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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

リアクション


12.三枝仁明



「……なに、このドロドロしたの? 気持ち悪いんだけど」
 触れた感触は泥水よりは粘度がある。一見水銀にも見えるが、張りは弱く違った物質なのは間違いないだろう。疑問には思ったが、天貴 彩羽(あまむち・あやは)は無視して先に進むことにした。少なくとも、口に含んだり体に浴びなければ問題ないだろう。
 彼女はいくつかの幸運に恵まれていた。龍宮内部に突入し、大きな戦闘に巻き込まれる事なく、さらに未知の施設ではあったが本人の目的地に真っ直ぐにたどり着いた。途中で、他の調査員と地図を交換をしてきたおかげでもある。
 さらに、そこはパジャールにとっても要警戒地点だった。宝剣がなくては、結局触れることができない二つの至宝と、危険な研究成果とは違い、知識さえあれば龍宮のシステムのほとんどを掌握できる場所であるからだ。門の開閉と警報のスイッチ、あとは監視カメラぐらいしか権限を持たない警備室とは話にならないレベルの重要地点。
 それが彩羽のたどり着いた、龍宮の中央制御室である。
「ふーん、これが龍宮の本体ってわけね」
 この場所からでは、龍宮の宝も研究データも取り出せない。だが、代わりに防衛システムを中心とした、侵入者撃退システムや研究者権限などを取り扱う事ができる。故に、パジャールは身を裂いて厚い防衛を強いていたが、今はそれも無に帰していた。
 丸い部屋には、建物を支えるには必要の無い柱が五本あった。それぞれの柱の根元には、そこから何かを操作するための端末が取り付いている。柱はそれぞれ赤・黄・白・黒・青の着色がされている。
「五行をモチーフにしてるのかな。となると、防衛システム関係は赤ね。シールドが邪魔で外と連絡取れないし、ここにあるものだけでなんとか対応して残りはそれから……」
 シールドには自動修復機能があるのか、打ち破った穴はもう塞がってしまったらしく外部との通信は遮断されてしまっている。天御柱学園のホストコンピューターを繋いで龍宮のシステムを掌握するには、あの厄介なシールドを解除しなければいけない。手元にあるのはテクノコンピューターと銃型HCの二つ。持ち込める装備としては、悪くは無いだろう、あとは自分の力量次第だ。
「さっさと突破して、外で待ってるスベシアを安心させてあげないとね」
 学院との中継地点兼バックアップとして、通信装置を増設したイロドリGDスベシア・エリシクス(すべしあ・えりしくす)を待機させている。通信できないため、一人で海の底で待っているはずだ。
「見たこと無い言語……でも、コンピューター用の言語なら……」



「起きた理不尽が許せない。だから時を変えようとする。三枝は、元来正義感が強いのだろう。だから、お前が不幸になる道を黙って通してやるほど、俺は人間嫌いではないんだよ。これだけの才があり、財を手に入れて猶、取り戻したい物は何だ。何故だ? お前の事情には否定も肯定もしない。ただ聞かせてくれ」
 既に大きな傷を追い、使う事に躊躇う理由の無いはずの液体金属を三枝は使おうとはしなかった。誰かが手を打ったのだろう。手を抜く理由にはならないが、しかしヴァルはシグノーとキリカ・キリルク(きりか・きりるく)を下げた。
「ふ、ふふふ……。あの欠陥品を私が使うとでも思っていたのですか」
「欠陥品だと?」
「そうですよ。考えてみてください、本当に自在に過去を清算できるようなものがあるのなら、コレを作った人がこの場所を放置するわけがない……まぁ、せっかくですしどういったものか少し説明してあげましょうか。あれは、私達の言葉で表現するのなら、時空因果律演算装置でしょうか。言わば、この世界そのものの計算機ですよ」
 この世界のありとあらゆるものは、数式で導き出すことができる。それは、人の心ですら何も変わらない。あの装置を生み出した技術者は、そんな狂った思想をスタート地点にしていた。
「タイムマシンのようなものでもなければ、量子力学でもありません。ここで研究されたのは、ひとつの数式です。そもそも数式とは、世界の一部を切り取ったもの。なら、世界そのものを表す数式があるのもまた然り……ふふふ、面白い話でしょう?」
「それで、それがどうして欠陥品なのですか?」
「あなたは、見た事も無い数式を提示されてそれを解けますか? まず最初の問題ですね、理解の無いものを手にしたとして意味がありません。二つ目の問題として、この施設は結局その計算をする能力が足りません」
「完成したのではないのか」
「ええ完成はしました。ですが、その計算を処理する装置が結局完成しませんでした。万全に扱うためには、地球ほどの惑星が第三宇宙速度でぶつかる程度のエネルギーが必要だったそうです。想像もつきませんね」
「ふむ、ではおまえの言葉が全て真実だとして、ならばなぜこの場所を狙う?」
「そうそう、あなたは帝王と名乗っているそうですね。本物の王になりたいとは思いませんか? 私の見立てでは、あなたには人を率いる才がある。約束はできませんが、平らな世界になれば、躍進するチャンスが得られるかもしれませんよ?」
「何を言っているのだ……平らな世界とはどういう意味だ」
「文字通り、平らになった世界です。貴も卑もなく、富も貧もない。そういう世界です。今の世界で王になるには、貸与されるか簒奪するしかない……しかし、一度それらを全て流してしまえば、王として立つのは難しくないでしょう。あなたはここで、ほんの少し時間を潰していればいい」
「それが、貴様がこの場所を目指した理由か……何故、自分が王になるとは言わぬのだ?」
 三枝が現在にあまり執着した様子を見せないのは、取り戻したい過去があるからだとキリカは考えていた。しかし、過去すら興味を示さず、世界を壊すという意味の発言はするが、その後の世界にも興味が無いという。
「そんなに魅力的ですかねぇ、人の上に立つというものは、ふふふ、そのために多くの犠牲を払って、しがみ付いて、馬鹿みたいじゃないですか。手垢のついた王冠を奪いあうのを見るのもするのも、不愉快でたまらないんですよ。もう赤茶けて汚いだけじゃないですか、そんなものにどんな価値があるというんですか」
「……この人」
「わかっている。みなまで口にするな」
 目の前の男は、出会うずっと前から壊れていた。原因はわからないが、心のどこかの歯車が軋んでかみ合わなくなっていたのだろう。だが、壊れてなお性能は周囲の人間を圧倒していた。はたまた、壊れた為に他の部分が伸びたのかもしれない。
 目の前の問題を処理する能力において、三枝は有能だ。それゆえに、誰も心の故障に気付かなかったのだろう。歪みは歪みを作り出し、より大きく歪んでいく。彼が憎んでいるのは、人間という種ではなく、人間の浅ましさや汚さなのだ。そして、それを是正するためには、今ある地位や権力その他全てを一度消し去る必要があるという考えに達したのだろう。
 それは、子供の論理だ。正しいことが正しくあるべき、という考えだけでは世界は回らない事を、人は大人になるにつれて学んでいく。それは妥協でも諦めでもなく、事実でしかない。
「おまえの真意は理解できた。だが、そうしなければならないとしても、それを行うべきは神であり人ではない。帝王として、おまえの行動はここで阻止する……もっとも、例え神がそう判断しても俺は止めるがな」
「どうぞご自由に、止めれるものなら止めてみてください」
 二人は共に相手に向かって駆け出した。
 何てことはない、勝負は一撃で決する。
 あれだけの出血の中動き回り、そのうえ長々と口上を述べていた男に、精細さは残っていなかった。当然だ、ただの人間でしかないのだから。
「……キリカ、止血をしてやれ」
「はい」
 三枝にも壊れるきっかけはあっただろう。むしろ、それを我武者羅にでも改ざんしようとした方が、まだ心が救われたかもしれない。有能故か、それとも自身の心の歪みに気付いてすらいなかったか。
「お疲れ様っス……やっぱり、この人の親類が次々病没してたのは無関係じゃなかったっスね」
「かもしれんな。誰かに消されたか、自分で行ったのかはわからんが……だが、ここで考えるべきことではない。治療が済みしだい動けぬように縛り上げ、回収地点に戻るとしよう」



「やったか……?」
 柳玄 氷藍(りゅうげん・ひょうらん)は弓で貫いた防衛システムを怪訝そうに見つめる。
 少し様子を見て、完全に機能停止しているのを確認すると、後ろを振り返った。
「本当に、大丈夫なのか?」
 安徳天皇は苦しそうに息をしながら、壁にもたれかかっている。
「治療はしてるんだけど」
 茅野 菫(ちの・すみれ)は少し前から、ほぼずっと安徳天皇にヒールをかけ続けているが、一向に調子が戻らない。一度休憩を取って少し眠らせてから、持ち直したように見えたが無理をさせすぎているのだろう。
「自分の力量をわかっておくのが冒険者というものだが、しかしこれは少し言いすぎだろうな」
 崇徳院 顕仁(すとくいん・あきひと)の言葉にも、いつもの調子が出てないようだった。さすがに、弱りきっている様子の安徳天皇を弄るのに気が引けているのかもしれない。
「すまぬのぅ、あとほんの数秒休めば……」
「そういって、さっき倒れたじゃん」
「むぅ……」
「そうやって無理して、また入水するつもりかい?」
 前言撤回。顕仁はよりにもよって、よりにもよってな言葉を口にした。
「おい、いくらんでも―――」
 氷藍がさすがに言いすぎだ、と口にしようとしたのを安徳天皇が震えている手を前に出して、制止させる。
「よい……。元より、必要であるのならば、それも考えておった……じゃが、今は少しではあるが世に未練もある。そうそう無為な真似はせんよ」
「安徳天皇……」
「菫よ……妾はもういい。他に負傷した者もおろう。そちらの治療をしてやってはくれんか?」
「けど、どう見たって今は安徳天皇が一番重症よ」
「力を注いでもらっておるのはわかるが、どうも効果を感じられぬのじゃ……恐らく、その術法の対象でないのじゃろう」
 確かに、ヒールの効果が出ている手ごたえは無い。安徳天皇の場合は完全な疲労によるものだ。疲労の結果、ダメージを受けた部位は治療されるが、安徳天皇の疲労そのものを取り去ることはできていない。
「それに……お主の掛け声聞くと、力が抜けるのじゃ」
 意識しているのか無意識なのか、菫のヒールの掛け声にはやる気が感じられないものだった。
「……わかったよ」
 仕方無さそうに引き下がる菫に、すまぬな、とか細い声でいう。死にかけた声でそう言われるのは、結構辛いものがある。
「まだまだ着せたい服があるから、絶対に無理しないでよ」
「うむ」
 相変わらず返事だけはいい様子で、それが余計に不安を掻き立てる。
 囮のメンバーがよくやってくれたのか、敵にぶつかることもほとんど無くなった。彼女がこんな様子でなければ、もうとっくに目的地にたどり着いているはずだ。
「しかたないな、そこのキミ彼女を抱っこしてあげてくれ」
 ぽん、と顕仁が氷藍の肩を叩く。
「え、俺が?」
「そうだ。もう敵もだいぶへっただろう。一人ぐらい、戦えなくなっても問題ないだろう」
 囮や遊撃で、安徳天皇の護衛もだいぶ数が減ってしまっている。だが、敵もそれだけ減っている。安徳天皇に無理させるよりは、その方がいいのは確かだった。自分の足であるける、と騒ぎ立てる安徳天皇の意見は聞かないことにする。
「すーはー、すーはー」
「何故、突然深呼吸を?」
「いや、別に……」
「……不安だな、やはり別の奴に頼もう」
「いや、大丈夫だ。任せてくれ」
 ここで押し切ったのは正しい判断かわからないが、氷藍は安徳天皇を抱き上げると移動を再開した。持ち上げてみると、驚くほど軽い。
「自分の足で歩けると言うておるのに」
「いや、歩けて無かっただろ……ところで、友美先生とパートナー契約する気は無いのか?」
「……」
「あれだけ仲がいいんだから、てっきりしてるんじゃないかって思ってたけど」
「そう見えておったか?」
「たぶん、みんなそんな風に見てるんじゃないか」
「……きっと、勘違いじゃよ。妾は……勝手に影を被せておるだけじゃ。じゃから、友美は距離を取っておる。正しい、判断じゃ」
「そうは見えないけどな? 確かに、ちょっと不器用なとこが友美先生にはある気がするけどな。折角自由の身になれたんだ、もっと幸せに生きようと欲張っても良いんじゃないか?」
「まるで人が不幸であるように言うのだな……あそこから解き放たれて、それで十分妾は幸せじゃ。他に、望むものは無い」
 それが欲張ってないということになるのだが、あまり喋らせて空っぽの体力を余計に消耗させるのもどうかと考え、それ以上は何も言わない事にした。
 元気な時ならともかくこの話題は、今は水掛け論にしかならないだろう。