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リアクション
8.豹変
「どうぞ、こちらに。……忙しいときに、申し訳ないけれど」
ヴィナ・アーダベルト(びな・あーだべると)は、ウィリアム・セシル(うぃりあむ・せしる)とともに、清家をルドルフの元に連れ出していた。
「いいんですか、外へ行かなくても……また化け物が沸いていると聞きますが」
清家はちらちらとルドルフを見やり、落ち着かない様子でしきりに額の汗をハンカチで拭いている。
「そちらについては、信頼できる人々がいるからね」
「自分は後ろで反っくり返っていればいいわけですか。……いや、失礼」
挑戦的な言葉を吐いて、清家はため息をついた。
「カルマの様子がおかしいのです。こんなことは、初めてだ。あまり離れていたくないのですが」
「そうは言っても、君もあの事件以来、ここに詰めたままと聞いているよ。少し休まなければ、身体にも良くないよ」
ヴィナはそう言うと、暖かいタシガンコーヒーを清家にすすめる。しかし、清家はそれには、手をつけようとはしなかった。ただ、窓の外のカルマの様子が気がかりでしかたがないようだ。
(……これは、不安だね)
ちらりとヴィナはルドルフを見やる。ルドルフも、得心したように無言のまま頷いた。
叶 白竜(よう・ぱいろん)にも警告されたが、ヴィナもこの研究所内に、操られる人間が出ることを最も危惧していた。
そのため、ウィリアムとともに注意深く観察を続けた結果、やはり一番怪しいと感じられるのが、この清家という研究員だった。
「バーリー卿、どう思う?」
ヴィナの問いかけに、ウィリアムは目を閉じ、熟考した。その名でヴィナが彼を呼ぶときは、思考を促された時だからだ。
深い思索を経て、ウィリアムが出した結論は以下だった。
「闇の声を耳にする可能性が高い地球人の中で、なかでも清家という研究員は、カルマに対して強い執着を抱いているようです。また、先日受けた肉体的および精神的損傷も、本来ならば治療すべきところを断り、十分な治癒が成ったとは言えない状況です。故に、不安定になった心につけこまれる可能性は、最も高いと言えます」
「ありがとう。僕も、そう思うよ」
ウィリアムの結論に同意し、ヴィナはルドルフに相談をした。その上で、清家をカルマの前から引き離すことにしたのだ。
「君の熱心な研究態度については、ジェイダス様からも日々聞き及んでいるよ。カルマのために、心から尽くしてくれていると」
リラックスさせようと、ルドルフは穏やかな微笑みを向ける。
「……カルマは、私の全てですから」
清家の口元が、微かに痙攣している。浮かんだ脂汗を、再びハンカチで拭いさる。先ほど、ハルディアたちと話しているときは落ち着き払っていたというのに、この部屋に通されてからというもの、挙動不審にも程があった。
「そうだね。私たちも、カルマが目覚めてくれるのを望んでいるよ」
「はい……それが、私の悲願なんです……」
注意深く会話を誘導し、ヴィナは清家の口から『願い』を聞き出した。
やはりね、とヴィナは確信した上で、諭すように清家へと言った。
「だから、熱心に研究をしていたのかな。願いは、自分自身の力で叶えるもので、誰かの力を借りた時点で意味がなくなってしまうからね。手段を問わず叶える願いには、意味はないよ」
「……だから、だ」と清家が呟いた。
その声は震えていた。いや、歪な残響を含んでいたといったほうが正しいだろう。二重に声が重なり、不協和音を奏でているようだった。
今も静かに流れているクリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)たちの歌声とは対照的な、歪んだ声だ。
「私は、私がカルマを目覚めさせたかった……このままじゃ、間に合わない……あの小僧が、あいつが、カルマを私から奪うんだ……!」
「清家?」
懐から、一本のアンプルを清家は取り出した。その中には、まるで暗黒を凝縮させたような忌まわしい黒い液体が詰まっている。その、『ナラカの穢れ』を、清家は一息に飲み下そうとした。
「やめるんだ!」
ルドルフが咄嗟にアンプルを奪いとる。だが、すでに半ばは、清家の体内に入り込んでいる。
「ぐ……ぁ……」
次の瞬間、清家の体内の内側から、ため込んでいた邪気が溢れ出すように、黒い靄が一気に吹き上がった。
「ルドルフさん!」
ヴィナが咄嗟にルドルフを庇い、その間に立った。
……清家はすでに、人間の姿を留めてはいなかった。ふくれあがった闇を纏い、そのなかに飲み込まれている。
『そう、それで良いのよ。さぁ、カルマをあんたのものにしなさい』
どこからか、ラー・シャイの囁きが聞こえる。
なにごとかわめきながら、闇の塊は部屋を半壊させ、カルマの前へと飛び降りた。
「皆、気をつけるんだ!」
ルドルフが声をあげ、ヴィナらとともにその後を追う。
邪念を察知していた面々は、すぐさま清家を取り囲んだ。
『あいつらにはかまわないでいいわ。さぁ、目的を果たしなさい』
ラー・シャイが再び清家に囁く。闇の塊が、獣の咆哮を放つ。
ラー・シャイの力を借り、周囲に幽鬼が解き放たれた。
ルドルフがアズラエルを手にする。鋭い剣先が『破邪の刃』で聖なる光を発し、幽鬼を切り払う。その背中にヴィナが付き従い、彼の背後を守っていた。
「ラー・シャイ! 姿を現したらどうだい」
挑発的にルドルフは言うが、『いやぁよ。あたし、肉体派じゃないの』とラー・シャイは一蹴する。
カルマへと向かう清家へは、クナイ・アヤシ(くない・あやし)が風を巻き起こし、その身体を吹き飛ばそうとする。
強く吹き付ける風に、清家の歩みは遅くなったが、吹き飛ばすには至らない。
北都がさらにその風に乗せ、『ホワイトアウト』で吹雪を起こそうとしたが、その瞬間、「わぁ!!」という悲鳴に手を止めた。
見れば、残っていた研究員の一人が、腰を抜かしてへたり込んでいる。
契約者であり、同時に薔薇の学舎の生徒だけなら、この地下空間内での吹雪でも耐えられるかもしれない。だが、一般人も巻き込んでとなると、北都にはためらわれた。
「ソーマ、彼を!」
怯えている研究員を助けるようにクナイが頼み、二人は清家に向き直った。
そして、風がやむなり、蠅のように幽鬼が群がってくる。
「北都、下がっていてください」
クナイは両手を前に出し、意識を集中させる。
「奈落へとお帰りください!」
黒い影に向かい、クナイの発現させた光の閃刃が放たれる。
輝く刃は流星のようにきらめき、幽鬼を深々と貫いて消えていった。……後には、微かな影だけが残る。
「こっちへ!」
一方、ソーマ・アルジェント(そーま・あるじぇんと)は研究員の一人の手をひき、その背に庇う。彼は、同僚の豹変に青ざめ、がくがくと震えていた。
「そんな……清家さんが……」
「落ち着け、大丈夫だ。俺らがついてる」
そう声をかける傍から、幽鬼がこちらにも襲いかかってくる。それを、ソーマはためらいなく『ケラウノスの雷撃』で迎え撃った。
「鬱陶しいんだよ!」
銀色の髪を揺らし、ソーマの赤い瞳が雷撃を受けて不敵に輝いた。
地下空間を切り裂く稲妻に、光の中で幽鬼が四散する。
同時に、ソーマは他にも逃げ遅れた者がいないかを確認していた。他の生徒たちは、それぞれ応戦体制にある。負傷者は、幸い今のところいないようだ。
がくがくと震える手が、ソーマの背中を掴んでいる。その手を通して伝わってくる不安に、「大丈夫だ」ともう一度ソーマは励ましてやるが、ほとんど彼はパニックになっているようで、ますます泣きじゃくりながらソーマにしがみつく。
(こうなったら……仕方ねぇか)
「おい」
ソーマは声をかけると、顔をあげた彼の顎を指先でとらえ、素早くその柔らかな耳元に唇で触れた。ほんの少しだけ牙を立て、その血を吸い上げる。
「あ……」
あえかな声をあげ、研究員の瞳の焦点がぼんやりと怪しいものになる。
「……わかったよな? 大丈夫だ」
「……はい」
あくまで軽く、麻酔代わりにした『吸血幻夜』だったが、その効果はあったようだ。少なくとも、恐ろしさに震え続けるよりは、はるかに良いだろう。
(しかも、ちょっと美味しいなんて思ってねぇからな!)
内心でそう思いつつ、あらためて彼を背後にすると、ソーマは意識を戦いに集中させた。
そんな中、闇の塊と化した清家はついに、カルマに向かって闇雲に走り寄ってきた。その正面に、北都は立ちふさがる。
(一か八か、だけどねぇ)
まだ清家の肉体は、あの中にはあるはずだ。そう信じて、北都は手を広げて身構えた。
「カルマ……私ノ……モノ………!」
「………!」
(見えた!)
闇の中、微かに伸びた手を見切り、北都はその腕を掴んだ。息苦しいほどの穢れを堪え、清家に密着すると、北都は素早く身体をひねった。小柄な北都では、自分だけで投げ飛ばすほどの力はない。だが、清家自身の勢いと力をうまく利用して、逆方向へと投げ飛ばす。
「あとはオレに任せとけ!」
待機していた白銀 昶(しろがね・あきら)が、風のように素早い身のこなしで投げ飛ばされた清家の前に身を躍らせた。
「大人しくなっとけ!!」
その声とともに、手にした武器『霊断・黒ノ水』の刀の背で、思い切り峰打ちする。
美しい墨の一筆のような流線を描き、刀はしたたかに清家を打ち据えた。
「ぐあ、ア!!」
苦悶の声をあげ、清家が崩れ落ちたようだった。黒い影は、動きを止めた。
「大人しくなったか?」
だが、まだ油断はできない。昶は日本刀を構えたまま、清家を見下ろす。
また、清家に触れたことで、北都自身にもダメージはあった。じわじわと肌から染みこむ穢れの不快感に、神経が侵される。
「は、ぁ……」
苦しげに息を吐き、北都はその場に膝をつく。
「北都、しっかりしてください」
クナイが北都の小さな身体を包み込むようにして抱き締め、傷を癒やす。だが、北都はすぐには動くことはできないようだった。
そして、再び、ラー・シャイの声が響く。
『仕方ないわねぇ……もうここでいいから、やっちゃうわ』
「ぐ、ぁ…ア……」
「なにをする気だよ、オイ!」
すると、清家は立ち上がり……己の手で、己の首に、隠し持っていたナイフを突き立てようとした。清家自身は、先ほどの昶の一撃で、ほとんど意識などない。ほぼ完全に、ラー・シャイが操っているだけだ。
『そう。それでいいのよ』
「やめるんだ!!」
ルドルフが背後から清家の腕を掴む。
「……ッ!」
ルドルフであっても、やはり穢れの闇は肌を焼くような苦しさだった。硫酸に身を浸すような痛みを堪えつつ、ルドルフは清家を話そうとはしない。
ラー・シャイが動かすその手の力は、常人離れしていた。下手にルドルフが押しとどめようとすれば、清家の腕のほうが先に折れるだろう。
ルドルフは、一瞬の躊躇いの後に……腕を折ってでも、清家を押しとどめるほうを選んだ。この場で穢れた血が流されれば、それを吸ったカルマは、おそらくソウルアベレイターの支配下におかれてしまう。
しかし。
「……聞こえる」
北都が、クナイの腕のなかで呟いた。
いや、その場にいた全員が、その音を耳にしていた。
弱く、儚い、鈴が震えるようなそんな音だが……それは、たしかに『歌』だった。
クリストファーたちが歌い続けていた、レモが好きだった、『歌』。
同時に、水晶中は、淡い光を放つ。
「カルマが、歌ってる……?」
昶は驚きとともに、水晶柱を見上げた。
同時に、テレパシーで、北都へと囁きかける『声』があった。
「……カルマが、泣いてるよ。やめてほしいって……」
北都は、そう清家へと告げた。
清家の愛は、カルマにも伝わっていたのだ。いつでもどんなときでも、話しかけ、注意深く見守り、大切にしてきてくれたことを。
だから、悲しいと、カルマは泣いていた。
愛するものを守り、独占したいと思うのも、愛するが故だ。けれども。
「誰かを守る事は大切だけど、守る事でしか自分を保てないのは、それは弱さだよ」
北都はそう思う。ただの、一種の依存でしかないと。
その弱さにつけ込まれたのが、清家であり、カールハインツだったのだろう。
「……………」
清家の力が、緩む。ラー・シャイの支配が、ほんの少しにせよ緩んだのだ。
その隙を狙い、ルドルフは彼の手からナイフをもぎ取った。
「君が聞くべきなのは、この歌だ。卑劣な闇の声になど、耳を貸すな!」
ルドルフの一喝が、地下に谺する。
その、時だった。
『あらヤダ。時間切れね』
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