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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

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浪の下の宝剣~龍宮の章(後編)~

リアクション


16.時空因果律演算装置



 宝剣と共にたどり着いた場所は、ほんの少し静麻の想像を超えていた。
 龍宮は高度な技術の詰まった場所であったが、例えば端末やモニターなどは、全く違う技術とはいえ、その目的だったりを推測することは不可能ではなかった。自分たちの技術が進化していった先にあるもの、というイメージがなんとなしに出来上がっていた。
 そのイメージは、ここに来て覆される。
 地面も天井も壁もなく、自分の体のありかさえわからないのに、暗いわけではなく目は機能していた。映し出されているのは、明るい色の絵の具同士をゆっくりとかき回している時のようになぐにゃぐにゃとした世界だ。国民的アニメの、時間を移動する時の背景とでもいえば、イメージできるかもしれない。
 体の感覚も通常通りで、手には宝剣の感触があり、肌には自分の着ている服も認識できる。開いている手で自分の体を触ることもできる。ここに自分の体はあるのは間違いないが、視覚では確認できないだけだ。
 パニックを起こしかねない異常の中で、静麻は冷静だった。
 自分の置かれている状況をある程度理解できたら、次はどうやって自分の目的を果たすかだ。どうすれば、この装置を扱うことができるのだろうか。ためしに歩いてみたが、進んでいる感覚は無い。
【管理者情報の更新を行います。ただいま採取した情報を元に更新作業を行いますので、少々お待ちください】
 機械で合成されたような不自然な言葉がアナウンスされた。声は聞こえてきたのではなく、内側から響いてきたように感じた。間もなく、次のアナウンスが入る。
【管理者情報の更新が完了しました。………命令を確認しました、前回の演算結果から希望までの演算を開始します】
 声を発したりしなくてもこのシステムは考えを読み取って動くのだと理解した。手順などの問題は不安要素であったため、これならば問題も解消されたも同然だ。
 そう思った瞬間、激痛が襲った。
 痛みの種類もよくわからない。鈍くも鋭くもあり、衝撃的でもありじわじわとしたものでもあり、熱に当てられているようなしかし体温を奪われるような、痺れるような締め付けられるような、おおよそ考え付く痛みの概念とは違い、しかしありとあらゆるものでもある。
 どこが痛いのかも判断できない。いや、自分そのものが痛覚神経の塊になってその刺激を永遠を受け続けているような、そもそも痛みとは何だろうか。
 意識はまだ飛んでいないが、手放したい衝動に駆られていた。だが、それに対するよくわからない恐怖も感じる。いや、恐怖とはどういう概念であっただろうか。そもそも、ここに何をするために自分はやってきたのか。自分とは何でこことは何なのか。
 ただ視覚だけははっきりしていた。
 突如として暗黒となった世界に、数式が並ぶ。それが数式であるのは何故だか理解できた、壁も床も天井も無い世界は、瞬く間に多い尽くされていく。米粒よりも小さな文字でびっしりと、まるでこれが世界であるかの如く、どこか狂気を伴って、ただひたすらに数式だけが並ぶ。
 普段ならそれは、理解不能のものであり、雑音にも等しい価値も感じないものだ。だが、繋がっている静麻にはそれが理解できてしまう。世界を自分達の理で解き明かそうとした傲慢の結果が、莫大な情報として処理された始まりからその時までが、今確かに目の前に広がっているのだ。
 数式で表現されたもう一つの宇宙だ。限りなく純粋な要素のみで抽出された、もっともこの世界を美しく見るための手段。幾千の星の輝きと同じ価値のものが、手を加えられる形で広がっているのだ。ただの演算結果でしかないこの数式に、唯一宝剣だけが触れることができる。
 時間が無かった。
 もう間もなく、閃崎 静麻という個人はこの演算の為の使い捨て部品として消耗されてしまう。宇宙そのものといっていいこの情報は、人間の脳を焼き切って余りある。実際の時間の感覚と切り離されているため、実感できる時間の経過は宛てにはならないが、現実の世界では持って一秒も無いだろう。
 それまでに果たして、目的の時間まで演算が完了するだろうか。まだ数式が示しているのは、地球の誕生にすら届かない。あとどれだけ計算すれば、自らの魂を切り刻めば、たどり着けるのだろうか。たどり着くまで、持つかすらわからない。
 その時ふっと痛みが遠のいていった。痛みに迫られてなお覚醒していた意識が、その違和感を捕える。だが、痛みそのものは消えていったわけではなく、まだそこにある。ほんの少しだが、終わりから遠ざかったのだと理解した。



「まさか、こんなものに立ち会えるとはな」
 龍宮調査隊の一人として、あの人に優しくないパイルバンカーで龍宮に突入したエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)は、誰に言うでもなくそうこぼした。
 龍宮の動力源、潮満玉と潮涸玉は人の頭より少し大きいぐらいの球体で、それぞれ白と黒の色がついている。この部屋にたどり着いた時は、それぞれが台座に収まっていただけだったが、安徳天皇と小谷友美が中央に向かうと、まるでおいかけっこをするようにぐるぐると小さな円を描きながら回転しはじめた。
 回転する速度は、最初はゆったりとしていたが、今ではあまりにも早く回転しすぎて気を抜くと白と黒の楕円の物体のように見えてくる。
「あんなものが二つあるだけで、あれほどのシールドができるとはにわかに信じられなかったが……」
 二つの宝玉は、それぞれ別用途の力がある。単体では、その用途以外には利用できないが、二つを一定の距離に配置することで二つの力が反発する。そうすることで、エネルギーを取り出す事ができるのだという。
 普段はただ台座に置かれているだけでも、龍宮を運用するには事足りる。
 それだけ膨大な出力を持ち、そのうえでさらに出力をあげる方法が、安徳天皇の行っている宝玉の回転だ。安徳天皇は、ここで英霊として復活したためか、宝玉の影響を受けて二つの玉に干渉することができた。安徳天皇が宝剣を手放したのは、この作業を宝剣を利用せずとも可能だったからなのだろう。
 引き寄せる力と、押し返す力は、互いの距離が縮まるほど強くなる。それだけ、大きなエネルギーを取り出せるというわけだ。だが、既に龍宮は許容を越え始めているのか、その力の余波が光や衝撃となって漏れ出しはじめていた。
 それほどまでに高いエネルギーが作られながら、それでも龍宮の時空因果律演算装置には足りない。ほんの少し演算に干渉するだけでさえ、膨大なエネルギーを要求するのだ。世界を思い通りに組みかえるには、それこそ宇宙開闢にも匹敵するエネルギーを要求されるのだろう。
 確かにこれは、使いものにならないそものだ。いくら技術が発達しても、それほどまでのエネルギーを用意できるわけがない。実験すらままならないものを、利用できるわけがないのは自明の理だ。
「……ロリコンなどと影口を叩かれながらも、ついてきたかいがあったな」
 あと一つ欲を言えば、龍宮の演算がどのようなものなのか、少し見てみたくはあるがそこまでは不可能だろう。
 話によれば、足りない演算能力を管理者の肉体で代用するのだという。本当ならば、起動させるだけでも命の保障が無いということだ。



 計算が進んでいく。
 理由はわからないが、痛みが少し遠のいた事によってこの計算のおおまかな仕組みを理解する余裕ができた。これは、計算できる限界が決まっており、現在より一秒でもあとの演算結果は表示されない。
 そして、この演算に介入するには一定のルールがある。それは算数のルールと同じ至極単純なもので、=で表示された結果と同じものが表示されるようにしか介入できないという事だ。
 問題は、=が示している数値が何を示すのか理解できないという事だ。龍宮のシステムは疑問を持てば答えを示してくれるが、唯一その数字だけは変化しない。
『42』
 二桁の整数は初めから今に至るまで変化することなく、ずっと=の右側が自分の居場所だとでもいうように居座っている。最初から答えは出ていて、それまでの間なら自由に手を加えることができる―――そういう事なのだろうか。
 結局42に対する正確な理解を得ることなく、ついに演算が目的にまで達する。
 普段であれば、ただの数式にしか見えないだろう。それが、今は複雑な情景を伴った情報として理解できる。あとは、この数式に手を加えるだけだ。
 そこで、強烈な違和感に襲われた。
 結果が変わらないように演算に手を加えなければいけない―――それが、演算が進み続けて現在まで進んだ時になって別の意味を持って現れた。
 この数式にとって、人間一人の命は重要なものではない。だが、一人の存在をまるまる消滅させようとすると、計算結果は狂う。逆も同じで、死ぬ人間を生存させると計算結果は狂ってしまう。それを回避するには、辻褄が合うように人の生死を入れ替えなければいけない。
 静麻の悲願は、テロに巻き込まれてしまった幼馴染の魅音の運命を変える事だ。その運命を変えるには、同じ時に同じ場所に居た自分の命を代価に支払うのが、最も手っ取り早い。
 かつて彼女が自分を庇ったように、今の自分が運命に手を加える。覚悟ができないわけではない、運命を変えるとするのならばむしろ正統な対価だと言えるだろう。どうせ、ここで悩んでいる間にも自分の命は磨耗していく、ならばそれも悪くないかもしれない。
 だが―――そうなった結果待っているのは、同じ現在なのだ。
 仮に自分が死に、彼女が生きた世界を作ったとしよう。そうすると、彼女はいずれこの場所にたどり着く。そして、自分と同じ事をする。その結果、また自分はここにたどり着く。
 この装置で干渉した場合、誰にも自覚できないままに事実が切り替わってしまう。時間が逆行するわけでも、分岐するわけでもない。そのため、今この場で静麻が数式に手を加えれば、ここまでの道のりを魅音が同じ方法で同じ仲間と共にたどり着いた事になる。その結果は変わらない。現在までは、計算されてしまっているから。
 それまでの間に、魅音が気変わりをしてここに来ないという運命はこの装置で過去に干渉する限りはありえない。計算結果は決して変わらないという枷がある以上、そうなるべくしてなってしまう。
 もし、この装置に縛られない存在が静麻を観察している中で、最初の思惑通りに装置を利用していたとしたら、まるで信号機のように魅音と静麻が入れ替わるだろう。そして、次の瞬間静麻と魅音が入れ替わるのだ。
 誰かの事実を、誰かに代替わりさせることがこの装置の限界だ。
「ここまで来て……こんなもんを見せられて……諦めろって言うのか!」
 考えろ、考えろ、考えろ。
 自分をほとんど装置に利用されながら、それでも残っている部分を総動員して別の手段を考える。自分と入れ替えるから、自分と同じ道を辿ってしまうのだ。だから、もっと別の誰かをより早い段階で入れ替えてしまえば、魅音の死と交換できるはずだ。
「…………っ」
 その結果、魅音は助かる。助かるが、そうなった時自分の記憶から彼女は消えるだろう。そして、別の誰かが死ぬのだ。あの時と同じ場所で、同じように死ぬのだ。そして、その別の誰かのために自分はここに来ている事になる。
 何も変わらない、確かに世界の因果が変化するが、しかし何も変わらない。
 味わう痛みも形もそのままに、起り得る事実は変化せず、ただ運命を入れ替えることしかできない。せめて入れ替えた記憶が残れば救いも、覚悟も決まるかもしれないが、しかしここから離れれば、事実が入れ替わったことに気付く事はできない。
 因果律とは、今の状態は全て過去の原因に起因するという考え方だ。よって、時空因果律演算装置と名づけられたこの装置は、この装置が起動するに至った時点までの全ての因果を演算する。そのため、閃崎 静麻もしくはその代理人が、この装置を起動したという点の変更は不可能となる。
 ひどい裏切りだった。
 これは運命を救済するようなものではなく、運命というものがどこまで強く崩し難く、それでいて無慈悲なものであるかを知らしめるためのものだ。
 これでは、救われない。
 もっと大きく書き換え、そもそもの死の原因から自分と魅音を遠ざける。そうした結果、自分の運命を代替わりした誰かがここで、恐らく同じ事をするだろう。そして、自分はここに関わりもしないのだから、この知識は全て消えてしまう。
 なんのためにここまで来た。
 ここにあるのは傲慢だ。全ての因果を計算できると考えた傲慢と、それだけの力があれば因果すらも凌駕できると考えた傲慢。そして、自分の都合のために運命を捻じ曲げようと試みた傲慢だ。
 痛みが戻ってくる。もう悩む時間すら残されていない。



「刻限じゃな……もう、宝玉からは何も絞り出せぬ」
 安徳天皇は力なくその場に座り込んだ。傍らに居たが、結局何もしていなかった友美は慌ててその体を支える。
 二つの玉の追いかけっこは、ある時を堺にして次第にその速度を緩めていった。確かに膨大な力ではあったが、無限ではなかったのだ。もし仮に、これを地球とシャンバラの生活用の電力として用いたら、どれほどの間保てただろうか。
 恐ろしいのは、龍宮の同じだ。海京を滅ぼして余りあるエネルギーを、最後の一滴まで飲み干したのである。ここにあるという、時空因果律演算装置というものは、どれほどの大食漢なのだろうか。これでも、決して足りてはいないという。
「明りが……」
「大事無い」
 宝玉が完全に停止すると、龍宮はあっという間に暗闇に飲み込まれた。
 だが、すぐに今までよりは若干弱くはあるが、光が戻ってくる。非常用のバッテリーか何かが用意されているのだろう。この馬鹿げた動力源と違い、節約が必要となるもののようだ。
「静麻っ!」
 響いたのは、レイナの声だった。いつの間にか、うつ伏せに倒れた静麻の姿が中央にあった。レイナはそこへ向かい走り、それを見た安徳天皇は小さくため息をついた。
 少し薄暗くはあったが、彼の胸が上下に動いているのが確認できた。息はしている。
「…………もう少し、やさしく起こしてくれや」
 レイナに抱き起こされた静麻は、一人でも大丈夫だというように、肩を手の平で押して座り込む。
「望みは叶えられたか?」
 安徳天皇の問いに、静麻は「あー」と声を漏らしながら、わしゃわしゃと自分の頭をかいた。
 深い眠りの最中にたたき起こされたように、静麻の意識はまだぼんやりとしたもやで覆われていた。あのおびただしい程に並んだ数式は、今はただの数字としか思い返す事ができなくなっている。まるで、夢のように全てが不確かだ。
「酷い悪夢に、うなされた気分だ」
「そういう割りに、以前会った時のような思いつめた顔ではなくなってるのう」
「……やろうと思えば、手はあったんだがな」
 少し複雑な方法ではあったが、静麻には一つだけ目的を達する手段があった。適当な人間を生贄にささげ、そのうえで自分がここに来るように手を加える。そうすれば、見知らぬ誰かは死ぬが、幼馴染の死は回避され、なおかつこの運命を操作されないようにする事ができる。
 限られた時間の中で行うには危険の多いものではあったが、不可能ではなかった。
 だが、結局行うことはせず、静麻は自分から接続を切った。
「そうすると、俺を庇ってくれた魅音はどこにいっちまうんだろうかって考えたら、何もできなかった。理屈ではわかってる、俺の記憶からも現実からも、そんなものは無かった事になるんだってな……消えちまうんだよな」
 それは記憶に残っている彼女を殺すことになるのかもしれない。自分にとって嫌な思い出だったから、無くして消してしまえば、結果として生きた彼女が残るとしても、それはきっと別物なのだ。
 殺した自覚が自分に残らないとわかっていても、彼女の行為を全て否定することなんて、できるわけがなかったのだ。
「……なぁ、なんで魅音は俺を庇ったのかのかな?」
「……妾は魅音とやらは知らぬ。故に妾に言えるのは一つだけじゃ。お主の事が、大事だったために守ろうとしたのじゃ。そして、お主も同じだけその者が大事であったから、守りたいと思ったのであろう」
 自分が結局何もしなかった事が、守ったことになるのだろうか。
 よりよい未来を作るために、全てを消し去った方が結果として幸福だったかもしれない。
 だけど、守るという言葉は、今の静麻にはとても心地よかった。
 逃げているのかもしれない。これからも思い悩み続けるのかもしれない。でも今だけは、守ったのだと考えよう。
 閃崎 静麻は魅音を守る事ができたのだと―――。