校長室
【カナン復興】東カナンへ行こう! 3
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歌菜のセタレが破壊し終わった瓦礫の山を前に、月谷 要(つきたに・かなめ)は立っていた。 運びやすくなるよう、わざと小さな瓦礫片になるまでしつこく砕かれたそこは、一見するとおそろしいまでに荒廃した地を連想させる。見渡す限りあるのは瓦礫や岩ばかり。草木1本見えず、吹く風はほこりっぽい。 「……これ、全部片付けるのかよ…」 同じ光景を見ていたルーフェリア・ティンダロス(るーふぇりあ・てぃんだろす)が、辟易すると言わんばかりに覆った口元でつぶやく。 間違いなく、これがこの光景を目にした普通の人間の反応。その横にいた霧島 悠美香(きりしま・ゆみか)は、後方で作業している兵を気遣ってか何も口にはしなかったが、ちょっと目が泳いでいる。多分気持ちはルーフェリアに同意している。 しかし要はちょっと違っていた。 「いやもう、どうせやるならいっそこれっくらいでなきゃね! よっしゃ! やるぞー!」 わっはっは! と豪快に笑うやいなや、すごい勢いで小型コンテナに大きめの瓦礫をかたっぱしから放り込み始める。 「ま、千里の道も1歩から。やらなきゃ始まらないか」 「そうね。私たちもやりましょ」 ルーフェリアと悠美香も参加して、怪力の籠手で普通の兵士だと2人がかりになりそうな物を特に選んで小型コンテナに入れていった。それでもやはり手のかかりそうな瓦礫は、ルーフェリアのパイルバンカーが扱いやすい大きさへと砕いていく。 そして、そのすぐ近くでこれまた要と似たような反応をする少女が1人。 「燃えるわー!! これだけあってこそ、やりがいも沸くってものよね!!」 五十嵐 理沙(いがらし・りさ)だった。 持参したショベルでガンガンすくっては、やはり小型コンテナへと放り込んでいく。要のように鬼神力は使っておらず、瓦礫も手ごろな大きさの物だったが、こちらはスピードと量で勝負だ。 2人はまるで競っているかのように次々と小型コンテナを満杯にしていき、その姿は小型ブルドーザーもかくやというものだった。 「お! ネーちゃんたち精が出るなぁ」 一輪車を運んでいた兵士が笑顔で声をかける。 「ありがとー! なんなら夜間作業も手伝うわよ! 照明とか装備バッチリなんだから!」 パンパンと腰に吊るしたマイツールをたたいて見せる。 「そうか! じゃあお言葉にあまえさせてもらってもいいかな? 午後から昨日掘り起こした井戸の方をやるんだが、下が暗くて見えないんだ。あんた、移動式の照明持ってきてるって言ってたろ? 中へ入ってくれるか?」 「オッケー! 任せて!」 「あ、俺も俺もー! 言ってくれたら何でもやるよん!」 「あら! 気が合うわね!」 似た者同士な笑顔でにこーっと笑うと、要と理沙は息ぴったりに瓦礫撤去を再開した。 「……なんなんだ、あのかなり無駄なハイテンションは」 理沙については知らないが、要はかなり舞い上がっているように見えた。 「元気になるようなことがゆうべあったのかねぇ?」 と、意味ありげな視線で悠美香を横目で見る。 その視線と言葉の意味をさとって真っ赤になった悠美香だったが、すぐに肩を落として首を振った。 「何もないわ。いつもと同じよ」 悠美香と要、実はこの2人恋人同士で、なおかつ毎晩一緒のベッドで寝る仲である。今から約半年と少し前、極度の不安感から不眠症に陥っていた悠美香の治療のためと、要が添い寝をするようになったのだ。 普通、好きな女性と一緒に寝て、ただ寝るだけで終わるはずがない。いや、特に好きな異性でなくてもこういう状況に置かれるとつい手を出してしまうのが男のサガってものだろう。最初のうち、ルーフェリアも「これは」と2人の急展開にワクドキしたものだったが、普通でないのが要だった。 どうせなら夜の得点王ばりの普通でなさを出せばよかったものを。何もこんなことでまで普通でないことを証明しなくってもいいだろうにねぇ。 深々とため息をつくルーフェリアの様子に、彼女が何を考えているか知って悠美香はさらに顔を赤くした。 悠美香とて、そういう期待が全くなかったわけではないのだ。最初の、感情的に切羽詰まっていたうちはともかく、普通に眠ることができだしてからは特に、いつか要が自制心をとっぱらうんじゃないかと期待……じゃなくて、怖さがあった。ドキドキして、別の意味で寝つけなくなったことも数限りなくある。 しかし半年経った結果はこのとおり。要は悠美香に指1本触れないどころか、キスもしてくれない。(少なくともこのことではね!) これでは悠美香自身、自分の女子力に不審というか、自信を失ってもおかしくないだろう。 昨夜、実はこっそりと甘い花の香りの高級フレグランスを使ってみたのだ。旅行とかに出かけた男女は、いつもと違う状況で気分が開放的になると、古本屋で見た雑誌のバカンス特集に書いてあったし! バカンスじゃないけどここ、旅先だし! だけど結果はご覧のとおり。要はさっさと先に眠ってしまって、いつもと違う香りにも気付いていたかどうかすらあやしい。 「……ルーさん……私、そんなに魅力ない…?」 「うお!?」 めげた声で服のすそを引っ張られ、ルーフェリアは驚いた。 「いや、そりゃオレも何とかしてやりたいのはやまやまだけどさ」 色恋沙汰を相談されても、そっちの面はからっきし…。 かといって、悠美香がそう考える乙女心の方は理解できるため、やっぱりため息だ。 悠美香には悪いが、200日近く経ていれば一緒に寝ることにもはや新鮮さはないはず。このことによる先の展開は期待薄だ。 「じゃあいっちょ、やってみるか」 そんなルーフェリアがとった作戦とは! 瓦礫を運んでいる途中の要の足をわざと引っ掛けて、悠美香に向かって転ばせるというものだった! 「うわっ!」 瓦礫を放り出し、たたらを踏んだ要は思ったとおり、悠美香にぶつかって一緒に転ぶ。 (よっしゃあ!) 思わずガッツポーズをとるルーフェリアの前、要はひょいと起き上がり「ごめん、悠美香ちゃん」と謝罪して彼女が起き上がるのに手を貸すと、さっさと続きに戻ってしまった。 ……2人きりの部屋で一緒に寝ているのが常態化している中で、ひと目のある昼間にこの程度密着したところでいかほどでもない。こうなってあたりまえではある。 「……ルーさん…」 「うーん……こうなったら風呂の最中に間違いを装って入るっていう方法も…」 ここ、温泉地じゃないですから! 東カナンですから! そんな2人の会話を耳ざとく聞きつけたのが理沙である。 「なになに? コイバナ!?」 ショベルを動かしていた手を止め、軍手で汗をぬぐいながらさっそく2人から事情を伺う。理沙もやはりそっち方面に豊富な経験があるとは言いがたいが、面白い話は大好きだ! 「それならいい方法があるわ!」 理沙がウエストバッグから取り出したのは、目薬だった。砂ぼこり対策で持ってきていたのだ。 「目薬を大量に飲むとね、中の成分で酩酊するのよ!」 「……おまえ、一体どこからそんな知識を」 「昔古本屋で読んだマンガで!」 えっへん、と胸を張る。 「でも、要は酔うと大変だから。記憶も飛ぶし」 過去の経験から悠美香はそのことを知っていた。おかげでキスした記憶も今の要にはない。たとえもし、それでうまくいったとしても、要の記憶に残らないのであれば意味がなかった。 「そうなの? じゃあ悠美香ちゃんが飲めばいいのよ。それで要くんに心配させて、お姫さま抱っこで2人で宿舎に戻ればあとはバッチリでしょ?」 「そういうもんか?」 だがほかに何か手立てがあるわけでなし。3人はやってみることにした。 「要くーーん! そろそろお昼休憩にしないかってー?」 「お? メシ!?」 炊き出しの女性たちと一緒にやってきたセレスティア・エンジュ(せれすてぃあ・えんじゅ)から受け取ったチャイとスジュックル(肉とチーズの焼サンドイッチのようなもの)を手渡す。ほか、1人分ずつホイルでくるまれたマンタルやタヴック、キョフテ、クスクスといった素朴な料理やパンディス、ビスクヴィというデザート菓子も用意されている。 「いっただきまーーーす!」 さっそくかぶりつき、いかにもおいしそうに食べている要のとなりに座った悠美香が、さりげなく目薬1本分入った塩味ヨーグルトドリンク、アイランを口にする。 (……ヨーグルト味しかしないわね) 何分待っても、酩酊状態にはならない。 ――古本屋のマンガだけあって、理沙の知識は古かった。幻覚やしびれといった症状を引き起こすロートエキスは、現在の市販薬には使用されていないのだ。 「……あれ?」 「ち。こうなったら演技だ悠美香! しなだれかかれ! いけっ」 (って言われても…) ルーフェリアの口パクを読んで、悠美香は頭を抱えそうになる。本気で気分が悪いならともかく、素面でそれをやれとは…。 だがとにかく指示に従って、腰を浮かせる途中でふらつく演技をした。 「……あっ」 「悠美香ちゃん、どうしたっ」 自分の方へふらついてきた悠美香をとっさに支える要。しかし何を隠そう、今の彼にこの展開はキツかった。 悠美香やルーフェリアは知らなかったが、昨夜の悠美香の行為は要にメガトン級衝撃を与えていたのだ! (ま、また眠れなかった…。悠美香ちゃん、相変わらずいい匂いするわ、柔らかいわ、寝るの大変だわ……と、とにかく! 前みたいにひたすら体力値ゼロになるまで働いて、少しでも土の臭いつけたりご飯食べて精神の安定を図らないと、いろいろ今夜暴発しそうでうわああああーーっ!) と内心昨夜の様子をリピートしては身悶えていたんだったりする。そのためハイテンション気味だったというわけだ。 力配分も考えずに朝からかっ飛ばして働き通してきた要の手には、倒れ込んできた悠美香を支える握力がなかった。 「おふゥ!」 後ろに倒れ込み、ゴチーーーンと尖った瓦礫に後頭部をぶつける。目から星が飛んで、要は気絶してしまった。 「要!? 要っ!」 「あーあ。こりゃ、ちょっとやそっとじゃ目覚ましそうにねーぞ」 しかたねーやつ、と腰に手をあてたルーフェリアの後ろ。 「私、知ーらない」 すっかり要いじりに飽きた理沙が、おにぎりをモグモグさせながらセレスティアのとなりの席へ戻って行った。 「それで、このあと私が入る井戸ってどんななの?」 「ああ。内部の瓦礫撤去はほとんど終わってるんだ。ただ、水かさが増えなくて。リバルタから水が来るはずの横穴が詰まってるんじゃないかと俺たちは思ってるんだが――」 と、昼食を囲んで兵たちとわいわいやっていると。 「おー。うまそう。俺たちも仲間に入れてよ」 羅儀がやってきた。後ろから少し遅れて白竜も現れる。 「もうおなかペコペコだよ」 「お疲れさまです。どうぞこちらにお座りください。お料理はまだまだありますから」 おっとり美人セレスティアに笑顔で見つめられて、羅儀はご機嫌になった。 「ありがとう」 もちろん彼女は羅儀だけでなく、白竜にも同じように接しているのだが。 「今おしぼりとお飲み物をお持ちしますわ。少しお待ちください」 そのあとも、セレスティアはかいがいしく2人の面倒を見ていた。 調子づいた羅儀は、キョフテをほおばりながら後ろに置いてあったギターを持ち上げる。指ならしを兼ねて簡単な短い曲を軽く爪弾いたあと、すぐとなりの兵に訊いた。 「カナンで流行の曲ってどういうの?」 「あー、私知ってる」 答えたのは理沙だった。 「前に友達から聞いたことある。東カナンって歌詞がないんだってね。手拍子とか母音で歌うの」 そうなの? と見る羅儀に、兵は皿のクスクスをすくっていたスプーンを置いた。 「まあな。こうやって出す」 と、兵が手のひらをたたき合わせたり腕や膝をたたいて音程を変え、リズムを作る。すると、ほかの兵たちもそれに合わせはじめ、一緒に歌声を発しだした。それは3つの音階に分かれた三部合唱だった。 (ホーミーかと思ったら、意外とブルガリアン・ヴォイスに似てるかな。歌詞はないけど) 素朴な民族音楽で、リズムは単純だ。なめらかなハーモニーに合わせて、羅儀はギターの音色を入れていく。それに気付いた兵たちが、歓迎するように笑顔で彼を見つめた。 「ねえねえ。本当に歌詞のない曲ばかりなの?」 理沙の質問に、歌い終わってのどを潤していた兵がニヤリと笑う。 「あるよ。でもお嬢ちゃんにはちょっとなー」 「えー? どんなよ? いいから歌ってみて!」 ニヤニヤ笑いながら男が歌ったのはいわゆる風俗歌、しかも風刺の効いた歌だった。赤い都(おそらくアガデ)から赴任して来た隊長さんが、悪いタヌキにばかされて(?)都に帰ったつもりで酒や女におぼれたあと目覚めたら野原で素っ裸で寝転がっていた。腕枕をしていた相手は羊だったとか、まぁそんな内容だ。かなり比喩の入った歌詞でそのものズバリな下品なものではないが、男と女のソレだという意味は分かる。 「きゃははっ! 何ソレー!」 大爆笑している理沙の横で、セレスティアが頭痛が始まったとばかりに頭に手を添える。 「俺の美声で聞くとまた格別だろ?」 「サイコー! もういっぺん歌って! 覚えるから!」 「おいおい。こんなの覚えてどーすんだよ、ネーちゃん!」 「そんなの決まってるでしょ! 宴会で歌うに決まってるじゃなーい!」 わははーっと兵と一緒になって笑う理沙。その影で、セレスティアはしくしく涙をこぼした。 (なじみすぎです、理沙…。あなた、女の子なんですよ?) 「んじゃーそのときは俺が伴奏しちゃおっかな」 と、羅儀まで男と理沙の歌に合わせて弾き始める。 笑いにあふれた彼らの陽気な様子を伺いながら、アイランを飲む白竜。彼の口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。