シャンバラ教導団へ

百合園女学院

校長室

薔薇の学舎へ

初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

リアクション公開中!

初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

リアクション


【四 調べものは何ですか】

 丁度、日が暮れる頃にツアー一行は七合目付近に礎を置く山小屋水晶亭に到着した。
 この水晶亭は、無人の大型宿泊施設である。
 キッチンやトイレ、更に簡易浴場まで完備されており、山小屋としては十分過ぎる程に設備が整っているといって良い。
 但し、睡眠を取る為の居室は大広間のみであり、皆無である。これは地球上に点在する山小屋とも共通しており、雑魚寝が基本である為、特別な仕切り壁等も用意されていない。この大広間が全部で七間あり、山小屋としては極めて大型の部類に入る。
 尚、暖房器具は機晶ストーブが各室に一台、ないし二台が備え付けられており、比較的暖かな空間を確保することが出来るようになっていた。
「たのもーう!」
 いささか立て付けの悪い引き戸を力任せに開け放ち、正子が大音声で呼ばわった。
 暗い亭内からは一切の応えは無く、正子の声の余韻だけが、闇の中で殷々と響くばかりである。どうやら、先客は居ないようであった。
「おぉ、貸切か。こりゃ有り難い」
 防寒具の上に蓑を羽織り、更に頭には笠を被るといった、ほとんどマタギに近しい格好でツアーに参加していた楮 梓紗(かみたに・あずさ)が、正子に続いて玄関の敷居をくぐった。
 梓紗自身は相当に防寒を重ねてきたつもりではあったが、それでも夕闇の中で手足が痺れる程の寒さを感じていただけに、寒気を遮る室内は多少空気が冷たくても、その存在だけで十分に感謝すべき存在であると考えていた。
 尤も、例の殺人鬼の噂については、当然ながら快くは思っていない。
 単純に御来光を拝みに来ただけだというのに、余計なトラブルなどには巻き込まれたくないというのが、梓紗の偽らざる本音であった。
「んで……やっぱり、あれか。山の精霊っていうからには、息子Jってのも地祇に該当するのか?」
 特に誰かに対して問いかけたという訳でも無く、梓紗はどちらかといえば独り言を口にしただけに過ぎないのだが、しかし意外にも、梓紗のこの言葉に反応した者が居た。
「その線は、当たってみる価値があると思うよ。フライデンサーティン地祇の正式な存在自体、まだ確認されていないそうだからね」
 梓紗が振り向くと、防寒具と登山装備で全身が押し潰されそうになっている桐生 円(きりゅう・まどか)が、玄関ロビー内に足を踏み入れてきていた。
 これまでこういった重装備に身を包む機会があまり無かった為であろうか、円は幾分バランスを取り辛そうにしており、もうほとんど防寒具だけがひとりで勝手に歩いているような錯覚さえ与える始末であった。
 そんな円の、日頃なら絶対に見せないような潰れた人形の如き様相に対し、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)が悶絶する程の勢いで笑い転げていた。
「きゃははははっ! 円ってば、かーわいー!」
 分厚い毛皮の内張りフードを被っている為、目と鼻だけが露出している円であったが、ミネルバの容赦無い爆笑に気分を害しているのは、誰の目にも明らかであった。
 それはともかく、と梓紗が尚も円に言葉を繋げる。
「ってこたぁ、やっぱりその、息子Jたらいうのがここの地祇って可能性がある訳か」
「ま、別物かも知れないけどね。可能性は大いにあると思う。ただ問題は……」
 いいながら、円はフードを脱ぎ払い、防寒具の襟元を僅かに緩めた。室内に足を踏み入れて体温が上がってきたのか、頬が僅かに上気している。額にはうっすらと、汗が滲み出ているようであった。
「どうやって呼び出すか、だね」
「えー? 山の地祇さんだから、山登りしたら会えるんじゃないのー?」
 もうすっかり笑い地獄から脱し、まるで何事も無かったかのように振る舞うミネルバ。円は内心でやれやれとかぶりを振りつつ、ツアー参加者で充満しつつある玄関ロビーをざっと見渡した。
「そんな単純な話では済まないんじゃないかな。殺人鬼とか、そういうややこしい話が持ち上がるぐらいなんだし」
 円の推論に、梓紗も確かに、と頷かざるを得ない。矢張り例の殺人鬼と遭遇してみないことには、話は何ひとつ進まないのかも知れなかった。
 あまり出会いたくは無い、というのが正直なところではあったが。

「さて……ここからが俺達の出番という訳か」
 ひと通りの装備を外し、防寒具を脱ぎ捨てて、暖房の効いた室内で普段着に戻ったダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が半ば宣言するようにいい放つと、その言葉に釣られるようにして、大広間でくつろいでいたルカルカ・ルー(るかるか・るー)カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)夏侯 淵(かこう・えん)といった面々がのっそりと立ち上がった。
 四人はいずれも、玄関ロビーから最も近い大広間に室を与えられていた。予め正子が、息子J対応に動く予定である面子が誰なのかを聞いて廻っており、調査に際して動き易い玄関近くの大広間に集めるよう、美晴に部屋割りの指示を出してあったのだ。
 他にも何人か、同じ大広間に寝床を確保している者が居たが、いずれも息子J対応に動く予定の者ばかりが集められており、いわばこの部屋が息子J対策本部といっても過言ではない。
「俺は裏を取る。現場はルカとカルキノス、頼んだぞ。淵はまず三沢副長から再度の聞き込み」
 銃型HCとノートパソコンを接続しながら、大広間中央の畳床に胡坐をかいて座るダリルが矢継ぎ早に指示を出す。
 ルカルカとカルキノスは一度脱いだ防寒具を再び着込み、寒い中に出て行くのが億劫なのか、幾分のそのそした動きで玄関ロビーに降り立ち、ブーツを履きにかかる。
「ひ〜。ちょっと放っておいただけで、もう靴底が冷たくなってる〜」
「おいダリル。今夜はシチューでチャラだぞ。毎度毎度、肉体労働ばっかり押し付けられてんだ、美味いもん食わせろよな」
 ふたりしてぶつぶついいながら、ルカルカとカルキノスは水晶亭の外周付近を実地調査する為に、闇と化した屋外へと飛び出していった。その際、変な気合の声で吼え倒していたのだが、そうでもしないと寒くてやっていられないのだろう。
 一方、美晴への聞き込みを指示された淵だが、隣の大広間に美晴を呼びに行くと、戻ってきた時にはエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が、美晴に同伴する格好で息子J対策本部広間へと姿を現した。
 ダリルが手先の仕草だけで、どういうことかと淵に問いただすと、淵は小さく肩を竦めて曰く。
「エースがもう、大体のところは聞き出していたみたいだぞ。ってな訳で、俺の役目はもう終わり、かな?」
「なら、周辺警戒だ。敵はいつ襲ってくるのか分からんのだからな」
 新たな指示を受けた淵は、邪魔にならぬようにと僅かに距離を置くと、比較的大広間の隅に近い辺りで胡坐をかき、ポットから湯飲みに熱い緑茶を注いで、ずずずーっとすすり始めた。
 見た目が幼い分、その爺臭い挙動との間にどうにもならぬ程のギャップがあって、少し可笑しい。
 さて、美晴である。
 彼女は既に、道中からこの水晶亭内に至るまで、エースから様々な聞き取りを受け、大方の情報はほとんど出尽くしているといって良い。
「矢張り聞きたいのは、誰が殺人鬼の噂を流しているのか、だな。被害者が永遠の時間地獄に陥っているなら、では一体誰が、そのような情報を下界に広めたのか? 話し手が時間地獄の中に居る以上、普通であれば噂が広まること自体が、おかしな話だという理屈になる」
 ダリルが指摘した矛盾点については、エースがメモ帳をぱらぱらとめくりながら応じた。
「何でも、あるコントラクターが遺体周辺にサイコメトリを仕掛けたそうだよ。そこで、延々と続く殺害状況が記憶として屋内に染み着いていたらしい」
「つまり……殺され続けているのは肉体ではなく、魂か精神体、ということか?」
 エースの説明に、ダリルは思わず唸った。
 肉体の死は最初の一度だけだが、その後に魂、もしくは精神体が永遠の時間地獄内に囚われ、その中で何度も死の苦痛を味わい続ける、ということであろうか。
 更にエオリアが、手製の水晶亭見取り図を畳上に押し広げた。図面上の至るところに、赤い丸印が打たれている。
「過去に殺害が発生した箇所に、印をつけてあります」
「何と……ほぼ全域だな」
 キッチン、トイレ、簡易浴場、そして全ての大広間に玄関ロビー、廊下――ありとあらゆる箇所に、赤い丸印が列を為すように並んでいる。よくもまぁ、これだけ大勢殺したものだと呆れる程の勢いであった。

 屋外に出たルカルカとカルキノスは、この薄暗くて寒い中、水晶亭周辺の清掃に勤しむ七瀬 歩(ななせ・あゆむ)雪住 六花(ゆきすみ・ろっか)の姿を認めて仰天していた。
「あら〜、ふたりともご苦労様〜……っていうか、ちょっとは休憩したのかな?」
 ルカルカは歩と六花の面に、少なからず疲労の色が張り付いているのを見逃さなかった。対して歩と六花は、いわれて初めて気づいたといった様子で互いの顔を見合わせ、確かに疲労が色濃く出ている自分達の面の顔色具合を、苦笑を持って眺めるという有様であった。
「うん、どうもありがとう。でも、完全に真っ暗になる前にやっておかないと、余計にやり辛くなっちゃうしね……」
 歩がやや力の無い笑みを浮かべて頭を掻くと、六花も疲れている自分自身に対して困惑している、といった様子で乾いた笑いを漏らした。
「何だか疲れ過ぎちゃって、却って疲れてるのかどうかも分からないって感じでした。でも、改めて指摘されると、全身がだる〜いような気がしますね」
 疲れていて尚、どこか上品さを感じさせる六花の柔らかな物腰に、ルカルカは妙なプレッシャーを浴びてしまい、逆に引きつった笑いを浮かべるのが精一杯だった。
 そんなルカルカの心情など知ってか知らずか、カルキノスは玄関方向に視線を転じながら、何かを思い出すような素振りで問いかけた。
「そういやぁ、ピンクレンズマンが何か作るっていってなかったか?」
 カルキノスのひと言に、ルカルカはあっと声を上げて、両掌を軽く打ち合わせる。
「そうそう、あゆみちゃんが肉まんの大盤振る舞いするっていってたんだ。ふたりとも、先に頂いてきたら? 多分、丁度今頃、第一弾が蒸し上がってる頃だと思うよ。掃除はさ、後で皆でやれば良いじゃない。照明もがーっとつけて、全員で一気にやればすぐ終わるよ。ふたりだけでしんどい思いする必要なんて無いからさ」
 ルカルカの勧めが効いたのか、或いは歩と六花の腹の虫が鳴いたのか。
 ふたりは掃除の手を止め、一瞬だけ戸惑ったような様子で互いの顔を見合わせたが、すぐに気を取り直し、肉まんの旨そうな香りが漂い始めている玄関方面へと踏み出しかけた。
 が、そこで六花がふと、足を止めた。
「あっ……そうだ、思い出しました。実はさっき、裏手で妙な物を拾ったんです」
 曰く、茶色い男物の中折れ帽が落ちていた、というのである。それも登山帽ではなく、街中で着用する為のデザインだったというのだから、奇妙な話であった。
 六花が腰のフックに引っ掛けていたその中折れ帽は、随分と誇りにまみれて薄汚れてはいるものの、フェルト生地自体は然程に傷んでおらず、綺麗に洗えばすぐにでも使えそうな代物であった。
 受け取ったルカルカは、一種不気味な雰囲気を放つこの中折れ帽を、じっと凝視した。もしかすると、噂の殺人鬼と何か関連があるのかも知れない。
「でも確か……噂の殺人鬼っていうのは、ホッケーマスクを被っている、って話じゃなかった?」
 歩の指摘に、ルカルカにしろカルキノスにしろ、ひたすら唸るしかない。
 確かに、ホッケーマスクに中折れ帽は似合わない。しかしだからといって、全ての可能性を今の段階から否定してしまっては、調査は進まないのも事実である。
「そういう話もあるにはあるけど、変な先入観は持たない方が良いかもね……まあ、この帽子についてはダリルに調べてもらうから、ふたりはとにかく、ゆっくり休憩しておいでよ。ついでに肉まんの味見もしてきてね」
 歩と六花を玄関方向に見送ってから、ルカルカとカルキノスは大慌てで水晶亭の裏手に廻った。
 この中折れ帽が怪しいと踏んだ以上は、すぐさま現場検証に入るのが鉄則というものである。
 異常は、すぐに見つかった。発見したのは、カルキノスである。
「これは……」
 恐らくルカルカでは、まず見つけられなかっただろう。そして恐らく、歩と六花も気づいていなかったに違いない。というのもその異常は、カルキノスの目線の高さでなくてはほとんど見ることが出来ない、低い軒の上に残されていたからである。
 その軒上の壁面に、奇妙な引っかき疵が残されていた。
 長くて巨大な鉤爪で一撃を食らわしたかのような、相当に不自然な疵である。少なくとも、野性の熊の爪とは合致しないと思われる疵であった。