校長室
雨音炉辺談話。
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20 「こんにちは」 挨拶と共に、シュリュズベリィ著 セラエノ断章(しゅりゅずべりぃちょ・せらえのだんしょう)は人形工房の扉を開けた。 「いらっしゃいませ」 数ヶ月ぶりだけれど、変わってないな、と思うのは応じるリンスの淡白な対応。 「相変わらずですね」 菓子折りを手渡しながらくすくす笑うと、僅かにリンスが眉をひそめる。 ああ、これは。 「初対面だと思ってませんか? リンス」 「セラのお姉さんか誰かかと。本人なの?」 「ええ。本人です」 自ら加筆し、今まで蓄えた経験と知識に合わせて変化した肉体。 以前とは、相当変わったはずだ。別人だと思うのも無理はない。 「驚いた」 「そうは見えませんけど」 「いや、本当に。結構」 ここまで言葉を重ねることは珍しいので、驚いているのは事実なのだろう。期待していた反応とは違ったけれど、驚かせることができたのならまあいい。 「今日は、うちの子を連れてきました。おいで、マリー」 工房に足を踏み入れてからずっと、セラの背に隠れていたマリオン・フリード(まりおん・ふりーど)の名前を呼んだ。おずおずと、顔を出す。 「自己紹介をしなくては。ね?」 優しく促すと、マリオンはこくりと頷いて前に出た。 「マリオン・フリードです。よろしくお願いします」 きちんと名前も言えたし、ぺこりと頭を下げることもできた。上出来、と頭を撫でてやる。くすぐったそうにマリオンが笑った。 「あの、人形師さん……」 「リンスでいいよ」 「えと、リンス、さん。工房、見学させてもらっても、いいですか……?」 「どうぞ」 肯定の言葉に、マリオンはぺこりと頭を下げて小走りに棚に駆け寄った。様々な人形が飾られている棚だ。目をきらきらさせて、見ている。 少しして、マリオンの傍にクロエが寄っていった。なにやら話している様子。二言三言交わすと、二人の間には笑顔の花が咲いた。どうやら、仲良くできているらしい。 見守っていなくても大丈夫、と判断したセラは、リンスに向き直り、言った。 「そういえばリンス。女体化したそうですね」 「……今ね。俺、もし口に飲み物を含んでいたら、気管に詰まらせてたよ」 「見たかったですね……」 「聞いてる?」 さぞかし似合ったのだろう。……いや、似合うとかそういう問題なのだろうか。だってそもそも顔は女の子みたいだし。とあらば、偽の胸を作ってコルセットで腰を締めて、女性ものの服を着せれば、 「セラ。君の考えていることは現実に起こりえない。諦めるんだ」 「エスパーするのやめてください」 「だって俺の身に危険が迫ってたから」 まあ、女装させることができたら写真に収めて拡大印刷して額縁に飾る気満々でいたけれど。 「それくらい可愛いものじゃないですか」 「鳥肌立った」 両手で身体を抱えるリンスを見て、そこまで? とセラは笑う。 「そういえば」 話題を変えたかったのか、珍しくリンスが話を切り出してきた。 「マリオン、って姓がフリードだけど。フリードの妹? 娘?」 「娘ですね。実の、ではないですが」 「ふうん。……で、そのお父さんはどこに?」 「ルイ? 街のどこかにいるんじゃないですか?」 「ああ……迷子か」 「はい。いつものことですね」 一方その頃、ルイ・フリード(るい・ふりーど)はというと。 「二人はいずこに!? ここはどこですか!?」 期待も予想も裏切らず、迷子の真っ只中だった。 マリオンとセラを連れて、久しぶりにリンスの家に遊びに行こうと思っていたのに。 成長したセラが、マリオンの手を引いてお姉さん然としているのを見て、ほっこりしていたはずなのに。 いつの間にか、ルイはひとり、街に残されていた。 訪問の際に渡す手土産はセラに持たせていたし、マリオンだってセラのいうことをきちんと聞く良い娘だから心配はない。 心配は、ないのだが。 ――私だって……私だって、久しぶりにリンスさんたちと談笑したいです……!! だってもう、どれだけの間まともな会話をしていないだろうか? どこかへ行こうとしては迷子になり、遭難し……。 ゆうに、一ヶ月以上知り合いと話せていないのだ。 ――頑張れ! 自分!! なんとしてでも辿り着いてやると、傘を投げ捨て全力疾走。 雨に打たれて風邪を引く? 心配要らない。これだけの勢いで走っていれば、運動の際の発熱でなんとかなる。はずだ。 とにかく、一刻でも早く目的地に着きたい。 ――そして、そして……っ!! 「誰か、私とお話しましょおぉぉおおぉぉおお……!!!!」 ルイの叫びは、住宅街を震わせた。 ……結局、その日、ルイが工房に辿り着けたかどうかは、定かではない。 *...***...* 雨、である。 外に行くのは面倒だけど、このまま家の中で適当に過ごすのも貴重な時間の無駄遣いだといえる。 そこで七刀 切(しちとう・きり)は考えた。リンスの家に行こうと。 ――あそこはいつも人集まるしな。 なんだかんだ、楽しめるだろう。 「ってことで海に行こうぜ!」 そして工房を訪れた第一声が、それである。 リンスが、「何言ってんだこいつ……」と言い出しそうなほど、冷め切った目をしていた。あるいは、「頭大丈夫?」と言われそうだ。リンスは温厚なイメージが強いけれど、相手によってはさらりと毒を吐いてのけるのだ。 「言いたいことは色々あるけど」 「毒はノーサンキューだぜぃ」 「じゃあ無難に。今、梅雨だけど」 「別に今すぐ行こうなんて、ワイ言ってないもん」 梅雨が明けてから、で十分なのだ。 それにリンスは人が多い場所は苦手だから、時期を少しずらしてもいい。夏の終わりだとしても、切からすれば問題ない。まあシーズンの最中でも、パラミタは広いから人の少ない場所も探せば見つかるだろう。なんなら切が率先して探しに行く。 「なっなっ。皆で行こうぜ!」 意気揚々とのお誘いの返事は、怪訝そうな顔。どう見ても乗り気じゃない。 「なんだよー。ワイがここまで言っても嫌か?」 「嫌より先に、なんでそんな必死になってるかな、って思ったよ」 なんで、って、だって。 「……リンスは、去年のお花見、覚えてるか?」 一単語一単語、区切りながら切は言う。 去年のお花見。 たくさんの人が、集まったらしい。 見事な桜に。わいわいと騒ぐ、場所柄に。 切の所属しているコミュニティの面々だって集まったと聞いた。 楽しかったのだろう。 いや、楽しかったに違いない。 だって、想像するだけで楽しそうだもの。 「ワイはそれに行けなかったわけですが!!」 吠えた。どうどう、とリンスに肩を叩かれて、はっと我に返る。 「行けなかったもんねえ……」 「するな! ワイを見て不憫そうな顔をするなあぁぁ!!」 うわぁっ、と泣き真似をしてから、顔を上げ。 「ワイだって皆と一緒に遊びたい! けどお花見の時期は過ぎました! そして夏です!」 「あー……」 「夏といえば海! 肝試しでもお祭りでもなんでもいい! とにかくワイも皆と一緒にイベント楽しみたいの! 切実に! 切実に!!」 思いの全てを吐露し終えると、叫びに相当な体力を使ったらしく軽い酸欠に見舞われた。ぜえぜえと肩で息をする切に、クロエがアイスコーヒーの入ったグラスを置いてくれた。 「クロエはマジ天使だなぁ……」 アイスコーヒーを一気飲みしていたら、 「皆で楽しんでおいでよ。俺は、あんまり行く気しないから」 などとリンスが言った。 切は、たまにリンスのことをすごく馬鹿だと思う。当たり前のことに気付かないから。 「『皆』の中にはリンスもクロエも入ってんだけど?」 「…………」 「どうよ?」 「……考えておく」 ようやく、手ごたえのある返答がもらえた。よっしゃ、とガッツポーズを握る。リンスが「何でそんな、俺……」だとか言っていたが気にしない。 「絶対な! 約束だからな!!」 さて、そんなやり取りがあった一方で。 黒之衣 音穏(くろのい・ねおん)とクロエは、窓際で静かにお茶を飲んでいた。 先ほどから音穏が気になるのは、妙にクロエがにこにこしていること。クロエが笑顔だと音穏は無条件に嬉しいが、それにしても笑顔だ。いったい何があったのか、少し気になる。 「何か、いいことがあったのか?」 「あったわ!」 「どんなことだ?」 「あのね、ねおんおねぇちゃんがねこすきってしれたから、うれしいの!」 「……っ」 まさかの切り返しに飲んでいたお茶を吹きそうになった。 「わたしね、ねこがあつまるばしょ、しってるのよ。だから、こんどいっしょにいこっ」 「い、いや我は……」 「ねこといっしょにいるねおんおねぇちゃん、いつもとちがうかおしてたの。とってもかわいかった。ぎゅってしたくなるようなかわいさだったのよ!」 賞賛するクロエに、音穏は自らの頬が赤くなるのを感じる。 「か、かわいくないぞ」 とりあえず、否定しておく。我が可愛い? 断じて、ない。 そもそも猫のことだって、本当は隠しておきたかったのに。 油断して、つい答えてしまって、それが今、仇となって。 ……だけど、猫が好きなのは本当のことだし。 猫と一緒にいる音穏が好きだと、クロエが言うのなら。 「……今度、見に行くか」 と、半ば口が勝手に動いてしまうのだ。 「ほんとう!?」 「ああ」 「やっぱりねおんおねぇちゃん、ねこすきね♪」 この場合は、猫、というよりクロエが先にきたけれど。 「あ、あぁ……好き、だな」 事実は事実。恥ずかしかったが、素直に肯定した。……顔は、背けていたけれど。 しかしそれがまたクロエのツボにはまったらしく、「ねおんおねぇちゃん、かわいいっ!」と言われてしまって、困った。 「か、かわいくない!」 「かわいいわよ」 「かわいく――」 「かわいいっ」 そして、これでは埒が明かない。 ので、 「く……く、クロエの方が、もっと可愛いし、好きだぞ」 言ってやった。これで少しは恥ずかしがるといい。 ……音穏も、相当恥ずかしくなったけれど。 「ほんとう!?」 だけどクロエは、ちっとも恥ずかしがらなかった。それどころか嬉しそうに笑う。音穏の羞恥は最高潮だ。 ――ああ、本当に。 「クロエには敵いそうにないな……」