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リアクション
■ヴァイシャリー
「……は? レースクィーン?」
島本 優子(しまもと・ゆうこ)は、それは聞き間違いか、もしくは相手が何か言い間違ったのだという確信を持って聞き返した。
が、受付の娘は優子の顔を困ったように見返してから、「ええと」と書類を一枚拾って、優子の前へとおずおずと差し出した。
「島本 優子さま、ですよね? ……間違いなく、レースクィーンとしてご応募頂いてます、けど」
「だから、そんなはずないわ。私は――……」
その書類に書いてあったのは確かに自分の文字であった。そして、確かにレースクイーン用の応募用紙であった。何度か舐めるように書類を見た後……くしゃっ、と手元で書類が歪む。受付の娘が、はは、とひくつく口元に愛想笑いのようなものを浮かべている。
ミスだった。ありえない。ありえない、痛恨の、「時間よ巻き戻れ!」と心底から願うタイプの、泣きたくなるようなミス。
よりにもよって……
「は……はは……レース、クィーン……」
カサカサと風化し始めた優子の耳には、人々の楽しげなざわめきと水の音が聞こえていた。
外の明るさに負けて少し薄暗い受付の部屋。窓は開け放たれていた。
その窓の向こう――青い水面を打った夏の日差しが、水路を囲う壁の表面に揺らめいて波打ち、その零れた光が受付の天井にも淡い光の波を映し出していた。
ヴァイシャリーの町を巡る細い水路の上には、白い日傘を差した人々を乗せた多くのゴンドラが滑っていた。
タンポポの綿毛や白花が流れていくように見える。大運河やヴァイシャリー湖へと出て、レースを観戦しようというのだろう。
そうして、騎士の橋を下から臨む運河の端では、いつも以上に品物をたっぷりと乗せた露店船が並び、盛況を博しているようだった。焦げ茶色をしたゴンドラの上では、中年女性が愛想よく蒸し器の中のお菓子やお茶を売っている。柔らかな湯気をたち昇らせる蒸し器の中より取り出されるのは、小さな茶色の菓子であり、その中に入っているのはたっぷりとした卵の黄金色――その丸い甘みは思わず手足を踊らせたくなるほどで、近くの水面は、船に伝わったお嬢様方の可愛らしい仕草の振動で、常に小さく揺れていた。
■レース会場
会場となった広場には、多くの観客が集まっていた。
その周りを取り囲む屋台では、キンキンに冷えた氷菓や良い匂いを漂わせるパン菓子、アイスティー、グラスワインなどが売り上げを伸ばしている。中でも人気があるのはやはり、ロベール商店の乳製品で、出張店に用意されていた品物は早々に売り切れの気配を見せていた。いつか刊行されたヴァイシャリー観光マップの効果か、他国のお嬢様方とその家族への売れ行きが良いらしい。
それら露店に囲まれるようにして、日よけの巨大な屋根が設置された半円すり鉢状の客席があり、更にその客席に囲まれるようにしてスタートとゴールの置かれたレース会場があった。
広場の中心には色とりどりの小型飛空艇が並んでおり、東と西のユニフォームに身を包んだ選手たちが、それぞれ最終的な打ち合わせやら、メンテナンスやらを行っている。
◇
水色の機体だ。
そこに、一つのマークが付いている。百合の花の輪の中に白兎の横顔が描かれたマーク。
フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)の構えたカメラに映っていたのは、その機体と、そばでスタート前の打ち合わせをするメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)とセシリア・ライト(せしりあ・らいと)の姿だった。
「メイベルさん、セシリアさん」
ステラ・クリフトン(すてら・くりふとん)の声が彼女たちを呼んで、二人が振り返る。
セシリアがイェイッとピースサインを付き出して、メイベルの方はゆったりと微笑んだ。
「お二人とも、レース前の心境はいかがですか?」
フィリッパの問いかけに、セシリアがにぃっと笑って、
「わくわくしてるよ! ねっ、メイベル」
「はいぃ〜、あ……でも、少しどきどきもしてますぅ〜」
メイベルが微笑みながら眉端を垂れ、小首を傾けた。
と、セシリアがずんずん近づいてきて、フレームの外からステラを引っ張り出す。
「はい、一言ー!」
「え? あ……え? ワタシ、ですか?」
カメラの前でいきなり振られて、ステラが少しばかり思案した後、ぐっとレンズに顔を近づけた。
「メイベルさん、セシリアさん、怪我なく無事完走して戻ってくることをお祈りしています!」
「あのぅ〜……」
「僕たちはこっちだよ」
「あ……」
メイベルとセシリアの声に、ステラがハッとして振り返る様がおかしくて、フィリッパはくすくすと笑ってしまった。
そして、
「さて」
フィリッパは会場で待機している様々な選手の様子へもカメラを巡らせた。
◇
島津 ヴァルナ(しまづ・う゛ぁるな)は、技術科生徒たちの手伝いで、選手たち全員に応急修理の方法の最終確認に回っていた。
「島津」
名前を呼ばれて振り向けば、三田 麗子(みた・れいこ)が手を振っていた。彼女はジーベックのサポートとしてレースに出る予定だ。
そちらの方へと駆け寄っていく。
「ちょうど、そちらへ伺おうと思っていたところでしたわ」
「応急修理の件で? 問題ありませんわ」
「でも一応、最終確認を」
小首を傾けた島津へ、麗子がにぃっとした笑みを近づけ、
「そんなことより、優子を見た?」
「え? あ、はい、あちらの方でレースクイーンを。お綺麗でしたわ。ちょっと、恥ずかしがっておられる様子でしたけど」
あごに指先を置いて、うーんと思い出しながら言う。
麗子は楽しげに、くすくすとこぼし、
「あんな恥知らずな格好をよく出来ますわね、あの子」
「綺麗でしたけどー……」
返答に困りつつ肩を落とした島津を、麗子が、ふいに、じっとと見つめ、
「これから言うことは、二人だけの秘密ですわよ?」
「はい?」
「実は私がすり替えたの」
「何をでしょう?」
「応募用紙、ですわ」
「え……あの……」
「あの子、生意気にもジーベックとレースに出るつもりだったようですので、相応しい役を与えて差し上げたまでですわ」
そう言った麗子は、今にも高笑いしそうな調子だった。
聞かされて、島津は……
「……こ、怖い……」
己の中にあるジーベックへの小さな恋心は、麗子に悟られぬようにしなければ、と固く決心したのだった。
◇
「うう……恥ずかし過ぎる……」
ボディラインを存分に強調したハイレグカットのコスチュームに身を包んだ島本 優子(しまもと・ゆうこ)は、他のレースクイーンたちに混じって、多くのカメラにその姿を撮影されていた。
「こっち視線くださーい」
「あ、こっちもいいですかー?」
なんだかよく分からないけれど、言われるままにあっちに笑顔、こっちに笑顔を向け、ポーズを取ったり……とやっている間に、優子は次第に慣れ、自身の格好に対しての抵抗感が薄れていくのを感じていた。
そして――
(というか……何だかクセになっちゃいそう……うー、私ってこんな娘だったの?)
なんか、新たな自分を発見したりしていた。
◇
「んあー」
テレサ・エーメンス(てれさ・えーめんす)が、やや空の方を見上げる。。
今しがたロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)から改めて告げられた『作戦』を頭の中で反復しているのだろう。
しばし後、テレサが、ぽんっと手を打ちながら、ロザリンドの方へと視線を返して晴れやかに笑んだ。
「ようは、とにかく飛ばせばいいってことやね」
「ええと……まあ、そんな感じです」
ロザリンドは、大体なんとなく重要な部分は分かってもらえているという感触を得て、微笑とうなずきを返した。
「それなら何とかなるなる。よっしゃー、いっちょやったるでー」
テレサが気楽な調子で肩に手を置きながら、くるくると腕を回す。
その様子を眺めていたロザリンドは、ふと、気づき、
「あの、そういえば、メリッサはどこに?」
後ろの方から「あの子なら」と言われて、振り返る。
声の主は桐生 円(きりゅう・まどか)だった。
彼女と真口 悠希(まぐち・ゆき)は先程までロザリンドと『相談会』の最終打ち合わせを行っていた。
円が悠希と七瀬 巡(ななせ・めぐる)共に行っていたコースの確認の手を止めて、指さしていたのは客席の方。
そちらを見やれば、メリッサ・マルシアーノ(めりっさ・まるしあーの)が、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)と連れ立って、客席でジュースや酒を売り歩いていた女性に声をかけているところだった。
「……なるほど」
軽く額を抑えつつもらしたロザリンドへと、円が「ついでに、うちのアホの子も」と言う。
ロザリンドは、はふ、と一つ息をついてから、
「そろそろレースが始まりますよー!」
会場の雰囲気にハシャいでいるらしい二人を呼び戻すため、そちらのほうへと駆けていった。
「まるでお母さんだわぁ〜」
円の飛空艇の後部にゆったりと腰掛けていたオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)が笑う。
しばらくして――
「あ、そろそろスタートの準備かな?」
七瀬 歩(ななせ・あゆむ)はスタッフたちの動き方が変わったことに気づいて、巡と悠希の方と向き直った。
「それじゃあ、巡ちゃん、悠希ちゃん。頑張ってね」
「あ……」
「うん、悠希ねーちゃんのことはまっかせて!」
元気にガッツポースを取った巡と、何か言いたげだった悠希の方へ微笑み、歩は応援席に向かおうとした。
と――。
「あの、歩さま」
悠希が歩を呼び止める。
「え?」
歩が振り返ると、悠希がおずおずと、
「あの……もし、可能でしたら、歩さまに同乗して頂きたいのです、が……」
「でも、あたしは……」
「無理をごめんなさい……でも、歩さまに一緒に来て頂けたら、とても、心強くて……それに、皆への応援の想いも、直にレースにいた方が届くと思うですっ……」
歩は、うーん、と少し考え――
◇
ネノノ・ケルキック(ねのの・けるきっく)は、黒布を顔面にぐるぐると巻いた格好でスタートを待っていた。顔を隠しているのにはわけがある。今回はレロシャンに内緒でエントリーしているのだ。
乗っているのは黒い飛空艇。借り物だが『ギガNK』と名前を付けた。そのシックな装甲を軽く撫で、
「フフ、ワタシがNO.1をとって、レロシャンが驚くさまを早くみたいものですね」
と、一人呟いた刹那――
「もうじきレースが始まりますね」
ふいに、そんな言葉が聞こえてネノノは顔を上げた。顔を上げて固まった。隣に居たのは、レロシャン・カプティアティ(れろしゃん・かぷてぃあてぃ)だった。
レロシャンは白い小型飛空艇の上に仁王立ちしていた。腕を組み、雄々しく、ヴァイシャリーの街並みを見据えながら。
「……アー」
ネノノは早々に気づかれたものと思い、何かしら言い訳を考えながら視線をさまよわせた。が、レロシャンはこちらを一切見ずに続けた。
「私が、この超絶RC号で狙うのは、ただひとーーつ!!」
ずびしっ、と一本指を立てる。
「優勝! これだけです!!」
「…………」
そこで、ネノノは、レロシャンが自分に向けて喋りかけたわけではない事と、自分の正体が彼女にバレてはいないという事を理解した。
その代わりに『じゃあ、こいつ一体誰に向かって話しかけていたんだろう』という、ずっしりとした大きな疑問が残る。
「よし、勝つぞー!」
うきうきとレロシャンが白い飛空艇にまたがり直す。
そこで、ネノノは「ああ」と理解した。
(ノリノリのイケイケなんですね、つまり)
◇
スタートの合図を直前に控え、小型飛空艇たちはスタートライン上へ立体的に展開していた。
「では、シーマちゃん。予定通りにおねがいしますね」
牛皮消 アルコリア(いけま・あるこりあ)の言葉に、シーマ・スプレイグ(しーま・すぷれいぐ)は、コースの先を見据えながら頷いた。
「分かっている――例の物を使えない分、確実性は下がるが、それなりに粘ってみせよう」
ナコトの方を見やる。
「アルを頼むぞ」
「ええ」
ナコト・オールドワン(なこと・おーるどわん)が言って、胸元に手を当てながら上半身を垂れた。
そして、どこか儀式めいた様子で唱える。
「マイロード・アルコリア様。勝利の栄光を貴女に」
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