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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
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18


 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)が、季節に合わせて新しいケロッPちゃんのデザインを依頼しにいくと工房に向かったので、橘 舞(たちばな・まい)金 仙姫(きむ・そに)もついていくことにした。
 相変わらず、ゆっくりとした時間が流れる工房で。
 不意にクロエが、紫陽花を見たいと呟いた。もしかしたら、独り言だったかもしれない。だけど舞は聞き逃さなかったので、紫陽花が見られる場所を記憶の中から探し出す。
 そういえば、寮の自室の窓から外を眺めたら、紫陽花が綺麗に咲いていたっけ。
 近々時間を作ってゆっくり見に行きたいなぁ、とも考えていた。
 なら、丁度良い機会だ。
「クロエちゃん。紫陽花、見に行きましょうか?」
「えっ、ほんとう?」
「はい。私も、紫陽花を見たいと思っていたところでしたから。ぜひご一緒に」
 クロエににっこりと笑いかけてから、くるりと身体を反転させて、ブリジットとリンスに向き直る。
「ブリジットは、リンスさんと打ち合わせがあるでしょうし、残ってもいいんですよ。
 それからリンスさん、クロエちゃんのことは私が責任を持ってしっかり見てますから。安心してここに居てくださいね」
 私たちにお構いなく、さあどうぞ存分に二人きりを楽しんで。
 完璧。そう、思ったのだけれど。
「何言ってるの? もちろん私もついていくわよ」
 舞の思惑に気付いているのか居ないのか、ブリジットは提案を一蹴した。
 普段は、紫陽花なんかに興味を持たないのに。咲いていても、一瞥すらせず通り過ぎるのに。
「……いいんですか?」
「いいも何も。ケロッPちゃんのデザインは一任するつもりだったし、これ以上話はないわ」
 ねえ? とブリジットがリンスに尋ねる。うん、と彼は小さく頷いた。
「それに舞がしっかり見守るとか……逆に見守りが必要な方でしょう、あんたは」
 これではリンスとブリジットは離れ離れだ。それでは困る。
 ――こうなったら作戦変更ですね。
「リンスさん」
「うん?」
「やっぱり、リンスさんも一緒に見に行きましょう。紫陽花、綺麗ですよ」
 紫陽花、綺麗、という単語に少し思うところがあったのか。
 だけど外を見て、ためらっている様子。
「何よヒッキー。雨嫌いなの?」
「好きじゃない」
「じゃ、ここに残ったら。紫陽花は私たちだけで堪能するから」
「もう、ブリジット――」
「だけど、来たくなったら来てもいいのよ。紫陽花が綺麗な場所、教えてあげるから」


 結局、リンスは一緒に来なかった。
 店を開けているのに誰もいなくなるのもどうか、というところもあったらしい。そんなもの、今出かけていますー、と一時閉店にすればいいのに。
 それとも、それほどまでに雨が嫌なのか。あるいは引きこもり病は重症なのか。
 どちらであったとしても、離れてしまってはブリジットと話すことはできないだろう。今日は仙姫も一切の協力をしてくれないし。少し、悲しい。
「ねえ舞」
「はい? ……あ、もしかして工房に戻りますか? 打ち合わせですか?」
「打ち合わせは終わったって言ってるでしょ。戻る理由なんてないわよ」
「そうですか……」
「……じゃなくて。あんた、さっきから心の声だだ漏れだから」
 ずばり、指摘された。慌てて口を両手でふさぐ。今更出た言葉は戻らないけれど。
「何であんたはあのヒッキーと私をくっつけたがるのかしら」
 独り言じみた文句を零しながら、ブリジットは先を歩いていった。
 舞は、少ししょんぼりとした気持ちになりながら、歩く。
 その舞の手を、クロエが握った。
「クロエさん」
「わたし、みんななかよしがいいとおもうの。だから、まいおねぇちゃんのしてること、いいことだとおもうわ」
「……クロエさんは、優しいいい子ですね」
 思わずぎゅっと抱きしめたくなったけれど、やめておいた。公道だし。往来だし。
 それにそんなことをしていたら、ブリジットや仙姫においていかれてしまう。
「行きましょう」
「うんっ」
 二人のあとを早足で追いかけ、目指すは百合園女学院学生寮。


 木漏れ日の中、可憐に咲く紫陽花の花。
「なんというか、まるでわらわのようじゃな」
 などと仙姫が言ったので、ブリジットはまたかとため息を吐いた。
「ここはひとつ、紫陽花をバックに妾の優雅な舞を披露してしんぜようかの」
 ため息には気付かないふりをした仙姫が、伽耶琴を取り出して奏で始める。
 あまり認めたくないけれど、確かにまあ、風情は出ている。楽器と場所の雰囲気があるせいだけれど。
 ――だって、仙姫と紫陽花の共通点なんて服の色くらいじゃない。
「こーして、妾が雰囲気を盛り上げているとゆーに」
 ちらり、仙姫がブリジットを見た。
「……アホブリは、どうしてああも突き放すのかのぅ。引っ張って連れてくれば、展開がひとつふたつ進んだろうに」
 挙句、さかしら顔でやれやれと。
「……ちょっと、いつも以上に何言ってるのかわからないわね。雨で脳、カビた?」
「阿呆。カビるわけがあるまいに。非現実的じゃのぅ」
 嫌味を正論で返されると、非常に腹が立つ。
 もう喋るものかと仙姫に背を向けたところで、
「アホブリには花より団子がお似合いじゃ。工房でカエルパイでも食べておればよいものを」
 仙姫が言ってきた。
 まあ、実際そこまで紫陽花に興味を持っていたわけじゃないけれど。
 でも、舞の手のひらで踊るのは癪だし。
 リンスと二人きりになったところで。
「……ないでしょ。なにも」
 想像してみて、改めてそう思った。
 だから、ここに来ることを選んでよかったのだ。
 ――紫陽花、綺麗だしね。


*...***...*


 富永 佐那(とみなが・さな)は、ヴァイシャリーの公共スポーツ施設にいた。
 体育館を借りて、していることはフットサルの練習。
 ブラジル育ちの佐那は、パラミタへ来るまではずっとサッカーボールと共にいた。よく、ボールは友達だとか言うけれど、その通りかもしれないと思えるくらい。
 だから、雨の日が続くとボールを蹴れなくて困る。
 蹴りたい。
 その気持ちを昇華させるべく、今日、ついに体育館に足を運んだわけで。
 リフティング等で身体を慣らしていたところ、体育館の入り口に小さな影が見えた。
 ――あの子は。
 噂に聞いたことがある。
 小学生くらいの女の子で、頭にリボンを結んでいて、お人形さんのように可愛くて、それでいて、とても元気な子がいると。
「もしかして、クロエさんですか?」
 彼女に近付きながら、佐那は言う。少女は「わたしをしってるの?」と目を開いた。そうか、やっぱり彼女がクロエか。
「クロエさんは可愛くて元気いっぱいですから。たまに話を聞くんです」
 ボールを蹴り上げ、落ちてきたところを胸に抱く。
「屋外にいても濡れてしまいますし、少し雨宿りしていきませんか?」
 おいでおいでと呼びかけると、クロエは体育館に入ってきた。ボールを蹴って渡す。
 元気と噂の彼女だから、この雨ではさぞかしエネルギーを持て余していると思って。
「クロエさん。ミニゲームをしましょう」
 提案。
「げーむ?」
「そうです。ゴールにボールを入れた方が勝ちの、単純なゲームですよ」
「わたし、ボールあそびしたことないわ」
「あらら。では、教えながらやりましょうね」
 まずは蹴り方から教え、ルールを教え。
 ある程度わかってきたな、と佐那が判断することには、クロエは良い動きをするようになっていた。これは、侮れない。
「いくねっ」
 クロエがボールを取りに来る。佐那は、リフティングをしてかわす。前に後ろに、次々とポジションを変えて。
 それでもクロエは動じない。ついてくる。ボールだけを見ていた。上達が早い、と素直に感心してしまう。
 さらにクロエはとっておきの瞬発力があった。ばっ、と一気に距離を縮めてボールを取りに来る。佐那は、これをルーレットと呼ばれる技で回避した。
「えっ。すごいすごい、いまのなぁに!?」
 ボールを追いかけるのをやめて、クロエが佐那に問い詰める。どうやら相当興味を引いたらしい。
「ルーレット、っていう技ですよ。得意技です」
 ドリブルの途中、両足の裏でボ^ルを転がしながら一回転。プレスに来た相手をかわす技。
「覚えてみます?」
「おぼえられるかしら」
「クロエさんならできますよ」
 いつの間にか、ミニゲームは技の練習に変わっていて。
 クロエがルーレットを成功させることができるようになる頃にはもう、体育館を明け渡さなければいけない時間になっていた。
「ゲームの行方はお預けですね」
「そうね。とってもたのしかったわ!」
「じゃあ、また遊びましょう。あ、そうそう。ルーレットの習得、おめでとうございましたっ」
 ぎゅ、っと抱きしめて褒めてやる。腕の中で、クロエが「えへへ」と照れた笑いを浮かべた。