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リアクション
天には月、街には灯り、山には雪。
「っくしっ! ……思ったより寒いなぁ……」
皆川 陽(みなかわ・よう)はひと言呟いて山の麓を見下ろした。視界一面の雪景色。その隣で温泉旅行に瞳を輝かせるのは、パートナーのユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)。
「――だから温泉なんじゃないか、ゆっくりあったまろうよ」
日頃は事件に冒険にと忙しいコントラクターにも、日常生活というものがある。ともすれば命を賭けるような冒険の幕間にはこんな休息も必要なのだ。
これは、そんな日々の合間を埋める、ちょっとした暇ごと。
『春もうららの閑話休題』
第1章
「大丈夫か?」
陽の後ろからテディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)が声を掛ける。対して陽は振り向きもせずに応えた。
「――大丈夫だよ。防寒着ぐらい自分で持ってきてるから」
荷物の中から薄手の外套を出して羽織る。テディはというと、そっとかけてやろうとした外套を所在無げに自分の肩に掛け直した。
「……うん、そっか」
どことなく気の抜けた返事しかできないテディ。
「それは自分で使ってよ。テディに風邪でも引かれたらボクのせいみたいじゃないか」
振り返った陽は軽く笑みを投げかけ、テディを促す。
「ほら、早く行こう」
外套を羽織ってもまだ少し寒いのか、陽は旅館風にライトアップされたツァンダ付近の山 カメリア(つぁんだふきんのやま・かめりあ)の神社へと足を速めた。
テディもすぐにその後を追う。陽が足元の雪で足を滑らせないか、一応注意しながら。
「うんん、行こう!! ってちょっと待ってくれよー!」
そんな二人から少し離れて歩きながら、ユウは周囲を見渡した。
「……来てる人、結構いるんだなぁ。まぁ無理もないかな、季節はずれの雪の露天風呂……しかもこんな自然の山の中で旅館つき、しかも無料とくれば……」
自然、二人を追う足取りも軽くなろうというもの。ふわりとスカートを翻して、ユウは雑踏の中に消えていった。
「ふっふーん♪ 露天風呂なんてボクも久しぶりだなぁ……」
☆
「……いや、これはなかなか……」
その温泉の中のひとつ、混浴風呂をいち早く楽しんでいるのは涼介・フォレスト(りょうすけ・ふぉれすと)だ。湯船にお盆を浮かべてまずは麦酒などをひっかけながら、かまくらの空いた天井を見上げると、夜空にはぽっかりと満月。
「この辺の山で温泉が湧いたと噂になっていたから来てみたが、カメリアさんの山だったとは……急ごしらえと聞いて正直、期待はしてなかったんだが……いや、思った以上だった」
手ぬぐいで顔の汗を拭き、頭に乗せるとほんのりとした温かさが心地いい。
「やっぱり温泉は気持ちいいですわね、お父様」
そんな涼介に未来人の娘であるミリィ・フォレスト(みりぃ・ふぉれすと)が笑顔で語りかける。
実際のところ山の温泉は盛況であり、ここ混浴風呂にも多数の客がいた。それに他にも男湯と女湯、頼めば家族風呂まで作ってくれるというのだから、この人の入りも納得だった。
「そうだね……そのうち入湯料を取るとか言いそうだな……カメリアさんのことだから」
すっとひと口酒を運ぶと、抜けてるようなしっかり者のような、黒髪の少女の顔が浮かぶ。彼女が過去に引き起こしたり巻き込まれたりした騒動もまた脳裏に浮かび、自然に顔がほころんでいく。
「カメリアさん? どんな方ですの?」
涼介に酒を注いであげながら、ミリィは訊ねた。
「ああ、ミリィはまだ会ったことがなかったね。あとで紹介するよ」
「ええ、お願いしますわお父様。こんな素敵なところを提供してくださるのですもの、ぜひお礼を言わなくては」
ぽんぽんと娘の頭を撫でて、涼介はまた夜空を見上げた。
「ああ――それにしてもいい気持ちだ。忙しくしていると自分が疲れていることも忘れがちだから、こういうのは有難いな――」
「――そうですわ、お父様ったらいっつもお仕事で忙しくて……たまには休んで下さらないと」
「はは、そうだね。こうして娘と温泉旅行に来られるくらいには、時間を作りたいものだよ」
医者の不養生、というわけではなかろうが、仕事に冒険に、誰かのためにと気を張っていると、ついつい可能な限り働いてしまうのが人間というものだ。その時はそれでいいが、それだけでは徐々に疲労が溜まっていく。
その言葉に、ミリィは大袈裟に頷いた。
「ええ、そうして下さいな。
わたくしもこうして色んな方々と温泉に入るのも楽しいですし……それに、隣にはわたくしの大好きなお父様もいますからね」
涼介はふと考えた。目の前のこの娘のことだ。彼女は確かに自分や妻を慕ってくれている。末は自分たちと同じ様な道を歩みたいとも言ってくれている。それは素直に嬉しいことだ。だが、今まで歩んできた道がとても平坦なものでなかったことも自分はよく知っている。自分の子に辛い思いをさせたくないと思うことは誰しも当然のこと、しかし、困難な道を歩んできたことで大きく成長できた自分がいることもまた事実。
それならば、せめて。
「……そうだね。今日はゆっくり休んで、楽しんで……」
ふわっと、湯気が視界を塞いだ気がした。
「お父様……?」
「いっぱい、思い出……」
作ろうか、と呟いた涼介の声が、湯気の中に消えた。
☆
そんな混浴の入口は、常に人の出入りでごった返している。
その番台に座っているのはグロリアーナ・ライザ・ブーリン・テューダー(ぐろりあーならいざ・ぶーりんてゅーだー)である。
「今宵、料金は取らぬと山の主の心遣い、存分に受けられるが良い」
ただ座るだけではつまらぬと、何故か番台を立派な王座に改造してしまっていた。
ウィンターに命じて雪と氷で玉座を作り、その上から毛布や絨毯など掛ければ、もうそこは謁見の間だ。
「あれ……こっちは混浴か?」
そこに、ハイコド・ジーバルス(はいこど・じーばるす)がひょっこり顔を出した。
威厳を持って客を迎えるグロリアーナ。
「来たか。たまには温泉で骨休めも肝要。存分に、心ゆくまで入って行くといい」
「……あ、いや。やっぱ別なとこにするわ」
謎の謁見室に面食らって踵を返すハイコド。その後ろにはニーナ・ジーバルス(にーな・じーばるす)の姿がある。
「ね……ねぇハコくん。ここだと人が多くて落ち着かないし……もうちょっと、その、小さいとこにしない……?」
つい、とハイコドの手を取って浴場を去るニーナ。
二人の背中を見送って、グロリアーナは大仰に頷いた。
「うむ、楽しみ方は人それぞれ……強制はせぬ。マナーを守って入るのだぞ」
ニーナに手を引かれるまま、ハイコドは歩く。
「……しかしまさかなぁ、里の近くにこんな温泉ができるとは思わなかったよ」
外を歩くと遠くに街灯りが見える。そのさらに東側に目を移すと、そちらはハイコドとニーナの集落がある方向だ。
「……そ、ソラも、急に風邪なんか引いちゃって……一緒に来られたら良かったのにね」
たどたどしく言葉を繋ぐニーナ。
「……いや……」
ありゃあ仮病だろ。と、ハイコドは思ったが言わなかった。
「……そう……だな……」
温泉の噂を聞きつけたソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)が自分の夫であるハイコドと姉であるニーナを誘ったのは、ある意味自然なことだった。
だがその当日の朝、明らかな仮病でソランは二人だけを温泉に送り出した。
「ゲホゲホ。いやー、うっかり風邪ヒイチャッタミタイダワー。残念だけど温泉ニハ二人ダケで行ってキテヨー」
素晴らしい棒読みに突っ込む隙も与えずに、半ば強引にハイコドを蹴り出したソラン。
「ったく……なーに企んでるんだか……」
ニーナに聞こえないように、ぽつりと呟く。わざわざ下手な演技までして二人だけで温泉に出かけさせたということは、何らかの思惑があるのは明らかだった。
それに、ニーナもソランの仮病に気付いていない筈はない。ならばその企みに気付いていないのは自分だけ、ということになる。
「……どうしたの?」
振り返ると、ニーナがこちらを見つめていることに気付いた。
長い髪が夜風に揺れ、ところどころに立てられたライトで白く光って見えた。
雪が積もっていて少し肌寒いというのに、彼女の頬は少し朱に染まっているように映る。
その――夢見るような、柔らかな微笑みに誘われて、ハイコドは一歩近寄った。
「いや……なんでもない」
ま、なんとかなるだろ、と呟いて。
☆
一方、そのソラン・ジーバルスはというと。
「ふっふっふー。うまくいったわ、私の演技力は完璧よ!」
ハイコドとの間に生まれた双子ちゃんの世話をしながら、ソランはほくそ笑んでいる。
二人の子供――『シンク』と『コハク』がその愛らしい瞳に若干の疑問の色を浮かべ『それはどうかなぁ』という顔をしたような気もするが、気にしないことにした。
「なによ、その顔……ま、いいわ。とりあえず二人だけを送り出すことには成功したワケだし」
立ち上がって、窓から西の方角を眺める。
「こないだ逃したせっかくの温泉旅行のチャンス……うまくやるのよ、お姉ちゃん……」
若干の期待と祈りを込めて、呟きを風に乗せた。
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