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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

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Zanna Bianca――ザナ・ビアンカ

リアクション


●13

 ローは「うん?」と右を向いた。
「喜んでいるところ悪いが」
 声をかけたのは、ローが知らない少女だった。すっくと立つ姿はローより20センチは低かろうが、堂々胸を張って彼女は、澄んだ眼でローを見上げていた。色白の綺麗な肌、クセの少ない長い黒髪、教導団の防寒服姿ながら、腰にフリルのついたエプロンを巻いているのはメイドとしてのこだわりだろうか。同じ戦場にあって、雪中激しい戦いを演じた朝霧 垂(あさぎり・しづり)だが、巻き替えたのか現在、そのエプロンは純白だった。
「俺は朝霧垂、教導団所属だ」見た目の可憐さに反して、荒っぽい男口調で垂は言った。「おまえ、ユマ……じゃなくてえっと、クランジΥ(ユプシロン)の同類なんだってな」
「うん。ワタシ、同類。ユプシロン返して」
 なんだか調子狂うなあ、と垂は思った。あまりにも邪気がなさすぎる。
「そういうわけじゃないんだ。聞きたいことがあってな」
「ワタシ、頭悪い。難しい話はパイに聞く」
 と、振り向いたローは、パイが姿を消していることに気づいた。
「パイ、どこ? パイ? かくれんぼ、ダメ」
「相方なら仲間が相手してる。だが決して危害は加えてない。だから……って聞け!」
「パイ、どこ? パイーっ!」ローはまるで垂の話に応じず、駄々っ子のように長い腕を振り回してきた。
「うお! 危ないな! 拳を下ろすんだ……俺はお前たちと戦いたくはない」
 ぐるぐるパンチに垂は肝を冷やした。どう見ても戦闘用のパンチではないのに、風を切るこの勢い、まともに喰らったら失神しそうだ。
「だから俺たちと一緒に来てくれないか?」
「パイ、いない、ワタシ、決めない!」
 参ったな、と垂は思った。これじゃまるでこっちが悪者じゃないか。

 その頃パイは、やや離れた場所まで誘き出され橘 カオル(たちばな・かおる)と対面していた。すらりとした男前、笑うと笑顔が素敵といわれるカオルである、このときも優しく優しく、「重大な話があるんだ」とパイを誘い出したのである。勝利で気分がよくなっていたからか、パイはなんとなくついてきた。
 校舎裏……じゃなくて、村の建物の裏、なんとかパイを連れ出した彼は、二人きりであるのを確認して決意を固めた。
「俺は橘カオル、逃げも隠れもするが嘘はつかない。だから率直に言う!」
 カオルは彼女の両肩をつかみ、これ以上ないくらい真顔で彼女に顔を寄せたのである。
「パイ、鏖殺寺院を抜けてくれ。俺のために!」
 このときパイは、あどけないながら賢そうな顔を思いっきりしかめて「はぁ?」と言った。「初対面でなんでそんなこと言えるのよ! あんた、頭大丈夫!?」
「世の中には一目惚れという言葉があってな」と言いながら内心、恋人の梅琳に両手を合わせるカオルである。(「これは作戦であって浮気じゃないんだこれは作戦であって浮気じゃないんだ、大事なことだから二回言いました……よし」)「一目会ったその日から、恋の華咲くこともある」
「咲かないこともあるわよね? ていうかあんた、死ぬ?」
 クシーとの激戦で傷つき、いくらかパイは弱体化していた。ゆえにそのモーションから、ビンタが来るのを予期してカオルはこれをスウェーに成功した。よっしゃ、と内心ガッツポーズだが次の瞬間、パイが息を吸い込むのが見えた。
(「先の戦いで見たがパイは口から超音波攻撃をするようだな……ならば」)
 ならば口をふさぐまで! そして口をふさぐにはやはり口だろう。理論の飛躍か!? いや、しかし――。
 しかし拳を当てる以上に、唇に唇を当てるというのは難しいものだ。キス道(?)の達人(??)ならいざ知らず、決して経験数が多いとは言えない純情(たぶん)少年カオルは、目測を誤って彼女の胸に顔をうずめる結果に終わった。
(「うっ……これがホントのパイのパイ……うわ俺最低」)
「なにすんのこの変態! 変態! 変態!」
 カオルの髪を両手で掴むと、パイは膝蹴りを彼の腹部に入れた。二回三回入れまくり、手を放して彼が浮き上がったところを回転蹴りして吹き飛ばした。カオルの受け身が間に合ったのと、急なことすぎてパイが全力でなかったため、カオルは壁に激突し失神したが命には別状がなかった。
「なんなの、あいつ……なにが一目惚れよ……バカ」
 ふんと鼻を鳴らして、
「真顔で一目惚れとか……本気でバカだわ」
 もう一度繰り返すとパイは振り向いた。
 今度の相手は手強いと思ったのか、パイは足を止め腕組みした。
「……で、今度のあんたは誰? また教導団? 人形遣いさん」
 極細ワイヤーで人形、それも四体を吊し、それらが生きているかのように操りながら、一人の少女が立ちはだかったのである。少女は、整然とした、それでも鋼のような芯の強さを感じさせる口調で告げた。
「蒼空学園の茅野瀬 衿栖(ちのせ・えりす)です。本当はローとも話したかったけど、今はあなたと、話し合いで事を収めたいと思っています」
 はしばみ色をした衿栖の瞳、そこにひたむきさを看取るとパイは吹きだした。
「笑っちゃうわ。あんたの言いそうなこと、当てて上げようか。人殺しはやめろ? 私が保護してやるから仲間になれって? もしかしたら、人権は尊重するとでも追加するのかしら?」次の瞬間、パイはビーフジャーキーを取り出し、口にくわえて苛立たしげに歯の音を立てて咀嚼した。「バカにするのもいい加減にしたら? あんたは偽善者よ。そういう発言をする自分が好きなだけ」
 これで言い負かした、とパイは思っていたのだろう。だから次の、衿栖の静かだが決然とした口調に口を閉ざした。
「偽善のなにが悪いんですか」
「な、なによ、逆ギレするつもり……!」
 だが本当に逆上したのは、この場合パイということになるだろう。彼女は出し抜けに超音波を放射した。
 音圧が見えない力となり衿栖に襲いかかった。かつての衿栖なら、これをまともに食らって死亡、良くても重傷となっていた可能性があった。しかしこの数ヶ月で、彼女は大きく成長していた。
「リーズ! ブリストル! フラワシを!」
 右腕を一閃すると、二体の人形が魂を得たかように飛びだし、衿栖の前に鉄のフラワシをもたらした。
「クローリーとエディンバラは支えて!」
 同時に左腕をめぐらせ、彼女はあと二体の人形でフラワシを支えさせる。だからといって衿栖も無傷では済まない。踏みとどまらんとした両脚は、雪を削るようにして大きく、構えたままの視線でずりさがった。
「私の超音波を正面から受けた!? たっ、ただの人間が……!」
 さらに攻撃を重ねようとしたパイだが、肩を銃撃が掠めて飛び退いた。舌打ちして言う。
「スナイパーを潜ませてるわね」
 パイは油断なく周囲を睨め回した。その蒼い眼は、直後左前方で固定された。
「もう特定されたか。さすがは、といったところだな……」
 レオン・カシミール(れおん・かしみーる)はライフルのスコープ越しに、パイの突き刺さるような視線を感じて息を呑んだ。あんな年端もいかぬ少女なのに、愛らしい顔なのに、その目には鬼気迫るものが宿っている。これだけ距離があるのだが、レオンは腹の底から死の恐怖が上がってくるのを感じた。されどレオンは気合い負けはしないつもりだ。スコープから目は離さない。トリガーに乗せた指も動かさない。決して。
「気づいているだろう」聞こえるはずはないだろうが、レオンはパイに話しかけていた。「今のは威嚇射撃だ。しかし、次は当てる」
 そのとき音もなく、パイの背後に迫る姿があった。霧隠れの衣によって姿はない。それは茅野瀬 朱里(ちのせ・あかり)だった。(「衿栖は二人を可能な限り傷つけたくないみたいだけど……」)朱里の意思は残虐な悦びとなって、彼女の身を駆け巡っていた。(「私にとっては衿栖が怪我をしちゃうほうが問題なんだよね」)
 遠慮する気はない。朱里は実体化と同時に、パイを斬り捨てる心算だった。あの綺麗な金髪さんは、さぞや美しい死体になることだろう。
 衿栖は自分のダメージもかえりみず、パイに呼びかけた。
「あなたたちはホントに人殺しがしたいの!?」
「それは……」
 言葉が出てこないパイに対し、畳みかけるように衿栖は言葉を重ねた。
「本当は、人殺ししか知らないのではないですか? 塵殺寺院によって作られて、それしか教えられてこなかったならば、自分の存在意義をそこに見出してしまうのも仕方ないことです。ですがそれはとても悲しいことです」
 パイ、あなたは知ったはずです――と衿栖は言った。
「今日、私たちと共に機械の蜘蛛と戦って……それは、身内との戦闘という悲しい性質ではあったものの、勝利したとき確かにあなたは、誰かと共になにかを成し遂げたという喜びを感じたのはないですか」
「単に使命を完遂しただけのことよ。喜んでなんか……」
 弱々しく抗うものの、パイの言葉には力が失われていた。ところが突然、
「やめて!」
 衿栖が叫んだのである。
「えっ!?」
 と驚いたのはパイだけではなかった。実体化した直後の朱里も、驚いて硬直していた……剣を逆手に握った状態で。
「騙し討ちのようなことはしたくない。やめなさい。朱里」
「でも戦闘不能にしたほうが話を聞いてもらいやすいだろうし……機晶姫の核となる機晶石さえ生きていれば大丈夫だって思ったから……」
 朱里は拗ねたような声を出したのだが、次の瞬間、パイに腕を掴まれて組み伏せられていた。
「いい度胸ね、あんた。この腕ちぎって、あんたの口に押し込んでやろうか」
「パイも、やめてください」
 衿栖は静かに、厳とした口調で述べた。
「もう一度だけ言います。朱里を放しなさい
 先生に叱られた生徒のよう、とでも言うべきか、パイは渋々、朱里から手を放した。
「朱里、私はそんなことは頼んでいませんよ。レオンにもあなたにも、牽制だけをお願いしたはずでしょ?」
 と朱里をたしなめて、ふたたび衿栖はパイに言った。
「世界には色々な楽しいことや面白いことがあふれているんです。ただ鏖殺寺院を抜けろとか、仲間になれと言うつもりはありません。私はあなたがたが、人殺しに変わる存在意義を見出せるものを一緒に探せたらと思っています」
「存在……意義……?」パイにとっては核心をつく言葉だったのだろうか。突然、彼女は自分の頭をかきむしりはじめた。
「あなたとローを助けたいって思うのは私の偽善なのかもしれない。そもそも助けるって考え自体が的外れなのかもしれない。でも、私は二人を助けたい、止めたいんです!」
「うるさいうるさい! 黙れ! それ以上私を惑わせるな! いやだよ……頭が痛いよぅ……助けて……」
 わああ、と大きな声を上げ、パイは頭を抱えてしゃがみこんだ。そして、いやいやをするかのように頭を左右に激しく振った。
 しばらく、ずっとそうしていた。