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リアクション
第十五章 〜画策〜
・能力活性薬
「ここにいれば大丈夫だ」
極東新大陸研究所海京分所に矢野 佑一(やの・ゆういち)とミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)はいた。
ドクトルの助手として仕事を手伝っているときに、海京でクーデターが起きたのである。
「しかし、あれは本当に『あの』天住君なのか……?」
目を伏せ、息を漏らすドクトル。
「ドクトルさんは、風間さんの前任者の方をご存知なんですか?」
「天御柱学院と極東新大陸研究所の提携を持ちかけてきたのが彼だったからね。風間君とは対照的だったよ。パラミタ化技術を発展させれば、『契約者』以外でもパラミタの地を踏むことが出来るようになり、いずれは二つの世界の隔たりをなくせるだろうと。夢と理想に溢れた青年、そんな印象だった」
ドクトルが、どこか懐かしむような目をしていた。
「三年前のことがなければ、強化人間の在り方もきっと今とは違ったものになっていたと思う」
三年前。そのときの事故で強化人間は危険だという考えが広まったのだ。
「ドクトルさん、教えて下さい。三年前に何があったのかを」
佑一が頭を下げた。
自分なりに調べもしたが、具体的な事故の内容は伏せられていた。
「当時、私はまだロシアの本部にいたから詳しいことは分からない」
しかし、と続けた。
「事故が起こる前、天住君が日本で初めて地球人のパラミタ化を成功させた頃、政府から一人の男が研究所に派遣されてきた。強化人間研究担当官として天御柱学院へ赴くにあたり、その基礎技術を本場で学ぶための研修という名目で。それが風間君だよ」
それが風間との出会いだという。
「彼のことは、天住君から聞いていた。とても優秀で野心家な親友がいて、政府で働いていると。パラミタ化研究は彼と一緒に始めたともね。話に聞いていたよりも穏やかで冷静な若者だという印象を受けたよ。彼らだけでなく、彼らのパートナーも親身になって尽くしていたようだった」
「お二人のパートナーはどんな方だったのですか?」
「天住君のパートナーは守護天使の女性で、風間君のパートナーは魔女だったよ」
「あの魔法嫌いな風間さんのパートナーが、魔女?」
佑一が驚くのも無理はない。
風間ほど魔法、神秘、奇跡を否定している人間はこの海京にはいないからだ。
「魔女、といってもあくまで種族としての分類だからね。事実、風間君は当時から科学の信奉者だったよ」
話がそれたね、と会話を戻した。
「では、ドクトルさんは本当に三年前の事故のとき、日本にはいなかったんですね?」
風間や天住との関係から、てっきりずっと日本にいたものだと思っていたが、当てが外れた。
「日本に来た時期は、大佐や中尉、ファーストコントラクターと一緒だよ。風間君や天住君がロシアまで通ってくれてたんだ」
嘘はついていないように見える。だが、何かを考える素振りを見せているあたり、何も知らないわけではなさそうだ。
当時の強化人間の記憶消去の方法や、暴走した強化人間について聞こうとしたが、あまり意味はないだろう。
そこで、「何か事故の予兆のようなものがなかったか」を聞くことにする。
「研修に来てたとき、風間さんはどんなことを話しましたか?」
「主に私の専門分野である脳科学、とりわけ人間の記憶についてだよ。今にしてみれば、あのときから彼は記憶消去と人格矯正の方法を考えていたのかもしれない。それに気付けなかったのが情けないよ」
どうやら脳の負担を減らすための方法を当時から風間も見出そうとしていたらしい。
「本当に、風間さんが目指していたものが何なのか分かりませんか?」
当時の会話を思い出している今なら、それが分かるかもしれない。
「ドクトルさんを見ていると、まったく心当たりがないってわけでもなさそうなんです。どんなことでもいいので、事件の前後にあったことを教えて下さい」
ミシェルが頭を下げた。
風間もドクトルも、強化人間のために尽力しているという点では同じだ。それに対する考え方が違うだけで。
「……一度だけ、風間君がこんなことを聞いてきた。『あなたは、「神」をどう思いますか』と。あの風間君が『神』なんて言い出すとは珍しい、と思いながらも私は答えたよ。人間の脳が自らの不安を緩和するために作り出した依り所。それが『神』であり、『信仰』であると」
脳科学者らしい考え方だ。
「それに対し、風間君はこう言ったよ。『「神」は弱者によって生み出された存在に過ぎない』と。魔法や奇跡、神秘、神、そういったものは、未知なるものへの恐れを抱きながらも、それを確かめることなく何もしない弱い人間が自己を正当化させるための空想だと。彼は今分からないものも、いずれ人類が進化すれば解明されていくと考えている。その進化への営みこそが科学であり、『知』の探求だと彼は言っていた」
「風間さんの魔法嫌いにはそんな理由が……」
それだけではない、とドクトルが言葉を紡ぐ。
「彼は、パラミタに迎合したせいで人類が退化しつつあると考えている。科学の権威を復活させるためには、科学の発展こそが正しいと証明出来る存在――進化した人類が必要だと主張していた」
「それが、強化人間……というわけですか」
「具体的にどんな人間かについて、彼は言及しなかったよ。だけど、クーデターの宣言や強化人間がパラミタ人と地球人の双方の特性を持つことを目指していたと考えれば、そうなのかもしれない」
しかし、佑一にはまだ疑問が残った。
ドクトルもまた生粋の科学者であり、強化人間研究を行っているならば、風間のやり方はともかく人類の進化と科学の正当性の証明には賛同しているはずである。にも関わらず、能力消去薬を作ろうとしたのはなぜなのだろうか。
強化人間の身を案じる以外に、きっと理由があるはずだ。
「……そう、クーデターを起こした天住君の主張は、風間君の思想だとすればしっくりくる。これまで強化人間の有用性の証明に必死になっていた理由からも」
「ドクトルさんはオーダー13のことも知っていたんですか?」
「風間君、あるいは学院が何らかの仕掛けを施しているだろうことには気付いていたよ。まさか、戦闘人形に仕立て上げるものだとは思ってなかったけどね」
「能力消去薬はその仕掛けへの対抗策、だったのではありませんか?」
不意をつかれたように、ドクトルが一瞬慄いた。
「確かにそうだよ。君達に言った理由は建前に過ぎない。騙して申し訳ない。だけど、一番の理由は別にある」
ドクトルが席を立ち、部屋の隅にある棚から厳重に封がされた木箱を持ってきた。中には薄紫色の液体が詰まった小瓶が入っている。
「それは?」
「能力活性薬。私が自分の記憶から消そうとした産物だよ」
過去を悔いるようにして、説明を始めた。
「パラミタ化に成功し、パラミタ化地球人が超能力を扱えるようになったことを知ると、その能力の限界を確かめようという試みが研究所で行われることになった。そのとき作ったのがこれだよ。一時的に脳の全領域を覚醒させ、演算能力を限界まで高める。それによって被験者が潜在的にどれだけの能力を持っているのかを計ろうとした。だけど、この薬には問題があった」
「暴走……ですか?」
「そう。被験者に高い適性があれば、薬の影響によってその被験者独自の性質に合わせた能力が覚醒する。薬の効果が切れた後もそれは持続するため、他のパラミタ化地球人――強化人間とは一線を画した存在になる。その反面、適性がない場合は暴走、最悪の場合は死に至るという危険性をはらんでいる。作ったのは十人分。これが最後の一つだよ」
三つは所長の指示で、研究所の実験に使われた。
「あの光景は今でも夢に出る。研究所では、三人中適合したのは一人。実験はそれで打ち切られたよ。だが……」
ドクトルが震えながら、頭を抱えた。
「封印しようとした薬を、日本政府が買い取ると言い出してきた。そのときに出向いてきたのが風間君だった。研究用のサンプルとして売って欲しいと。当時パラミタに対し絶対の優位を誇っていた日本の提示して金額は、能力活性薬六本に対し日本円で六億。所長は取引に応じたよ。一つだけはこうして残ったけどね」
その薬が日本に運ばれてどうなったのか、佑一には想像がついた。
「確かに、私は三年前の事故現場には居合わせなかった。実際に何が起こったのかは本当に分からない。だが、原因は私が……これを作ってしまったせいだ」
それをずっと悔やんでいたのだろう。強化人間への差別意識の一端を生み出してしまったのだから。
「薬のことが表沙汰になったら極東新大陸研究所の死活問題になるとされ、日本で売られた薬がどうなったのかを調べることも出来なかった。これは、研究所の記録から抹消されたんだよ。だけど、何とか出来ないものかとずっと考えていた。それが、能力消去薬だよ。活性薬で暴走しかけた強化人間に使うことで、中和して食い止める。それが最大の目的だよ」
本人も、強化人間の能力を失わせたいとは思っていなかったようだ。
「私を軽蔑してくれて構わないよ。強化人間のためを思って風間君と対立してきたかに見せかけてたけど、実際には現実から逃げて、風間君を止めることも出来ずにただ傍観し、偽善者ぶっていただけなのだから……」
それがドクトルの本心だった。
「ドクトルさん……」
三年前、ドクトルの作った能力活性薬が風間によって日本に運ばれた。そして、その六つは六人の天御柱学院の強化人間に投与されたのだろう。管区長の突出した強さの秘密は、その薬によるものだと考えられる。
その六人のうちの誰かが暴走した。だが、その人物は暴走しながらも一命は取り留めた。
その後学院の強化人間達を引き継いだのは、その薬を日本にもたらした風間。
「まさか、三年前の事故は風間さんが?」
殺されたあの男が元凶か、それに近い位置にいるのは間違いなさそうだ。
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