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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

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初日の出ツアー 馬場正子ご一行様

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【六 脅威参上】

 七間ある大広間の中でも、最も奥まった場所に位置するひと間に、フィーア・四条(ふぃーあ・しじょう)山県 昌景(やまがた・まさかげ)の姿があった。
 ふたりとも、室に備え付けの炬燵に篭もり、黙々と蜜柑の皮を剥いている。
 正子から聞いている予定では、この後、未明までの八時間程を水晶亭で過ごし、日付が変わった直後に出発の準備を整え、御来光の時間に頂上へ到達するよう登攀を再開する、という話であった。
 つまり、これから数時間は特に何をする訳でも無く、各自で適当に時間を潰さねばならないのである。
 幸い、フィーアにしろ昌景にしろ、炬燵で延々と蜜柑を剥き続けるだけでも何となく時間を潰せるという、ほとんど超人的な暇潰し感覚の持ち主であった為、この長い待ち時間に対しては然程の苦痛を感じてはいない様子だった。
 ところが同室のラブ・リトル(らぶ・りとる)はというと、フィーアや昌景のように、のんびりした時間を過ごせているとは到底いい難い。
 そもそもラブは今回の初日の出ツアーに対しては極めて消極的であり、ほとんど無理矢理引っ張り出されて、ここまでつき合わされてきたというのが実情であった。
 更に加えて、直前になって息子Jの存在を聞かされ、この水晶亭が極めて危険な場所であると認識したのが、本当についさっきという有様である。
 腹を立てるな、という方が無理な話であった。
「だぁ〜! もぅ、ほんっとに腹立つぅ! 何なのよ、あの正子ってば! 無理矢理こんなところに引きずってきた挙句に、殺人鬼ですってぇ!? マジで馬鹿じゃないの!?」
 事前に分かっていれば、こんなところまで来るつもりは無かった――それが、ラブの正直な心情である。にも関わらず、パートナーのコア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)は、生まれて初めてパラミタの日の出を拝むことが出来るということで、妙に嬉しそうにしている。
 ハーティオンの、この嬉々とした様子が余計にラブの癪に障った。
「まぁ、そう怒るな。御来光を拝めるチャンスなんて、そうそうあるもんじゃない。貴重な体験が出来ると考えれば、殺人鬼のひとりやふたり、どうということはなかろう?」
「だから、どうしてそういう発想になるのよ」
 ひとりで大広間の半分近くを占めているハーティオンのメタリックな巨躯に、ラブは露骨な程に嫌そうな面を向けた。もうここまでくると、どうにでもなれという投げ遣りな気分になってしまうのも、無理からぬことであった。
 ハーティオンが同調してくれない以上、一緒に居ても更に腹立たしくなるだけである。ラブは諦めて、小さな体で畳の上をのそのそと這い回り、炬燵に潜り込んできた。
「ねぇ、あたしにもひとつ頂戴」
「剥いたのがあるから、適当につまんでくれたまえ」
 昌景がのんびりした調子で、剥いた蜜柑の皮の上に乗せてある身をひと房取って、ラブに手渡してくれた。ラブの小さな手では、蜜柑の皮を自力で剥くのは非常な困難を伴う。そういう意味では、フィーアと昌景が暇潰しとばかりに大量の蜜柑を剥いてくれているのは、随分と有り難かった。
 と、この時ラブは僅かな変異に気がついた。いつの間にかフィーアが炬燵の天板に突っ伏して、身じろぎひとつ見せず、微動だにしていないのである。
 疲れて居眠りしているのか、とも思ったが、しかしここまで見事に凝り固まってしまうのも珍しい。
 呼吸はしているから、生きてはいる。それは間違い無さそうである。だが、何かがおかしい。
 畳床上で大きく四肢を伸ばしていたハーティオンも異常を察知し、面だけを巡らしてフィーアの突っ伏したままの横顔を見た。
 はっきりとは確認出来ないが、ハーティオンの位置から見える限り、フィーアの瞳孔が、開き切っている。少なくともハーティオンにはそのように見えた。
「何か……拙いぞ!」
 ハーティオンが慌てて金属に覆われた巨躯を跳ね上げると、ラブもほとんど同時に炬燵から跳び退る。唯一昌景だけは、相変わらず炬燵に潜り込んだまま、幾分茫漠とした表情をフィーアに向けるのみであった。

 息子J対策本部の大広間でも、新たな動きがあった。
 ルカルカが六花から受け取った茶色い中折れ帽と、カルキノスが発見した謎の鉤爪痕というふたつの手がかりをダリルがフライデンサーティン周辺のあらゆる情報と照合してみせたところ、息子Jとは全く無関係な存在が急浮上してきたのである。
「……来賀・イングランド、だと?」
 渋い表情で低く唸るダリルに、ルカルカとカルキノスは戸惑いの色を隠せない。エースとエオリアの両名も、困惑の表情で美晴と顔を見合わせるのみである。
 来賀・イングランド(くるが・イングランド)というのは、フライデンサーティン周辺の街や集落等で、御伽噺や説話等に登場する女の殺人夢魔の名である。
 茶色い中折れ帽、緑と赤の横縞模様のシャツ、そして各指沿いに鋭いナイフ状の鉤爪が伸びる爪手袋という特徴的な外観の殺人夢魔であるという。
 通常の夢魔とは異なり、狙った獲物を、永遠に死の苦痛が続く夢地獄へと引きずり込む怪物だというのが、各伝承の中でほぼ共通して見られる特性であった。
 普通、女の夢魔といえば、淫靡な姿で獲物となる男の前に現れ、精力を吸い尽くすというのが一般的であろうが、この来賀・イングランドは性的な誘惑は一切せず、ひたすら獲物を夢の世界の中で殺し続けるだけなのだという。
 一度来賀・イングランドに狙われると、被害者は脳死状態となり、永遠の夢地獄の中で肉体寿命を迎えるまで苦痛を味わい続けなければならない。
 夢の中での攻撃である為、たとえコントラクターであろうとも、対抗措置はほとんど無いに等しい。
 大抵の女性には紳士らしく振る舞うことを身上としているエースではあったが、相手が殺人夢魔ともなると、そんな気分にはなれないらしい。彼は嫌悪感たっぷりの表情で、ごくりと唾を飲み込んだ。
「でも、永遠の夢地獄、というのが引っかかるよね。これってまるで……」
「息子Jの時間地獄と酷似している……っていうかほとんど同一なんじゃない? 多少の相違点はあるけど、噂レベルの内容なんて、どこまで本当か分からないしね」
 エースの言葉を、ルカルカが引き取って繋げた。
 更に、エースが美晴から聞き出した過去の噂話とも、符合する点がある。というのも、被害者は必ず死んだ状態で発見されるばかりであり、実際に殺され続ける状況を示すのは、サイコメトリ等の精神的な捜索から推論付けられているに過ぎないのである。
 だが、それでは何故、息子Jの時間地獄等という噂と、来賀・イングランドの夢地獄とがここまで酷似しているのだろうか。
「矢張り、実際に遭遇してみないことには何ともいえないか……」
 ダリルが腕を組んで唸ったその時、急激に室の外が慌ただしい声で充満し始めた。
 何事かとエオリアが引き戸の扉を開いてみると、フィーアを抱きかかえた理王が玄関ロビーを横切って、近づいてくるところであった。
 彼の後ろには天井まで届きそうな巨躯を窮屈そうに屈めているハーティオンの姿もある。
「どうされたのですか?」
 エオリアが驚いて理王を室内に迎え入れると、理王は表情を厳しくして、お姫様抱っこで抱えているフィーアの表情を失った面を見下ろした。
「どうも不自然な筋肉弛緩がある。ダリル、あんた確か、医者としての心得もあるんだったな。詳しく見てくれないか」
 理王の言葉には、信憑性がある。というのも、彼はお姫様抱っこによって、女性の肉体情報を精確に読み取るという特技の持ち主であったからだ。
 実のところ、正子は理王を今回のツアーに同伴させ、エルリム出発前にツアー参加の全ての女性メンバーに対して理王のお姫様抱っこによるデータ収集を実施していたのだが、それにはちゃんと意味があったのだ。
 余談だが、理王が忍を抱きかかえた際には、何故かデータらしいデータが得られず、理王は何度も首を捻っていた。
 これに対して忍自身が何かいおうとするのを、その都度優衣が『戦うメイドなんでしょ』と遮っていた為、結局うやむやに終わっていたのであるが。
 それはともかく、フィーアである。
 現在のところ、理王がフィーアに下した一次所見としては、脳死に限り無く近い状態なのだという。息子J対策本部の大広間に詰めていた面々の間に、緊張が走った。
「脳死……ということは、矢張り!」
 淵がフィーアの表情を無くした顔を覗き込みながら、低く呻いた。この時、淵は不意に何かの気配を察し、慌てて室内のある一点に視線を巡らせた。
「おい……あの帽子、誰か移動させたか?」
 淵の問いかけの意味を、その場に居る全員が理解した。
 六花がルカルカに手渡した中折れ帽が、いつの間にか無くなっていたのである。つい今の今まで、ダリルの脇に置いてあった筈だというのに。

 水晶亭内が、にわかに慌ただしくなってきた。
 フィーアが明らかに何者かの攻撃を受けていることに加え、来賀・イングランドという新たな脅威の可能性が示されたことで、これまで考えられていた息子J対策も根本から見直さなければならないという事態に陥ったのである。
 蜂の巣をつついたような騒ぎとは、まさにこういうことを指すのであろう。
 しかし如何にコントラクターとはいえ、空腹のままで困難に対処するというのは、何かにつけて大きな支障を来たす可能性がある。
 そこでコルネリアとあゆみが中心となって、蒸し上げた肉まんを臨時の夕食として、各部屋に配って歩いていた。
「ううぅ……御来光肉まんが、まさかこんな臨戦態勢下の緊急食糧になるなんて……」
 当初の思惑からすっかり方針が外れてしまい、戸惑いを隠せないあゆみではあったが、一方のコルネリアやアイリーンといった面々は、意外な程に冷静で、トレイに積み上げた熱々の肉まんを、各部屋に向けて淡々と配り歩いていた。
 ところが発案者のおなもみは、この状況を寧ろ、楽しんでいるようにも見える。
「これはこれで、緊迫感があって良いかもね。息子Jを上回る真の敵が登場! 果たして御来光は、そして肉まんの運命は!? なんつって」
「おなもみ……不謹慎にも、程があるにゃ」
 キッチンに面した大広間から土間へと降りる縁側に腰掛け、スケッチブックに何やら描いているおなもみを、ミディアがしかめっ面で睨みつけた。
 しかし、おなもみの妙に高いテンションは一向に下がること無く、走り回るあゆみやコルネリアといった面々を楽しそうに眺めていた。
 だがしばらくして、コルネリアが新たな異変に気づいた。
 美奈子がキッチン脇の大広間の畳床で寝そべったまま、ぴくりとも動かないのである。
 最初は、アイリーンが絞め落とした為に眠り続けているのだろうと、誰も気にかけもしなかったのであるが、これだけ周囲が騒がしくなっているというのに、全く目覚める気配が無い。
 慌ててあゆみとアイリーンが土間から駆け上がり、美奈子の瞼を無理矢理押し開ける。
「……美奈子ちゃん、瞳孔が開きっ放し……」
 あゆみの呆然とした声音に、しまった、とアイリーンが唇を噛んだ。
 眠らせておけば軽はずみな行動には走ることも無い、と踏んで美奈子を絞め落としていたのが、この場ではその判断が逆に仇となってしまった。
 敵はどうやら、眠っているコントラクターを優先的に襲っているようなのである。
 いや、厳密にいえば睡眠か気絶かを問わない。とにかく意識を失った状態であれば、永遠の夢地獄に引きずり込まれると考えた方が妥当であろう。
 あゆみは美奈子が第二の犠牲者となったことで幾分動揺しているようだが、アイリーンは違う。この機晶姫メイドは極めて、冷静であった。
 であればこそ、無理矢理こじ開けている美奈子の瞳に、異質なものが映り込んでいることにも咄嗟に気づいたのだ。
 アイリーンは、美奈子の瞳が天井を映し出していることに注目した。その天井に、何か得体の知れぬ影が張りついていたのである。その得体の知れぬ何かが、美奈子の瞳の中でじわりと動いた。
「危ない!」
 叫ぶと同時に、アイリーンは美奈子を縁側方向に突き飛ばし、その反動を利用して、自身も反対側へと跳び退る。その直後、美奈子の瞳に映り込んでいた異形の影が天井から降り立ち、美奈子の華奢な体躯を跨るような形で仁王立ちになった。
「どうした! 何があった!?」
 キッチンで警戒に当たっていたカイが騒ぎを聞きつけ、土間から土足のまま、縁側を飛び越えて大広間に駆け込んできた。
 そこでカイは見た。
 首から上の皮膚が全て真っ白に塗りたくられた、2メートルを優に越える巨漢が鉈を携え、のっそりと佇んでいたのである。
 いや、白く塗りたくっていると見えたのは誤りで、実際には白いラバーマスクを被っているようである。
 目、鼻、口といった部分には穴が空き、純白のラバーマスクの奥から、狂おしい程に血走った視線や、妙に荒い呼吸が押し出されてきている。
 全身から噴き出る殺気から、この巨漢が敵であることはほぼ間違い無いようであった。