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夜をこじらせた機晶姫

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夜をこじらせた機晶姫

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chapter.10 エレウテリア 


 グレイプの施設。
 彼は結局路々奈の問いにも答えることなく、そのまま夜を迎えていた。いつまでも長居するわけにはいかないと部屋を出ることにした生徒たちだったが、その時、九鳥の携帯に連絡が入る。契約者の九弓からだった。その内容は、ヴィネが夜でも動ける可能性がある、というもの。九鳥は慌てて周りの生徒、そしてグレイプにその事実を伝えた。
「ヴィネは夜でも動けるかもしれない。そしてヴィネはここに、貴方に会いに来る。それを知って、貴方はどうします?」
「……どうもしない。親に会いに来たというなら、残念じゃがここに親はおらん」
 頑なにヴィネとの関係を否定するグレイプ。そんな彼の机にふと視線を向け、何かに気付いたのは静麻だった。
 これだけ散らかっている部屋なのに、机の上だけは妙に整頓されている。いや、机の上というよりは、机の一区画……。
 その時静麻の目に留まったのは、一枚の紙だった。他の資料などと違い、なぜかその紙だけがプレートで保護されていることに彼は気付いた。
「なあ、それは何だ?」
 静麻が紙を指差す。
「何でもない。ただの資料じゃ」
 つっけんどんに言い返すグレイプ。そこに反応を示したのは、天音だった。
「ふむ……気になるね」
 興味を持ってしまうと、他への気配りや遠慮などの一切が頭から抜けてしまう天音。彼はトレジャーセンスを使うと、確かにそれは反応を示した。
「何か、とても価値のあるもののようだね」
 天音が目を凝らすと、紙に何やらうっすらと文字が書かれているのが見えた。それを天音は口に出した。
「エレウ……テリア?」
 その言葉を耳にしたグレイプは、何かを諦めたように目を閉じると、ゆっくりと目を開け、紙を手にした。
「……絵じゃよ。昔、ここを訪れた絵描きに書いてもらった絵じゃ」
 そう言うとグレイプは紙を裏返し、生徒たちに絵が見えるようにしてみせた。
「まだ、ヴィネがここにいた頃のな」
 そこに描かれていたのは、グレイプとヴィネの絵だった。無表情なヴィネを抱きしめているグレイプが描かれている。
「じゃあ、やっぱりヴィネはグレイプさんの……」
 路々奈の言葉に、グレイプが今度は答えた。
「子じゃよ。もうその記憶も消したがの」
 悲しそうな目で、グレイプは語った。
「どの子だったか、さっき言っておったな。病気のせいで一緒にいれないから、せめて自分を忘れるように記憶を初期化したのではないかと」
 プレナがどきっとして、背筋が伸びる。
「そんな綺麗なものではないんじゃよ。わしはヴィネに憎まれるように、記憶を初期化したのじゃ。あのメモリだけを残したのは、わしを悪者と思えばここには戻って来ないだろうと思ってのことじゃ」
「……それは、どういう?」
 生徒たちの疑問に、今まで隠していたことをグレイプは話した。
「わしがヴィネを廃棄場で見つけたのは、もう5年以上も前のことじゃ」
 当時を懐かしむように、グレイプは少しの間目を閉じた。

「これで……動くことは出来なくても、物事を記憶させることは出来るようになっておると良いんじゃが……」
 研究施設が映っている。グレイプがカチャカチャと何かをいじっている映像。
「とりあえず、メモリ機能の搭載は上手くいったようじゃな。おお、こんなくだらないものを残しておいても仕方ない。もっと何か……ヴィネのためになるようなことを記憶させたいのう。せっかく機晶石部分以外は修理出来たんじゃからな」
 その言葉で、映像は終わる。
 メモリ作成日時:2014/10/05

「廃棄場でボロボロになっていたヴィネを拾ってから、わしは修理に取り組んだ。結果外見は修理出来たが、動力部分の修理が不可能だった。機晶石に問題があったからじゃ。それでもひょっとしたらと思い、そこの昇降口から外へ送り出すと、どうやら光の下では動けるらしいことが分かった。わしは様々な事例を調べて完全に修復しようとしたが、やはり無理じゃった。動けない間も記憶が出来るよう、メモリ機能を外付けさせることで精一杯じゃったよ」
 グレイプは一息ついて、続きを話しだす。
「次第にわしは思うようになった。果たして、ヴィネを修理したことは良いことだったのか? こんな中途半端に蘇らせるくらいなら、いっそあの時廃棄場から拾って来なければ良かったのではないか? そう思ったわしは、ヴィネを外に出した。ひとりにさせるのも躊躇われたが、このままこの地下で、動かないまま過ごすよりはヴィネにとって良いだろうと思ってな……しかし」
 昇降口を指差すグレイプ。その指は、微かに震えていた。
「いくら外に出しても、ヴィネはここに戻って来た。当然、ここに着くまでに動力は切れて、停止状態で発見されるんじゃがな。何度外へ出しても戻ってくるヴィネを見て、わしはある決意をしたのじゃ」
「それが、もしかしてぇ……」
 プレナの言葉に、グレイプは頷く。
「記憶装置の初期化じゃ。そしてあのメモリ以外のデータを全て消し、夜の間にヴィネをここから離れた場所へ置いた。分かったじゃろう? わしはヴィネを捨てたのじゃ。親を名乗ることは許されない」
 そこまでを一気に話すと、グレイプは椅子へと座り直した。誰ひとり、言葉を発することが出来ない。その口火を切ったのは、風祭 隼人(かざまつり・はやと)だった。
「だからって、家族の絆はあっさりなくしていいもんじゃない」
 隼人は前に歩み出ると、グレイプを真っ直ぐな目で見つめる。
「記憶だってそうだ。それを分かってるからこそ、ヴィネは今ここに向かってるんじゃないのか?」
 そして隼人は、グレイプの手をそっと掴む。
「もし……今ヴィネがここに来る途中故障でもして、壊れそうになっていたとしたらどうする? 助けに行ってあげるだろ?」
  兄弟である優斗と同じく、親を亡くし孤児院で育った隼人は、親に会えなくて淋しいという子の感情が痛いほど分かっていた。手に熱がこもる隼人。
「子供が淋しい思いしてたら、親は会いに行くもんなんだよ! そうだろ?」
 そんな隼人の思いに触れ、次々と他の生徒たちもグレイプに声をかける。
「記憶を空っぽにしてしまったなら、また新しく、楽しい記憶で埋めていけばいいじゃない。あたしの好きなアーティストも言ってた。明日まだ希望があるなら努力も厭わない、って」
 路々奈が明るく口にする一方、反対に語気を強めてグレイプに言葉をぶつけたのはジュレールだった。ジュレールは、自身の言葉に感情がこもっていることに気がつく。それは、機晶姫である彼女が最近理解出来るようになった『怒り』という感情だった。
「我にはカレンがいる。ヴィネにも、誰かが傍にいなくてはならないんだ!」
「ワタシは方向音痴でしょっちゅう迷子になるけど、葉月がいつも迎えに来てくれる。ヴィネにも、きっとそういう人が必要なんだよ!」
 そうカレンに続いたのは、ミーナだった。
「グレイプさん、もし貴方が会うことを拒んでいる理由に、研究家としてヴィネを直してあげられなかったという後悔があったとして……研究家としてのプライドと、娘の幸せ。迷うまでもありませんね?」
 九鳥が冷静に語りかける。
「……一晩、考えさせてくれ」
 やがてグレイプはぽつりとそう呟くと、生徒たちを追い返した。

 地上へと出た生徒たちの中、静麻はあの時見た絵の裏に書かれていた文字が気になっていた。
「アレは……絵のタイトルだったのか?」
 そんな様子を見た路々奈のパートナー、ヒメナ・コルネット(ひめな・こるねっと)は、携帯でメールを打ち始めた。
「ヒメナ、何してるの?」
 路々奈の問いに、ヒメナが答える。
「えっと、その言葉の意味とか、図書館の方で調べてもらえないかなって思ったんですっ」
 路々奈がさっとメール画面を見ると、そこには辞書・語源などの蔵書が収められている区画の場所がこれでもかというくらい、詳しく説明されていた。
「あはは……さすが図書のスペシャリストね」
「そ、そんな凄いことは出来ないんですけどねっ」

 その頃地下では、グレイプが頭を抱え悩んでいた。
「ヴィネ……わしは、お前に会えるのか?」
 ヴィネを蘇らせたことの是非。一度記憶を初期化したという罪悪感。加えて、彼は満月の夜には外へ出たことがなかった。これまで地下から出てきたのは、月のない夜の時だけ。夜とはいえ、明かりの下に出ることへの恐怖心も少なからず彼にはあった。そんなグレイプの頭に、先程生徒たちに言われた言葉が回り出す。
 ヴィネは、危険を冒してここに来る。それを、わしは自らの体と心を痛めないためだけに拒むのか?
 罪悪感も恐怖感も受け止めることが出来たなら、ヴィネ、お前を見ることが出来るのか?
 グレイプは「エレウテリア」とタイトルのついた絵を眺め、そこに描かれた娘の名をもう一度囁く。
「ヴィネ……わしは、お前に会いたい。会って、カメラ越しなどではない、実際に動いているお前をこの眼で見たい」



 朝を迎え、ヒメナは携帯に着信がきていたことに気付く。
 その画面を見て、彼女は俯いた。
「どうしたの? ヒメナ」
「……エレウテリアという言葉の意味が分かりました」
「へえ、何て意味?」
「エレウテリア。それは、自由という意味だそうです」
「自由……」
 言葉を繰り返す路々奈。やがて彼女は、充分に咀嚼した後、誰に向けてでもなく言った。
「一体そのタイトルをつけた絵描きさんは、どこまで未来を見てたのかな」
 その言葉もやがて風に消え、一巡りした風は夜を連れてきた。