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第2章 恋の話と戸惑う狼 7

「ここまで来れば、大丈夫でしょうか」
 リーズを引き連れた黒髪の青年は、彼女を人気のない場所へ案内し、背後を確認して誰もついてきていないことを確認した。
「はぁ……ありがとう、わざわざ付き合ってくれて」
「いえ……」
 青年――沢渡 真言(さわたり・まこと)は紳士的な挙措でリーズに軽く頭を下げた。本物の執事さながらの仕草で、真言は彼女の傍に付き添う。集落のボーイならではの簡素な燕尾服も、彼であるならば一流のレストランを彷彿とさせた。
 そんな彼とは打って変わって、乳白金の髪を無造作に縛りあげたマーリン・アンブロジウス(まーりん・あんぶろじうす)は、軽薄な態度でリーズに接してきた。
「ま、あんたも大変そうだよな。あれだけイチャつくカップルを見せ付けられりゃあ、確かに嫌になるってもんだ」
 リーズはマーリンに同情されながら、先ほどまでの会場のことを思い返していた。
 カップルの熱を見るのが面倒臭くなったリーズは、ちょうどスタッフとして参加していた
真言から進言されて、その場を後にしたのだった。無論――ただそれだけであれば、彼女とてカップルの熱に苛立つこともなく、友人たちと一緒にパーティを楽しんでいたのだが、静かに、そしてゆっくりと、リーズは自分の心がざわついているのに気づいていた。
 だからこそ、どこか人気のない場所で、じっくりと熟考したかったのだ。
「おや……?」
「あ……あれって……?」
 真言とリーズは、誰もいないと思っていたその場所に、大木にもたれかかるようにして座っている男に気づいた。それは、リーズにとって顔なじみである人物で、灰皿を地面に置いてじっくりと煙草をふかしていた。
「橘……さん?」
「ん……?」
 橘 恭司(たちばな・きょうじ)はリーズの声に気づき、紺碧の冷厳な目を向けた。その瞳が、少しだけ驚いたように見開く。
「……リーズか。どうした、こんなところで?」
「ちょっと、人気のないところを探してたの。そしたら、あなたがいたってわけ」
 くすっとリーズは笑みをこぼした。それを見て、恭司もまた微笑する。
「ま、手持ち無沙汰ってやつでな」
 自嘲気味にそう呟いて、彼は煙草の火を灰皿に潰して消した。
 すると、そこにリーズに向けて聞きなれた声がかかった。
「よ、リーズ」
 振り返ると、そこにいたのはかつての戦友――ものぐさそうな顔で気怠げに手を振る、紫月 唯斗(しづき・ゆいと)であった。その後ろには、こちらも久方ぶりに会うエクス・シュペルティア(えくす・しゅぺるてぃあ)、そして、顔を知らぬ少女と女性がいた。
「唯斗……!」
「久しぶりだな、リーズよ」
「パーティーがあるって聞いて遊びに来た……んだけど、こんな人気のない場所でどうしたんだ?」
 エクスと唯斗は橘にも手を振って挨拶を交わし、リーズに訝しそうに尋ねた。
「その……ちょっと涼みたかっただけ。ところで、その二人は……?」
「ん……ああ、紹介するよ。睡蓮……と、プラチナだ。あの後、パラミタを巡ってるうちに出会ってさ。そのまま一緒に暮らしてる」
 唯斗はリーズの表情にどこか引っかかるものがあったが、先に二人の紹介を済ませた。
「は、はじめまして、紫月 睡蓮(しづき・すいれん)です」
 金髪のセミロングをした優しげな少女は、少しばかり緊張した様子でリーズに挨拶を交わした。対して、同じ金髪ながらも色素のわずかに薄い乳白金の色彩をしている女は、さほど緊張すらしていない平板な声だった。
「はじめまして、リーズ様。魔鎧アイゼンシルトシリーズ番外、プラチナム・アイゼンシルト(ぷらちなむ・あいぜんしると)と申します」
 大人しい子供のような睡蓮と違って、プラチナムはどうやら機械的、かつ無機質に近い性格をしているようだ。
 睡蓮とプラチナムに同じく挨拶を済ませたリーズは、そのまま唯斗が喋るままに雑談を交わした。曰く、ほとんどはリーズと唯斗がこの空白の月日の間に何をしていたかである。特にリーズは集落、ひいては森の中から出ることがほとんどないため、唯斗の話には興味深く耳を傾けていた。
 が――それをぶすっとしたように見ているのは、エクスである。
「……おい、唯斗。お前、何でそんなにリーズとばっかり話とるのだ」
「いや、別にそういうわけじゃ……ただ、久しぶりに会ったんだし、話すこともあるだろ?」
 そうエクスに言い聞かせると、唯斗は彼女をそっちのけでリーズと話し込む。無論――それにともなって、エクスの不機嫌は風船のように膨らんでいった。ギリギリと歯軋りして不機嫌を露わにするエクスに、プラチナや睡蓮はぎょっと目を丸くする。
「エ、エクス姉さん?」
 睡蓮の声に、銀髪の苛立つ少女は返事を返さない。
「あ、あのー、聞こえてます?」
 めげずに睡蓮が声をかけたとき、途端――ブツンと不機嫌ボルテージが沸点を越えた。
「ええい、この馬鹿者めっ! 力尽くでも引っぺがしてくれっ……ぬぁっ、プラチナ! 何をする!?」
「ひゃあ! プ、プラチナ姉さん急にどうしたんで……!」
 突然大暴れし始めたエクスを、予期していたかのようプラチナが羽交い絞めにした。
「エクス様、落ち着いて下さい。普段冷静ぶってるのですから維持して下さい。はいはい、スキルも駄目です」
 それでもなおも唯斗に向かって吠えるエクスを止めるべく、プラチナは睡蓮に助力を仰ぐ。
「睡蓮様、少々手伝って頂けますか」
「え、ええと、は、はい! エクス姉さん落ち着いて下さいー!」
「やめ、す、睡蓮まで! 引っ張るな! こらー! むーーー! むーむーー!!」
 二人に雁字搦めに止められ、あげくに口を塞がれたエクスはしきりに文句を言っていたが、やがて疲れ果てたのか、しんどい表情でようやく落ち着きを取り戻した。
「はぁ、はぁ……」
「なにやってるんだ? エクス」
 肩で息をする少女を、唯斗はきょとんとした顔で見つめていた。どうやら、背後で起こった一連の騒動に気づいていなかったようである。
「ぬぬぬ……もとはといえばおぬしが……!」
「まあまあ、落ち着いて下さい、エクス様」
「そうですよ、エクス姉さん、いつもの姉さんじゃないですよ?」
「むぅ……睡蓮とプラチナに免じて許してやるが、今度またわらわを放っておいたら、ただじゃおかぬぞっ!」
 どうにもよく意味の分かっていない唯斗にそう告げて、エクスは地団駄を踏んだ。
 首をかしげる唯斗であったが、どうやらプラチナと睡蓮のおかげで騒動が未然に防がれたのだけは理解できたようだ。
「なんか悪いな、プラチナ」
「いえいえ。ハッキリしないマスターが9割悪いですが、放っておくと村が壊滅しかねません。……そうなったらマスターの所為ですね」
 平板ながらも、微妙に凄味のある声色でプラチナは告げた。その顔は微笑を浮かべているが、どこか薄暗く影が差している。
「プ、プラチナさん、怒ってます?」
「おやおや、睡蓮様。私は別に怒っていませんよ。本来ならばフラフラしてるマスターにツッコミ入れるのが上策でしょうが、今は空気を読んであげようという大人判断です。勿論、帰ってからも大人判断で外で出来ないお話絶叫編等実践しますが……やはり私は冷静です、異論でも?」
 ぞくっとするほど怒りを隠した笑みを向けられて、睡蓮はふるふると首を振った。パーティから帰った後の唯斗と思うと、同情の念を覚えざる得ない。
「なかなか、面白い仲間を得たんだな」
 二人の様子を見て、リーズは唯斗に微笑ましそうに言った。
「……ああ……大切な仲間だ」
 唯斗は、未だにぶすっと頬を膨らませるエクスを宥めるプラチナと睡蓮を振り返って、噛み締めるように答えた。きっと、こんな何気ないやり取りの日常が、彼にとってかけがえのないものなのだろう。リーズには、そう思えた。
 雑然と話していた二人のもとに、それまで口を挟まなかった恭司の声が聞こえた。
「おい、二人とも」
 彼は、いつの間にか近くにあったベンチの近くにマーリンとともにいた。片手に持っている灰皿から煙が立ちのぼっているところを見ると、唯斗との時間を邪魔しまいとして時間を潰していたことがよく分かった。
 恭司のもとから歩いてきたであろう真言が、リーズに進言した。
「立ち話もなんですし……あちらのベンチでお休みになられてはいかがでしょう?」
 リーズはベンチを見やったが、そちらに行くのには躊躇いを感じているようだった。なあにかに迷っている。そんな風にも見えるリーズに向けて、恭司が尋ねた。
「いまさら、なにを遠慮してるんだ? 顔に書いてあるみたいに、何か嫌なことでもあったからか?」
 自分の心を見透かされて、リーズは言葉を詰まらせた。彼女に向けて、恭司は何気ない笑みを浮かべた。
「ま、愚痴ぐらいは、話すと楽になる……」
 そう言って、彼は口に咥えていた煙草を灰皿に押しつぶし、灯を消した。

 リーズがぼそりぼそりと自分の心の内を話し出すと、恭二たちは神妙な顔になってそれを聞いた。誰も茶々を入れることなどなく、静かに彼女の気持ちだけを深く聞き入る。やがて話が終わると、彼らはしばらく黙っていたが、マーリンがすくっと立ち上がって伸びをした。
「さって……じゃあ、遊びにでも行こうかっ」
「……なんでっ!?」
 何か返答の一つでもあるかと思って身構えていたリーズは、あまりの拍子抜けさに思わずツッコミすら吐き出してしまった。
 彼女を遊びに誘ったマーリンは、むしろリーズこそ何を言っているんだといわんばかりに目を丸くする。
「いや、だって吐き出すだけ吐き出しただろ? それで満足じゃないのか? おにいさん、可愛い娘と遊びたくてうずうずしてるのよ」
 当然のように軽口を叩くマーリンに、リーズはぽかんとしていた。
 そんな彼女をフォローするように、真言が彼に注意をかける。
「まったく、もう少し言い方というものがあるでしょう?」
 ため息をついた真言は、リーズを覗き込むようにして対面した。
「つまり……ひとまず、この楽しいひと時を何も考えずに遊びましょう、ということですよ」
 柔らかい笑みを浮かべた彼は、呆気にとられたリーズに続けた。
「考えることが無駄……とまでは言いません。しかし、考えて、そして答えの出るものではないとも思います。このひと時をリーズさんが楽しめれば、きっとそのうち、答えも出るのかもしれませんよ」
 真言につなげるように、恭司が声をこぼした。それは、どこか自分にさえも自嘲的な意味合いを込めた呟きだった。
「悩みすぎも考えよう……ってことだな」
 彼はベンチに座ったまま続けた。
「せっかくのパーティだ。楽しんでくるといい。こういった機会を逃すと、俺みたいに色んな意味で寂しい人間になっちまうしな」
 恭司は自分でも言ってて虚しくなった気持ちを誤魔化すように、苦笑した。
 考え込むようにリーズは顔を俯ける。すると、そこににゅっと伸びてきた両手が、彼女の頬をつまんでムニムニと動かした。
「な、にゃに……!?」
「暗い顔になってんぞー」
 目の前にいたのは唯斗であった。彼は頬をつまんでいた両手をビタンっと引っ張るように離して、彼女に向かって言った。
「笑っとけ、そしたら少しは前向きになるからさ」
 そうして、にこっと笑みを浮かべ、彼女に改めて告げる。
「俺は、笑ってるリーズが好きだよ」
 温かに笑う唯斗に言われて、リーズは思い返していた。
 そういえば……パーティが始まってから笑ったことは、数えるほどしかない。それも、このしばらくの時間は、頭の中を色んなことが巡るばかりで、笑っている余裕などなかった。
「ありがとう、唯斗」
 リーズは、唯斗に笑みを見せた。
 鋭い双眸が優しげに色を変えて、引き込まれるように美しい笑顔を形作る。こんな笑顔を見たら、きっと集落の獣人だけではなく、たくさんの男が彼女に言い寄りそうな気がした。
(そう考えたら、結構幸運だよな)
 唯斗は心の中に彼女の笑顔を焼き付けて、静かに嬉しさを噛み締めた。