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2024年 秋


(宮殿勤めをしないようにと進言していただいたおかげで今は大切な人の隣にいることができました。
 普通の日常をおくりなさい、そういう意味だと受け取りました……と)
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)はペンを置くと、便箋を丁寧に折り畳んで封筒に入れ、きちっと封をした。宛先にはラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)の名前がある。
 詩穂は封筒をお出かけ用の鞄に入れると、上着を羽織ってホテルの部屋をチェックアウトした。
 途中で寄り道して手紙を送り、約束の場所へ向かう。
 秋のヴァイシャリーはとても過ごしやすい気候だった。若干風が冷たく感じるのはヴァイシャリー湖を渡って来るせいだろうか。
 木々の葉は色づき、風に舞い散る木の葉が既に住民の箒で道の端に寄せられていた。
 ヴァイシャリーで最も有名な大運河に面した<はばたき広場>の時計塔。時計塔の下、その待ち合わせ場所に、今はどこにでもいる一人の吸血鬼の少女 アイシャ(きゅうけつきのしょうじょ・あいしゃ)が立っていた。
「お待たせ、アイシャちゃん!」
「こんにちは、詩穂。今来たところですから気にしないで」
 アイシャは控えめに微笑むと、
「今日はどこに行きましょうか?」
「はじめは買い物に行こうよ!」
 詩穂の頭の中には、アイシャと過ごす色々な計画があった。その殆どが特別な計画ではなかったけれど、アイシャと一緒にしたいことは山ほどあった。
 その一つがショッピングだ。詩穂は目に付いたお洒落なアンティーク風の雑貨店に入ると、一緒に見て回った。
 季節柄、アンティークショップとかにも木目調の小物などが増えてきたように思う。
「紅茶の似合う季節になったね。あったかい飲み物が美味しいのもこれからの時期だよね」
 瓶詰の紅茶や香辛料を手に取ってあれこれ眺めながら、そんな話をする。
「春になったら何しようか?」
「詩穂ったら、気が早いですよ。まだ秋じゃないですか、冬だってありますよ」
 アイシャが笑うと、詩穂は瓶を棚に戻して、アイシャに向き直った。
「そうだね、なら今できることをやろうよ!」
「秋に……ということですか?」
「うん。色々あるけど……お出かけの秋、紅葉デート! 食欲の秋、果実狩りデート! ……とか。
 そうだね、両方やってみようか!」
 詩穂は携帯を取り出すと何事か検索していたかと思うと、画面をアイシャに向けた。
「ほらここ、果物狩りやってるよ。ワイン造り体験もできるって。山の方だから紅葉狩りも一緒にできるよ!」
 それはヴァイシャリー郊外にある、とある農場のホームページだった。


 詩穂はアイシャと共に、早速その農場へ向かった。
 色づいた葉で秋色に染まった穏やかな丘陵の中に、まだ緑の葉を多く付けたぶどうの畑があり、側に素朴な雰囲気のコテージがある。
 この農園では色々な種類のぶどう狩りをした後、そのぶどうを足で踏んでワイン造りの体験ができるコースが用意されていた。
 農園の人に申し込むと、二人は大きな籠を渡された。
「時間内は食べ放題だけど、食べ過ぎてこの後のデザートが入らないともったいないからね」
 二人はそんな忠告を一応頭に入れつつも、籠いっぱいにぶどうを摘んで、大きな粒のぶどうを口に運んだ。瑞々しい果汁が口の中に溢れる。
「このぶどうがワインになるんですね」
「うん。今日作ったワインが何年も月日が経って成熟するんだよ。赤いぶどうだから赤ワインになるね」
 白より、赤の方がいいだろうか。その方が吸血鬼っぽいし。可愛いピンクも捨てがたい。
 気が済むまでぶどうを食べると、また籠いっぱいに満たしたぶどうをコテージの中に運んでいった。
 そこには手回し式の圧搾機や木の大きなたらいが置いてある。
 二人は農園の人の指示に従ってたらいの中に摘んできたぶどうを入れると、二人は専用の靴に履き替えてぶどう踏みをした。
 足の下でぐしゃぐしゃと潰れていくぶどうはちょっと罪悪感もあり、そして乙女が踏む伝統が残る地域のことを考えると、ちょっとした文化体験で面白くもあった。
「ほら、これを飲んでご覧」
 いい感じに潰れた一部を圧搾機に入れて、農園の男性が小さなカップにジュースにして出してくれた。
 さっきの瑞々しさとはまた一味違う、濃縮されたコクのある味が口いっぱいに広がった。
「……あ、アイシャちゃん、味が違うね!」
「ええ、そのまま食べるのとは随分違いますね」
 顔を見合わせる二人に、男性はそうだろう、と得意げに笑った。
「このぶどうはこっちでワインにして送るからね。どんな味になるのかな? 届くのを楽しみにしててくれよ」
 そうして、何か月かしてワインは送られてきたのだが、実際に空けるのは数年後のこと――。