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まほろば遊郭譚 第二回/全四回

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まほろば遊郭譚 第二回/全四回

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第四章 黄金の天秤と十字架

 朝倉 奈美(あさくら・なみ)は商人に扮して瑞穂藩領内に潜入していた。
「マホロバの大名、藩主でありながら、他国の騎士に成り下がるなんて。そんな人を領民はどう思ってるんでしょう。それも含めて、瑞穂藩内の様子を探ってみましょう」
 しかし、瑞穂藩内では正識の人気は上々である。
 圧政かと思いきや、瑞穂藩内ではユグドラシル信仰者も多く、彼らを保護しているためであろうか。
 瑞穂藩内で正識を悪くいうものはいない。
 瑞穂が次の天下をとると信じているようだ。
 彼らの土地では、口々に二千五百年前に鬼城家に敗れたこと、その後の苦難を先祖から言い伝えられており、必ずしもエリュシオン帝国を侵略者とは思っていないようだった。
 それどころか、『救世主さまの生まれ代わり』と、正識のことを敬うものもいる。
 奈美はさんざん歩きまわった末、ようやく追われた瑞穂の急進派について聞くことができた。
「日数谷てゆうお侍もかわいそうたい。天子様ば攫おういうとは良うなかったかもしれん。ばってん、瑞穂やマホロバの来る末ば思おてやったこと。正識様もまっと寛大なご処置ばしてもろうたらよかとが……」
 もともとは、彼らはマホロバや瑞穂を救うために立ち上がった若者たちであり、その境遇に同情を寄せるものも多いという。
 瑞穂藩においても、急進派の問題は手に余るものだったようだ。
 しかし、それをまとめあげている正識の手腕も大したものだと思った。

卍卍卍


 瑞穂城。
 その部屋の一室に胡蝶(てふ)ことティファニー・ジーン(てぃふぁにー・じーん)は軟禁されていた。
「胡蝶といったな。着ているものを全部とってみせよ」
「こんなことして、事務所にいいつけますよ……って、ミーは事務所……もうなかったデス」
 東雲遊郭から正識に連れてこられたティファニーは、身体検査をさせられている。
 彼女は恥ずかしそうに両手で胸を隠しながらうつむき、屈辱に耐えていた。
「これも暁仄姐サンの……ためデス。姐サンを悲しませちゃいけないんデス……」
 しかし、正識は気にする様子もなく、何かを探すように彼女の身体から、髪から、着ていたものまで入念に確認し、ついに叫んだ。
「なぜ、ないんだ?」
「何がデスカ?」
「……架。十字架(ロザリオ)だよ」
「ロザリオ?」
 ティファニーはきょとんと正識を見つめた。
「キミが持っているかと思ったが、見当違いだったか」
「ミーは訳ワカリマセンヨ? テキサスでは教会には通ってましたネ!」
「もういい、帰れ」
「ハイ?」
「帰れと言っている」
 正識はイライラしたように、椅子に腰掛けた。
 ティファニーは着物をかき集めて適当に羽織ると、瑞穂藩主の目の前に立った。
「なぜキミが黄金天秤の影響を受けなかったか……? まあ、いいさ。 龍騎士に領外まで送らせよう。きちんと着物を着たまえ、見えてるぞ」
「……!! み、見たら駄目デス! じゃなくて、ミーはマダ帰りませんヨ!」
 ティファニーは慌ててしゃがみこんだ。
「ミ、ミーは何の為にココへ? ロザリオって? 正識(まさおり)サマは、もう東雲(しののめ)には行かないんですか?」
「東雲にはまだ用がある……が、キミを連れてきたのは、ロザリオが見つかったのだと思ったからだ。妹の形見の。さっきのことはもう忘れるといい。無理に連れてきて悪かった。困らないだけの金は渡そう」
「そうじゃないデス。ミーはその、明仄姐さんが心配で、その……」
「明仄の代わりに身請けされたとでも思ったのか? キミは?」
「ダッテ、姐さんはいつも正識サマを待ってるのに。ヒドイですヨ!」
「どうしてキミが怒ってるんだ」
 正識には、ティファニーのほうこそいっている意味が分からないと言った。
 彼女が姐遊女に対して、普通の同性以上にもつ感情――肉親のような親しみと女として憧れ――を持っていることなど知るはずもない。
 彼は、女の嫉妬かと早合点した。
「はじめになんども言っているが、私は女は抱かない。信条なので。それは明仄も承知している。彼女はよくやっている。明仄の協力がなければ、私は、マホロバの実情を深く知ることはできなかっただろう。明仄が洗礼を受けるなら、私は『マグダマリィ』という名を与えたいと思っているほどだ」
「それは、だって……姐さんは正織サマを想って……」
 『正織様……どこに?』そんな姉遊女暁仄(あけほの)の声が、ティファニーには聞こえてくるようだった。

「正識様、よろしいですか」
 そう言って戸口に姿を現した妖艶な女性ファトラ・シャクティモーネ(ふぁとら・しゃくてぃもーね)
 彼女に脇には、半べその朝倉 奈美(あさくら・なみ)がいる。
「瑞穂藩内でなにやら嗅ぎまわっていたので、私がお連れいたしましたわ」
「だから、誤解だって! 商売のために聞いてただけだもん!」
「さて、どうかしら……。ところで正識様、お邪魔でしたかしらね」
 ティファニーとの痴話喧嘩かと誤解されたと思った正識は、即座に否定した。
「いや、この娘は関係なかったよ。遊郭に戻そうと思っている。水波羅(みずはら)など、いいかもしれないな。今、思いついただけだがね」
「正識様は案外、冗談がお好きなのですね」
 ファトラはティファニーを押しのけ、正識にしだれかかった。
「たびたびお出かけになっていたかと思えば、遊郭ですか。私は何かお考えがあるのだと思って黙ってましたが、それでマホロバ文化を知ったおつもりになってるのではないでしょうね? マホロバは長い歴史があり、拙速に事を急ぐと全てが台無しになってしまいますわ。まずは長い時間をかけて、エリュシオンの文化をマホロバに広めていけばいいのです」
「キミも知っているとおり、私はエリュシオン帝国の暮らしが長い。マホロバを知るには直接人に触れたほうが早いと思ったんだ。いろんな話を聞くことができたし、迷えるものに光の道筋を与えてきた。そして、やがてこの地がユグドラシルとつながったとき、どのようにつくり変えていくべきか、確信も得た」
「確信とは?」
「マホロバから鬼を滅ぼし、扶桑の過ちをそのものから消す」
「それは鬼城家を、幕府を倒すということですわね」
 ファトラは、今さら何を当たり前なことをと考えた。
「マホロバの統治は、今の幕府が行っている限りいずれ滅びますわ。瑞穂藩は、貿易での豊かな国を魅せつけて、マホロバを二つの国に分断すればいいのです。自ら手を下さなくとも、幕府は内部崩壊するだけですわ」
「それは良い案だと思うが、キミは肝心なことを見逃しているよ」
「と、いいますと?」
「マホロバを割るということは、扶桑も割るということだ。力の低下は避けられない。扶桑は……世界樹はね、繋がってるんだよ。世界樹同士が。ユグドラシルともね」
 正識は立ち上がり、壁に貼られているパラミタ地図を槍で突いた。
 いくつかの場所に穴が空いている。
 ティファニーと奈美が顔を見合わせてた。
「……パラミタに存在する世界樹と、その場所……ね?」
 と、奈美が指摘する。
「そう。世界樹の力がなくては、パラミタの土地は支えられない。繁栄もない。だが、困ったことに、世界樹が傷付くとそれをなんとか生かそうと、他の世界樹が頑張りだすんだ。単に国を分割して住み分ければいいという問題ではない。私はマホロバを壊すためではなく、救うために来たのだから」
「……つまりユグドラシル以外の世界樹に扶桑――マホロバを触れさせたくないと、そう考えていらっしゃるのですね」
 ファトラが視力の弱い目を細め、頭を巡らせる。
 正識は槍を引き抜き、先を続けた。
「土地制圧だけが戦争ではない。それだけならたやすい。文化、歴史、宗教、技術、経済、その人に流れていく血……これらに影響を与え、支配圏に置くことが最も重要なのだ。しかしマホロバは、そのものである扶桑と一体化した『天子』がいる。こともあろうにマホロバを食い尽くしかねない『鬼』を認め、統治する力まで与えてしまっているのだ。間違ったものは消去し、正してやる必要があるだろう。これはね、そのための戦いなんだよ」
 正識は、テーブルの上にある黄金の天秤に触れた。
 ゆらゆらと皿が動き出す。
 ファトラは咄嗟(とっさ)に目をそらした。
 彼女はマホロバの前将軍貞継(さだつぐ)との『托卵』によって、視力を失いかけてはいるが、ぼんやりと見える天秤を、本能的に危険であると察知していたからだ。
 審問官は、指で金の皿をなぞっている。
「この天秤はそのときの指針となるものだ。鬼をあぶり出し、魂の重さをはかることができる――魂の重さとはね、即ち、マホロバの重さだよ。この傾きの決定で、マホロバの未来も決まる」
「そんな天秤……この世に存在していいものなの?」
 奈美は急に恐ろしくなり、身を震わせた。
「私、何だか嫌だわ」
 正識は苦々しそうに笑った。
「しかし、この天秤に影響されないものもあるんだ。その宝物が、代々瑞穂藩主にのみ伝わってきた十字架(ロザリオ)だよ。先代藩主は、私にそのことを黙っていたのだ。そんなことなら、私は妹に、瑞穂睦姫(みずほの・ちかひめ)に十字架を与えなどしなかったのに……!」
 正識は力が抜けたように、椅子にどかりと座り込んだ。
「なのに……妹は死んだ。死んだんだ」
 ティファニーは正識の熱っぽい視線を感じた。
「睦姫はキミのように、美しい黄金色の髪をしてたんだよ」
 ティファニーはようやく、自分がなぜここへ連れてこられたのか分かったような気がした。