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プロローグ 舐めた苦汁は珈琲の味
コーヒーの香りがした。ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)の煎れたものだ。
桜井 静香(さくらい・しずか)が手を伸ばし、カップにコーヒーを注ぐ。黒玉のような光沢を発していた。
「これがジェイダスさんにもらったコーヒー?」
そう言って一口飲む。
「ずいぶん苦いね」
「ジェイダスさんがおっしゃっていたわ。
“黒きこと地獄の如く、濃厚なること死の如く、甘きこと愛の如し”
よいコーヒーについての諺ですって☆」
静香はもうひとくち飲むと、少し顔をしかめて言った。
「いいコーヒーなんだろうけど、僕には少し濃すぎるかな……」
そう言って、壺に入ったミルクをコーヒーに注ぐ。ふたつの液体が混じり合って、濃厚な“死”の香りが和らいだ。それにたっぷりと砂糖を入れて飲む。今度は満足した様子。
「うん、“地獄”や“死”よりは“愛”のほうがいいな……
ところでジェイダスさんは、どうしてこのコーヒーを?」
ラズィーヤは満面の笑みで答える。
「先日、ヴァイシャリーで“第2回ジェイダス杯”が開かれたでしょう。優勝したのは薔薇の学舎と百合園学園のペアだったのはご存じよね? その記念に戴いたのよ♪」
そういえばそうだった。静香は百合園の校長ではあるが、ヴァイシャリーの街それ自体への影響力、政治力は持ち合わせていない。開催にはラズィーヤが一枚噛んでいたのだろう。
そんなことを考えながら、窓の外の風景を見やる。ヴァイシャリーや日本とは比較にならない粗末な建物やテントが乱雑に並び、その先には荒涼たる大地が広がっている。こんな場所に住んでいるパラ実生が、2度もジェイダスに苦汁を飲ませたのか。
気がつくと、コーヒーカップは空になっていた。
第一章 人形の家
リリーハウス初日。
華やかな外見と裏腹に、お客様の見えないところでは大変な騒ぎとなっていた。なにしろ、かなりの突貫作業でここまでこぎ着けたのだから。
白い制服に身を包んだ藍澤 黎(あいざわ・れい)が、フィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)の作ったオムライスの試作品を試食してみる。
「ふむ……少し味付けが濃すぎはしないか?」
「酒の肴だからな、わざと辛めにしとるんや」
黎は家事全般をフィルラントに任せているので、それ以上つっこんだことは言えない。
店内では募集されて集まったドリームメイデンたちが、ラズィーヤから接客の心得を聞かされている。
この光景をなんと例えるべきか。
百合の花園であろうか。
夢の国か。
それとも人形の家か。
わずか3日のために設えられた、空虚な舞台装置。
いや、たった3日だからこそ、集まった全員が懸命になっているのではないか。
イルミンスールの保険医、戸隠 梓(とがくし・あずさ)がドリームメイデンに応募してきたのは、ラズィーヤにとって幸運だった。けが人や病人、暴飲暴食による体調不良は容易に想定できたからだ。
そういうわけで梓には特別に一室が用意され、“3日間女医コスプレ”という特別待遇が与えられた。
「……ひょっとして私、いつもどおり保険医をしているだけなんじゃ……」
第二章 正気にては大業ならず
「1名様ご来店なのだわー!」
最初に店内に駆け込んできたのは、イルミンスールのいんすます ぽに夫(いんすます・ぽにお)だった。この日のために倹約を重ねて小遣いをためてきたのだ。
「エリザベート校長をお願いします!」
栄えある指名一号となったエリザベート・ワルプルギス(えりざべーと・わるぷるぎす)は満面の笑み。
「やっぱりぃ、一番の人気者は私なのでぇす! 環菜に負けるわけないのですぅ〜」
そう言っていそいそと出て行くエリザベート。ムッとするものの、まだ余裕のある環菜。
「エリザベート・ワルプルギスですぅ。よく指名してくれましたぁ。
まず、なにか飲み物を頼むのでぇす」
あこがれの校長に声を掛けられて有頂天のぽに夫。
「この日のために購買では自転車以外は買いませんでした! だからお金ならあります! “黄金の蜂蜜酒”をお願いします!! アーデルハイト様たちも宜しければご一緒に!」
「私はまだ飲めませぇん。大ババ様が意地悪して、私には飲ませてくれないのですぅ……」
意地悪ではありません!
お酒は20歳になってから!!
「そ、そうですか……では他にお好きなものを注文してください……」
「じゃあ、私は“果実ジュース”を頼むのですぅ」
注文してすぐに、ボーイの九条院 京(くじょういん・みやこ)が果実ジュースのグラスと、蜂蜜酒のボトルを運んできた。
「お待たせいたしましたのだわー!」
(そういえば、えりりん(エリザベートのこと)をこんな近くで見たのは初めてなのかもだわ)
そんなことを思いながら、ついエリザベートをじっと見てしまう京。
今回、リリーハウスにはシャンバラ各校の大物が集まっている。京がボーイに募集したのは、そういうメンバー見たさという面もあった。
「ん……? 私の顔に、何かついているのですかぁ?」
不審に思ったエリザベートが声を掛ける。
「いえいえ、何でもないのですわー」
そういって立ち去る京。
そんなこんなで乾杯して飲み始めるぽに夫とエリザベート。しばらくすると、ぽに夫の口が軽くなってきた。
「……先日、新しいパートナー、メカ ダゴーン(めか・だごーん)と契約したんです。普段は衛星軌道上で旧支配者の来訪を発見する役割を担っているロボットでいまも星々を観測し続けているのですそうだみんなで宇宙にいきましょう……」
エリザベートは可哀想な子を見るような目でぽに夫を見ていたが、ふところからケータイを取り出してどこかに電話をかけた。
「もしもぉし、私ですぅ……梓ですかぁ……前々から心配でしたがぁ、ぽに夫がとうとう残念なことになってしまいましたぁ……迎えをよこして欲しいのでぇす……」
「見えてきました! 光が! 光が!! おお!!」
「わかったわかった、頼むからおとなしくしててくれ」
恍惚としているぽに夫を、黒服の永夷 零(ながい・ぜろ)が引きずっていった。
こうしてぽに夫はクトゥルフ神話学科御用達、ザンスカール療養所に入所することとなったのである。
エリザベートの売り上げ:8900G
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