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リアクション
その頃。
ぽつんと、スノゥ・ホワイトノートは立ち尽くしていた。
「……って、ここはどこですかぁ〜?」
波音が聞こえる。スノゥは海辺の古刹にいた。
1946年東京近郊――とはいっても、ここは伊豆大島であった。今のスノゥに知るよしもないが、タイムワープの終了直前に異変が発生し、及川翠たちは武蔵野に、そして彼女はこの場所に到着してしまったのである。着地時間についても少し、ずれが生じていた。
いわゆる時間酔いで多少ふらつく頭を振りながらスノゥは境内を歩く。幸いというか不幸というか、人の姿はなかった。肝心の釣り鐘のない鐘撞き台が、ぽっかりと中央部に穴の開いた影をなげかけていた。
「もしかして、はぐれちゃったんでしょうかぁ〜……」
半時間ほど調べて、スノゥはその結論に達した。
どうしたらいいのか彼女にはわからない。
こういう場合、パニックになって駆け出せばいいのだろうか。
心細さに座り込み、さめざめと泣けばいいのだろうか。
それすらわからなかった。
だが突然、
「……ふぇっ? 私を呼ぶのは……」
目の醒めるような水色の髪をした少女が、やはり水色の瞳でスノゥを見ていた。
着ているワンピースもやはり水色だ。まるで、水の妖精が降り立ったかのようである。
「どうも変な感じがするから来てみたんだけど……」
少女は、しげしげとスノゥを見て言った。
「……やっぱりスノゥ……よね?」
「はいですぅ……でも、えっと、どちらさまですかぁ〜?」
水色の少女は少し逡巡したが、やがて心を決めたように口を開いた。
「私はティナ、ティナ・ファインタック(てぃな・ふぁいんたっく)……」
ティナはつかつかとスノゥに近づく。そしてスノゥの手を取って持ちあげてみたり、持ちあげた場所で手を放してみたりもした。
「……覚えてない? 私のこと」
「ええと……」
スノゥの頭の中では、無数の紐が無秩序に結び合わされていた。赤い紐、黒い紐、そして水色の紐、長いも短いもぐちゃぐちゃに。けれどその紐は徐々に解け、不要なものは徐々に消えていく……そんな気がした。
そして、ようやく。
一本の紐だけが残った。
「ティナさん……ですよねぇ〜」
ぱっちりと目を開け、だらりと下げていた腕を持ちあげてスノゥはティナの両手を握った。
ティナとスノゥの関係については、ここではまだ詳しく述べることはできない。それは彼女らの物語が進むにつれ、次第に明らかになることだろう。
ただひとつ、はっきりと言えるのは、魔道書『スノゥ・ホワイトノート』の作者は、ここにいる魔女ティナ・ファインタックであるということだけだ。
伊豆大島は、大戦中軍事基地が置かれていた場所である。だが戦後は占領軍に接収され、一時的とはいえ日本の行政から切り離されていた時期もある。現在は分離状態から元に戻ったとはいえ、いまなお、法的にはともかく精神的には特別区のような浮いた存在なのだった。騒然とした本土、とりわけ東京とは違う、閑かな戦後がここにあった。この状態をティナは気に入り、魔法を使って住民から姿を隠しつつも、この地を仮の住処として選んでいたのだ。
二人は並んで、釣り鐘のない鐘撞き台に腰掛けた。
「……けれどスノゥ、あなた、私の知っている『スノゥ』とは違うようね」
「えっ、私は私ですよぅ〜?」
「いいえ、そういう意味じゃなくて……そもそも、私が今、この島の隠れ家に置いている『スノゥ』はまさしく白紙(ホワイトノート)なの……紙、背表紙、裏表紙、中身全てが真っ白で……何も書かれていない状態ということ……」
「……そうなんですかぁ〜」
「そう『だった』のよ……覚えてないかしら?」
まあ仕方がないか、とティナは薄く微笑んで続けた。
「……つまり、あなたは私の隠れ家の本棚に、封印された状態で収まっている『ティナ』とは違うのよね……いいの、返事するとややこしくなるのはわかってる。これは私の独り言よ……」
ティナは、水色の長い髪を揺らして立ち上がった。
「一人で来たわけじゃないんでしょう……スノゥ? あなたの連れを紹介してもらえる?」