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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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桜井静香の奇妙(?)な1日 前編

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 部活動の見学の際にも書いたが、体育館は生徒会執行部「白百合団」が訓練の場として使用することがある。そしてこの日は【白百合団班長】の秋月 葵(あきづき・あおい)が後輩たちに武術訓練を行っていた。とはいえ、行われているのは専ら竹刀による素振りと、集団での軽い打ち合い程度であって、本格的な戦闘を想定したものではない。
 そもそも白百合団とは軍事機構ではないし、団員も軍人ではない。あくまでも「学校の生徒会」なのであり、契約者ではあるが「生徒会のメンバー」でしかないのだ。所属することで指揮者の指示に従う義務・守秘義務は課せられるものの、武術訓練は義務として課せられているわけではないため、全く戦闘力の無い者も在籍していることが多々ある。
 白百合団はたまに武器を取るが、本来は救護活動がメインなのだ。もっともここ最近、大きな事件が立て続けに起きたせいで「白百合団は百合園女学院の有する戦闘集団」という認識が強くなってしまっているのだが。
「よ〜し、結構いい感じじゃない? それじゃちょっと休憩!」
 葵が後輩たちに休息を命じる。そこにロザリンドが声をかけた。
「葵さん、訓練の方はどのような感じですか?」
「ん、お〜、ロザリンドちゃん。そうだね、割と様にはなってきたって感じかな。この調子でビシビシ鍛えちゃうよ!」
「本来は戦闘集団じゃないんですから、ほどほどにしてあげてくださいね」
「大丈夫。その辺は抜かりないから」
 そこまで言ったところで、葵は自分に向けられる複数の視線に気がついた。先頭にロザリンドがいたためわかりにくかったが、よく見れば静香まで来ているではないか。
「ごきげんよう、静香校長。一緒にいる子は転入生ですか?」
 葵の言う「転入生」とは、もちろん弓子のことを指している。今の彼女はセーラー服の上から百合園制服を着込んでいる状態であるため、じっくりと見なければ転入生か何かと間違えてもおかしくない。
「ごきげんよう、葵さん。転入生、っていうわけじゃないんだけどね」
「ほう、転入生じゃなければ一体何であると?」
「……百合園を見学に来た幽霊さん」
「はい?」
 何度目になっただろうか。静香は弓子のことを話して聞かせた。
「ははぁ、静香校長に取り憑いている、と……」
「非常に勝手な所業ではありますが、こうしてお体をお借りしております」
 静香の隣で弓子が頭を下げる。その無害な様子が気に入ったのか、葵は特に何も気にしないことにした。
「まぁ、いいかぁ。それじゃあ弓子ちゃん、少し武術訓練でもやってみる? これも生徒会活動みたいなものだし〜」
「武術訓練、ですか?」
「そう。とはいっても、いきなりじゃさすがにきついでしょ? だから竹刀もって素振りから始めてもらっちゃおうかな」
「……では、それくらいなら」
「よ〜し、じゃあこれ持って」
 訓練を受けてみることにした弓子に葵が竹刀を一振り差し出す。それから彼女は静香にも向き直った。
「静香校長もやってみませんか?」
「え、ぼ、僕も?」
「そうですよ、ロイヤルガードになったんだから少しは武術訓練もした方がいいですよ。世の中かなり物騒ですからね」
「えっと……」
 だが葵のその言葉に反応したのは静香ではなく、美咲だった。目をやたら輝かせ、口の端をニンマリと吊り上げ、腰に差していた木刀をゆっくりと抜き放つ。木刀なのに、静香の耳には日本刀の鞘走りの音が聞こえたらしい。
「……受けます。受けますから美咲さんをちょっと僕から離して」
「ありゃ、残念。せっかく静香校長に全力で気合を入れてあげようと思ってたのに」
 本当に残念そうな表情で美咲は木刀を納めた。
「いや、さすがにそれは死ぬから。スポ根マンガみたいな展開はさすがに似合わないから」
「っていうか美咲さん、私の見てる前でそれはどうかやめてください……」
「あ〜、そっか、恋人さんが目の前にいるんだし、そもそも無理でしたか」
 静香本人とその恋人であるロザリンドの両方から拒否されては、さすがに無理強いはできない美咲であった。
「はい、それじゃあ休憩終わり! もう1回素振りコース行くよ〜! 今回は素人さんもいるから、いつもなら300回のところを100回にまけてあげよう!」
 そうして、静香と弓子を含めた竹刀素振り100回が開始された……。

「ふ〜、100回だからちょっと疲れた、って感じかな」
「あの、私は全く疲れを感じなかったんですが」
「……幽霊便利すぎ」
 軽く体験ということで竹刀の素振りを行った2人だが、普段運動していない分疲れやすい静香と比べて、幽霊だからなのか弓子は全く疲れを見せていなかった。
「う〜ん、疲れないのはいいけど、これ鍛えられてるのかな?」
「さあ、幽霊になった後で体を鍛えたことが無いのでなんとも……」
 葵が弓子の腕をマッサージ気味に触っていく。おおよそ筋肉のついていなさそうなその腕では、パラミタでは満足に戦えないのではないだろうか。そう思わせる弓子の細腕だった。
「まあ白百合団、契約者って必ずしも竹刀を振らなきゃいけない、ってことは無いんだけど、弓子ちゃんは何かこう戦う方法とか考えてたの?」
 葵のその質問はもしかしたら誰もが考えていたことかもしれなかった。
 パラミタでは時として様々な「敵」と戦わなければならないことがある。それは例えば異形のモンスターであったり、自称パラ実生のモヒカンな連中であったり、鏖殺寺院の構成員や他の国家の軍隊であったり、はたまた、同じシャンバラの学生であったり……。それら「敵になるもの」と戦うにはそれなりの技術が必要だ。弓子はその辺りを考えていたのだろうか。
「一応、ヨーヨーがあればちょっとは強くなれるんですけど……」
「ヨーヨー?」
 その場にいる全員の声が揃った。
「ん、あれ、そういえば言ってませんでしたっけ。私が地球の高校で何をやってたのか」
「『やんちゃ』してたらしい、っていうところまでは知ってるんだけど……」
 取り憑かれている静香がそう答える。思えば誰も弓子が地球でどんな「やんちゃ」をしていたのか誰も知らなかった。
「お恥ずかしい話なんですが……、実は私、生前、地球の学校では『番』を張ってまして……」
「スケバンか!」
 また声が揃う。言葉遣いなど微妙なところでセリフは違っていたが、全員が似たようなことを言っている。
「その時は、その……ヨーヨー二刀流が武器でした」
「ま、まさかそのヨーヨー、鉄の刃が飛び出す機構だったとか?」
 荒野でヨーヨーを投げるシチュエーションを想像しながら、テスラが声を震わせる。
「世紀末ですか? それは危なすぎるのでやりませんでした。私はどっちかといえばそれよりも、中に鉛を仕込んだ刑事(デカ)の方が好みです」
「刑事ぁ!?」
 一体なんなんだこの女は!? その場にいる全員が愕然としていく。
「まあ鉛を入れたことがあるのは1回だけでしたね。試しにやってみたら、手の骨が粉々になるかと思ったのでやめました」
「あのさ、まさかと思いますけど、そのヨーヨーの一部を蓋にして、日本警察のマークを入れたことってあります?」
 思わず震える指で弓子を指差しながら、おずおずと美咲が尋ねる。
「さすがにそれは自重しました。いくらなんでもそこまでやると、色んな意味で危険ですから」
「自重して正解」
 安堵したように全員の声が重なる。
「って、そんなことしてたのに、どうして今は、その、こんなにおしとやかになれたんですか?」
 今まで不良をやっておいて、いきなり礼儀作法を理解できるというのは普通に考えて難しいはず。一体弓子はどのようにして、今のお嬢様な雰囲気を会得したのだろうか。
「あ、それは簡単です。マンガとか小説で勉強しました」
「どんな付け焼き刃なの!?」
 この時点で全員が理解した。どうやらこの吉村弓子という女は、その半分が「別のもの」でできているらしい……。
 そんな弓子と静香の休憩が終わると、葵はまた後輩たちの訓練に専念することにした。

「え〜、色々ありましたが、ひとまず外へ出ま〜す」
 ロザリンドの案内と美咲のバスガイドを受け、静香一行は体育館の外へ出た。ロザリンド曰く「もしかしたら他にも白百合団員が訓練しているかもしれない」とのことである。それを見学に行こうというのだ。
 外はすっかり夕暮れ時。そろそろ日が落ちて暗闇と星の幕が下りようという頃である。
 果たしてそれは本当だった。偶然にも体育館の外、グラウンドのところで真口 悠希(まぐち・ゆき)が栄光の刀を手に、個人で訓練を行っている最中だった。一心不乱に刀を振るその姿は、弓子にはまるで何か見えないものを断ち切るかのように見えた。
 複数の足音が悠希の耳朶を打つ。そこで悠希はようやく刀を振る手を止め、足音の方向へと顔を向けた。
「あ……」
 目の前には、かつて愛し、そして慕っていたが想いを通わせることができなかった人と、そのすぐ隣に見慣れない百合園女学院制服を来た少女。そしてさらに隣には、その愛した人の恋人……。
(静香さま……)
 愛した人――桜井静香とどうしても目を合わせられない、声をかけることができない。必死で隣の少女、幽霊の弓子に視線を向け、声を絞り出す。
「っと……、あの、貴女は?」
 静香もそんな悠希の気持ちを多少なりともわかっているのか、あえて自分からは言葉を口にしない。2人のそんな様子を感じ取ったのか、弓子が自己紹介を始めた。
「初めまして。吉村弓子と申します。訳あって、今はちょっと幽霊をやっております」
「あ、どうも。……真口悠希、です」
 互いに簡単な自己紹介を終え、弓子は自分が幽霊であること、百合園女学院の学園生活を体験したいという理由から、静香に取り憑いていることを説明した。
「なるほど、学園の体験を……」
「ええ、一通り見て回ったので、今は白百合団を、というわけなんです」
「そうですか……」
 話を聞いた悠希は思案する。白百合団の体験を行うのに手っ取り早い方法は、剣を振らせること。だが目の前の幽霊にそれをさせるというのは、いささか厳しいのではないだろうか。
「剣、はさすがに大変ですよね」
「う〜ん、そうですね。さっきも竹刀の素振りを体験させていただきましたし」
「あ、そうだったんですか……。それでは、乗馬……はいかがでしょう?」
 悠希が出した結論、それは「乗馬を体験させる」ことだった。
 なるほど、それはなかなかできない体験だと弓子は思ったが、それと同時に少々不安でもあった。
「……3人でも乗れるんですか?」
「さあ、どうにかなる、のではないでしょうか……。弓子さまの体重がちょっと気になりますが……」
 そこまで言って悠希は慌てて両手を振った。
「あ、いえ、その……! 決して変な意味では……!」
「……大丈夫、言いたいことはわかりますから」
「では、ちょっと失礼します」
 後ろからロザリンドが声をかけ、弓子を両脇に抱え、持ち上げてみる。
「……軽いですね。っていうかこれ、弓子さん、体重0kgではないでしょうか」
「あ〜、幽霊だけにでしょうか」
 弓子は静香に取り憑いてからは様々な物的干渉を受ける身ではあるが、身体それ自体は「霊体」であるため体重というものは存在しない。つまり、弓子はいわば「体重0kgが滞空ならぬ滞地状態」ということであり、あくまでも表現上「立っているように見える」だけなのだ。
「それじゃ、問題は無さそうですね。では校長先生が先に」
「うん」
 悠希が連れてきている白馬に、まず後ろの方に静香を乗せ、その前に悠希、最後にさらに前を弓子が横向きに座る。悠希を挟んで後ろに静香、前に横に座った弓子という並びであるが、馬の体格の都合上、どちらかといえば弓子は手綱を持つ悠希の腕に収まっているという感じだ。
「では、行ってらっしゃい」
 馬を歩かせる悠希のことを様々な意味で信頼しているのか、ロザリンドは彼女たちを笑顔で見送った。

 悠希の白馬が地面を踏みしめるようにゆっくりと歩いてゆく。夕暮れの太陽が3人を照らし、彼女たちの顔と、その周囲をオレンジ色に染め上げる。いまだ部活動の喧騒が聞こえる中、弓子と悠希はその日起きたこと――特に弓子の身にあったことを話題に、話に華を咲かせていた。
「ふふ、ラズィーヤさまとそんなことが……」
「いやあ、どうしてもああいうのを見てると、つい逆らいたくなるといいますか、体と言葉が勝手に下品になっちゃうんですよね」
「何となくわかります。嫌な相手を目の前にすると、どうしても態度って、変わりますよね……」
「ええ、本当。地球の学校の連中はみんな嫌な奴らばかりでした。ああ、友達は一応いましたよ? 番の仲間ですけど、ふふ」
「そうですか……」
 その間、静香は悠希の背中に手をかけ、その会話をただじっと聞いていた。今は話しかけない方がいい。あの時、少しだけ変な別れ方をしてしまった2人だから、今はただ、じっと聞くだけ……。
 話はいつの間にか今日の出来事ではなく、弓子と悠希の身の上話になっていた。
「実はボクも……、学校とか目上の方は嫌いでした」
「あら、そうだったんですか?」
「前の学校でですが、虐めを受け、先生も助けてくれなくて……。あ、もちろん今はそんなことありませんよ?」
「そうでしょうね。だって、悠希さんみたいな方を嫌いになる人なんて、ここにはいなさそうですし」
「…………」
 弓子のそれは本心だった。少なくとも、馬を歩かせているこの優しそうな少女がなぜ虐めなどという集団の暴力を受けなければならないのか。
「その、立ち入った話で申し訳ございませんが……、弓子さまは……何かあったのですか?」
「何か、とは?」
「えっと……、反発するようになった理由、とか」
「……特に大したことではありませんよ。ほら、よくあるでしょう? 理由も無く教師とか親とかに反発して、色々したくなる……」
「……反抗期?」
「そう、それ」
 実際、弓子が目上の存在に反発したくなるのは、単純な反抗期から来るものだ。虐めを受けたわけではない。学校やその関係者が信じられなくなった事件があったわけでもない。ただ理由も無く気に入らなかった。それだけなのだ。
「私がスケバンやってたのって、結局のところその程度の理由でしかないんですよ。悠希さんとは大違い」
「な、なるほどです……」
 自身の行いを改めて考えてみれば、あまりにも滑稽すぎた。しかもそれを後悔するには、あまりにも遅すぎた。それがおかしくて、弓子はつい笑ってしまう。
 悔い改めることなど、もうできないのだ。
「弓子さま……、ボク……」
「ん、どうしました?」
 悠希が何かを言おうとしているようだが、どうも言葉が出てこないらしい。弓子が先を促すが、言葉を選んでいるのだろうか、何をどう言えばいいのかわからない、といった表情をしている。
 そうして話しあぐねていると、馬はいつの間にかグラウンドを1週し、ロザリンドたちの待つ地点に戻ってきていた。
「あ……」
 その辺りで悠希は馬を止める。
「えっと、一旦、降りましょうか。……あ、ボクが先に降りますね」
 弓子と静香を降ろすため、まず自分が降りて手を差し伸べられるようにする、つもりだった。
 だが何かしら考え事をしていたのが原因か、降りた瞬間、悠希の片足が鐙――馬の鞍の左右についている、足を乗せるための金属製の踏み台――に引っかかり、その衝撃に驚いた馬が突然暴れだしたのである。
「わ、きゃあっ!」
「う、わ、うわあっ!」
 もちろんこれに驚いたのは馬上の2人である。暴れだした馬を御する技術など持たない2人は、為す術が無いまま馬から落ちた。
「あ、危ないっ!」
 悠希の体が危機に対して反応し、落ちてくる弓子を受け止め、抱きかかえたまま仰向けに倒れこむ。悠希たちが降りるのを待っていた歩たちは一瞬動けなくなったが、唯一ロザリンドが飛び出し、落ちる静香を受け止めた。
 馬は数瞬ほど暴れた後に、大人しくなった。その間に、歩たちもようやく体が動くようになり、静香たちのところへ駆けつけてくる。
「あ、ありがとう、ロザリンドさん……」
「いえ、お怪我が無くて、何よりです。それより弓子さんは……?」
 ロザリンドに助けられた静香は、彼女の手を借りてその場に立った。恋人を立たせたロザリンドは同じく落ちたはずの弓子の心配をするが、そちらは悠希の働きのおかげでどうにかなったらしく、安堵する。
「ゆ、弓子さま、無事ですか!?」
「え、ええ、何とか……」
 自分は幽霊だから、落馬しても死にはしないはずだが。弓子はそんなことを思いながら、倒れた悠希の腕の中でくぐもった声を出す。
「よかった……。ん?」
 弓子が無事だと知った悠希だが、ふと自分の体勢と弓子の位置関係を確認する。弓子を抱えたまま仰向けに倒れ、今までずっとそのままの状態だ。この構図はつまり、悠希が弓子をがっちりと「抱き締めている」状態だ。
「あっ!?」
 それに気がついた悠希はすぐさまその手を離し、弓子を解放した。
「ご、ごめんなさい……! え、えっと、その、変なところ触っちゃったかと、心配で……、あ、いや、へ、変なところといってもその……!」
「……大丈夫です。言いたいことはちゃんとわかってますから」
 悠希の体の上から降りて、弓子は立ち上がり、赤面して仰向けに倒れた悠希に手を差し伸べる。
「す、すみません……」
 差し出された冷たい手を借りながら、悠希はその場に立ち上がる。
「弓子さん、大丈夫ですか!?」
「怪我とかはありませんか?」
「え、ええ、大丈夫です。っていうか、幽霊だから怪我とかは多分ありませんから」
 美咲やテスラに問われ、弓子は苦笑しながら無事であることを告げる。そしてその手は悠希の髪や背中についた砂を払っていた。
「あ、す、すみません」
「いえいえ、いいんですよ。私を助けてくれたんですから、これくらいはむしろ当然です」
 砂を払う手を止めぬまま弓子がそう言うと、不意に悠希は弓子の百合園制服の裾を掴んだ。
「あの、弓子さま……」
「はい?」
「……実は、弓子さまに、どうしても言いたいこと、ううん、言わなくちゃいけないことがあるんです」
「…………」
 思いつめたように目を伏せる悠希の様子がただ事ではないと思ったのか、弓子はひとまずテスラたちを自分から遠ざける。
「すみません、ちょっと悠希さんと内緒話がありますので、その場で待ってていただけますか?」
「……?」
 弓子が何を思ってそう言ったのかはわからなかったが、テスラ、歩、美咲の3人はその場に残り、弓子から離れられない静香と、悠希の事情を多少なりとも知っているロザリンドが悠希について行くこととなった。

「……ナンデスト?」
 悠希からある「事実」を告げられた弓子は、唖然とした表情でそう言うのが精一杯だった。
「うう、何度も言うの恥ずかしいです……。ですから、ボク……、実は男の子なんです」
「…………」
 再度告げられるが、だからといって弓子がその現実を受け入れられるかどうかはまた別問題であった。
「その見た目で?」
「はい……」
「その声で?」
「はい……」
「こんな可愛い子が――」
「女の子なわけが無いんです」
「…………」
 放心状態となった弓子の様子を見て、ロザリンドと静香は互いに目を見合わせた。どうしよう、真口悠希でこうなるのなら、桜井静香だと精神的に大ダメージの可能性がある。弓子が物理的に離れられない都合上、静香の「実性別」の問題は避けて通ることができない。
 悠希と弓子を前にして、静香とロザリンドは耳打ちしながら話し合う。
(というか、桜井校長、お手洗いとか今晩のお風呂とか本当にどうするんですか? 幽霊といいましても、一応は男女ですし……)
(……この後の弓子さんのリアクション次第、かな)
(悠希さんの『カミングアウト』であれですよ? さすがに厳しいんじゃないですか?)
(とりあえず、今は待とうよ。どうせいつかは話さなきゃいけないんだし、今すぐに話しちゃうと……)
(事態はさらに悪化する、ですか……)
 ひとまずは静観に徹するということとし、2人は弓子の反応を待つ。
「……悠希さんが地球で虐めを受けた理由が何となくわかりました」
「だますつもりではなかったんですが……」
「え、ああ、いえ、そこはまあ何とか大丈夫です。いや、マジで」
 何とか平静を取り繕い、弓子は悠希を責めているわけではないことを口にする。
「いわゆる『男の娘』とは知りませんでしたけど、だからといって悠希さんに対する評価が変わるわけではありませんから」
「……ボク、ここに通って、沢山の方の優しさに触れて……。人を嫌ってるだけじゃダメ……、それじゃ、他人を悪意で虐めた人たちと同じだから……」
「……そうですね」
 冷静さを取り戻した弓子を前にして、悠希は今にも泣き出しそうなのを堪え、心の内を吐き出し始める。弓子はそんな悠希に対して、ただ頷いて話を聞くだけでいる。
「だから、ボク……、もっと人に優しく、力になれる人になりたいって、思ったんです……」
「…………」
「弓子さまにも、ここで……、ここで、沢山いい思い出を、作ってほしい……」
 だが話す内に、自然と涙がこぼれてくる。
「貴女の力に、ボク、なりたいんです……」
「……十分、なっていますよ」
 悠希の目からこぼれる涙をぬぐってやりながら、弓子は静かに声をかける。
「悠希さん。悠希さんはきっと、凄く優しくて、生真面目なんでしょうね。だからそんなに思い詰めてるんですね……」
「…………」
 頬に弓子の冷たい手の感触を味わいながら、悠希はされるがままになっている。
「誰かの役に立ちたいって気持ち、わかります。その思いで今までずっと走り続けてきたんだろうと思います」
 涙をぬぐう手を頭に乗せ、悠希のつやのある金髪をゆっくりとなでる。
「私なんかの言葉じゃ、悠希さんには届かないかもしれないけど、……疲れちゃったら、やっぱり休むべきですよ。体力切れ寸前で必死で何かをやったって、それで物事がうまくいくはずがありませんもの」
「…………」
「校長先生のこと、嫌いですか?」
「!?」
 突然そんなことを言われ、悠希は首を横に思い切り振る。
「では、ロザリンドさんのことは嫌い?」
 この質問にも悠希は首を横に振った。
 悠希とロザリンドは、本来ならば同じく桜井静香を取り合う「恋敵同士」といってもいい関係だった。だがこの2人が静香をめぐって対立したことは無い。ロザリンドが静香の恋人になってからも、悠希はロザリンドを「心の友」と、ロザリンドは悠希を「大切な人」と、それぞれ認識し合っているのがその証明だ。
 2人はいつもそうだった。愛する者のために常に全力で物事に取り組んできた。対立することなく、それどころか2人が互いに手を取り合って戦ってきたことさえあった。そしてそれは、今でも変わらないはず。
 2人は、そんな仲だった。
「それなら大丈夫ですよ。お2人のことが好きなら、いつかきっと、また立ち向かえる力が戻ってきます。今はちょっと疲れちゃっただけ。だからちょっとだけ休んで、それからまた何かできることを探しましょ」
「……でも、弓子さまのことがあります。せっかく弓子さまの力になりたいと思っているのに、……休むなんて、できません。それに……他にも、やらなきゃいけないことが多くて、とても休むなんて、できないです」
「それじゃ、完全に休んじゃうのが無理なら、ちょっとだけ力を抜いてみては?」
「え……」
「あなたは1人じゃないんでしょう? だったら、ちょっとくらい力を抜いても、お友達が一緒ならきっと大丈夫ですよ。もちろん、抜きすぎたら危ないですけど」
「…………」
 いつの間にか、涙は止まっていた。
 少し考えた末に、悠希は思ったことを口にした。
「……そんなすぐに力を抜くって、できません。まだしばらくは、このまま……」
「それでいいんですよ。すぐに行動に移せるなら、人間、苦労しません」
「……良かったら、また、お会いしたいです」
「明日・明後日の内でしたら、いつでも……」
 その言葉と共に、ひとまず2人は別れることとなった。

「……とりあえず、大丈夫そうですね」
 ロザリンドがその光景を見て安心したように息を吐く。
「では、桜井校長。ちょっと『言って』まいります」
「うん、お願いね」
 そしてこの後弓子は、ロザリンドの言葉によって再び驚愕する破目になった。
「ありえねえ! 他にもいたのかよ! しかもこんな身近なところに! ――えっと、コホン。……失礼いたしました」
「復帰が早くて助かります」
 一瞬取り乱した弓子だったが、悠希のことがあったために冷静になるのも早かった。
「って、それじゃ、この後お風呂とかどうなるんですか? 私はともかくとして、校長先生が大変なのでは……」
「……さすがに見られるのは、恥ずかしいから……、できれば目を閉じて耳をふさいでくれると、嬉しいかな」
「……それで大丈夫なら、いくらでもそうさせていただきます」
 ひとまず静香がそれでいいのなら。弓子はそれで納得することにした。

 その後、歩たちと合流した静香たちはロザリンドと別れ、一旦、百合園女学院の校門の所に行くことにした。

「ふ〜む、この画は、なかなか……。ふふふ……、いいものが撮れたのだよ」
 あらゆるものにカモフラージュしながら、毒島大佐は今のシーンもきっちりと撮影していたのであった。