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リアクション
●破壊される檻
ティア・フリスの額には玉のような汗が浮かんでいた。
とても苦しそうだった。
「ティアさん、さっきから何度も言っているように、この結界は体力や精神力まで干渉しているんです。少しは休息を……!」
リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)が氷でできた檻のあちこちを飛び回り、補強をしているティアに向かって言った。
「……しかし、わたしが今この手を休めればすぐさま破られるぞ。薄々は感付いているよ」
けど――と氷結の術式を繰り出しながら、
「折角のこの人数。早々にカタをつけるには万全とは行かずとも、休息が必要なんだよ」
「ですが……」
「大丈夫だから、リュー、キミも休息を取ってくれ。バカなのは何もわたしだけではないようだからな!」
怪我人の治療に回っていたルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)が、応急手当を終えたようで、ひび割れ始めている氷の補強へと向かってきていた。
「なあに、もしこれが崩れたとしても、あんたらならやれるって信じてるさ。だから少しでも休息と、この結界が壊れるまでの時間稼ぎの方法を考えな」
とんっと軽くリュースの胸を押した。
「……わかりました」
諦めたようにリュースは引き下がっていく。
「頼んだよ」
ニッと場違いな笑みを浮かべて、ティアはまた術式を展開する。
「俺も手伝おう」
動けるところまで回復した、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)がティアの傍らに立っていう。
「魔法は余り好きではないが……やらないよりはマシだろう」
「はは、無理するなよデカイの」
目前に展開される氷結の術式に力を込める。
「三方から、ばらばらにやりますよ!」
ルシェンが言って、エヴァルトが、
「了解した」
短く答え、三方から【氷術】が放たれる。
氷の檻がまた一段と分厚くなる。
これで大丈夫。
3人がそう思ったとき。
――炎が瞬いた。
それからはあっという間だった。
氷が煌き、ガラガラと音を立てる。夜の帳が近づいている茜色の空に乱反射をして。
「……はは、あははは! そんな軟弱な術で、このボクを閉じ込めたつもりか!? 引き篭もりの氷精ぇ!!」
「お前たちは一旦引け。わたしが限界までひきつける!」
ティアが声を上げ、エヴァルトとルシェンは頷いて離れた。
「全く、お前はとことんボク目的の邪魔をする」
「わたしの氷をもらえなかったことをまだ恨んでいるのか……」
「そうだよ! お前はボクの願いをつまらないと言って、一蹴しただろうが!」
「死体の鮮度を保つための氷なんて、渡せるわけが無かろう」
「姉さんの体にもう一度命を吹き込んで、一緒にすごすボクの思いを踏みにじって……」
吐き捨てるように言うミルファに取り憑いている怨念に、ティアはやれやれと肩を竦めて、
「死者を冒涜するものではない。同意の上ならばまだしも……お前のはただの執着だ」
怨念は、眉間に皺をよせ剣を振るった。
「煩い。黙れ!」
振るった剣は、ティアの前に出現した氷の盾によって防がれる。
「ティアさん!」
そこへ割ってはいる博季・アシュリング(ひろき・あしゅりんぐ)。
「遅くなってすみません」
「全く君も逃げればいいものを」
自重のような笑みを浮かべてティアは一度、その場から距離を取った。
「博季! ちょっとこっちに!」
「作戦会議か? まあ、それくらいの猶予は与えてあげるよ」
「その余裕、仇にならなければいいがな」
くすりと笑むと博季とティアはミルファから距離を取る。
「どうして逃げなかった!」
「逃げられるわけないでしょ! アイツは、僕の真なる敵だ……剣を破壊しないと――」
叱咤に対する反論。それから漏れる溜息。
「そうだ、ティアさん。あの剣だけを凍らせる事は可能ですか?」
唐突な博季の提案に、ティアは目を丸くする。
「……出来なくはないが、あのときに見せた凍結方はわたしの住処に幾重もの陣を引いて駆動しているものだぞ。時間が要る」
「その時間は僕が稼ぎます。金属疲労であの剣を砕けないか試してみたいんです」
「わかった……だが、危なくなったらすぐさま逃げろよ。君たち契約者の命は一つだ。精霊のわたしみたいに何度もそう簡単に復活できるものではないからな」
作戦というには拙い奇策でもって、応戦しようと二人は画策する。
そして、散開。博季が前に出て、ティアが後ろに下がる。
「我統べしは、凍て尽きし大気――」
無防備に体をさらけ出して、ティアは術式の詠唱にはいる。
「作戦はまとまったかい?」
「ああ、今ここでお前の剣を折る。君と同じ想いをする人を出さないことだけは、誓うよ」
「言ってくれる」
ボロボロの体で、まだ完全に回復しきっていない体だが、それでも博季は剣を構える。
ゆらりと揺れ動くせいで行動がつかめない。けれど初動からの行動を予測するくらいは出来る。
「編みしは氷結の術式」
後ろから聞こえる詠唱を耳にして、今は全力でティアを守ることだけを考える。
「さあ、来い。関係ない人まで巻き込んで『尽力した』なんていうそんな思い、誰も望んじゃあいないんだよ!!」
言葉に魂を乗せて、ミルファの気を引く。
注目を全て博季に。
剣の破壊は自身が行うと思わせる。
けれども、今自分から攻め込めるほど体力があるわけではない。
「もたらすは、永遠」
ティアの術式は恐ろしい速度で辺りを侵食する。
身震いしてしまうくらいの冷気が当たり一面にあふれ出し、自然と歯がカタカタとなる。
息がほの白く染まる。それは相手も一緒だった。笑ってはいても、息が白くなっている。
そのとき、ミルファが動く。
大きく一歩。沈むように前でて、飛び跳ねた。
右から逆袈裟に切り上げられる一撃を払って受け流す。ギギギと鉄の削れる嫌な音が耳を撫でるが、次に訪れたのは小さく発生した火花が大きく膨れ上がる現象だった。
「――アインスフィア」
ミルファの一節の詠唱で完成する強大な【火術】を博季は見た。
「飲み込め、全てを。停止させろ、全てを」
しかし、更に膨れ上がる冷気を前に、炎は掻き消える。
「厄介だなあ……」
詠唱が進むごとに辺りは白く染まり、冬景色をいとも容易く作り上げていく。
博季も応戦し、攻勢へと出てくるミルファを最小限の動きで避ける。
「つぅ……」
それでも避けきれないいくつかの斬撃をその身に受けてしまう。
「止まれ命の輪――」
詠唱がそこで一旦止まる。
「――博季その場から左に五歩だ!」
「え、わ、わかった!」
唐突なティアの声に、遅れながらも博季は左へ五歩、ミルファを牽制しながら動くとすぐさま冷気が吹き荒れる。
「来い――“古代の氷結術式【フォルティ・フロス】”!!」
ミルファの周囲を包む、雪と氷と冷気。熱を奪う全てが殺到する。
それはミルファの持つ剣をみるみると凍結させ使い物にさせなくしていた。
しかし、くすくすと笑うミルファの声によって、緊張の糸を切らすことは出来なかった。
「ああ、こういうことか……」
何か得心がいった様子で、
「我請いしは、燃ゆる太陽。編みしは炎熱の術式。もたらすは、久遠。吐き出せ、全てを。動け、全てよ。廻れ運命の輪。飛ばせ“古代の炎熱術式【フォルティ・フィア】”」
それは、全てを溶かす炎熱の術式だった。
辺りの白が、溶けて水に変わる。土にしみこみ、ぐっしょりと辺りを濡らした。
「ボクの本分は魔法。剣は体力づくりのために振っていたに過ぎないよ。この結界だって要を作るのに協力してもらっただけで、結界自体はボク一人で作り出したんだよ? だから、術式の解析なんて簡単なのさ!」
「嘘、だろ……?」
博季が唖然としている。それでもすぐさま気を取り直し本来の目的――金属疲労を起こさせて剣を折る作戦を敢行する。
自身の持つ[守護剣『星々の見守りし願い』]に光を集め、体勢を低く保つ。
居合いの構えに近いそれ。目を閉じ一撃必殺の機を待つ。
ぐちゃりぐちゃりとぬかるんだ地面を踏む音を耳にし、残り一歩のところで瞳を開き――
「そこだッ!」
流星と見まごう如き速度から繰り出される【ライトブリンガー】がミルファの持つ剣を捉える。
ギンッと刃同士が触れ合うと、ミルファの剣が刃こぼれをした。
受けたミルファの顔色がみるみると変わる。
怒りに湯立ち、ごうっと【爆炎波】の炎が瞬時に剣を覆うと、
「何しやがるんだ、てめぇ!!」
大声で怒鳴り、気迫のまま博季は押し返され吹き飛ばされた。
太い幹に体を打ちつける。
(クソッ……動けよ……這い蹲ってでも理想は貫かないと……いけないんだ)
薄れ行く思考の中むなしく博季は今度こそ完全に意識を失った。
そして、ミルファはへたり込んでいるティアのところまで来ると。
「これが、作戦か?」
静かに言った。
「ああ、そうだ」
ティアも短く答える。
物言わず振るうミルファの刃を、何とか生成した氷の盾で受け止める。
しかし、ミルファの刀身に炎が宿りそれを溶かして、横一文字にティアの体を斬った。
「ぐっ……くぅ……やはり斬られるのは痛いな」
痛みに顔を顰めるが、死ぬほどではなかった。
「しかし……存在概念が揺らぐほどにダメージを受ければわからんな……」
精霊が死ぬことはないが、ティアは精神力も尽き体力も尽きている状態で、これ以上の攻撃を貰えばどうなるかということを危惧していた。
「何をごちゃごちゃ言ってる! お前を殺して、敵を全員倒して、村を滅ぼして、ボクの理論が正しかったことを“証明”するんだ!!」
「やれやれ……」
ため息をついてティアは道を譲った。
そもそも戦闘があまり得意ではない彼女は足止め程度の力しか発揮できない。この大掛かりな術式展開だって博季がいたからこそできたことだった。
「行って、証明できるものなら証明しろ。お前が考えてるほど“契約者”というものは弱くないぞ。だが、そやつの命だけは奪うなよ。わたしの友だ。お前のその命奪わなかった過去のわたしに免じてな」
息も絶え絶えにティアは言う。
ミルファはそれを一瞥しただけで何も言わずにその場から去っていった。
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