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リアクション
第二章
1.
薄暗い森に微かに光る、プラチナブロンドとブロンドの髪。
エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は、リュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)とともに、この黒薔薇の森を訪れていた。
エメの腕には、可愛らしい猫……アレクス・イクス(あれくす・いくす)が抱かれ、時折主人を励ますように、その舌で白い肌を舐めた。
森の中は、静まりかえっている。かつて生徒たちの行方を阻んだ不気味なモンスターたちも、今はそのなりを潜めていた。
穏やかな森に戻ったというよりは、それはむしろ、どこか死の匂い、役目を終えて枯れゆく森、そんなイメージを抱かせる。
「大丈夫かい? エメ」
「はい」
平気です、とエメは微笑んでみせた。
その健気さを可愛らしく思う一方で、手にした薔薇……実際には、光条兵器だ……を、リュミエールは片時も離さず、さらに周囲を警戒し続けていた。
「どなたか、お話できれば良いのですが」
エメはそう呟きながら、周囲を見回す。……その時、アレクスが「ニャア」と鋭く鳴いた。リュミエールのディテクトエビルには、微弱な反応しかない。つまり、何者かはいるが、敵意は薄い。そういうことだろう。
しかし、警戒は解かないままに、リュミエールとエメは、霧の向こう、闇の奥の気配へと目をこらした。
「……今更この森に客人とはね……」
掠れた声が響く。
徐々に姿を浮かび上がらせたのは、一人の吸血鬼だった。マントを頭から深く被り、その容姿ははっきりとしない。しかし、声の調子から、どうやら男……青年らしいと、それだけがわかった。
「貴方は、この森の住人でいらっしゃいますか?」
エメがにこやかに尋ねた。心の底では、緊張はしている。しかし、それ以上の覚悟が彼にはあった。
「かつて、ね。俺も、久しぶりに来たようなものだ」
「そうですか……」
やや落胆をしつつも、エメは口を開き、彼に尋ねた。
「この森のことが、知りたいんです。……この森の墓は、誰のものなのですか? そもそも、黒薔薇とは、なんなのでしょう」
エメの問いかけに、男は黙り、そして、尋ね返した。
「それを知ることが、なんになる?」
「……あなた方が、地球人を嫌う気風があるのは知っています。けれども私は、両者が共存できることを願っていますし、そのために出来ることはなんでもしたい。……それだけです」
「なんでも、か?」
「…………」
再度の問いかけ、いや、確認に、リュミエールはエメを見やった。相手がなにを差し出せというか。場合によっては、なんとしてもエメを護りたかった。
「ええ、なんでも」
エメはしかし、そう気丈に答え、微笑んだ。
「なら、そうだな。身体を差し出せといいたいところだが、隣のお兄さんがおっかないしね。……血を、少しばかりもらえるか」
「血、ですね。……それでしたら、どうぞ」
エメは了承した。それくらいのことは、覚悟の上だ。
「……エメ」
「大丈夫」
リュミエールにそう告げると、エメは男の前に歩み寄った。細い首筋に、男の指がかかる。しばしその感触を楽しむように指を滑らせ、薄青く浮いた血管へ、彼の唇が触れた。
「……………」
エメは唇を噛み、吸血という行為に耐える。微かに目眩がしたが、その足を踏みしめ、堪えた。
暫しあって、男は顔をあげた。ほんのわずか、傷跡がその頬に見えた気がしたが、そのほかには表情すら伺うことはできなかった。
「いい味だった」
「……それはどうも。では」
対価を、とエメは促す。
「……まず、黒薔薇がなにか。考えすぎだな、君は。ただの植物さ。ただそれが、ウゲンがこの森で眠りについたとき、彼を護るかのようにこの森に蔓延った。そして、ここを俺たちは神聖なものと決めた」
「では、あの、墓は……」
「ウゲンのためのものだ。ナラカの夢に漂い、眠り続ける彼のために、ああして標をたてた。それがいつしか墓標と言われるようになったんだ」
「この森は、ナラカに近いのですか?」
ナラカ、という単語に反応し、エメはさらに尋ねる。
「……さぁ。あえて言うならば、タシガンという地そのものが、ナラカに近いかもしれないがな」
彼はそう言うと、微かに笑い声をたてた。どこか不吉な物言いに、エメの背筋に冷たいものが走る。しかし、そんな彼の腕をリュミエールが支え、足元でアレクスがその身体をすり寄せた。暖かな体温に、エメはほっと安堵する。
「じゃあな」
それだけを告げると、男の姿は、再び霧と闇に溶け消えてしまった。
「エメ」
「……とりあえず、今の情報を、早川君たちに伝えましょう。アレクス、頼みます」
そう声をかけ、さっそくメモを書こうとするエメの頭を、リュミエールの手のひらが撫でた。
「偉かったね」
リュミエールの賞賛に、エメは数度瞬きをして、それから、花が綻ぶようにはにかんだ笑みを浮かべた。
エンジンが低い唸り声をあげ、一台の軍用バイクがタシガンの市街地を走っていた。
ハンドルを握る教導団の世 羅儀(せい・らぎ)は、サイドカーに座っている叶 白竜(よう・ぱいろん)に声をかけた。
「タシガンって独特の雰囲気があるよね。何か人を寄せ付けない謎めいた部分というか」
「そうですね」
白竜は答えたものの、その表情はどこか上の空だ。
先ほど二人は、イコン基地にて、ルドルフと面会をしてきた後だった。
タシガンの地と、その領主ウゲンは、白竜にとって謎めいた場所だ。今回、ウゲンが薔薇の学舎に対してなんらかの動きがあるようだと耳にし、タシガンにやってきた。
イコン基地に格納されたシパーヒーが、お遊戯会のような紙の鎖に飾られている理由はさっぱりわからなかったが、これも薔薇の学舎流のなにかなのだろうと、羅儀はおもしろがっていたものの、そのあたりは白竜はさっぱり無視することにした。
ルドルフに面会を要望した理由は、表向き、なんらかの戦闘があった場合、タシガン市民の警備をさせてもらいたい旨を伝えるためだった。
ルドルフはそれを歓迎し、感謝を示してもくれた。――しかし。
「失礼とは思いますが、お答え願いたい。……なんらかの戦闘があった場合、と申し上げましたが、その可能性があるとお見受けします。国軍である教導団に対し、表だって救援要請がないのは、何故ですか?」
それに対し、ルドルフは仮面越しに微かに笑った。それはどこか、自嘲めいたものでもあった。
「僕らは、校長の命に従って行動しているわけではないのだよ。それぞれの矜持に従った、それだけのことさ。薔薇の学舎全体の問題であれば、そちらにも今後は連絡するだろうが」
「タシガンのことは、タシガンで片を付けたい……と?」
「ご協力には心から感謝するよ。僕個人としてね」
ルドルフはそう告げると、赤い薔薇を一輪、白竜へと捧げたのだった。
その薔薇は今、風に揺れながら、白竜の手の中で咲いている。
「薔薇には刺がある、と言いますが……」
呟いた時、羅儀がバイクを停めた。
「どうかしましたか?」
「そんな怖い顔していないで、タシガンコーヒーでも楽しもうよ。あ、人がいた」
ちょうど良かった、と羅儀は片手をあげて、道行く男を呼び止めた。やや恰幅の良い、どうやらシャンバラ人のようだ。
先ほどから市内を警戒も兼ねて走っていたが、人の姿が見えず、ようやく見かけた市民の姿だった。
「こんにちは! いい……まぁ、霧はでてっけど、良い天気ですね」
「……教導団の人かい?」
「ええ」
人当たりの良い笑顔で、羅儀がそう話しかける。
「コーヒー飲めるとこってないかなぁって。このあたり、あんまり詳しくないないんで」
「近くにはあるが……今日はやめておいたほうがいい」
声を潜めて、男は羅儀に答えた。
「ウゲン卿がなにかを企んでいるようだ。ほとんどの人は、家から出てこないよ。私も、取引に来たって言うのに、なにもできない」
どうやら彼は、タシガンに特産品の買い付けに来た商人らしい。困った様子で、首を横に振っている。
「人々は、ウゲン卿に協力的なのですか?」
白竜がサイドカーから降りると、ぴしりと背筋を正し、男へと尋ねた。
「協力というより……逆らえない、という感じだね」
「逆らえない?」
羅儀が、どうして??と首を捻る。なんらかの統制、あるいは罰則でも存在するのかと、白竜は眉間を険しくさせた。
「いや、逆らえないっていうか……、逆らうなんて、考えもつかないみたいだ。契約してる吸血鬼は違うようだが、普通の吸血鬼はみんなそうだね」
「……?」
ウゲンの持つカリスマ性ゆえとも言えなくもないが、一種それは、呪縛めいたものにも感じられる。
「まぁ、お兄さんたちも、気をつけてな」
彼はそう言うと、人目をはばかるように立ち去った。
それを見送りながら、白竜は顎に指をかけ、しばし考えこんでいたのだった。
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