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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第1回/全3回)

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【カナン再生記】擾乱のトリーズン(第1回/全3回)

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第1章 いざ東カナンへ

 晴れ渡った青空。遥かな高みを、数騎のヘリファルテが飛んで行く。
 カナン人のセテカ・タイフォンとその部下数名は、東に向かって一直線に伸びた白い軌跡を仰いで、しばし声もなく見とれていた。
「飛空艇を見たのは初めてですか?」
 空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)がぱっと広げた扇で口元を隠した。だが笑んでいるのは目を見れば分かる。
 セテカは、少し長く見つめすぎたかとごまかすように照れ笑った。
「いや。何度か領空を行くエリュシオンの船を見たことがある。ネルガルが王になってからは特に。あれほど小型でも、飛速があったものでもなかったが」
 だがセテカを本当に驚嘆させたのは、ヘリファルテではなかった。
 彼らだ。
 東西シャンバラ代表者そして西カナンの領主ドン・マルドゥークとの会談が終盤に差し掛かったころ、メラムの町にワームの群れが差し向けられたとの一報がアガデから入った。
 メラムの町には仲間の兵士もいるが、それより一般市民の方が遥かに多い。どこかへ避難するにも、あそこは辺境で、隣町へも道程3日はかかる場所だ。大勢が移動するとなるともっとかかる上に、道中出くわさないとも限らない。彼らは動けない。
 しかもワームが10匹……多すぎる。
「手を貸してくれないか」
 彼がそう言う前に、東西シャンバラの代表者たちは見慣れない小型の機器で仲間と連絡を取り合っていた。
 そうして瞬く間に数十名がこの地に集結し、事情を聞き、セテカからメラムの町までの地図を受け取るやいなや、飛空艇で再び飛び立って行ったのである。
「フヒャヒャー! ミミズがりだー」
 早くも意気高揚している者。
「私たちに任せて! 町の人は絶対助けるから!」
 ぐっと親指を立て、笑顔で飛び去る者。
「おまえたちが着くころにはあらかた片付けておいてやるさ」
「あとからゆっくり追いつきなー」
 軽口を叩きあいながら飛び去る者。
 彼らは、ただメラムの人々が危ないというだけで動いたのだ。
 見知らぬ地の、見知らぬ人々のために、ためらいもなく動ける者たち。
 セテカは言葉もなく、彼らの消えた空を見上げていた。
「すばらしいだろう、彼らは」
 はればれとした声がした。
 ドン・マルドゥークだ。
「なればこそ、われらも負けてはおられん。――行くぞ」
 後方に控えていた部下に合図を出す。
「マルドゥーク。女神イナンナの加護が、あなたのとともにありますように」
「うん? 今それが必要なのはきみだろう」
 わははと豪快に笑って、マルドゥークは差し出されたセテカの手を強く握りしめた。
「ネルガルは必ず倒す。たとえ刺し違えることになろうともだ」
 己の命ひとつで済むなら安いもの――まっすぐに目を見る真摯なまなざしが覚悟を伝える。
「もちろんです。カナンのために」
 ばんばんとセテカの腕を叩き、マルドゥークは去った。
「セテカ様、われらも行きましょう」
 部下の1人が、パラミタラクダの手綱を差し出してくる。
 セテカはその背に乗り上げ、同じようにパラミタラクダにまたがって彼の号令を待つ数十名の者をあらためて見渡した。
「われらはこれより西カナンの砂漠を横断し、東カナンの国境付近の町・メラムへと向かう。かなりの強行軍となる。ラクダに不慣れな者もいるだろう。無理だと分かったら無理をせず、俺の部下たちに声をかけてくれ。後続をまとめることになっている。
 では出立!」
 セテカのかけ声とともに、数十のパラミタラクダが東に向かっていっせいに行軍を始める。
 その上を行く、オイレやアルバトロス、空飛ぶ箒たち。
 まだ見たことない東カナンの地を目指して、その目はまっすぐ前を向いていた。

*       *       *


「ねぇセテカさん。東カナンってどんな所?」
 夜。休憩とは名ばかりの小休止を挟みつつ、日が沈んでも行軍を続けたセテカたちだったが、体力維持のためにも睡眠はとらなければいけない。
 夜明けまであと5時間。火を囲みながらとる遅い夕食の席で、携帯食をかき混ぜながらミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が問いかけた。
「どんな?」
「うん。やっぱりここみたいに、砂に覆われちゃってるのかな?」
 手に握り込んだ砂を、さらさら落とす。
 昼間見た砂丘の連なりはきれいだったけれど、この下に覆われたものを思うと悲しかった。
「東は……そうだな。砂は降ってはいないが、西や南から風に運ばれてくる砂がかなり国境を侵食してきている」
 会談へと向かう道中に見た光景を思い出し、セテカはスプーンをマグカップに落とした。
「大地の力が衰えているのは同じだ。東は、大半が荒野だ。緑地も点在しているが数は少ない。ほとんどはアガデとその周辺に限られている。痩せた土では作物がろくに育たず、人も獣も飢え始めている」
 飢えた獣はネルガルが命じなくとも人を襲う。そして小さな町や村から壊滅し、その土地は砂に覆われる。
 アガデにいたころも各地へ部下を出し、常に報告させていたが、おそらくは既にかなりの数の村が消えているに違いない。
 事実、アガデからメラムへの道中に通りすぎた村や町は、どこも閑散として生気が感じられなかった。無人なのではないかと思われる村もいくつかあった。そしてそれは下るにつれて残酷さを増し、ついには村の中で、座り込んだ人の横で死体を食らう犬たちの姿まであった。
 セテカたちからそれを隠す気力すら失わせるほど、荒廃は人心を病ませている。
「東の領主とはどういった人物なのか、聞かせてもらえないだろうか」
 考えに没頭していたセテカは、最初クレア・シュミット(くれあ・しゅみっと)の問いかけに気づけなかった。
 彼女からの視線を感じてそちらを見返し、少し首を傾げる。
「いやなに、彼にも彼の考えがあるだろうし、その考えを読み違えれば互いにとって不利益だ。
それを推測するには、まずはその人となりを知らなければならない、と思うのだ」
 そうすれば、バァルという人物がいかなる戦略観に基づいて行動しているのかを理解できるかもしれない、とクレアは踏んでいた。
 西や南と違い、東カナンの領主がネルガルに自ら服従しているのは既に聞き及んでいるのだろう。
 火を囲む人々を順繰りに見て、そう推察し、セテカはふむと考えた。
「バァル・ハダドは18で領主の地位についた。両親の乗った馬車が神聖都キシュへ向かう途中落石事故にあい、2人とも亡くなったためだ。7年前のことだ。
 父親に似て領主としての才に恵まれ、有能で、領民思いの聡明な領主と慕われている。彼を生まれたころから知っているアガデの民は、特にその傾向が顕著だ。
 意思が強く、自己抑制が強い。一度決断したことは貫き通す。多面的・多角的に物事を見る目がある。武勇も優れていて、大抵の武具は並以上に使いこなせる。特に騎馬戦は、領主の地位について出場を控えるようになるまでは向かうところ敵なしだった。だから兵にも彼に心酔する者は多い」
「それはすごいな。
 では、あなたの目で見た彼はどういう人間なのだ?」
「俺か」
 とたん、セテカは格好を崩した。
「融通がきかない八方美人の頑固者だ。決断力がないわけではないが、いろいろ気を配って一番いいと思う方法を探そうとするから初動が遅い。本を読むのが好きで、本から得た知識をすぐ試してみたがる一方で飽きっぽい。広く浅くというやつだ。器用だから大抵は人並みにこなすが、一定の成果をあげるとそれ以上続けるのをやめてしまう。
 ああ、あと視力についてからかうとすぐむくれる」
「目が悪いのか?」
「いや、まだそこまではいってないはずだ。ただ、このことが起きる前は本の虫だったから、そのうち本格的に眼鏡が必要になるぞと昔からよくからかっていたんだ。頭痛がするから眼鏡は嫌いなんだそうだ。
 ほかにもいろいろと、あの生真面目さを何かにつけてからかってきたから、からかわれていたと分かるとふくれっ面になる。それがまた面白くて、子どものころからよくからかって遊んでた」
 後ろ手につき、くつくつと思い出し笑う。
 そんなセテカをじっと見つめて、クレアは手元の枯れ枝を火にくべた。
「好きなんだな、彼が」
「好きだよ。からかい甲斐のある、面白いやつだし」
「だが殺す?」
「それがカナンのためであるなら」
「そんなの…!」
 そっと、矢野 佑一(やの・ゆういち)の手がミシェルの手に重なった。口元に人差し指が立てられる。
 動揺して、自分と佑一を交互に見るミシェルを見返して、セテカはにっこりほほ笑んだ。
「ま、そう先走るな。それは最終手段で、どうしても話が通じなかった場合だ。今からそんなだと、すぐに息切れするぞ。
 まだ先は長い。この反乱が成功するかすら今はあやしいんだ。メラムが守れなければ、われわれを受け入れる町は皆無に等しくなるだろう」
「……なるほど。この襲撃は危機ではあるが、ある意味好機でもあるということか」
 反乱軍にとって、のろしともなる戦い。ネルガルの放ったモンスターに勝利すれば、モンスターに苦しめられている町や村は反乱軍に門扉を開き、志願者も続々と現れるに違いない。
 理解の早いクレアに、セテカは満面の笑顔を見せる。
 その後、セテカは次々と質問攻めにあった。
 メラムや反乱軍についてもあったが、主にはカナンにおける風習やら、文化レベルといったことだ。
「もちろん国家神としてわれらに恵みを与えてくれる女神イナンナがおられるのだ。民は女神イナンナを信仰し、カナンの主だった村や町にはイナンナの礼拝堂が建てられている。年に数度の感謝祭もある。礼拝堂は、今はネルガルによって封鎖されているが、それも順次開放していく手筈になっている」
「飛空艇がめずらしいなら、こちらでは何を移動手段としておられるんでしょうか。ラクダは砂漠となってからの移動手段と思いますが」
 空京稲荷 狐樹廊(くうきょういなり・こじゅろう)が興味津々顔で身を乗り出す。
「ワイバーンも少しはいるが、移動にはパラミタホース、馬が一般的に使用されている。特に東は精鋭騎馬による弓騎馬、重騎馬、速騎馬といった騎兵が主力で、山岳地域には名馬の産地としても名高い町がいくつかある」
「あかりなどのエネルギーには何を? 電気はありますか?」
「アガデなら。だがそれも完備というにはほど遠いし、配備されているのは国境とちょうど中間位置にあるザムグの町までで、小さな町や辺境ではまだまだ薪や油といった物が主流だ」
 などなど。
 代々ハダド家を補佐する役目を担ってきたタイフォン家の跡継ぎとして育てられ、バァルの側近となってからは政にも深く関わってきたセテカにとって、こういったことに答えるのは造作もない。
 請われるまま、ガリガリとメラムまでの略地図や町の内部の地図を地面に書きながら、自分の話に聞き入っている東西シャンバラ人たちを見回した。
 砂漠の行軍に昼間は適さない。しかもラクダがつぶれないギリギリでの小休止を挟んだ行軍だったのに、脱落者は出なかった。驚異的なことだ。これが契約者というものなのか。
 高度な技術力を手足のように扱う彼らの介入によって、戦局がどう傾くか――そしてそれにより近い将来起こり得るであろうことどもに、セテカは思いを馳せた。

*       *       *


 夜明け前。ばたばたと天幕をたたむ音がそこかしこでする中、霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)は携帯用袋に詰め込み終わった天幕を片手にアルバトロスへ向かい――変な動きをしている月谷 要(つきたに・かなめ)の背中を見つけた。
「要?」
 まるまった背中がシャキーンと伸びて、こちらを振り返る。
「んん?」
 何をしていたのかと訊かなくても、口にくわえられたスプーンが彼の行為を物語っていた。
「ちょーしょく」
 ニカッと笑って、手元の缶を振っている。
「朝しっかり食べないと力が出ないからねぇ」
「5時間前に山ほど食べたばかりじゃない。しかもそれ、わたしたちが持ってきた食料じゃないでしょ?」
 昨夜セテカたち東カナンの者が食べていた、軍の携帯用スープ缶だ。
 そういえば昨夜要は彼らの手元を、なにやら物欲しげに見つめていた。「それひと口」と言い出すんじゃないかと疑ってはいたのだが。
「分けてもらったの?」
 彼らの少ない食料を?
「交換交換」
 ぱしぱし。アルバトロスの大部分を埋めている食料の山を、網の上から叩く。
 ま、要のことだからいずれしそうなことではあったと思って、悠美香は腰に手をあてた。
「で、ご感想は?」
「うまー! 激うまー!」
 目をキラキラ輝かせて、要はカラになったスープ缶を掲げて、感嘆のため息をついている。
「携帯食でこんだけおいしいってことは、カナンには相当んまい食べ物があるとみたッ」
「はいはい。よかったわねー、楽しみねー」
 そこちょっとどいて、と要を横に押して、空いた空間に天幕袋を押し込む。
 肩のすぐ横に伸びた腕。その袖口から見えた手首の細さに、要は眉を寄せた。
「……もう1個あるけど、食べる?」
「私はいいわ。夕食でしっかり食べたから」
 うそだ、と要は思った。手渡したパンを、半分以上残して隠したことも知っている。
 蒼空学園襲撃事件で昏睡に陥った悠美香は、目覚めてからもどこか本調子でないらしく、食欲不振と睡眠障害に悩まされているようだった。体重も、あきらかに減っている。
 携帯食は高栄養だし、スープなら悠美香も食べやすいと思ったのだが…。
「食事休憩のときに開封したら、食べてくれるよねぇ。もったいないし」
 その手でいこう、とスープ缶を、食料を止めている網の下にもぐりこませる。
(つか、そもそもこんな過酷な旅に連れてくるべきじゃなかったんだよなぁ。アルバトロスから突き落とすことになったとしても、残してこなきゃいけなかったんだ)
 一緒に行きたがったのは悠美香だが、それを許した要に非がないわけではない。
(だってあの弱った状態で1人にするのも怖いしさぁ)
 とは苦しい言い訳だった。残しても彼女が1人にならないのは分かりきっている。結局、要自身も悠美香にそばにいてもらいたかったのだ。
 だがその心の矛盾の意味を悟るにはまだまだ要は幼かったようで、彼は見つけた言い訳に「目の届く位置にいてもらった方がいいから」と、うんうん頷いて納得したのだった。
 迷いに踏ん切りをつけて、さて悠美香はどこ行った? と辺りを見回す。
 悠美香は、ちょっと離れた所で光る箒を握り締めた茅野 菫(ちの・すみれ)の傍らに立っていた。


「――だから、名案があるんだってば」
「1人でアガデに向かうのは危険だって、セテカさんも言ってたでしょ」
「でもこのままだと戦争になるじゃない。戦えば、人がいっぱい傷ついて、モンスターだって傷ついて……死んじゃったりして……そんなのいいわけない!
 東カナンの人たちだって、本当は戦いたいわけじゃないはずだもん。今だって十分苦しいんだから。戦う以外のやり方でカナンを再生する方法は、きっとあるはずだよ!」
 箒にかかっていた悠美香の手をパッと振りはずした菫は、思いつめた表情で、箒を握る手にますます力を込めた。
 どうやら女同士のにこやかな朝の立ち話、というわけではないらしい。菫の声は、あきらかに強張って険が立っている。
 出立準備のどさくさにまぎれ、1人でこっそり飛び立とうとしていたところを悠美香が見つけ、説得していたのだった。
「あたしに名案があるの。ネルガルに、まず国土を豊かにすればいいって言うの。今のようにただ力ずくで押さえつけて荒廃させていたって、ネルガルに何の得もないし。彼は女神イナンナの力が使えるんだから、大地を豊かにすることだってできるはずだもん。国が豊かになって、国民が裕福になってから税収というかたちで徴収すれば、ネルガルだって、カナンの人たちだって、みんな幸せになれるじゃん」
 女神イナンナは封印されたままだけど、少なくともこれなら民衆は苦しまないし、争わないですむ。人も死なない、モンスターも死なない。心優しい女神なら、それを望むはず。
(いや、でもそれって……前提条件が…)
 介入するべきかどうか迷い、後ろから様子を伺う要の前で、悠美香はふうと息を吐くと、諭すように言った。
「そうね。でもネルガルって、それと分からないほど愚かなのかしら? そんな人が女神を封印したり、西や南の反乱をねじ伏せて征服王を名乗るかしら?」
「それは…」
「何かこの行動には意味があるのかもしれない。あるいは、あなたの言ったことも思いつかないほど愚かな人かもしれない。それすらも分からないわ。だって、私たちはだれもネルガルを知らないもの。そんな相手に1人で会いに行くのは、やっぱり危険よ」
 悠美香の言葉は、くやしいが的を射ていた。ネルガルがどういう人物か菫も知らない。最悪、話を聞いてもらえず、一方的にその場で切り殺される可能性だって、なくはないのだ。
「バァルさんになら…」
「会えれば、もしかしたらね。でも、これもセテカさんが言ってたことだけど、私たち東西シャンバラ人はマルドゥークさんや反乱軍の味方をしてるから、アガデの都には入れてもらえないって。私もそう思うわ」
 特に今、ネルガルはアガデに滞在中だから、アガデの警備は万全だろう。
 反乱軍はアガデに向かって進軍する。歯がゆいかもしれないけれど一緒に行動した方がいいと言う悠美香の言葉を受け入れるように、菫は小さく頷いた。
「――なに?」
 戻ってくる自分を、ぼーっと見ている要に気づいて、悠美香が訊く。要はぶるんぶるん首を振り、アルバトロスから離れた。
 そこに、ピリピリピリと、注目を促す笛が鳴り渡る。
 出発だ。
 荷造りを終えた者たちが次々とラクダに乗り、隊列を組み始めている。
 行く手の空は、既に夜明けの兆しに白く輝いていた。