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リアクション
5.ボクらが派手に活躍すれば兵の士気も上がるってものさ
「しびれ粉、投下するよ!」
本能寺 飛鳥(ほんのうじ・あすか)が、しびれ粉を混ぜ込んだ発煙筒を投下する。
砂の中にいるモンスターを燻り出すためだ。うまくすれば、しびれ効果も与えて大きなアドバンテージを取れる。
「さっそく出てましたな」
マーゼン・クロッシュナー(まーぜん・くろっしゅなー)の眼下で、しびれ粉入り発煙筒によって砂の中からサンドワームや、堤燈アンコウのような砂に潜るモンスターが出てきていた。
「やはり、こちらの作戦を読んでいたようですな」
彼らの作戦とは、敵の航空戦力を打ち払い制空権を得たのちに、空路を用いて相手の裏を取りに行くというものだ。もっとも、一度目の戦いを見ている彼らが、航空戦力を頭に入れないとは限らない。現に、回り込もうとした先にモンスターを配置してきている。
「しびれ粉の効果はすごいですね」
異変を感じて飛び出したモンスターが、しびれ粉によって身動きを封じられている様子にゴットリープ・フリンガー(ごっとりーぷ・ふりんがー)は少し驚いた。
「油断は禁物ですじゃ」
「わかっていますよ」
天津 幻舟(あまつ・げんしゅう)の忠告にしっかりと頷いて応えると、ゴットリープはマーゼンに視線を送った。マーゼンも視線で応える。
モンスターの動きは封じたが、まだ安全が約束されたわけではない。それを確かめ、降下地点を確保しなければならない。そのため、しびれ粉はだいぶ薄めてあるし、煙の持続時間もそう長くは無い。モンスターの拘束時間も粉の薄さに比例するだろうが、砂中でなければそこまで脅威にはならないだろう。
「そろそろだね」
「さて、行きますか」
「そうだな」
煙が薄まる時間を待って、三人は地上へと降下した。
「降下地点の確保が完了したとの報告が入りましたわ」
先行降下したマーゼン達から通信を受けた島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)が、クレーメック・ジーベック(くれーめっく・じーべっく)に報告する。
「よし、兵の降下を行う」
「待って! あれは………ワイバーン騎兵部隊!」
島本 優子(しまもと・ゆうこ)の監視している方角から、ワイバーンの一団がこちらに向かって飛んできているのが確認された。
「攻めて来た数が少ないからおかしいとは思ったが、あれだけの数を温存していたのか」
「五十、ううん、七十はいるわね。なんで、こんな後方で待機してたんだろ」
「恐らく、あのムシュマフというアンデッドがそれだけ高性能だったのですわ。実際、撃墜するのにかなり手を焼きましたもの………いかがします?」
「兵を積んでいる飛空艇は降下を継続、それ以外の航空戦力は護衛に回す。兵を乗せたまま撃墜などされてたまるか」
「了解しましたわ」
「私はこのまま降下でよろしいのですか?」
降下準備を進めていた三田 麗子(みた・れいこ)がクレーメックに尋ねる。
「降りる予定の者は全員降ろす。目的はあくまで指揮官の撃破だ、第一目標に変化は無い」
「わかりましたわ、それでは行って参ります」
「ああ、頼んだぞ」
「っち、これじゃあ地上のケツ持ちなんてしてる余裕もねぇな。亜衣、まだ落ちてねぇよな!」
「大丈夫、このぐらいまだ想定範囲内よ」
ハインリヒ・ヴェーゼル(はいんりひ・う゛ぇーぜる)と天津 亜衣(あまつ・あい)の任務は地上支援だ。そのための武装を持ち込んできていたが、敵ワイバーン部隊の強襲によって本来の任務を遂行するのが困難な状況に立たされている。
今も地上に部隊を降ろしている最中だ。まずは、それらが完遂するまで敵から守ってやらなければならない。
「砦の防衛部隊のいくつかを、こちらに回してもらっているそうですわ」
サンタのトナカイ騎乗の乃木坂 みと(のぎさか・みと)が二人に報告する。
「初撃でそこまで被害を出さなかったのが幸いしたな。よし、踏ん張ればなんとかなるってわけだ」
「降下が完了したら、空のみんなだって戦えるもんね!」
「そういうこった。こんなところで余計が被害は出させねぇぞ。よし、でかいの一つ頼む。近づいてくる奴らは全部撃ち落してやっから、あいつらをびびらせてやれ」
みとは頷き、敵の集まっていてなおかつ自軍から離れている場所を見つける。
ギャザリングヘクスで魔法の破壊力は向上している。今なら、要望通りびびらせるには十分過ぎる一撃が放てるだろう。
「洋さまの願いは我が願い。汝らに死を、戦友たちに勝利を、カナンの人々に平和な日々を!降り注げ、我が魔力!」
巨大な雷がワイバーン騎兵の集団を襲う。
「よし、敵の動きが乱れた。一気に崩すぞ」
「行くよ、ついてきて!」
ハインリヒと亜衣が率先して敵陣に切り込んでいく。みともそれに続く。
「洋さま………この戦いが終わったら何でも言うことを聞くという約束、絶対に果たしてもらいますからね」
「地上部隊の降下は終わったか………」
相沢 洋(あいざわ・ひろし)が空を見上げる。敵のワイバーン騎兵の錬度は決して低くない。降下を行っていた飛空艇が攻撃に回れるといっても、数字で見れば微々たる変化だ。
「ふん、余計な心配をさせてしまったな」
いざ降下しようという時になって、敵部隊が展開してきた。こちらの動きを読んでいたような気持ち悪い対応だ。それが、みとに不安を感じさせたのだろう。
「洋さま、わらわは不死なる魔女です。もし、洋さまが倒れられたら、わらわはネクロマンサーとなり、永遠の時を共に過ごしましょうか」
降下の直前に彼女はそんな事を言ってきた。正直、言われた瞬間は何を馬鹿な事を、と思った。空挺降下を行える人間は軍の実働部隊ではエース様だ、そのエースが倒れるなんて縁起でもないどころか、ありえない話ではないか、と。
怒鳴ってやろうかとも思ったが、いつになく真剣な面持ちのみとにそんな気持ちも薄れ、口から出たのは、戦いが終わったら何でも言う事を聞いてやるという言葉だった。
「厄介な約束をしてしまったもんだ」
約束してしまった以上、反故にするわけにはいかない。当然、やられるわけにはいかない。
「さて、これだけ用意周到にしていたのだ。指揮する奴が近くに居るはずだ。いくぞ!」
「あの機械、この目で見るのは二度目だが、ワイバーンを手なずけなくとも、多くの人や物資を運ぶことができるとは驚くべきものだ。しかし、だからこそ最も有効な方法で使ってくるだろうというウーダイオス様の読みは的中した」
地上に降下した部隊の前に現れたのは、ルブルだった。近くにウーダイオスの姿は見当たらない。その代わりか、かなりの数の兵を従えている。
「貴様らは、ドラゴンの口の中に居るも同然。我らの強靭な顎により、噛み砕かれるがよい! 放て!」
ルブルが腕を前に突き出す。兵がそれにこたえて、大量の矢の雨を降らせた。
「砂の中に、兵士が潜んでたというわけですな」
と、マーゼン。
「モンスターと違って、人間は我慢強いですからね。さて、どうします」
「せっかく指揮する人が来てくれたのですわ。ここで、倒すのが上策かと」
「そうだね」
降下部隊に選ばれた兵士は、選りすぐりのエース達だ。そうそう簡単に倒れたりはしない。今放たれた矢も、みな武器で落としたり盾で防いだりとちゃんと対処している。
「女だからといって、容赦はしないぞ」
そんな中で、一番に飛び出していったのは洋だ。
「ふん、そう易々と私に触れられると思うな!」
洋の進路を、敵の兵が集団で止めにかかる。数で相手を押し潰す、教科書のような動きを見せる。分厚く形成された壁を突破するのは、簡単ではない。
こちらの地上部隊も、敵部隊を打ち倒そうと立ち向かっていく。降下した契約者達も、その前を進み壁に食い込んでいく。その中で、麗子は壁をすり抜けてルブルへと一気に迫った。
「カナン人でありながら国家神であるイナンナに反逆した裏切り者!今、その罪を償わせてやるわッ!」
「よそ者が知ったような口をきくなぁっ!」
麗子の剣と銃の波状攻撃が、ルブルを狙う。ルブルの剣は質量のほとんどないものであるため、剣を受けることができずに避けるしかない。避けようとする先を読むのは、麗子にはそれほど難しいことではなかった。
「ぐっ」
銃弾が当ったのは肩と胸の間辺りだ。一瞬ルブルは顔を歪めたが、すぐに持ち直して距離を取るために、後ろへ下がる。
「逃がしは、しませんわっ!」
それを追おうとする麗子に、大量の兵士が押し寄せてくる。瞬く間に周囲を完全に塞がれてしまう。ここは通さないという気持ちが、ひしひしと伝わってくる。
「まずは、あんた達の相手をしろということですわね………。いいでしょう、相手になってさしあげますわ」
兵に促され、ルブルは待ち伏せ地点から離れていた。受けてしまった一撃は、出血こそ派手だったがそれだけだ。それに、回り込もうとして来たやつらには十分な兵をぶつけている。見たところ、善戦こそしているがすり潰されるのも時間の問題だろう。
「早く、ウーダイオス様と合流しなければ………」
こちらはあくまで敵を引き付ければよく、実際多くの人員がこちらに割かれているようだ。空路を使って相手の裏を取る戦法も、裏門側では行われておらず、その点において目的は成功していると言えるだろう。あとは、遊撃に出ているウーダイオスの右腕となって敵を蹴散らしていけばいい。そうすれば、あとはムシュマフがあの砦などすぐに落としてくれるだろう。
戦場を駆け抜けながら、その姿を探す彼女の目にとまったのは、ウーダイオスではなく王城 綾瀬(おうじょう・あやせ)だった。
「ようやく見つけたわ、フライフェイス。さぁ、この間の続きをしましょう? それとも、その怪我が痛くて戦えないとでも言うのかしら?」
「こんなも、ただのかすり傷だ。貴様こそよく逃げずに私の前に現れたものだ。今のうちに、その体に別れを言っておけ………間もなく貴様の頭はその体と今生の別れになるのだからな」
ルブルは剣を抜き、綾瀬を見据えた。あの顔を見るだけで、自分の血が沸騰しているのがわかる。この女だけは、自分で殺すと最初から決めていたのだ。
綾瀬の姿は、既に血で真っ赤だ。しかし、それは彼女の血ではなく全て返り血である。彼女は真っ直ぐ、邪魔者を排除しながらルブルに向かって進んできたのだ。
「吠えるのは勝手だけど、偉そうな事を言えば言うほどあとで惨めになるわよ?」
「力も無く吠えているのは一体どちらだろうな。先日、手を抜いてやったのに気づかず、それで私に勝てるとでも思っているのだろう」
「はん、手抜き? あんたこそ、こっちがどれだけ可愛がってやったか気づいていなんじゃ、所詮それまでね。さあ、殺してあげる。期待しないけど、少しぐらいあたしを楽しませてよね」
「はぁぁぁぁっ!」
グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)の一撃が、敵兵士の持つ剣を叩き割った。
「下がりなさい。これ以上は無意味です」
仲間は既に倒れ、武器も失った丸腰の兵士にグリムゲーテはそう告げるが、敵はそれでも向かってきた。忠誠心なのか、自暴自棄なのか判断はつかないが、向かってくる以上は全力で相手をするのが礼儀だ。その兵士も、砂に倒れていく。
「だいぶ苦戦してる感じだね。さっき、空を通り過ぎていった部隊は何をしているのかな?」
白麻 戌子(しろま・いぬこ)が遠くを見つめながら言う。
「まさか、わざとこんな混線を狙ってくるなんてね。おかげで、ごちゃごちゃしちゃって何をどうすればいいのかわかんないよ」
「そうだね。通信も入ってきてるけど、錯綜してて何がなんだかわかんないからね」
苦戦している、なんて口にしてみたが戌子には戦場がどうなっているのか詳しくはわからないでいた。二人はだいぶ前へ進んできているが、前へ進めている部隊とそうでない部隊が混在しているらしく、早くも泥沼のような情況を呈している。
「最初の突撃部隊に、わざと穴を作って、抜けれる人は次に突撃する部隊に回して、が全部で三回。さすがにもう種切れみたいだけど、やっぱり戻った方がいいかな」
「どうだろうね。砦を守るんなら、やっぱり戻るべきだろうとは思うけど」
「あーもう、なんでここに大助がいないのよ!」
「大助には大助の役割があるんだよ。それに、ボクらじゃ大助のスピードには追いつけないだろ?」
「そうだけど………」
グリムは少し納得できないようだ。ちゃんと何をしに行ったのか、教えてもらっていない不満もあるのだろう。
「まあ、そんなことはいいじゃないか。それより今はここで、目いっぱい暴れないとねー。ボクらが派手に活躍すれば兵の士気も上がるってものさ」
不満顔のグリムをそう諭して、敵の本陣あるであろう遠くから視線を外す。
「そうね。大助はナナちゃんもついてるし、大丈夫よね! それじゃ、私達は一旦砦の方に戻りましょ。大助達が大将を倒しても、砦が落とされちゃったら無意味だもの」
「わかった」
「見つけた!」
四谷 大助(しや・だいすけ)の視界に、ルブルの姿が入った。既に、誰かと戦っているようだ。
姿をぼやかし、気配を消して戦場をほとんど戦闘をせずに抜けてきた大助の狙いは指揮官の暗殺だ。そして、先日砦にやってきたルブルの姿を見つけたのである。
「マスターっ! 左方向にっ!」
気配を殺しつつ、一足で間合いに入れる距離まで近づこうとしていた大助に、四谷 七乃(しや・ななの)の注意の声が届く。咄嗟に反対方向に飛ぶと、さきほど自分が居た場所に武器を構えたトライブ・ロックスター(とらいぶ・ろっくすたー)の姿があった。
「あり? なんだ、敵じゃないのか、悪いこそこそ近づいてくるから敵かと思っちまった」
トライブは、悪い悪いと小さく頭をさげると、一度辺りを見回してからその場に座り込んだ。彼の視線の先では、ルブルと綾瀬が死闘を繰り広げているのに、である。大助には意味不明だ。
「おい! なんで戦場で座り込んで、じゃなくて、なんで助けにいかないんだよ」
「あー、いや、だってオレ巻き込まれたくないし」
「巻き込まれるって、おまっ」
「ほら、お前もツンツンしてねーで応援しようぜ。ルブルちゃーん、頑張れー、そんな人間凶器なんてぶっとばせー!」
助太刀に入ろうとしないどころか、敵の応援までし始めている。
「マスター?」
こんな奴は無視して、ルブルを討ち取りにいこうとした大助を、トライブが腕で道を塞いで邪魔をする。
「まぁ、カリカリすんなって。それに、下手に近づくとあんたの身が危ないぞ。あんたの狙いはルブルちゃんなんだろうが、あいつは近づいてったらだれかれ構わず噛み付くね。俺が近づいても噛み付くね、絶対。手柄が欲しいんなら、俺と一緒にここでルブルちゃんを応援して終わってから襲い掛かればいいだろ?」
「オレは、別に手柄が欲しくてこんなことしてるわけじゃ………」
「なら、なお更戦う必要ねーじゃねーか?」
「………オレは、こんな戦争さっさと終わらせようとしてっ!」
「んー、気難しい奴だな。これでも、俺はあんたの心配してやってるつもりなんだけどな」
「心配って、だったらあっちを助けてやれよ。それを、敵なんか応援してさ」
「いやぁ、だって美人じゃん。ルブルちゃん」
「………っ!」
「それはまぁ、半分冗談として、だ。そこまで心配されるほどうちの綾瀬はモロくはねーんだわ。どっちが勝つかって聞かれりゃ、そりゃ俺にはわからんけど、綾瀬が死ぬのはありえないね。そもそも、誰がどうやったら殺せるんだって話だよ。方法があるんなら、俺が教えてほしーわ」
冗談めかして言っているので、どこまでがトライブの本心か大助には測りかねた。だが、今戦っている綾瀬に対して、信頼のようなものがあるのはわかった。
だからといって、ルブルを討たないで済ます理由にはなりえない。もし、まだ止めようとするのなら、トライブを黙らせるのも選択肢にいれるだけだ。
「ほれ、もっと姿勢を低くして近づいてけよ。狙うんなら、決着がついた瞬間だ。それならあいつも噛み付いてこないはずだ。ま、それまでは我慢だな」
どうやら、既にトライブの中では闘いの決着がついたら大助がとどめを刺しにいく事で決まっているらしい。邪魔をする気はないようだ。なんというか、よくわからない奴である。
「ぐっ………」
ルブルは焦っていた、いや、恐れを抱いていたというのが正しい。
「どうしたのよ、もうおしまい? これだけ? だったら、もういらないわ、殺してあげる」
「ふざけるなっ!」
手数の上で、ルブルは圧倒している。武器の特性として、切れ味はあるものの骨を断つことができないとはいえ、既に相当な傷を綾瀬に与えていた。常人なら、痛みと失血で立ってなどいられないはずだ。
「そうよ、その意気よ、フライフェイス! もっとあたしを楽しませなさいっ!」
「死ねぇっ!」
綾瀬は自分から間合いには入ろうとせず、先手を打つのは常にルブルだった。先ほどから何度も、首や心臓のような急所を狙っているのだが、全て違う場所で受けてくる。死にさえしなければどうとでもいい、という尋常ではない考えで動いているのだ。
そうして一撃を受け止めては、間合いに入ったルブルへ攻撃を仕掛けてくる。まだ一度も直撃していないが、まともに受けるわけにはいかない危険なものであるは間違いなかった。
最初こそ、このまま削っていけばいずれ倒れると踏んでいた。しかし、いくら体に傷をいれようと、砂が血を吸いきれずに血溜まりを作ろうと、綾瀬の一撃のおぞましさは一向に衰えず、彼女の顔から笑みが消えることもない。
「ほらほら、もっとこっちに来なさいよ。それとも、今更になってあたしが怖くなったのかしら?」
「ふざけるなっ、貴様など、貴様などっ!」
目の前のものは、生きている人間のはずだ。だが、ルブルにはそうは思えなくなっていた。ウーダイオスの傍らに居て、いくつものアンデッド兵士を見てきた彼女には、綾瀬の姿がそれにダブって見えてきたのだ。
神を殺そうとたくらんだ人々が、そのために作り上げた不死の駒。中でも、最高傑作とされたムシュマフ―――あれがもし味方でなければ、自分はまともに人の意識を保っていられたかどうかも疑わしい。あれは、化け物だ。
「おのれっ、おのれっ、おのれぇぇぇぇっ!」
それが、なぜ今頭をよぎるのか。あの時感じた恐怖を、ルブルは綾瀬に感じてしまったからだ。それが、何よりも許せない。許すわけにはいかない。目の前の、その元凶を排除しなければこの感情は収まらない。
「いい顔ね! けど、終わりよ! 殺してあげるわ、フライフェイス!」
今まで、ずっと待ちの体勢だった綾瀬が前に出る。
ルブルの動きに、最初にあった繊細さはもう無い。じわじわと、それを成すための精神力を削ってきた結果だ。ルブルは恐怖を感じたが、綾瀬は決してアンデッドなどではなく、このまま続けばいずれは膝をついていただろう。最初にルブルが思った通りの戦法は、十分に通用する方法だった。
だが、綾瀬は自分の死への恐怖など微塵にも見せずに、ずっと笑っていた。苦痛も、血と共に体温が流れ出ていく感覚も、全てひっくるめて楽しんでいたのだ。
「捕まえたわ」
ルブルの剣が、綾瀬を貫く。だが、そこは急所ではない。細身の彼女の剣では、もっと正確に狙わなければ、急所を突くことなどできない。
「なぜだ、なぜ死なないっ! なぜ笑う! なぜっ!」
「馬鹿ね、楽しいからに決まってるじゃない!」
剣が刺さったまま、綾瀬はルブルの腕を取るとそのまま地面に組み伏せた。さらに、もうちょこまかと動かれないように、足を踏み砕く。骨の折れる音に合わせて、今まで一度も漏らしたことのない苦痛のうめきをルブルがあげる。
「終わりよ、お馬鹿ちゃん」
「………はっ、ははは、ふははははははははっ」
「凝れちゃった?」
「そうか………貴様のような者なら、あの化け物と対峙しても正面を向いて戦えるのだろうな」
「なんの話? 情報を持ってるから見逃せとでも言うつもりかしら? 残念、そんなもんこれっぽっちも興味ないわ」
「そうだろう。いや、そうでなくては………さぁ、殺せ。私の負けだ、もうこの足では戦うことはできん。戦えない兵など戦場には不要だ。生き恥を晒し、あのお方に迷惑をかけるわけにはいかない。さぁ、殺すのだ、さぁ!」
「ふーん、そう?」
綾瀬は、ルブルの顔に膝を叩き込んだ。重く鈍い音が響く。
だが、命を刈り取るほどのものではなく、意識を奪うのがせいぜいだ。
「だったら、生き恥をさらせばいいわ。私はね、おまえの騎士道精神なんかに付き合うつもりなんてないの」
もう聞こえてはいないだろうルブルにそう告げて、綾瀬は彼女に背を向けた。その先には、トライブの姿がある。
「おう!」
それだけ言うトライブの姿を見て、綾瀬は気を失った。
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