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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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【十二の星の華】『黄昏の色、朝焼けの筆』(後編)

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第8章 金色の飛翔

「これが、ナディアさんの絵ですか?」
 空京の街、ちょっとぽっかり空いたスペースで。
 刹那や縹が持っていた道具を借り、描き上がった絵を前に、ナナ・ノルデン(なな・のるでん)がナディアに声をかけた。
「は、はい……」
 ナディアは恥じ入るように身を縮こまらせている。
「なんか、ちっちゃくて……ちょっと見にくいね」
「こ、こら! ズィーベンさん!」
 顔をしかめて、画布にぐぃーっと顔を近づけて感想を洩らすズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)
 慌てた様子のナナが首根っこを掴んで引きはがした。
「でも……事実だと思いますし」
 ズィーベンの、そしてナディアの認める通り、大きな白い画布の真ん中には、小さな白い鳥の姿が描かれている。鳥の姿そのものは美しいと言えなくもなかったが、お世辞にも見やすく、人目を惹くものではなかった。
「ナディアさんは、こういう絵が好きなんですか?」
「す、好きというか……そ、そうですね……今この時間で描けるもの、描きたいもの、心に浮かぶもの……そう思ったら、描いていました」
「なるほど」
「ところで……」
「はい」
「これから、どうすれば良いんでしょう」
「え?」
「そ、その……絵は描いてみたんですが……この後は……」
「そ、そうですね……」
 不安そうなナディアの言葉に、ナナも言い淀む。
「それこそあなたの絵からカンバスがバッと出てきてくれたりするとありがたいんだけどね」
 四方天 唯乃(しほうてん・ゆいの)はナディアの描いた絵に、ジーッと強い視線を注いだ。
「私の絵からカンバス・ウォーカーが……現れるんですか?」
「希望よ。希望。出てきてくれれば面白いしね」
 唯乃が好奇心に瞳を輝かせる。
 そのままナディアの方を向いた。
「あなたの想い、お師匠さんの絵に対する想い――きちんと込めたのよね? きっちり、ありったけ」
「と、とにかく全力では描いたつもりですが……」
 自信なさそうに語尾をかすれさせるナディア。
「エル、どうなの?」
「ええっ?」
 唯乃から言葉を向けられて、エラノール・シュレイク(えらのーる・しゅれいく)が慌てた声をあげた。
「唯乃、考えがあったわけではないのですか? カンバスに対抗するためにはカンバスとか……」
「やってみなくちゃわからない……可能性の検討がしたかったのよ」
「うー。物理法則とか機械工学ならまだしも……カンバスみたいな現象の理屈なんて、わかんないですよぅ」
「んー。あっさり現れてはくれないか」
 エラノールの言葉に、唯乃は口をへの字に曲げた。
「だ、だったら唯乃、描くですよ」
「描く? 何を」
「もちろん絵、です! さっきノアさんも描いてました! 私たちも描くのですよ!」
「い、嫌よ! 絵なんてほとんど描いたことないし」
 パタパタと手を振って、唯乃は慌てた声をあげた。
「そんなの関係ないのですよ。想いをありったけ込めなさいって言ったのは唯乃なのです。私たちもそういう絵を描くのですよ! カンバスも、もしかしたらそういうところの方が現れやすいのかも知れないですよ」
 トントンと指を突きつけるエラノールに、唯乃は珍しくぐぅと言葉を詰まらせた。
「あはは、でもそれいいなぁ。ボク、その話の〜った!」
 嬉しそうな声をあげたズィーベンは、きょろきょろと辺りを見回し、ナディアが使ったあとの絵筆を手に取った。
「せっかくだから、皆で何か想いを乗せて絵を描いてみようか。正義のカンバス・ウォーカーとか、出てきちゃうかもしれないよ――ああっ!」
 楽しそうな調子だったズィーベンが、急に大声を張り上げた。
「あ、あれ……」
 何事か、と自分に向けられた視線を、ズィーベンは人差し指でナディアの絵へと誘導する。

『!?』

 今度はその場にいた一同が息を呑んだ。
 ナディアの描いた絵の前に、いつの間にか人影が出現していた。
 頭の先から足の先まで、輝くばかりに純白の少女。
 少女はゆっくりと辺りを見回してから、やはりゆっくり瞳を開き、ナディアと視線を合わせた。
 よくよく見ると、その顔の作りは官庁街予定地のカンバス・ウォーカーとうり二つだった。
 白と黒。
 対照的な二つの色だけを別として。

「ぼくはカンバス・ウォーカー。美術品に込められた想いを元に引き起こされる現象……みんな、それほど驚かないんだね」
「そうね。でもがっかりしなくていいわ。あなた、むしろ待ち望まれてたんだから」
 不思議そうな顔のカンバス・ウォーカーに唯乃がニヤリと笑みを投げた。
 カンバス・ウォーカーは判ったような判らないような表情で二、三回と首をかしげる。それから、再びナディアに視線を戻す。
「キミの想いがぼくを引き起こしたんだね。へえ、まだ生きている人が引き鉄っていうのは珍しいな」
 小さく笑ったカンバス・ウォーカーを、しかしナディアはポカンと見返している。
「でもおかしいな。ぼくの中にある『想い』の半分は純粋にキミのものってわけでもないみたい」
 怪訝そうな顔でカンバス・ウォーカーはナディアの顔を覗きこむ。
 シャラン、と純白の髪が音を立てた。

「絵が完成したってほんとか!?」
 と、その時、ボフボフと大きな足音を立てて雪国 ベア(ゆきぐに・べあ)が現れた。
「なんだ、なんか妙に静かだな……ん?」
 不思議そうに一同を見渡した後、ベアの視線がピタリと停止。
「……」
 ナディアの絵と純白の少女を見比べる。
「あ、おまえ、カンバス・ウォーカーだな!」
「……そ、そうだけど」
「ベア何をしてるんですか? 絵が完成してるなら早くナディアさんを……」
「おう、ご主人。カンバスだ」
「はい、だからカンバス・ウォーカーさんの元にナディアさんを」
「ああ、違う違う。別のカンバス・ウォーカーだ」
 ひょこっと顔をのぞかせたソア・ウェンボリス(そあ・うぇんぼりす)に、ベアはポフポフとカンバス・ウォーカーの頭を叩いて指し示して見せた。
「え? あら」
 純白のカンバス・ウォーカーの姿を認めて、ソアはビックリしたように目を開いた。
「あらら、あらら」
 しかしそれも一瞬。
 しげしげとカンバス・ウォーカーの全身を眺めてから、ニッコリと微笑み、
「今度は綺麗な方ですね。また、お友達になってくださいね」
 すっと右手を差し出した。
「え……う、うん……」
 カンバス・ウォーカーは、おずおずとその手を握った。
「さあ、まさに万全です! ではナディアさん、白いカンバスさん! 黒いカンバスさんを助けに行きましょう! 私、空飛ぶ箒を取ってきます。準備しっかりしておいてくださいね! 飛ばしますよ〜!」
 瞳に決意の炎をたぎらせ、ソアが駆けていく。
「あ、俺様も準備行くぞご主人」
 ベアがその後を追っていった。

「……ぼくは記憶を受け継がない。だから判らないけど……こんなにあっさり、受け入れてもらえるものなのかなぁ」
 整った顔に疑問を山ほど浮かべて。
 カンバス・ウォーカーはしげしげと自分の右手を眺めた。
「……」
「……な、なに?」
 そんな自分に注がれる視線を感じ、カンバス・ウォーカーは誰何の声をかけた。
「……想いは、簡単に他人に変えられるものではないわ」
 可憐な見た目とは裏腹に。
 『空中庭園』 ソラ(くうちゅうていえん・そら)の声は皮肉げな響きを帯びていた。
「アウグストの想いは、彼が死ぬまでの人生で感じた怒りや悲しみから出来ているはず。ちょっと事件を聞きつけてやって来ただけの私達が、そんな彼の想いを気軽に否定したり出来るわけもない……でも」
 その視線は、何かを試すように計るように、半眼に細められてカンバス・ウォーカーをなぞっている。
「カンバス・ウォーカーというのは強い想いをきっかけに引き起こされる現象、だったわよね。だからあなたが現れたというのなら……」
 チラリ。
 ソラは、一瞬ナディアに視線を投げ、カンバス・ウォーカーの姿と見比べた。
「安心して、邪魔なんかしない。果たしてどうなるか……せいぜい見届けさせてもらうんだから。できれば裏切ってよね――私の想い」
 それきり。
 ソラはくるりと、カンバス・ウォーカーに背中を向けた。

「に、人間って、みんなこうなの? 『想い』って、ヒトってむずかしいなぁ……」
 カンバス・ウォーカーはまるで疲れを重さで表現するかのように、ぐったりとその肩を落とした。