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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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第3章 亜麻色の情愛

「あのな、だからアウグストなんて爺さんの気持ちまでいちいち気にしなくていいんだよ」
「え〜どうしてですか? アウグストさんが考えていたことがわからないと、カンバスさんが生まれた理由、わかりませんよ?」
 エルセリア・シュマリエ(えるせりあ・しゅまりえ)の言葉に、東雲 いちる(しののめ・いちる)は心底不思議そうに眉をひそめた。
「だからってずっと画商の話聞いてることはないだろうが!」
「だって、酔いつぶれたアウグストさんを絵描きがみんなでスケッチしてたなんて面白いお話だと思いますけど」
「あああ! 効率が悪いだろ。陽が暮れても絵のところへなんかたどり着けないぞ」
 グシグシグシっと、エルセリアは前髪をかき回す。
「っていうかあんたら、ちゃんとその辺教育しろよ! くっついてるだけがパートナーじゃないぞ!」
 ピシッと指を突きつけるエルセリアにギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)エヴェレット『多世界解釈』(えう゛ぇれっと・たせかいかいしゃく)はお互いに顔を見合わせた。
「いちるが納得する方法で調べればいいと思うが」
「賛成ね」

 つかつかつか。
 グイッ。

「ああ損だ。ホントに損な役割だ俺は。いいか? 負の想いなんて碌なものじゃないなんて、あんたら知りすぎるくらい知ってるだろうが。あといちるの性格考えろよ? 情報収集先の画商で小一時間も店主の話に相づち打ってる奴だぞ?」
「そうだな」
 エルセリアの腕でぎゅうと首を絞められたギルベルトが答える。
「だったらあのアウグストとかいう爺さんの想いになんて触れてみろ」
「まあ真正面から受け止めるのではないか?」
「そうよねえ。ただでさえ、謎が多い、魔道書……それも、世界の、本ですらない私、だって受け入れちゃうん、だもの……それより、ちょっと首、しめすぎ」
 エルセリアのもう一方の腕に巻き付かれ、エヴェレットは若干あえぎ気味で返事を返す。
「だったら!」
「どうも一番甘いのは貴様だな?」
 エルセリアの様子に、ギルベルトがニヤリと笑みを浮かべた。
「なんだと?」
「いちるは甘やかされてるだけじゃない。ちゃんと成長しようとしている」
「ええ。たとえそれが負の想いだって乗り越えるわよ。だって私達の自慢のいちるですもの」
「いや、あのな……」
「ありがとう、エルセリアさん」
「は、んん?」
 いちるのからの言葉にエルセリアは疑問符付きで振り返る。
「みんなすごく心配してくれるけど……でも、どんな想いでもカンバスさんを生み出すような強い想いから目を背けちゃいけないと思うんです。誰かを傷付ける想いだとするのなら早く見つけて他の誰かが傷付かないようにする……このままカンバスさんを止めることが出来ても、絵が見つかっても、その後ろにある『想い』がわからないままだったら、きっと解決じゃないと思うんです。みんなに『想い』の正体が伝わらなくちゃ。そうすれば……カンバスさんには帰るべき場所ができます。そうですよね? たとえ……いつか消えてしまうとしても」
 いちるはそこで一度言葉を切って続ける。
「私、大丈夫ですよ? だって、私には皆さんがいてくれますから」

 一瞬の沈黙の後。

「な、なんだよ! 二人してニヤニヤ笑ってんなよ! 『な?』みたいな! ああもう! 見透かされたみたいで恥ずかしいじゃないか!」
 顔を赤らめ腕を振り回すエルセリアにギルベルトとエヴェレットは、さらにその笑みを深めた。



「ナディアさん。あなたは、どうしてアウグストさんのお弟子さんになったんですかぁ?」
 絵を探しに。
 空京の道を歩を、何やら考え込むように歩いていたナディアに、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)が声をかけた。
「どうして、ですか?」
 ナディアは眼鏡の奥でぱちくりとその眼を瞬かせる。
「そうだよねぇ。そぉんな酔っぱらいの弟子になるなんて――しかも女の子がさ、不思議だよ――モゴっ!」
「こ、こら! セシリア様!」
 あっけらかんと言い放ったセシリア・ライト(せしりあ・らいと)の口を、慌てた様子でフィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が塞いだ。
「な、なにフィリッパちゃん!」
「なにじゃありません!」
「だって事実だよ!」
「セシリア、事実だからといって口に出しちゃいけないこともあるですよぅ」
 勢い込むセシリアに、メイベルがのんびりと声をかける。
「メイベル様、それも、ご本人の前では言わない方がよろしいかと……」
 背後のナディアを気にするようにフィリッパが複雑な表情を浮かべた。
 三人のやり取りに、ナディアはクスクスと笑い、それから口を開いた。

「私は、気がついたら師匠の所にいたんです」

「気がついたら……」
「師匠の所に……」
「いた……」

 ナディアの言葉にメイベル、セシリア、フィリッパが一様に表情を曇らせた。

「……なんか、ものすっごい物騒なこと考えてませんか?」
 メイベル達の様子にナディアが声に不安そうなトーンをのぼらせる。

 コクコク。
 三人は勢い込んで頷いた。

「べ、別に誘拐とかされてきたわけじゃないですよ! 私は地球でその――捨て子だったらしいので……ちょうどパラミタに行くのを決めた師匠が引き取ったっていうだけですよ?」
 ナディアのその言葉で、三人の間には安堵の空気が流れた。
「なんだか、聞いていたアウグストさんのイメージと、少しちがいますねぇ」
 メイベルが、感心したように、一方で思案をするように宙を眺めた。
「むしろ子供とか進んで放り出しそうなのに――うぷっ!」
「はい、お口にチャックですよ、セシリア様」

「まぁ『ちょうどいい。どうせもう失うものがねえなら誰と行こうと、どこへ行こうと同じだな?』って言って拾ったみたいですけど。私のこと」
「少しイメージに近くなりましたねぇ」
 ふんふんと頷いたメイベルに、ナディアは小さく笑った。
「それでも恩人には、違いないですけどね」

「じゃあどうして、そのおんじんさんの想いに、応えないんですか?」
「え?」
 不意に、放り投げられた言葉に、ナディアの表情を影がかすめる。
 フッとナディアが視線を下げた先には小柄な人影。
 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は小首を傾げたままでジッとナディアの目を覗きこんだ。
「ナディアおねえちゃんはアウグストおじいちゃんをおんじんだと思っているのに……どうしてじぶんの想いにウソついちゃうんですか?」
「お、おねえちゃん別にウソなんかついてないよ?」
「じゃあ、なんで絵を描かないんですか?」
 その言葉で、今度こそナディアの表情が固まった。
「アウグストおじいちゃんが絵描きで、ナディアおねえちゃんも絵が好きなら、絵を描くのが想いに応えることだと思うのに……そうすれば、カンバスちゃんの『なんでもひていする想い』もなんとかできるかもしれないのに。おねえちゃんだけはできるかもしれないのに。どうして、絵を描かないんですか?」
「……」
「おねえちゃんは絵が大スキって言いました。 絵を描く人はどうして絵を描くんですか? ただ上手に描きたいだけじゃなくて、ナニか想ってることをカタチにしたって描くと思うです。おねえちゃんが大スキな絵にはどんな想いをこめたいと思うですか? べつに上手とかじゃなくてもいいです。ボクはおねえちゃんの想いが見てみたいです」
「わ、私だって……」
 ヴァーナーの言葉に、ナディアは肩を震わせる。
「私だって! 師匠の絵がこの街を破壊するなんて嫌です!」
 突然ナディアの口から飛び出た強い調子の声に、ヴァーナーは一瞬身をすくませた。
「でも、師匠は死ぬまで私の絵を褒めたことなんてなかったんです! それに、私が師匠の元にいたって師匠が絵のモチーフを変えることなんかなかった! 相変わらず朝から晩まで世界を恨んだような絵ばっかり! そんな私に、今さら何が出来るって言うんです!? 今さら!」
 それだけ吐き出してしまって、ナディアは力なく肩を落とす。

 ギュウ。
 そのナディアをヴァーナーは全身の力をこめて抱きしめた。
 体格差で、残念ながらしがみつくような形にはなったけれど。

「ごめんなさい。責めるつもりじゃなかったです。ただ、おねえちゃんに絵を描いて欲しかったです。おねえちゃんの絵はぜったいにボクがこめられた想いといっしょにだいじにするです描いてくれませんか?」
 ヴァーナーの言葉に、しかしナディアはフルフルと首を振った。
「……きっと無理なんです。しかたないですよね」

「『しかたない』……それ、あたしの専売特許なんですけど。志方ないですねえ」
 志方 綾乃(しかた・あやの)は自分の額をトントンと叩いた。
「しかしまぁそういう理由でしたか、とりあえず納得です」
 一人合点がいった様子の綾乃に、ナディアは疑問符混じりの表情を向けた。
「いや、言っちゃ悪いですが二つ名は『酔いどれ』。作品は差し押さえられるし、その作品も『今の世界』を否定するなんてものばかり……いったいこんな画家のどこに惚れ込んで弟子入りしたのかと思っていたんですけどね」
 綾乃の言葉に、ナディアは苦笑いを浮かべた。
「とは言え……構わないんですか?」
「な、なにがですか?」
「入り口は偶然とは言えそれでもあなたはアウグストに評価を置いている。それなら――アウグストの本当の想いがカンバス・ウォーカーを呼び出し、この街を破壊するっていうなら、それは丸ごと受け止めるべきなのかも知れないですけどね」
 一端、言葉を切る綾乃。
 ナディアは真意を測りかねて、怪訝そうに眉をひそめた。
「今回のカンバス・ウォーカーはアウグストの想いを曲解し、利用された結果。言わば『想いが引き起こす現象』ではなく『想いを履き違えた現象』ということです」
「……それ、どういうことですか?」
「あなたの師匠、アウグストが表現した『世界否定』とは、再生へと繋がる破壊ではないんですか、ということです。それ、ロックミュージックに似てます。現状体制への不満から社会の崩壊を望む、でも社会そのものを否定している訳じゃないんじゃないですか?」「……」
「私、その酔っぱらい師匠を直接知ってるわけじゃないですからあくまで想像ですが――アウグストの作品の本質は、空京以前の過去への望郷なんじゃないですか? だから、そんな想いが曲解されて構わないんですかと言ったまでだったんですけど」
「そ……そんなこと、考えたこともありませんでした」
「そうですか。弟子のあなたまで『身内だから』という理由でアウグストを庇いに行こうとしているんなら、むしろ気の毒な気もしますけどね」
 真実に迫った綾乃の言葉は、むしろ辛辣にナディアの心に斬り込む。
 ナディアは考え込むように唇を噛みしめた。