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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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■オープニング

「バシャン? どこ?」
 ショーネはきょろきょろと辺りを見回して姉の名を呼んだ。
 見渡す限り岩だらけで、何の面白味もない場所だ。だれもわざわざ足を運んだりしない荒れ地。しかしバシャンは領地のはずれにあるこの小さな峡谷を好んで、子どものときから1人になりたいときなどは決まってここに来ていた。
 おそらく今日もここだろう――そう思って探しに来たショーネの想像どおり、バシャンはそこにいて、暮れる夕日を眺めていた。
「ここよ、ショーネ」
 抱いていたひざを解き、振り返る。艶やかな黒髪が夕方の強い風にあおられて顔にかかるのを防ぎつつ、バシャンは立ち上がると下のショーネの元まで飛び下りた。
「やっぱりここにいたのね。今日はアガシさまたちの来られる日よ。忘れていたわけじゃないでしょう? どうして帰って来なかったの」
「ふふっ。お母さまたち怒ってた?」
「当たり前でしょう! でも一番失礼なのはアガシさまにでしょう。一緒に帰って、謝り――」
「謝る必要なんかないわ。彼の目的は当主のお父さまやお母さまに媚びることで、婚約者のわたしに会うことじゃないもの。目的は果たせてるんだから彼も満足でしょ」
「そんなこと…」
 ない、とは言えなかった。それはショーネにも感じられるほど彼の態度はあからさまで、性根の卑しさは透けて見えていた。
 アガシは東カナンの国政に及ぼす力として「アタシュルク」の名を欲しているだけだ。
「…………」
「あたしは平気よ。あんな男、なんでもない。気にする価値もないわ。だからあなたも気にしないで。あなたが気にすることじゃないわ」
 その場しのぎの嘘も口にできない、優しいショーネ。バシャンは妹の姿をつくづくと眺めた。
 黒髪のバシャンと対称的に、美しい銀色の髪が斜光を浴びて虹色の光を弾いている。先祖返りということだった。対話の巫女の能力を維持するためと、厳選された一族の者とのみ婚姻を繰り返してきたアタシュルク家には、ときおりこういった虹色の輝きをする銀髪の持ち主が生まれる。そしてその者は一族の始祖エルヴィラーダ・アタシュルクの生まれ変わりと称され、優秀な対話の巫女になるという。
「気にするなと言っても無駄か。それがあなただものね、ショーネ」
 ふう、と息を吐く。
「分かったわ。あとでお母さまたちに会いに行く」
「あと? 駄目よ、今すぐわたしと一緒に戻って! 今夜は彼らを歓迎して宴を開くんだから。とにかくかたちだけでも出席して、謝罪しなくちゃ」
「これからジオのやつと草原に星を見に行く約束してるのよ。あ、帰るのは明日になるから。適当なこと言ってごまかしといて」
「バシャン!」
 男と2人で夜を過ごすという姉に、ショーネの顔は一瞬で真っ赤になった。バシャンはあははと笑って、手を振りながら去って行く。
「もうっ……もう!」


 東カナン国北カフカス地方を預かる地方領主アタシュルク家長女という身分ある未婚女性の身でありながら、いつも無茶ばかりする姉に何か痛切なひと言を投げつけてやりたくても、適切な言葉が浮かばずにただじだんだを踏むしかなかったショーネ。
 純心で、可憐で、いつもほほ笑みを浮かべていた、まるで穢れを知らない聖女のような女性だった。
 彼女を知るだれもが彼女を守らねばならないと思っていた。
 どんな苦しみも悲しみも、彼女に近寄らせてはならないと。
 しかし肉親の死という悲劇からは逃れることは不可能だった。


「……お父さまに続いて……とうとうお母さまが亡くなられてしまったわ、バシャン…。お父さまと一緒に眠られてほしいって…」
 涙にくれ、打ちのめされているショーネの肩を抱き、バシャンは言った。
「ショーネ、よく聞いて。
 喪が開けたらアガシと結婚するわ」
「バシャン!? そんな――」
「女の身ではアタシュルクを継ぐことはできないもの。男が必要なのよ、お飾りでもね。
 心配しなくてもアガシなんかに好きにはさせない。アタシュルクはあたしたちのものよ。あたしたち2人で一族を率いていくの。あなたが対話の巫女として、あたしがアタシュルク家当主として」
「バシャン…」
「守ってくれるお父さまもお母さまもいない。もう頼れるのはお互いだけよ。あたしにとって大切なのは、もうあなただけ…。
 あなたはあたしが守るわ。あなたも、一族のみんなも」
「バシャン……わたしもよ。わたしも、絶対にあなたを守るわ。愛してるわ、バシャン。大切なのはあなただけよ」
 握り合った手から伝わってくる震えと決意に、ショーネは涙を止めて幾度もうなずいた。
 固く抱き合っているのか、それとも互いにしがみついているのか、分からないままに……。


 あの日、2人は誓った。
 何があろうとも姉妹2人でアタシュルクを守っていくのだと。
 この愛する北カフカスの地で、必ず。


 なのに。


「どうして!? ショーネ!」
 バシャンはうろたえ、取り乱し、叫んだ。
「どうしてあたしを裏切るの!? 2人で守ろうと誓ったじゃない!! 一族を見捨てるというの!?」
 血をわけた姉である、あたしまでも!!
「ごめんなさい、バシャン。ごめんなさい…!」
 小さな子どもを抱き締め、胸に抱き込んで、ショーネはバシャンに懇願した。
「わたしはどうなってもいいわ。でもお願い、この娘だけは見逃してちょうだい…!」
「ショーネ!!」




「……はっ」
 バシャンは己の叫声で目を覚ました。
 何を口にしたかは覚えていない。でもおそらく、それがもう何十年も口に出すことを自ら禁じてきた言葉であることはうすうす分かった。
 どうして今になってあんな夢を見てしまったのか。
 あれからもう150年近い時が流れた。
 今さらだ。
 変えようもないし、変える気もない現実。
 鉛と化したような体を動かして、どうにか身を起こす。大きく息を吸うと肺が内側からあぶられるように痛んだが、かまわずバシャンは言葉に変えた。
「セイファ、いる?」
 暗がりを見つめ、返答を待つ。少しして、ドア越しにためらいがちな男の声がした。
「セイファさまはお留守でございます」
「――そう。ちょうど良かったわ。ハーンたちを呼びなさい」
「分かりました」
 ドアの向こうから男の気配が消える。
 150年の時を経ても、バシャンの脳裏にはあの日の出来事が全て焼きついていた。
 ショーネの胸に抱き込まれながら、振り返ってこちらを見ていた幼子。彼女はすでに憎しみの目でバシャンを見つめていた。
 あの男そっくりの赤い目で。
「1度はあなたの望みをかなえてあげたわ、ショーネ。でも、2度はないわ」
 ゆらりとその身から立ちのぼる気に反応して。
 闇のどこかでぐるると獣がのどを鳴らした。