちろん、それだけでは足りないだろうと、エースたちは前へ進み出る。
「素敵なお嬢さん、これもどうぞ」
「あっ、あなた、さっきまで客を回ってた……」
 リーズの驚いた顔に、エースはにこっと爽やかな笑みを返した。
 彼がリーズに渡したのは、胸元に刺さっていた一輪の可憐な薔薇であった。それは、先ほどまでエースがウェイターとして客の間を回っていたとき、もてなしとついでに渡していたものであった。実は、そのときに一度リーズと目が合っていたのだ。
「こちら、特製のスティックサラダとなっています。三種のドレッシングと一緒に召し上がりください」
 鮮やかな色彩の野菜スティックと、小鉢に入ったドレッシングが差し出された。定番の
マヨネーズをはじめとして、味噌に甘みなど調味料を加えた味噌だれ、白ゴマに梅干しのペーストを混ぜて練り上げた白ゴマ梅風味。三つのドレッシングは、どれもリーズの食慾をそそるほどには見た目も美しかった。
 一口かじると、素朴な味わいの中に繊細なドレッシングがからみあって柔らかな味が広がった。
「シンプルで素朴だけど、とても丁寧に作られてるのね。美味しいわ」
 リーズは笑顔で感想を述べた。
「実は、この料理は彼が作ったんですよ」
 エースは、後ろで控えていたエオリアを指して伝えた。リーズの視線に、エオリアは照れたように微笑んだ。
「そう。とても優秀なシェフなのね」
「いえ……僕など、まだまだですよ。それより、メインの料理をぜひご堪能下さい。マエストロ、よろしくお願いします」
 謙遜して柔和な笑みを浮かべるエオリアであったが、彼が横目を送った先、ダリルの持つメインの肉料理は、確かにひときわよく完成された料理であった。
 エオリアよりも恐らくは腕の立つ料理人ということなのだろうか。シェフの位を表す煙突のような帽子は、ダリルよりも低かった。彼のダリルに対する接し方から察するに、恐らくは師弟関係にあるといったところか。
「ふむ……ルカが、この村の関係者に世話になった礼だ」
 そう言って、ダリルは肉料理――牛肉のランプ肉とサーロインをふんだんに使ったシュラスコを提供した。
 お礼、と言われたことが身に覚えなく引っかかるが、集落の誰かと関わりでもあったのだろうか? リーズは不思議そうに眉をひそめたが、美味しそうな料理を目の前にして疑問はかすれてしまった。
「折角だ。他の皆にも振舞わせてもらおう」
 気づけば、シュラスコはリーズとともにいる参加者たちにそれぞれ配らようとしていた。エオリアががらがらとカートとともに運んできた縦串に刺さるのは、リーズの皿に乗っている肉の大本……巨大な牛肉の肉塊である。
 岩塩や胡椒で味付けされた、味の違うサーロインとランプ肉の二つが、ダリルの前に並んだ。すると、彼は手馴れたように、先ほど立食会の中央で行っていたのと同じ曲芸さながらの捌きを見せた。幾度も切り捌かれた肉は、剣腹に乗って参加者たちへと華麗に投げ飛ばされる。見事なまでの正確さで肉が皿の上に乗るため、どよめきとともに歓声があがるほどだった。
 夜は更けてゆく。
 リーズはシュラスコを口にして、肉汁がたっぷりと口の中に広がるのを楽しんだ。