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 第八章

 地下、第十三層。
 実際は十一層と十二層は階段と正方形の部屋があるだけの狭い空間なので、ここは実質的な十一層目になるのだが、便宜上こう表現する。
 ただしこの階層も大したものはない。体育館ほどの広さで天井は高く、資材と思われる石が切り出されたまま放置されているくらいである。地下水の湧き出す水場もあるがひどく小さかった。ここで作業する者のために簡易的に作られたものだろう。
 地図製作班の大半は十四層への階段を見つけ、降りていった。
 だが、リーン・リリィーシア(りーん・りりぃーしあ)は何かを感じたらしく、
「調べさせて」
 と言って、熱心に石材や水場、あるいは壁を調査している。集中しているとき、リーンは無言になる。一心不乱に調査を続けていた。
「いいさ、俺たちは最下層を目指しているわけじゃない」
 緋山 政敏(ひやま・まさとし)は伸びをして、石材をベッドがわりに寝転がった。
「俺は肉体労働専門だからな。ちょっと休憩な、休憩……」
 などと天井を見ているのだが、彼の視界にカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)が大写しになった。あんまり距離が近いので、彼女の甘い香りがしたくらいだ。
「どわっ! おどかすなよ!」
「これ見て、ほら」
 政敏に銃型ハンドヘルドコンピュータを突きつけ、カチェアは興味深げに付け加えた。
「わかる? この場所、上の層のどれと比べても、随分外れた場所にあるわ」
「確かにな……とすると、だ」
 ひょいと政敏は身を起こす。
「リーンが『何か』を感じた理由の説明もつく」
 とまで言ったところで、リーンが声を上げた。
「見て、この壁、よく見ると凹凸があって、手足をかけて登ることができる! 最近使った形跡も……」
「皆まで言うな、任せとけ」
 壁に取りつくや政敏は、ひょいひょいとこれを登っていった。
 登った先には、下から見上げる限り岩陰になって見えない穴があった。入って進むと小部屋に通じている。ここで政敏は手荒な歓迎を受けた。
「誰!」
 突然、鋭いナイフで斬りつけられたのである。だが政敏にとっては恐れるほどのものでもない。相手の背後に回ると両手の自由を奪い、背中越しに顔を、相手の肩に乗せた。
「さすが、一人でこんな場所でサバイバルを続けていただけはあるな。下には水場もあるし、飢えさえしのげばいい隠れ場所だったわけだ。……だけど攻撃するときはまず相手を見ようぜ、お嬢さん?」
 黒髪、ショートボブの少女だったのである。名前と背格好は聞いている。行方不明になった一人、小山内 南(おさない・みなみ)だと見て間違いないだろう。
「別に俺も男前のつもりはないが、まさかゴブリンには見えんだろ? 助けに来たのさ」
 少女の手からナイフが落ちた。
「わ……私、みんなとはぐれてしまって……小さいシルミット姉妹とも別れ別れになって……」
 ショックと安堵、それに様々な感情が押し寄せたのか、少女は涙を溢れさせて政敏の胸に顔を埋めた。殺気立っていたときは年上に見えたが、よく見れば自分より年下のようだ。政敏は優しく少女の肩を叩き、ハンカチを渡すと、
「疲れている所悪いが、もうしばらく俺たちと探索に付き合ってもらうぜ。そのシルミット姉妹を一緒に探そう。『君の』情報と手助けが必要だから」
 と、少女の黒真珠のような瞳を覗き込むのだった。

 王の間では停戦合意が進行中とはいえ、まだその報は届いていない。
 第七層、【見敵必殺】はここで、これまでにない規模の戦いを演じている。
 ゴブリンがつかみかかってきたが、梓は両脚を揃え、ジャンプしてこれを回避していた。
「おっと、ここのゴブリンはまた随分と活きがいいね」
 着地点にも禍々しい武器を握るゴブリンが待ち受けている。しかし、それとて恐れることはない。
「待っててくれるとこ悪いけど、やらせてもらうよ、えんやこらー」
 口調こそ間延びしているものの、梓の攻撃は強力だ。おそらくこれが最後の戦いと判断し、轟くサンダーブラストを津波のように浴びせる。
「アズサ……どこまで真剣なのだか」
 彼と並ぶカデシュもまた、美しい顔立ちに似合わぬ容赦のない攻撃を繰り返している。輝くメイスを下すや、ゴブリンは地面にめり込むようにして斃れた。
「ゴブリンどもめ、叡智の光の前にひれ伏すが良い!」
 と叫ぶ声は野武だろう。彼も連戦で疲労しているはずなのだが、ずっと特徴的な高笑いを放っている。
「それにしても、キリがないですね」
 大鎌をふるいながらクロスはふと不安に襲われた。敵もそうだがこちらも、消耗戦の状態に陥ってはいないだろうか。撤退を考えると無謀はできないのだが、他の部隊の情報がほとんど得られないのが歯がゆかった。進むにせよ戻るにせよ、どこかで見極めが必要だ。
「え、援軍……!」
 さらにゴブリンの一団が後方から迫ってきたので、オウガは腰を抜かしそうになった。
 だが、援軍があったのはゴブリンだけではない。
「及ばずながら加勢します」
 しなやかにして力強いその声は、御堂 緋音(みどう・あかね)のものだった。これまで緋音は、使い魔を囮にしてゴブリンの小集団をおびき寄せ各個撃破していたのだが、意を決して集団戦に参加したのである。
「彼の者を包み溶かし尽くせ……アシッドミスト」
 決して声を荒げていないのに、緋音の言は戦場の隅々に及んだ。
 同時に、見るだに恐ろしい強酸性の霧が発生し、新手のゴブリンを包み込んだのである。痛いというより、熱い。煮えたぎる熱湯をぶち撒けられたように、多数のゴブリンが悲鳴を上げて転げ回った。
 それだけではない、緋音は提言する。
「この前方には袋小路があります。ゴブリンを、新手共々追い込みましょう」
 タイミングといい戦略といい、これ以上ない仕事ぶり。将来が楽しみな緋音である。
「おひこみ……いや、追い込みか……ぜえ、か、加勢するぜ!」
 ヒーローは遅れて現れる! そこにはアクィラ一行も姿を見せていた。走り通しだったので息が切れかけているが、戦う余力は十分すぎるほど有る!
「追い込みなら、うちの牧羊犬……わ、怒るな怒るな、牧羊『狼』のマルクスが役立つんじゃないかな」
 声の主は神野 永太(じんの・えいた)だ。彼も緋音とともに、大部隊への合流を果たしたのである。犬と言われて怒った振りをしてみたが、狼のマルクスは永太に忠実だ。意を理解して吼え声上げ、浮き足だった新手ゴブリンの背後に飛び込んで撹乱する。狼の勢いにゴブリンは浮き足だった。別方向に逃れようとするゴブリンには、
「おっと、そっちは違うよ」
 と永太自身が氷術を用い、動きを封じて銃の狙いを付ける。スライムのハイデッガーが目(?)を光らせているので、永太は後方にも不安はないだろう。
 合流した味方は損傷と疲労が蓄積しているようだ。燦式鎮護機 ザイエンデ(さんしきちんごき・ざいえんで)はマイクを握りしめ、これを見渡す。ザイエンデは緊張していた。あからさまに表情に出たりはしないが、胸はどうしようもなく高鳴っている。
 きっかけは、ダンジョンに降りる前の永太の些細な一言だった。
『ダンジョンか……。こういうところで歌ったら、ザインの歌声が反響して、もっと綺麗に聞こえたりしないのかな?』
 ザイン……ザイエンデは、本当は歌うより、最前線で敵を殴りつけるほうが得意なのである。ところが永太の言葉は、彼女の心を揺り動かすに十分なものだった。
 歌いたい、と言って頷くと、永太は驚きつつも笑顔を見せた。ザインが大好きなあの笑顔を。
『ザインの歌、ダンジョンの奥底まで響かせて、皆を勇気付けてやれ!』
 きゅっ、と胸に締めつけられるような痛みを覚えた。ザインは、恋というものを知らない。正しく言うならば理解できない。ましてや、その感情が自分の中にあるなどと夢にも思わなかった。だからこの胸の痛みは、一体なんなのだろうと悩んでいた。
 でもこの痛みは、どこか心地良かった。
「歌は、好きですか? 私は……」
 ザインは息を吸う。そして、滑らかにしてよく通る声で歌い始めた。
 幸せの歌を――胸を締めつけるあの感覚を込めて。