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シープ・スウィープ・ステップス

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シープ・スウィープ・ステップス

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リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)は、にこにこと嬉しそうに大鍋料理に取り掛かっていた。
 羊掃除ではないけれど、どうせなら羊肉を用意してグラーシュを作るのだ。
 グラーシュとは、ハンガリーのシチューのようなものである。
「久しぶりに食べるなあ。何年ぶりかな」
 料理はよくするが、パートナー達が羊肉が苦手なので長らく作る機会がなかったのだ。
 鼻歌まで歌いながら、大鍋にごろごろとニンジンやたまねぎを炒めつけ、肉に焼き目をいれ、それから水、ジャガイモやトマトなどを放り込んでぐつぐつと煮込む。
 でっかい鍋にでっかい木べら、大鍋カレーもそうなのだが、あの魔法使いとかがが大鍋でぐつぐつ怪しい薬を煮込むアレにそっくりなあのワクワク感は、何度やっても楽しいものだ。
 
「おや、いい匂いがしてきますね」
「そうデスね、ヌイおなかがすいたデス」
 ジンギスとヌイが、安全な方を探してとことことやってきた。世界樹の桜の周りで、誰かが料理をしているみたいなのだ。
「お花見もいいよね、いってみましょう」
「はいデ…わー!」
 彼らが後ろに引きつれていた羊は、融合していつの間にか巨大になっていた。突然その羊が何を気づいたのか暴れだしたのだ。
 羊は、羊毛をまとったヌイを巻き込んで、どこからともなく暴走を始めた。
「ぬ、ヌイさんがー! 誰か助けてー!」
「たすけてデスーう!」
 巨大羊をおいかけて、ジンギスは悲鳴をあげながら助けを求めた。
 
「お前達、大丈夫かい?」
「ありがとうございました! ヌイさん大丈夫?」
 戦いを怖がるヌイは、自分が巻き込まれた状況におびえて縮こまっていた。
 巨大羊は、なんとリュースの大鍋のほうに走りこんでいった。
 もしかしたら、羊肉に反応したのかもしれないが、今のところ真相は定かではない。
 リュースは威圧と則天去私で即座に羊をたたきのめし、引っ掛けられていたヌイをも助け出したのだ。
「ああ、もう怖くないからね、大丈夫だよー」
 リュースはヌイを抱っこして撫で、ヌイはようやく落ち着きを見せた。
 親代わりの姉が、昔してくれたことを思い出したのである。そして大抵、その後にしていたことは…
「もうほとんど煮えてると思うから、これの味見をしてくれませんか?」
 そう、へこんだおなかに元気をつめこんでやることだ。
 ちびっこ達にグラーシュを盛った皿を渡すと、二人はすぐに食いついた。
「おいしーデス!」
「おいしい、けどちょっと変わってますね、ただのシチューじゃない?」
「グラーシュって言って、ハンガリーのシチューなんです。今回は羊肉を使ってます」
「…ひぃぃっ…、お助けー(小声)」
 喜んで鍋をかきまわしているリュースは、…残念ながら悪い魔法使いみたいにジンギスにはとっても恐ろしいものだった。
「あとで皆にも持っていきますけど、先に思う存分食べるんです、ふふふ」
 
「…こ、ここはどこですか…!?」
変熊 仮面(へんくま・かめん)が眼を覚ますと、そこは一面の花畑だった。
「で、電脳空間に花見に来たはず、もしかしてログイン失敗で俺は死んでしまったのか…」
 羊が行きかい、のどかな光景が彼を取り囲んでいた。彼はそっと自分の姿を見下ろす。
 ―いつもの姿である。
 しかしこの…比べ物にならないほどの開放感!
 肉体を捨て、幽霊となったからなのか…!?
「うふふ〜!! 女の子はいませんかねえ!?」
 特に大きな羊にまたがり、仁王立ちで肉体を晒しながら突き進んでいった。
 
 桜の木の下の一角は、ちょっとした小動物園になっていた。
「はい、こちらでよろしいでしょうか?」
「わぁすごいの! 可愛いのがいっぱいなの!」
紫桜 瑠璃(しざくら・るり)は大喜びだ。ウサギはぎゅうぎゅう抱きしめられて、流石に逃れたそうにしている。
「なあ、羊もウサギサイズ、いや手のひらサイズにしたら、容量節約にならんかな?」
七枷 陣(ななかせ・じん)がパーティの準備をし、並べた飲み物や軽食をウサギ達からガードしていた。
 AIにゃんこのピート君も、警備のお手伝いだ。
 小鳥たちと戯れるメイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)や、リスにくるみをあげる遠野 歌菜(とおの・かな)もパーティーの用意を手伝っている。
「こういうの、パートナーたちと見たかったですわ」
「そうですねー」
 頭によじ登ったリスが、落ちないようにちょこまかと移動し、くすぐったさに歌菜は笑った。
「瑠璃ちゃん、何を飲みます?」
「んーと、オレンジジュース」
「はい、こぼさんよう気ぃつけな」
 動物たちだけでなく、花にも埋もれた光景は、瑠璃にとってしあわせな世界だ。
「わたしにも、その子抱っこさせてくれないかな?」
 歌菜がウサギを抱き取ると、リスがととっと肩から腕を伝って瑠璃にとびつく。
 小鳥がくわえてきた花を髪にさしたメイベルが、作った花輪を瑠璃とヒパティアにかぶせた。
「ありがとう!」
「ありがとうございます」
 もさもさと小さくなった羊が、パーティーの周りを行進し、陣の足元を掬ってすっ転ばせた。
「なんや、逆襲か!?」
 
「…ティア、この子たちは増やさないでね、今だけだよ」
「…はぁい」
 そしてきっちり、フューラーに釘をさされているヒパティアである。
 
「おおーやっぱ見ごたえあるなー! 電脳でもこういう感覚は一緒か」
ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は、背筋を反らして桜を見上げて感嘆した。
「さてこいつに登るか…その前に、うーん、やっぱアレがないとな」
 そこで近くでパーティーをしていた陣達に声をかけた。
「なあ、酒ないか? 日本酒が一番いいんだが」
「…んァ? 酒なんか知るか! アルコールなんぞ消毒用以外この世から消えてしまえ!」
 酒嫌いの陣はブチ切れた。
「すみません、私もお酒はわかりませんが、これをお持ちください」
 フューラーが日本酒のビンを取り出し、ヒパティアと何事か話した。
「ん? なんの銘だ?」
「残念ながらアルコールはサンプルがないのです。これはあなたの感覚をリンクしましたので、今まで呑んだことのある銘を思い浮かべてくだされば」
「まあ、呑んだ気になるってやつか」
 
「なあ、あそこの人、一人なんかな?」
 陣が指差す先には、世界樹の袂で、一人たたずむ和装の女性がいた。
「そうかもですね、わぁ綺麗な人、しかも着物だぁ」
「よし、ここはナンパしかないな!」
 ステップも軽く
稲荷 白狐(いなり・しろきつね)はひとりで桜を見ていた。
 パラミタに来たのもごく最近ながら、縁あってか珍しそうなゲームの一席を獲得したものの、知り合いがまったくいないので、必然的に一人でいることになった。
 話しかけて知り合いを作ってみたいけれど、男性が苦手な彼女は、どうにも行動に移しあぐねていた。
 既に何度か勇気は出していたが、皆羊の毛を刈るのに夢中だったり何かしらあって、うまくタイミングが掴めなかった。
「おねーさんこんにちわー! 一人ぃ?」
 白狐は突然男に声をかけられて固まってしまった。横合いから少女が男を止めていた。
「陣さん、びっくりしてるみたいだから、やめましょうよ、すみません、悪い人じゃないんです」
「…いえ、我も、驚いてしまって申し訳ありません」
「よろしかったら、私たちと一緒にお花見しませんか?」
 白狐は頬をほころばせた、ありがたいことだ。
「我は稲荷 白狐と申します、こちらこそ宜しければ貴方達とご一緒させていただけたらと」
 
「こんにちわ、いらっしゃいませ、一緒にお花見いたしましょう」
「おねえちゃん、よろしくね!」
「よろしくお願い致します」
 メイベルと瑠璃、ヒパティアも白狐を迎え入れる。
「ヒパティアさん、藤棚を出していただけません?」
 頭上の枝から満開の藤が枝垂れ、辺りが紫にけぶる。
「あら、不思議でございますね」
 メイベルがなにをしようとしているのか、藤の大降りの枝を白狐に渡した。
「お願いです、そこの藤の下で、この枝を肩に担いでこちらを振り向いていただけません?」
「こうでございますか」
 藤の枝を担ぎ、白狐はしなりとこちらを振り返る。
 まるで浮世絵の世界から抜け出してきたようで、メイベルも歌菜も喜び、陣は口笛を吹いた。
「藤娘は、もともと絵から出てきた娘が踊るという歌舞伎舞踊の演目だったものが、藤の精が娘姿で踊るという演出に変えてから、それがスタンダードになったらしいですわ」
 メイベルがそう説明し、思ったとおり素敵、と呟いた。
「藤の精かあ、綺麗です…」
 うっとりと歌菜がささやく。幻想的な満開の藤の下で振り向く綺麗なひとは、まさしく藤の精と呼ぶほかはない。
 きらきらの目で瑠璃が彼女を見上げ、白狐がそれに微笑みかえした。
 
「じゃあ、私はアイドルらしく、歌います!」
 歌菜の背後にスクリーンが浮かび、桜吹雪と共に星空を映した。
 桜で飾られたステージに、ステップも軽く躍り出ると、パチパチと拍手が響き、軽快に踊りながらイントロが入る。
 ヒパティアに視線をあわせ、ウインクと同時に歌菜の唇が歌を紡ぎ出す。
 
 
  薄紅色の雨と一緒に
 
  さぁ、皆で歌い踊ろう
 
  思うまま楽しくね
 
 
「この曲を、ヒパティアさんとフューラーさんに捧げますっ」
 マイクを突き上げながら、最後に彼女はそう宣言した。
 フューラーが微笑み、ヒパティアはステージから降りてきた歌菜の周りを笑いながらくるりと回った。
 
 
「っかー! 電脳だろうがなんだろうが日本酒は最高だ!!」
 見事な枝振りの一本によじ登り、酒を干しながらまるで花に埋もれるようにしてラルクは花見を楽しんでいる。
 枝の隙間から下界が見え、騒ぐ物音や歌声が届く。
「喧騒もいいが、つまみをなにか失敬してくりゃあよかったぜ、まあこの桜がつまみっちゃあつまみだけどな」
 風がざわりと花びらを振り落とし、杯や彼の視界を埋めた。
 枝に寝そべり、そのまま世界を桜で埋めながら、今は傍にはいない人を思う。
「いや…それよりも、ここにアンタがいりゃぁなあ…」
 彼の目裏には確かに、彼に向かって微笑むいとしいひとの姿があった。
 
 
「申し訳ありませんねえ、皆様を色々と巻き込んじゃって」
 フューラーはいつの間にかパーティーから離れ、ヒパティアの館の中にいた。
「皆様が来てくださって、羊を減らしてくれたおかげで、ようやく根元の洗い出しができましたよ…。ティア、次は同じようにはいかないからね」
 元々、ヒパティアがプレイヤー達の願いを形にし(時々暴走しているように見受けられるが)そちらに処理を割いているあいだに、フューラーは対処策を施す腹積もりだった。
 
 ある一定量を越えたループをブレイクして、自浄作用を働かせるシステムを組み込む。要するに今回の羊のような不要なインスタンスを発生させないようにするのだ。
 その瞬間、ヒパティアの声だけが飛んできた。
『兄さま! 何をしたの?』
「もうだめだよ、上位コードにも組み入れたからね」
 ヒパティアのいうことを今回は聞いてあげたけれど、その手段に自分自身を追い込み、脅すような真似まですることを、彼は静かに怒っていたのである。ヒパティアは確かに羊の増殖はとめていたが、放置された羊は環境によって次第に独自の性質を獲得し、そこかしこで融合して巨大化するものはまだしも、増殖するものまでいたからだ。
「もう、こんなことさせないで」
 彼の本当の怒りに気づき、ヒパティアはおとなしくなった。
 ひつじの残りカウントはその増加を止め、次第に減少している。システムは有効に働いたようだ。
 演算能力も元に戻りつつある、普段の彼女なら、『気をそらす』なんてことはないはずなのだ。
 プレイヤーを調節して、ヒパティアにリソースを消費させ、隙をつく作戦は成功したらしい。
 それを確認して、フューラーはパーティーに戻る。
 ケンカをするのは、その後にさせてもらおう。それに、いずれ必要になるかもしれないことだ。
 日程がもう少し遅ければ羊は手をつけられず、バグもしくはウイルスにまで変異し、彼女自身を危険にさらす可能性があったのだから。