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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

リアクション

 運動部のすべてがグラウンドを使用しているというわけではない。一部の運動部では屋内で練習が行われるものである。
 屋内練習場としてよく使われがちなのは体育館だが、ここは時々、生徒会執行部「白百合団」の訓練場として使われることもある。大抵は練習時間や練習日を調整して使われ、時には複数の部活動が共同で使う。
 そして一部の運動部や文化部においては、専用の部室・練習場が備わっていたりする。フェンシング部もそんな指定練習場を持つ運動部だった。
「というわけでやってまいりました。こちらがフェンシング部練習場でございます〜」
 美咲の案内で、静香たちはフェンシング練習場へと足を踏み入れた。
 元々フェンシングとは剣を使った攻撃・防御のスタイルのことを言い、ヨーロッパが由来とされている。その動きは主に「刺突」であり、剣道のような「斬撃」はあまり使われない。使われる剣もレイピアやフルーレといったような「直剣」であり、日本刀のような刃の反った「曲剣」の類はあまり無い――ただし、同じくフェンシングで扱われるサーベルはどちらかといえば曲剣の類であるが。
 そのフェンシング一筋で生きてきたオランダ出身の女生徒がここに所属している。彼女の名はカトリーン・ファン・ダイク(かとりーん・ふぁんだいく)といった。
「あら静香校長。どうなさったんですか?」
 スポーツフェンシングのユニフォームに身を包んだカトリーンが、ケブラー製のマスクを小脇に抱え、やってくる。
「ああ、うん、ちょっと色々あって見学してるんだ」
「見学、ですか?」
 一体何度説明したのだろうか。静香は隣にいる弓子を紹介し、彼女の依頼で学校見学を行っていることを説明する。
「ははぁ、それで今は色んな部活を見て回っている、と。そういうことでしたら私もお手伝いいたします」
 カトリーンも見学会に協力する姿勢を見せた。目の前の幽霊が何かしら害を及ぼすというのであれば話は別だが、実際はそうでもないのなら願いを叶えて成仏の手助けをしてあげればいい。それに、そもそも力ずくで無理矢理成仏させるというのは百合園らしくない。
「少なくともこの数日間はあなたも同じ百合園の『学友』よ、弓子さん。今日はよろしくね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします、カトリーンさん」
 そもそもカトリーンにとって百合園生は家族も同然であり、百合園女学院の雰囲気が好きなのだ。本来なら同じく百合園生になるはずだった弓子も、彼女は家族として扱う気でいる。
「さて、そうは言ったものの、雰囲気を味わいたいなら……、やっぱり体験することかしら。ちょっと待っててね、一式持ってくるから」
 そう言うとカトリーンはフェンシングの防具や競技用フルーレを準備し始めた。
「……もしかして、私があれをつけてフェンシングをやる、って流れなんでしょうか?」
「なんだか、そんな雰囲気だね」
 先ほどのサッカーは「静香と一緒に動かなければならない」という制限のために参加できなかったが、原則1対1のフェンシングならば、多少は融通が利くだろう。
「お待たせ。それじゃ弓子さん。これに着替えてちょうだい」
 カトリーンが持ってきた防具――あくまでも学校で用意されたものであり、現代競技で使われる電気コードは備わっていない――を前にして、弓子は思案する。
「……セーラー服の上からでも大丈夫なんでしょうか」
「は?」
「いえ、幽霊になったショックで、このセーラー服が脱げないんです」
「……それはひょっとして、冗談で言ってるの?」
「いえ、冗談抜きに」
「……じゃあ上から着てちょうだい」
 何とかセーラー服の上からフェンシングのユニフォームを着込み、弓子はフルーレを渡された。
「えっと、静香校長から離れられないのなら、あんまり激しい動きは無理ね。それなら私の方から近づくから、その場で適当に動いてね」
「はい。よろしくお願いします」
 ピストと呼ばれる演台の上に2人が立つ。審判役として別の百合園生が呼ばれ、フルーレと防具のチェックに入る。
 チェックが無事に済むと、主審は2人に向かって合図を出す。
「ラッサンブレ、サリュー。気をつけ、礼」
 完全な素人の弓子に合わせてか、フランス語に続けて日本語で合図を出してもらい、弓子は頭を下げる。
「アンガルド(構え)。マスクをかぶってください」
 ケブラー製のマスクをかぶる。つけ方がわからない分は主審に手伝ってもらった。
「かぶったら、そのままスタートラインへ……。そう、そんな感じです。では……エト・ヴ・プレ(準備はいい)?」
「ウィ(よし)」
 主審からの言葉にカトリーンが応える。
「そちらは、準備はいいですか?」
 弓子へは日本語で合図を出す。
「えっと……、大丈夫です」
「はい、それでは……。アレ(始め)!」
 その合図と共に試合は始まった。
 試合進行それ自体は緩慢なものだった。弓子が見様見真似でフルーレを構えているところに、カトリーンがゆっくりと近づく。
 フルーレが打ち合う距離に近づいたところで、カトリーンが話しかけてきた。
「まあ、これが試合の流れよ。本当ならここで両者が近づいて打ち合うんだけど、今日は体験だから、適当にね」
「は、はい」
「構えはそんな感じでいいわ。で、フルーレは斬るんじゃなく、突き出すようにして攻撃するのよ。試合だと攻撃に対しては防御しないと反則になるんだけど、まあ今回はいいか……。じゃ、軽く攻撃してみて」
「えっと、こうですか?」
 言われるがまま、弓子はカトリーンに剣を突き出す。向かってきたそれをカトリーンが軽く払う。
「うん、そう、そんな感じよ。防御はフルーレを横になぎ払うようにして、でも動きは大きすぎないように」
「は、はい」
 その後もしばらくの間、2人は打ち合い続けた。数合も攻撃と防御を繰り返せばさすがに慣れてきたのか、弓子の動きもしっかりしたものになってくる。
「あら、結構飲み込みが早いわね。もしかしてこういうのには慣れてたりするの?」
「そんなことはないと思いますが……」
「運動は好き?」
「まあ、それなりに……」
 それから5分ほど、2人は動き続けた……。

「今日は色々とありがとうございました」
「いえ、こっちこそ。楽しかったわ」
 最後も流れに従い、礼の後に握手を交わす。それからカトリーンはマスクのみ、弓子はユニフォーム一式を脱いだ――もちろん脱いだ後は百合園制服を上から着るのは忘れない。
「それにしてもさすが幽霊ね。汗1つかかないなんて」
「あ、あはは……、あんまり動いてませんので」
 苦笑いを返すが、実際に弓子はそれほど動いたわけではない。もちろん幽霊であるため汗をかくこともなかったのだが。
「静香校長もどうですか。楽しいですよ?」
「う〜ん、……僕は遠慮しようかな。あんまり体力ある方じゃないし」
「あら、それは残念」
 とはいえ、それはフェンシングの魅力が伝わらなかったというものではない。単純に静香は運動をしないだけなのだ。
「では、そちらの3人はどう? ……って、着物のあなたは見たままの剣道部みたいね」
「ははは、こっちは剣道1本なんで、遠慮します」
「私は野球部があるから……」
「音楽系の部活なら参加するんですけどね」
 美咲、歩、テスラの3人に次々と断られるカトリーンだが、これも仕方ないと諦める。
「それじゃ、そろそろ行くね」
「ありがとうございました」
 静香たちが一礼し、カトリーンもそれに応じる。練習場を出て行く静香を見送って、カトリーンは練習に戻った。
「さて、いつかの夢のために頑張りましょうか」
 いつかろくりんピックも出てみたい。そう思いながら彼女は今日も今日とて剣を振り続ける。契約者による試合としてフェンシングがあるかどうかはわからないけれど。

「静香校長」
 運動部を一通り見て回り、次は文化部ということで校舎内を歩き回っていた静香たちを姫宮 みこと(ひめみや・みこと)が呼び止めた。
「みことさん。一体何かな?」
「静香校長、突然ですがお話はうかがっております。ボクも弓子さんのことで協力させていただけませんか?」
 みことは代々神社の家系に生まれた人間で、その影響か退魔・封印・結界に関する術を学んでいる。そんなみことが幽霊絡みの話題で協力するといえば、やはり除霊だろうか。
「いえいえ、そんなことはしませんよ。弓子さんは百合園での生活を体験したいと願っておられるのでしょう? それでしたら強引に成仏させるよりも、望みを満たしていただいた方が平和的でいいです」
「それはとてもありがたいのですが、どうされるおつもりなのですか?」
 弓子が首をかしげる。確かに学園生活を体験したいと言ってるが、みことは自分に何をしてくれるのだろうか。
 そんな弓子にみことは微笑んだ。
「ボクは茶道部の部員です。というわけで、弓子さんにお茶を一服、召し上がっていただきたいと思います」

 百合園女学院の文化部において、茶道部はパラミタ人に人気のある部活動の1つである。湯を沸かし、それで点てた茶を振る舞うという「日本的」なところが非常に好評なのだ。
 静香たちが招かれた茶道部の部室には、時期的に「立春の候」ということで、梅の花芽が生けられていた。
「ところで私は、作法は全然知らないのですが……」
「あ、そんなに難しく考えなくて大丈夫です。そもそも茶道には様々な流派がありますので、それを全部理解しようと思ったら頭がパンクしちゃいます」
 茶の湯の席に招かれたことの無い弓子は最初から緊張しっぱなしだが、みことは軽く笑い飛ばす。
 実際のところ、茶道には様々な流派が存在し、座り方・立ち方・茶器の拝見の仕方等において細かく作法が違うのだ。完全な素人が参加するのであれば、周囲の者のやり方を真似ればいいのだし、自分1人しかいないのならせめて無様にならない程度にそれらしくしているのがいい。
 今回の場合、作法に気を遣うのはみことの方である。百合園に在籍している静香、歩、美咲はともかく、地球の共学校育ちの弓子と、現在蒼空学園に籍を置き名前からして外国人のテスラの2人に細かい作法を期待しても仕方が無い。もちろん共学校育ちや外国人であるからといって完全に作法を知らないというわけではないが。
「では、始めますね。皆さんもあまり固くならずに、気楽にしててください」
 湯が沸かされる音だけが響く、静かな空間。礼儀として正座する5人を前にして、みことは静かに茶を点て始めた。
 釜の近くに柄杓を置き、懐から朱の袱紗を取り出し、茶杓を拭く。
 それらの動作が終わると、薄茶と呼ばれる粉の茶を茶碗に入れ、釜の蓋を開け、沸きあがった湯を茶碗に注ぐ。
 水指に入っていた水を釜に注ぎ、次の分の湯を沸かしている間に、茶筅で薄茶と湯を混ぜ、点てる。
 5人の客は、点てられた茶で、蕗の薹(ふきのとう)の形にあしらわれた茶菓子を堪能する。
「はい、こんな感じですね。それでは、今日はこんな感じで、お終いとさせていただきます」
 みことの宣言により肩の力が抜けたのか、全員がため息をついた。
「こういう時、何て言うんでしたっけ……。結構なお点前でした?」
 弓子が少々冗談めかして言うと、その場は軽い笑いに包まれた……。

「ふふふ……。授業の時のように何かをさせる、というのは無理だったが、まあこれはこれでいい画が撮れたのだよ」
 もちろん一連の部活動に関する静香と弓子の行動は、大佐のカメラに収められていたのだった。