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序章
「絶好の争奪戦日和ね!」
水色のワンピースにエプロン、不思議な国に迷い込むのかと思われそうな衣装を纏った小谷 愛美(こたに・まなみ)は、晴れ渡った空を見上げた後、パートナーの方を振り返る。
「争奪戦日和……っていうのがどういうのもか分からないけど、晴れてよかったとは思うよぉ。室内で暴れまわったりなんかしたら、参加しない人たちに迷惑かかるからねぇ」
パートナー、マリエル・デカトリース(まりえる・でかとりーす)も晴れた空を仰ぎながら、そう答えた。彼女が纏うのは、真っ白なフリルのワンピースで、頭には金色の輪を乗せている。
参加の目印であるオレンジのリボンは、それぞれチョーカーのように首に巻いていた。
「それもそうね。さあ、運命の人からお菓子をもらいに……って、開始時間とか考えてなかったわ」
「『ハロウィンの日』って書いてあるんだから、今日一日って考えればいいんじゃないかなぁ? 学園の敷地に入ったら、開始ってことで」
改めてチラシを見たマリエルの言葉に、愛美が頷く。
そうして2人は、学泉の敷地内に入ったのだ。
第1章 愛美のお菓子は誰のもの?
「あえてライバルの多そうな愛美さんに自分のこだわりの味をお届けっす!」
そんな意気込みと共に争奪戦へと参加するのは、穂露 緑香(ぽろ・ろっか)だ。
オレンジのリボンをつけた狼の被り物に、両手には肉球手袋、赤と白のチェック柄のエプロンドレスを纏った緑香が用意したのは、透き通った手のひらサイズのゼリーだ。薄く一筋の虹が架かっているような色をしているそれを透明なセロファンで1つずつ包み赤いリボンで止めてある。
「彼女が注目の美少女、愛美さんっすね♪」
門から敷地内へと入ってきた愛美の姿を見つけた緑香は早速、彼女に向かって走り出した。
「ああ、待ってよ、ポポロッカぁ」
全身を覆い隠すほど大き目の黒いフード付マントに身を包み、縦に半分にしたドクロの仮面をつけたプレナ・アップルトン(ぷれな・あっぷるとん)は、走り出した緑香を追いかける。
「愛美さん、これを受け取るっすー♪」
走りながら一口ゼリーを掲げる緑香。
けれどもそれは、愛美へ近付く別の影へと阻まれた。
「愛美さん、トリックオアトリート、だよ♪」
吸血鬼の仮装をした朝野 未沙(あさの・みさ)がそう言いながら、愛美と緑香の間に割り込んできたのだ。
「ぶりっつくりーく! まなみんのお菓子はわらわのものじゃ」
さらに割り込んできたのは、御厨 縁(みくりや・えにし)だ。
古風な狐の面に、ふさふさの尻尾をつけて、妖狐の格好をしている。
「愛美さんの愛情は僕のモノだ!」
その後ろからも割り込んでくる影――風祭 優斗(かざまつり・ゆうと)だ。
巨大なタマネギを被った剣士の格好をしている。
「わあ、皆からお菓子もらえるなんて、嬉しいわ。……ということは、私の運命の人は、この中に居るってことかしら?」
4人の顔を見回して、愛美が笑みを浮かべる。
「折角だから、その運命の人と私のお菓子は交換したいところだけど……」
どうしよう、ともう一度4人を見回して、愛美は困った顔をした。
「そうっすね。折角なら交換がいいっすよね」
「交換できるなら何よりだけど、食べてもらえるならそれだけでもいいかな」
出来れば交換を望む緑香と、受け取ってもらうことを優先しようと考えている未沙。
「そうはさせませんよ!」
そう言って優斗は頭に被ったタマネギを剥き始めた。
辺りに、涙を誘うタマネギの匂いが立ち込めていく。
周りのライバルたちの瞳が涙で潤んでいくのを見て、優斗は愛美へと近付こうとするけれど、何も言わず、ただ、何かの機会を窺っているように見える縁に違和感を覚えて、つい足を止めてしまった。
「ぐす……愛美さんのお菓子は諦めても、愛美さん自身を諦めたわけじゃないからね?」
涙と共に詰まる鼻を啜って、念のためと言わんばかりに、未沙は愛美へとそう告げる。
「未沙さんの気持ち、嬉しいわ」
愛美は照れて頬を朱に染めながら、答えた。
「でも……どうしよう。決められないよ……」
なかなかお菓子を渡す相手を決められず悩んだ愛美が出したのは――。
「4人で分けてもらればいいんだわ」
という結論であった。
幸い、愛美が用意したのはパンプキンクリームと生クリームを使った一口サイズのプチシュー詰め合わせ。
ラッピングした袋は1つしかないけれど、中身はいくつもあるのだから、分けることは可能だ。
「それじゃあ交換っすよー♪ 愛美さん、トリックオアトリートっす」
言って、最初にお菓子を差し出したのは緑香だ。
「トリックオアトリート! 緑香さん、ありがとうね」
愛美は、緑香の一口ゼリーを受け取り、代わりにプチシューを差し出す。緑香がプチシューを受け取れば、愛美は早速その小さな包みを開いて、ゼリーを口に含んだ。
お日様に干した布団の香りと、塩と砂糖を間違えたまま作ったケーキの味が愛美の口腔内へと広がる。
緑香の特性ギャザリングへクススープ入りのゼリーなのだ。
「……」
その何とも言えぬ味に、愛美はただ、目を丸くするだけである。
「ま、間に合わなかったぁ!?」
緑香を追いかけてきたプレナは絶句している愛美を見て、声を上げた。
「プチシュー、美味しいっすね。さあ、次の人にゼリーをあげにいくっすよ」
愛美のプチシューを味わった緑香は再び、参加者を求めて、走り出す。
「ごめんなさい! これ、お詫びですぅ! これでお口直ししてください!」
プレナが差し出したのは黒の不織布で包まれた小さなお菓子だ。ミルクペーストを混ぜ込んだカボチャのキャンディを包んである。
「ほんと、ごめんなさいねぇ! プレナは、ポポロッカを追いかけなきゃいけないので、すみませんが、これにてぇ!」
いつの間にか姿を消した緑香を追いかけるべく、プレナはキャンディを愛美の手に握らせるとまた駆け出した。
「トリック・オア・トリート! 独り占めできないのは残念だけど……僕からのお菓子、受け取ってくれますか?」
優斗は自分のお菓子を差し出した。中身は少し大人へと背伸びをしてみたブランデー・チョコだ。
「もちろん。お返しはこれね」
優斗からのチョコを受け取って、愛美は代わりにプチシューを渡した。
「改めて。愛美さん、トリックオアトリート、だよ♪」
未沙が告げながら、カボチャの形に仕上げたプチパンプキンケーキを愛美へと差し出す。
「あ、でも……折角だから口移しでお菓子食べさせてあげたりとか、してみたいなぁ〜。既にキスした仲だし、してもいいよね愛美さん?」
「く、口移し!? それはさすがに……えーっと……」
躊躇う愛美に対し、未沙はケーキの片端を咥えると、それを愛美へと差し出した。
「むむ……」
戸惑いながらも愛美は差し出されたケーキの、未沙とは反対の片端へと噛り付く。
一口食べれば、ケーキの中のカボチャの甘みが広がって、愛美は二口、三口と食べた。その間に未沙も反対側からケーキを食べていて、四口目には唇同士が触れ合った。
「ちゅっ」
音を立てて、口付けてから未沙は唇を一旦離す。
「……ッ!」
愛美は驚きのあまり言葉を失った。その隙に、未沙は愛美の手からプチシューを包みごと奪う。
「愛美さんの唇もお菓子もいただきよ」
くすっと笑って、勝ち誇る未沙。
そんな彼女の視界の端を白い何かが過ぎった。
「?」
不思議に思ってきょろきょろと辺りを見回すと、また視界に完全に入らないような端の方を白いモノが横切る。
「な、何なのよ!?」
気になって、白いモノが過ぎった方を向く未沙へと、反対側から頭に角隠しのような薄絹をかけ、口元を別の布で隠した上、全身には血糊で返り血を浴びているような夜叉の格好をしたサラス・エクス・マシーナ(さらす・えくす ましーな)が襲い掛かる。
狙うは未沙が手にしたプチシューの包みだ。
「ぶりっつくりーく!」
そんな掛け声と共に、未沙の手からプチシューの包みを奪ったサラス。
「シャチ! 上手くいったよ!」
サラスは、反対側で白い、シーツに穴を開けただけのモノを被った状態で、気を惹いていたシャチ・エクス・マシーナ(しゃち・えくすましーな)へと声をかけると、すぐにその場を後にする。
「……?」
縁に言われたことをしただけのシャチは、焦点の合っていない目で、逃げるサラスを見送った。
「ああ、愛美さんのお菓子! 待ちなさいよ!」
「お菓子の取り合いは、しちゃいけないの!」
奪われていったお菓子を追いかけようとする未沙に、パートナーの朝野 未羅(あさの・みら)がそう声を上げた。
「暴れたらお菓子がダメになっちゃうのー!」
尤もなことなのだが、奪われっぱなしなのは釈然としない。
やはり追いかけようかと1歩踏み出した未沙の前に、縁が回りこんできた。
「残念賞じゃ」
そう言って、彼女が差し出すのはカボチャの羊羹だ。
「う……仕方ないわね。もらえるお菓子はもらっておくよ」
未沙は切り分けられたカボチャの羊羹を一切れ受け取った。
「でも、愛美さんのことは諦めてないんだから。ねぇ、愛美さぁ〜ん、裏でさぁもっと気持ち良いこと……っ!?」
改めて愛美の方を振り向いた未沙だが、居たはずの場所に求める姿はない。
「ま、愛美さーんっ!?」
何処に消えたのか。
愛美を求めて、未沙は駆け出した。
「丸く収まってよかったのー……って、あれ?」
争いが起きなかったことに嬉しそうに笑う未羅。けれども見渡せば姉、未沙が居ない。
彼女もまた、逸れた姉を探して回ることになってしまったのだ。
*
一方、愛美はというと――。
「少し手荒なまねをしてしまいましたか、すみません」
ドラキュラの格好をしたウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)に抱き上げられて、カフェテラスの方へと向かっていた。
愛美のお菓子へと注意が向いている隙に、ウィングは愛美を連れ出したのだ。
「ううん。手荒だとは……それより何処に向かってるの?」
抱き上げられ、すぐ近くにあるウィングの顔に、愛美は跳ねる鼓動を抑えながら、訊ねる。
「私のバイト先でもあるカフェテラスです。新作のお菓子が出来たので食べてもらいたいのですが、持ち歩くと崩れてしまいますので」
ウィングは微笑みながら答える。言っている間に、カフェテラスの前へと辿り着いた。
「さあ、中へ」
奥まった角の席へと案内すれば、調理場に預けておいたケーキをウィングは持ってくる。
愛美の前に出されたケーキは、ハロウィンの起源、サウィン祭のお菓子『小さな角』だ。枝角の形をしたケーキを少しばかりパラミタ風にアレンジしてある。
「美味しそうね」
「トリックオアトリート、食べてくれないといたずらしちゃうよ♪」
ケーキを眺める愛美に、ウィングが告げる。
「もちろん、いただきます♪」
言って、早速愛美はフォークの先をケーキへと沈めた。
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