イルミンスール魔法学校へ

シャンバラ教導団

校長室

百合園女学院へ

ヘッドマッシャー

リアクション公開中!

ヘッドマッシャー

リアクション


【三 ロックンロールな面々】

 シャンバラ大荒野南部地方の、とある岩群地帯。
 その一角に、リブロ・グランチェスター(りぶろ・ぐらんちぇすたー)は天幕を張り巡らせ、設置したテーブルと椅子を前にして、じっと何かを待っている様子だった。
 テーブル上には上質の紅茶を淹れたティーセットが並んでおり、これから誰かをもてなそうという意図が垣間見える。
 それから程無くして、周囲にバイクのエンジン音が鳴り響いた。
 だが、リブロは若干不審げな表情で小首を傾げる。バイクは、どうやら単騎では無さそうであった。
 更に数分後、手近の岩の向こうから、パートナーのアルビダ・シルフィング(あるびだ・しるふぃんぐ)が幾分、困ったような表情をのっそり覗かせ来た。
「よう、リブロ、連れてきたぜ……ただ、ちょっと想定外な奴も一緒でな」
 アルビダがそういうや否や、その背後から姿を現したのは、目的の人物――即ち、ジェニー・ザ・ビッチことジェニファー・デュベールの妖艶な美貌だったが、彼女に同伴するもうひとつの大きな影が、無遠慮にリブロの顔をじろじろと眺めてきている。
 リブロはここに来る前に、頭の中に叩き込んでいた複数の顔のうちのひとつを、自身の脳裏に浮かべる。
 アヤトラ・ロックンロールの幹部のひとり、トゥーエッジャーであった。
「呼んだのは、ジェニファー・デュベールひとりだけの筈だが」
「そいつぁ、てめぇの理屈だ。こっちはこっちの理屈で動く。つべこべ抜かすんなら、交渉ごっこは無しだ」
 事前に仕入れていた情報では、トゥーエッジャーの戦闘能力は、少なくともリブロとアルビダふたりだけで対抗出来る程のものではないらしい。
 ここでことを構えてしまえば、全てに於いて不利になるのは自分達だ――リブロは仕方なく、トゥーエッジャーの同席を呑むことにした。
「まぁ、構わん。それより立ったままでは何だ。この辺では決して手に入らない紅茶を馳走しよう」
 リブロに勧められて、トゥーエッジャーとジェニファーはそれぞれ椅子に腰を下ろした。
 アルビダがティーポットを手に取り、それぞれのティーカップに紅茶を注いでゆくと、荒涼たる岩場の間に不釣り合いな程の香気が、辺りに充満した。
「……で、交渉ってのは何だ? 俺達の知る限り、正式な交渉申し入れがあったのは、レオンって野郎が率いている交渉部隊だけの筈だが」
「あちらとは、別だ。私は個人的に貴様らと話がしたい」
 いってからリブロは、自身の用件を切り出した。
 最初は黙って聞いていたトゥーエッジャーだが、五分としないうちに仏頂面をぶら下げて、いきなり席を立ってしまった。
「……全く話にならねぇ。教導団ってのはネゴシエーター教育もろくに出来ねぇのか」
 トゥーエッジャーに倣って、ジェニファーも席を立っていた。その美貌は、いささか表情が硬い。
 対するリブロは、交渉が決裂の方向へ進んでいる事実を直感的に悟った。
 一体、何が拙かったのか。
「良いか、交渉ってのは、ギブアンドテイクだ。お互い何かを持ち寄って、それが相手の要求に適うかどうかを見極めながら進めるもんだ。しかしてめぇは何だ? ただこっちに要求ふっかけるばかりで、何も差し出そうとはしてねぇじゃねぇか。そんなもんは交渉でも何でもねぇ」
「こっちが差し出すものは……粛清の取りやめだ」
 リブロのそのひと言に、一瞬意味が分からないといった様子で呆けた顔を見せていたトゥーエッジャーだが、しかし直後には、まるで馬鹿にするかのような調子で、大きな笑いを放っていた。
「何も知らねぇ奴ってのは、本当におめでてぇな。粛清だと? 本気で出来ると思ってんのか? だったら、余程の情弱だな」
 散々ないいようである。
 リブロは、はらわたが煮えくり返る思いだったが、ここは耐えた。
 個人的な戦闘能力はもとより、トゥーエッジャーの口ぶりから、教導団がアヤトラ・ロックンロールに手出し出来ない何らかの理由があるように思えて、ならなかったのである。
 トゥーエッジャーはジェニファーを従えて、天幕を出て行った。
 リブロはむっつりとした表情のまま、ふたりが去っていった方向をじっと凝視している。
「……なぁ、どうする?」
 アルビダの問いかけに対しても、リブロは沈黙を続けた。
(奴らは……ただの野盗団ではないのか?)
 リブロは、何度も自問していた。
 だが、情報が余りにも少な過ぎる現状では、答えなど出よう筈もなかった。

 リブロの天幕を出て、トゥーエッジャーがハンドルを握る武装バイクのタンデムシートに跨りながら、革製ビキニとテンガロンハット姿の美女は幾分不安げな声を漏らした。
「……あんなので、良かったのかな?」
「あぁ、上出来だ。下手に喋られるより、よっぽど良い」
 トゥーエッジャーが機嫌良く応じた相手は、テンガロンハットの下で、僅かに安堵の表情を浮かべた。その顔は、ジェニファーをよく知る者が見れば、彼女がジェニファーではなく全くの別人であることを、即座に見抜いたであろう。
 灼熱の太陽の下で、白い柔肌を惜しげもなく晒しているのは――ジェニファーではなく、彼女の影武者としてアヤトラ・ロックンロールに身を委ねていた九条 ジェライザ・ローズ(くじょう・じぇらいざろーず)であった。
 ジェライザ・ローズにとって意外だったのは、アヤトラ・ロックンロールの面々が、彼女の申し出をすんなり受け入れたことであった。
 しかしトゥーエッジャーの言葉を借りれば、
「てめぇの命を懸けてまで俺達の仲間を守ってやろうっていう心意気には、礼儀をもって応じねぇとな」
 ということらしい。
 ジェライザ・ローズは、自身がヘッドマッシャーの脅威に晒される覚悟を決めた上で、ジェニファーの影武者役を買って出た。
 デーモンガス以下、アヤトラ・ロックンロールの幹部達は揃って感心し、同時に感謝の念を素直に表して、ジェライザ・ローズを歓迎してくれたのだ。
 ジェライザ・ローズの肩には大きな傷跡があり、これを隠す為のカモフラージュメイクに随分と苦労したが、それもジェニファーをはじめとするアヤトラ・ロックンロールのメンバーが、一緒になって頑張ってくれたという経緯があった。
 一度懐に入ってしまえば、これほど親密に接してくれるものなのか。
 ジェライザ・ローズは驚きと同時に、ひどく新鮮な気分で今の立場を半ば楽しんでいる。
「それにしても……ヘッドマッシャーって奴は、この変装で騙せそうかな?」
「さぁな。こればっかりは、実際に奴と遭遇してみねぇと、何ともいえねぇ。まぁしかし、その前にまず、教導団の交渉部隊だな。連中に見抜かれなけりゃ、一次試験は合格ってところだ」
 トゥーエッジャーの妙ないい廻しに、ジェライザ・ローズはタンデムシートでつい、苦笑を漏らした。
 かつて医学生だった頃、試験に次ぐ試験の毎日であり、やっと教えられる側から教える側に立場を移したのだが、今になってまた試験を受けさせられるというのも、何となくおかしな話であった。
 トゥーエッジャーが運転する機晶バイクは、黄色い砂塵を巻き上げて荒野を進む。
 しばらくして、前方に古代遺跡群の影が見え始めてきた。
 あれが、アヤトラ・ロックンロールの主拠点である。
 他にも幾つかの隠れ家は存在するが、特に大きな問題が無い限り、大抵のメンバーはこの古代遺跡群に身を寄せて日々の生活を送り、時折獲物と思しき集団が縄張り内に踏み込む姿勢を見せれば、ここから大挙して襲撃に向かう、というのが彼らの日常であった。
 それにしても、とジェライザ・ローズは妙な感慨を覚えた。
 つい先々月まで、彼女達はオブジェクティブと呼ばれる怪物達と、熾烈な戦いを演じてきていたのだが、そのオブジェクティブの能力を、今はこのアヤトラ・ロックンロールの幹部達が吸収し、そっくりそのまま継承してしまっている。
 かつて強敵として君臨していた存在の力を、現時点での味方とはいえ、行動を共にする者が身につけているというのは何とも不思議な話である。
「おや……あれは、ジェニファーさん?」
 古代遺跡群から少し出たところに、白衣姿の女性が数名の荒くれ共を従えて、強い陽射しの下で幾分手持無沙汰気味に佇んでいる。
 ジェライザ・ローズがジェニファーの影武者になるのと同時に、自らは逆にジェライザ・ローズの服装を真似て身につけているジェニファー当人であった。
 機晶バイクが白衣姿の前で停止すると、トゥーエッジャーが強面の髭面に呆れた表情を浮かべた。
「おいおい、何だ、その格好は……」
「何って、今だけは私、九条先生ですのよ? それにしても、白衣を着るのは本当に久々ですわ。昔を思い出します」
 ジェニファーの言葉に、革製ビキニ姿のジェライザ・ローズは敏感に反応した。
「久々って……もしかしてジェニファーさんも、医者だったんですか?」
「いえ、白衣は着てましたけど、医者ではありませんでした……まぁ正直にいいますと、天学の超能力研究機関に居たってだけの話なんですけど」
 全くもって、予想外の返答だった。
 一体このアヤトラ・ロックンロールに身を寄せている者達というのは、どういう出自で、そしてどのような経緯で、入団してきたのであろう。

 アヤトラ・ロックンロールの主拠点たる古代遺跡群に、教導団の交渉部隊が到着したのは、その日の正午前であった。
 数十台という大規模なハンヴィーの車列が、古代遺跡群から南方およそ百メートル程の位置に停車すると、レオン率いる交渉部隊が対ヘッドマッシャー戦部隊を一部引き連れて、古代遺跡群前へと歩を進める。
 対するアヤトラ・ロックンロール側は、筋肉の塊のような巨躯を陽光のもとに晒し、鋼鉄製のマスクで首から上をすっぽりと覆っている異形の怪人デーモンガスが、大勢の部下を率いてレオン達と対峙する位置に布陣している。
 交渉の席は、この両軍の間に設けられた臨時の会議スペースで進められようということになっており、実際、交渉部隊とアヤトラ・ロックンロール双方の丁度中間付近に、古びた長机と粗末な木椅子が、相当な数に亘って焼けるような大地の上に直接、据え付けられている。
 レオン達がその会議スペースへと直接足を向けると、デーモンガス率いる一団も同時に動き、その会議スペースに近付き始めた。
 数分後、交渉団とアヤトラ・ロックンロールの双方が、会議スペースに設けられた席に陣取り、長机を挟んで向かい合う形を取った。
「交渉に応じる場を設けて頂き、大変感謝している」
 開口一番、レオンが交渉部隊を代表して謝辞を述べると、デーモンガスは鋼鉄製のマスクを僅かに頷かせる形で、レオンの挨拶に応じた。
「そちらの用件は既に、事前に送られてきた文書にて確認している。よって、これまでの経緯に関しては説明は不要である」
 鋼鉄製のマスクの内側から、デーモンガスのやや息苦しそうなダミ声が漏れ出てきた。若干聞き取り辛い部分はあるものの、基本的には大きな声ではっきり発音している為、話の大意を読み取る分には問題無い。
 その時、レオンの隣に席を取っていたルース・マキャフリー(るーす・まきゃふりー)が交渉に先立って、とひと言断りを入れてから、腰を浮かして自身の後方に居並ぶ面々を紹介した。
「教導団のマキャフリー大尉です。彼らは、そちらのジェニファーさんを守る為に、こちらで勝手に組織した護衛部隊でしてね……この交渉の間にも、敵が襲ってくる可能性はある。そこで交渉の経過や結論云々は抜きにして、彼らをジェニファーさん防衛ラインへと就かせて頂きたい。宜しいでしょうか?」
 ルースの申し出に、デーモンガスは再び鋼鉄製マスクを僅かに傾け、応の意を表した。
 相手の意思を確認したルースは、即座に後方に居並ぶ人員に指示を出し、同じ長机のアヤトラ・ロックンロール側に座している革製ビキニ姿の美女の周囲を固めるように、防衛ラインを構築した。
 テンガロンハットを背後から見下ろす位置に立ったエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は、一瞬だけ、妙な既視感を覚えて内心小首を捻った。
(はて……この雰囲気、以前どこかでお会いしたような……?)
 出来れば、この交渉が終わった後ぐらいに時間を設け、直接ジェニファーに色々と詫びの言葉を投げかけたいエースではあったが、しかしジェニファー本人は、あまりこちらに対して顔を向けようとはしない。
 その、どこか不自然な程に顔を見せたがらない様子に、メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)も不審の念を抱いていた。
(……聞いていた話とは、少し様子が違うね。もっとこう、大胆に笑顔を振りまく性格のように思っていたのだけど)
(そう、だね。こっちを警戒しているのかな?)
 メシエに小声で問いかけられたものの、エースとてよく分かっていない。
 よもや、この革製ビキニ女性がジェライザ・ローズであろうなどとは露とも思っておらず、ただただ、聞いていた性格や挙動とは一致しないという疑問が募るばかりであった。
 そしてどういう訳か、革製ビキニの白い柔肌の隣で、トゥーエッジャーがにやにやと笑っている。
 この時点ではエースもメシエも、その笑みの理由が全く理解出来なかった。
 ともあれ、交渉開始である。
 教導団の立場としてみれば、まず最終目標はパニッシュ・コープスの殲滅である。そしてその為には、デバイス・キーマンであるジェニファーが必要であり、そのジェニファーを抹殺すべくヘッドマッシャーが動き出していることが喫緊の課題として浮上している。
 しかしアヤトラ・ロックンロールは、そもそも教導団がパニッシュ・コープスへの攻撃を企図しなければデバイス・キーマンなど不要であり、ジェニファーが狙われる理由もなくなるのではないか、という点を最初に指摘してきた。
 つまり、ジェニファーの命が狙われる原因を作ったのも教導団の勝手な都合であり、ジェニファーの命を守ることを誠意として持ち出しても、それはアヤトラ・ロックンロールの視点からいえば当然の義務であるとして、誠意などとは認めず、完全に突っ撥ねてきているのである。
(やっぱり、アヤトラ・ロックンロール側にしてみれば、そういう論理になるよね……)
 この予想通りの論理展開に、エースは内心、溜息をついた。
 これは中々に、難航しそうな話である。