校長室
貴女に贈る白き花 ~日常と戦いと~
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エピローグ 翌朝、完全に体調が戻った神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)がキッチンで朝食を作っていると、榊 花梨(さかき・かりん)が起きてきたのに気付いた。 「おや、おはようございます、花梨。お休みなのに随分と早いですね」 「う、うん、ちょっとね。朝ごはん作ってるの?」 「えぇ、昨日は二人に迷惑をかけてしまいましたからね。今日から早速いつも通りにやらせて頂きますよ」 話しながらも手際良くベーコンエッグを作っていく。一つ目が完成したのに併せて、花梨が早起きした目的を果たそうとした。 「ねぇ翡翠ちゃん。そのエプロン、結構長く使ってるよね?」 「そうですねぇ、さすがに汚れが落ちなくなってきているのですが、つい買い換えるのを忘れてしまうんですよね」 「じゃ、じゃあ……これ、使って!」 昨日購入したプレゼントを渡す。翡翠が開けてみると、中には黒いエプロンが入っていた。 「有り難うございます、花梨。忘れがちな自分の代わりに覚えていてくれたんですね」 「ううん、違うの。これも、これもプレゼントだから!」 「これは……シルフィスの花? では、このエプロンも……?」 「あたしからの感謝の気持ち。花は桂ちゃんと二人でだけど」 「そうでしたか……有り難うございます。エプロンは早速使わせて貰いますね」 翡翠が使い古したエプロンを外し、新しい方を着ける。黒のエプロンは翡翠の雰囲気にとても似合っていた。 「着け心地も中々ですね。では二人へのお礼に、美味しい朝食を作るとしましょうか」 「あたしの分はベーコン多めにしてね」 「ふふ、分かりました」 花梨が桂を起こしに出て行く。朝食を作る間、キッチンからは機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてくるのだった。 「アニマ、アレーティアはどうしたんだ?」 自宅のリビングで柊 真司(ひいらぎ・しんじ)が尋ねる。真司とアニマ・ヴァイスハイト(あにま・う゛ぁいすはいと)の視線の先にはがっくりとうな垂れているアレーティア・クレイス(あれーてぃあ・くれいす)の姿があった。 「それが――」 アニマが言うにはこうだ。 昨日アレーティアは嘘か真か、ツァンダ限定のイコプラ『イーグリット・アサルト 山葉涼司専用機モデル』が存在するという噂を信じてアニマと二人でツァンダまで買い物に行った。 だが何件回っても目的の品は見当たらず、やはり噂に過ぎないのかと思っていた所で山葉モデルを試験的に扱っているという店を見つけ、それを速攻で購入して満面の笑顔で帰って来たという。 その買ってきたイコプラらしき箱は確かにアニマの横に置いてあった。 『コームラント 山葉聡テスト用モデル』と書いてあるが。 「……つまり、渇望するあまりに『山葉』という言葉だけに反応してしまったという事か……」 何と言えばいいのやら。微妙な空気が漂うリビングに、リーラ・タイルヒュン(りーら・たいるひゅん)が入ってきた。 「アニマ、貴方宛に荷物が来たわよ」 リーラが持っているのはシルフィスの花束。昨日アレーティアが買い物に夢中になっている隙に、アニマがすぐそばの花屋で注文しておいた物だ。 「あの、お母さん」 「何じゃ……?」 「今日は母の日だと聞きました。なので、これを受け取って下さい」 「花……じゃと? アニマが自分で用意したのか?」 「はい、マスターから教えて貰って、自分で花を買いました」 アレーティアにとってアニマは娘同然だ。そのアニマが成長を見せている事実に、アレーティアは嬉しさで気分が軽くなっていくのを感じた。誤購入のダメージなど、とうに消え去っている。 「お母さん、私にイコプラの制作方法を教えてくれませんか? せっかくですから、お母さんと二人でこれを作ってみたいです」 「……そうじゃな、わらわがしっかり教えてやるとしよう。ビシビシいくぞ?」 「お願いします、お母さん」 「やれやれ、どうやら一件落着といった所か」 アレーティアの部屋に向かった二人がいなくなり、真司が微かに安堵する。リーラはそれを見逃さず、いつも通りのからかいをしてみせた。 「娘の成長が嬉しい? お父さん」 「だから、その呼び方は止めてくれと」 「せ〜のっ、キリエ! いつも有り難う!!」 ラサーシャ・ローゼンフェルト(らさーしゃ・ろーぜんふぇると)の掛け声で昼食を兼ねた『いつもありがとうお食事会』が始まった。有り難うの対象は皆を支えるキリエ・エレイソン(きりえ・えれいそん)だ。 「三人共、有り難うございます。こんな大きな花束まで貰って……」 キリエはスポーツ選手の記念時に渡されるような、大きなサイズのシルフィスの花束を手にしている。ラサーシャとセラータ・エルシディオン(せらーた・えるしでぃおん)、メーデルワード・レインフォルス(めーでるわーど・れいんふぉるす)の三人でお金を出し合って買おうと決めた時、せっかくだからと出来るだけ大きなサイズを選んだのだ。 「俺達の感謝はその大きさでも表せませんけどね。でも、キリエの喜ぶ顔が見られて良かったです」 「そうだな。その表情を見られただけでも前々から予約しておいた甲斐があったという物だ」 「セレータ、ラサーシャ、メーデルワード。本当に有り難うございます……料理の方も美味しそうですね。早速頂きましょうか」 四人がフォークを手に取る。用意された料理はどれも美味しくて、話も弾んでいた。 「そういえば、今日はツァンダの広場で花を使った催しがあるらしいな」 「花を? どういうのなの? メーデルワード」 「花そのものを使って絵を描くという趣向らしい。聞いた所だと母の日にちなんでシルフィスの花がメインで使われているそうだな」 「へぇ〜。ねぇねぇ、後で皆で見に行かない?」 ラサーシャが三人の顔を見回す。反対する者は無く、満場一致でこの後のお出掛けが決まった。 そのツァンダの広場ではスポンジで出来た台に様々な色の花を差して作る、フラワーアートの展示が行われていた。ダリオ・ギボンズ(だりお・ぎぼんず)に連れられてきたエルティ・オリ(えるてぃ・おり)が興味深そうに観察している。 「ほほぅ、これが母の日の催しかね? ダリオ君」 「そうみたいだな。どれどれ……テーマは『感謝』か。まさに母の日ってとこだな」 入り口の看板に書かれている説明文も見る。中ではイベントに併せ、大切な人にシルフィスの花を贈っている者達の姿があった。 「さぁ大助、有り難く受け取りなさい!」 グリムゲーテ・ブラックワンス(ぐりむげーて・ぶらっくわんす)が四谷 大助(しや・だいすけ)に花を渡す。ある意味いつも通りなグリムゲーテに、大助は軽くため息をつきながらも花を受け取る為に手を伸ばした。 「何でお前はそういちいち偉そうなんだ。まあ、礼は言っとく……ありがとな」 「と、当然よ。主人として、たまには使用人を労わらないとね。さあ大助、心優しいご主人様にもっと感謝なさい!」 「ははは、キミもなかなか素直じゃないねー。お礼を言われて嬉しいならハッキリそう言いたまえー」 白麻 戌子(しろま・いぬこ)が横から茶化す。感謝という感情が入っても、この二人のやり取りは変わりそうに無かった。 「はい、ヴェルさん! いつもありがとう!」 八日市 あうら(ようかいち・あうら)が満面の笑みで花を差し出す。両隣にいるノートルド・ロークロク(のーとるど・ろーくろく)とリティシアーナ・ルチェ(りてぃしあーな・るちぇ)も同様に花を持っていた。ヴェル・ガーディアナ(う゛ぇる・がーでぃあな)は少し複雑な顔をしながらも、それを受け取る。 「昨日から何か企んでるような笑みを浮かべてると思ったら、これの事か。しかしなぁ、オレなんかに渡さないで、地球にいる母親にでも送ったらどうなんだ?」 「大丈夫、ちゃんとママの所にも送って貰うように頼んであるから」 「そうかい。なら断るのも悪いか……三人共、有り難うな」 色々と危なっかしいパートナーではあるが、こういうのは悪くない。そんな事を思ってしまうヴェルは、もう完全にあうらの保護者役として染まっていた。 「しーちゃん。地球のお母さんには贈ったの?」 「あぁ、昨日のうちに手続きはしておいたよ」 東峰院 香奈(とうほういん・かな)の質問に桜葉 忍(さくらば・しのぶ)が答える。忍は花が無事に花屋へと運ばれるのを確認すると、その足ですぐ申し込みに行っていた。 「そうか。忍よ……母君を大切にするのじゃぞ」 母と聞いて思う所があったのだろうか、織田 信長(おだ・のぶなが)がそんな事を言う。忍は当然だと言うように、しっかりと頷いてみせた。 「……ん? どうしたんだ? レンちゃん」 不意に袖を引かれて後ろを向くと、柊 レン(ひいらぎ・れん)が何かをしようとしていた。それを急かさずじっくり待つと、レンは後ろに隠していた手を前に出し、三人に花を渡した。 『皆、私の大切な家族です。だから、貰ってくれると嬉しいです』 「……そうか。有り難う、レンちゃん」 精神感応で直接頭に響く声を受け、レンの頭を撫でる忍。香奈と信長もレンが忍に伝えた事の予想がついたのだろう、次々と手を伸ばしてレンを撫でる。 「ねぇしーちゃん。今日はケーキを買って帰らない?」 「そうだな。信長もレンちゃんももうすぐ誕生日だし、今日はお祝いをしよう」 ここにいる四人は全員春の生まれで、特に信長とレンは四日しか違わない。何度あってもめでたいお祝いをする為に、忍達は店を目指して広場を後にした。 「夜月、いつもありがとう」 「ボクからも、はい」 鬼龍 貴仁(きりゅう・たかひと)と鬼龍 白羽(きりゅう・しらは)の二人が常闇 夜月(とこやみ・よづき)に花を渡す。夜月は基本的に無表情なので見た目からは心の変化が判り難いが、その反面、よく喋るので言葉では嬉しく思ってくれているのが良く判った。 「お二人とも、わざわざわたくしの為に有り難うございます。綺麗なお花で本当に嬉しいですわ」 「むふ、どうやら良いサプライズになったようじゃの。わらわも昨日、夜月が母の日に気付かぬように気を配った甲斐があったというものじゃ」 「房内様は普段通りに過ごされていただけのような気がしますが……」 自信満々な医心方 房内(いしんぼう・ぼうない)に夜月が突っ込みを入れる。房内が本当に尽力していたのか、それともいつも通りの言動をしていただけなのか。それは本人のみぞ知る――訳も無く、あからさまにいつも通りだった。