空京

校長室

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

リアクション公開中!

【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)
【カナン再生記】決着を付ける秋(とき) 【カナン再生記】決着を付ける秋(とき) 【カナン再生記】決着を付ける秋(とき) 【カナン再生記】決着を付ける秋(とき) 【カナン再生記】決着を付ける秋(とき) 【カナン再生記】決着を付ける秋(とき)

リアクション


黒の中の虚無 2

 深い、深い……海底のような闇の底。ゆらゆらと揺れる闇の感覚に、エンヘドゥは心地良ささえも感じ始めていた。
 ここでは、何も考える必要はない。ただ流れ、移ろい、たゆたうのみ。光も輝きも何もかもなく。漆黒だけが広がるこの世界にいれば、悩むことも哀しむこともにない。
 光を失ったとき――人はこの素晴らしき虚無の世界へいざなわれるのだろうか?
(だけど……)
 虚無は、何もない。
 何も感じる必要はない代わりに、そこは何も生み出さない。あの楽しかった日々も、あの美しかった過去も。
(助けて……)
 虚ろな意識の中で、エンヘドゥは必死に助けを求めた。すると……それまで彼女を抱きかかえるようにして広がっていた闇が、突然無数の手となって彼女を捕らえた。これが、虚無だ。これが闇だ。あんな心地良い世界など、ただのまやかしでしかない。闇は……光をこうして囚人とするのだ。
「う……く……!」
 助けて。助けて……!
 叫び、もがき苦しみ、闇から逃れようと手を伸ばす。届かない。あの光には、届かない。私の光は、こんなにも脆弱で、こんなにも遠い。だから、こうして闇に捕まったまま逃げることができないのだ。私は……。
 ――光がエンヘドゥの耳元で輝いたのは、そのときだった。
 それは、彼女の片耳につけられたイヤリングからの光だった。
(ルシェン……?)
 キシュの決戦に向かう前にルシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)から受け取った、月雫石のイヤリングだ。
 大切な物じゃないのか……? そう聞いたエンヘドゥに、彼女はこう言ってくれた。だからこそ、自分に受け取って欲しいのだと。必ず南カナンに帰ってくる。そのための、お守りとして。
 そして、光からは声が聞こえてきた。
“どんな時も、貴女は一人じゃない!”
 朝斗……?
 それは、朝斗の声だ。そして、そこから徐々に、声の世界は広がっていった。コントラクターたちの――仲間たちの声が聞こえてくる。そして、エンヘドゥはそのとき、自分の身体が自由に動けるようになっていることに気づいた。イヤリングから発せられた光が、彼女の身体を包み込んでくれているのだ。
(みんな……!)
 闇の手が迫る。しかし、彼女は諦めなかった。
 光は届かない。だけど、光は一つではない。皆の光がある。皆が……護ってくれる。だから、私は……!


 コントラクターたちの攻撃の要となるのは、ギルガメッシュだ。だからこそ、仲間のコントラクターたちはそのための援護へと行動を移していた。
「ご主人様……来ます」
「ふん。そうそう、喰われてなるものですか」
 亜璃珠のワイバーン。そこに同乗するマリカ・メリュジーヌ(まりか・めりゅじーぬ)の注意を受けて、亜璃珠はワイバーンの動きを制御した。イトハと名づけられたそれは、ぐねりと体躯をひねると、エンキドゥの闇のエネルギーから逃れた。
 通常のワイバーンに比べて首が胴の長いその姿は、竜というよりは蛇のそれを思わせる。エンキドゥから放たれるのが闇の蛇ならば、こちらは紅き鱗の竜蛇である。
「いきますわよ。ロートラウトさん、準備はよろしくて?」
「りょうかーい! ロートラウト、いきまーす!」
 エヴァルトのパートナー、ロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)は、亜璃珠のワイバーンの体躯を足場として、そのまま宙へと飛び出した。もともとはエヴァルトのサポートとして随伴していたのだが、いまはエンキドゥの攻撃をひきつけることに専念している。
 敵の攻撃が暴走していることも要因ではあったが、そうでなくとも、小回りのきくプロミネンストリックに驚異的なスピードを乗せたロートラウトの速さだ。敵のエネルギー波はそうそう彼女を捉えることはできなかった。
 いや――手数が多い。一つ一つは彼女を捉えることはできないが、数をもってして多数の闇の粒子がロートラウトに迫った。
 だが、直哉のビームサーベルがそれを切り裂く。
「あ、ありがとう、直哉くん」
「構わねーよ。さーて、今度はこっちだ。結奈……限界まで飛ばすぞ!」
「う、うん……任せて、兄さん」
 挑発を込めた気合を唱えて、直哉のイーグリットが加速した。闇の粒子がそれを追う。エネルギーは自在に動いて追尾してくるが、避けることだけに機体モードを切り替えたことで、直哉のイーグリットも、それまでの戦いより遥かに動きを増していた。
 なんとか追いつかれぬように旋回し、二つのエネルギー同士をぶつけ合って相殺させる。
 そうして――エンキドゥの動きを引きつけているうちに、ギルガメッシュがエンキドゥへと接近していた。
 ギルガメッシュの試練に挑んだ者の声に、黄金の騎士は答える。我が名は――其の導きに輝く者と!
「レン、いくぞ! 俺たちの……ギルガメッシュの力を見せてやる!」
「ああ……! 悪いが俺たちは駒じゃない。モート! これで、決着をつけさせてもらうぞ!」
「ぬ……ぬあああぁぁ、こしゃくなあああぁぁ!」
 モートの声が響き渡った。
 だが、遅い。エンキドゥが反応するよりも早く、ギルガメッシュがぶつかる。そして、その腕を掴み取ってエンキドゥを捕まえた。もしもこのままギルガメッシュへと攻撃を仕掛けたら、自分までもやられる可能性がある。エンキドゥが自由に身動きが取れなくなったところに、コントラクターたちの声が張りあがった。
「エンヘドゥ……聞こえるか!」
 小型飛空艇から外部回線を開いて、アインが叫んだ。
「聞こえているなら、返事をして! エンヘドゥ!」
 それに続いて、首里が呼びかける。しばらくの間、エンキドゥがギルガメッシュに抵抗してもがき苦しんでいたが……やがて、それが止まる。
 そして聞こえてきたのは、闇の重なることのない、純然たるエンヘドゥの声だった。
「み、みんな……」
「エンヘドゥ! 聞こえるのか、エンヘドゥ!」
「みんなの声……と、届いて、ます。光が、みんなの光が、私に……」
 意識がはっきりとは戻っていないのか、苦しんでいる声だった。
 途端――エンキドゥの中から泥が撒き散らされるように闇が溢れる。それは、かつてのように空を覆い、闇の世界を作り上げようとしていた。


 コックピットの中で、エンヘドゥは意識を取り戻しつつあった。闇はエンヘドゥの背後から彼女を捕らえて離そうとしないが、それに彼女は必死に抗っていた。
『人ごときが……我から逃げられるとでも思っているのかあああぁぁ!』
「ごとき……なんて、呼ばないで、ください」
 視界は歪む。意識は今にもあの闇の底に引っ張られそうになるが、歯を食いしばり、エンヘドゥは必死でそれに抵抗する。
 だが、闇は強烈な力だ。心を蝕み、身体を締め付け、意識は朦朧とする。このまま、このままあそこに戻れば、苦しみからは解放される。
 そんな思いが頭の中で揺れ動いたとき、声が聞こえた。
「エンヘドゥ……あなた、そんなに弱い女だったの?」
 誰?
 歪んだ視界に、わずかな光が宿る。これは、この声は……亜璃珠?
「あなたを助けるために、私たちはここまで来たわ。それが、こんな結果だったなんてガッカリよ。その程度で、あなたは終わってしまうつもりなの?」
「私……私は……!」
「あなた、本当は熱い女なんじゃないの? エンヘドゥ。私……知ってるのよ。あなたがシャムスのために戦場に出ようとしていたことを。姉に……いえ、兄に焦がれて、自分の足で戦いの場に赴こうとしていたことを」
 そうだ。だから、自分はエリシュ・エヌマに乗り込んだ。そこをつけ込まれ、モートに身体を奪われてしまったが……戦いは、まだ終わっていない。
「私……嫌いじゃないわ、そういうの」
 目には見えなかったが、亜璃珠が微笑したのが見えた気がした。同時に、エンヘドゥもまた、薄く笑みを浮かべていた。
 アインの叫びが聞こえた。
「一度はモートの呪縛を克服した君だ。奴が同じ手を使ってきても、きっと乗り越えられる。父さんを、姉さんを、そして自分を信じろ!」
 自分を……?
 耳にはめられたイヤリングが、静かに輝いている。そして、歌が聴こえてきた。それが、誰が歌っているものなのか、なぜかはっきりと分かる。これは――ノアだ。あの心優しきギルドマスターの娘が、彼女を思って歌っているのだ。
 そう。
 人ごとき……そんな風に、呼ばせはしない。私には、こんなにも支えてくれる人がいる。そんな私を、私たちを、私の信じる仲間たちを。ごときなど――呼ばせたりは!
『ぐ……こ、これは……!?』
「モート……教えてあげます。人は、人の力は、あなた程度に『ごとき』と呼ばれるほど、愚かなものじゃないと……!」
 光が、闇を跳ね除けようとしていた。
 エンキドゥのコントロールが失われる。そして、一時的にだがエンヘドゥの手の中にコントロールが移った。動き出すエンヘドゥの手。
 狙いは――