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リアクション
■第8章 救護活動
「今から胸の治療を始めます。頑張ってくださいね…!」
火村 加夜(ひむら・かや)は持ち込んだ簡易ベッドの上に寝かされたまま、身じろぎひとつしない鴉の耳元でそう告げた。
意識があるのかどうかも分からない。青ざめ、血の気を失った顔は、まるで死人のようにも見える。
喉に手をあて、脈が強いことを確かめてホッとしたものの、呼吸が浅く眠りが深い。
(眠っている方がいいかもしれないわね。かなり内臓をやられているみたいだから、意識があったら相当痛みに苦しんだでしょう)
加夜はそう思い直し、慎重に命のうねりをかけた。
治すのは肋骨が突き刺さって破裂している内臓の部位だけ。肋骨や喉の方は包帯だけで、自力で治癒してもらうかあとでだれかに治療してもらうしかない。
今、SPは貴重だった。なにしろ救護者は加夜のほか、笹野 朔夜(ささの・さくや)、笹野 冬月(ささの・ふゆつき)、笹野 桜(ささの・さくら)しかいないのだから。
しかも桜は奈落人。実質的には3名しかいないも同然で、さらに冬月は不足物資の調達係だから、実質戦力は2ということになる。
それで、1室目だけで10名を超すけが人が放り出されてきたのだ!
しかも命にかかわるけがをしている者も何人かいて……これでパニックにならない方がおかしい。
「とにかく重傷度で治療の優先順位を分けましょう」
早くも野戦病院さながらになり始めた教会の前で、大急ぎ朔夜と話し合った。
気絶しているだけならC、包帯や傷薬で済むならB、回復魔法が必要ならA、命にかかわるならSといった感じだ。
「それならわらわたちにもできそうじゃからな。選別を手伝おう」
一番最初に放り出されてきたロゼと、待機中の淵が申し出てくれた。
「あと、俺はキュアポイゾンやグレーターヒールが使えるから、そっちで必要になったら呼んでくれ」
「それは助かります。お願いします」
そうして2人によって選別され、寝かされたたけが人の中でもAとSに分類された人たちを加夜が、BとAに分類された人たちを朔夜が、次から次へと治療していっているのだった。
もう何時間も休憩なしで働いて、体中が痛かった。ずっと俯きっぱなしで、特に腰や背中が折れそうに痛む。
だがこんなものは少し休憩をとって、腰を伸ばせば消える。本当に苦しいのはけがを負っている人たちの方なのだからと、加夜は決して笑みを絶やさず、励ましの言葉をかけ続けた。
「朔夜、そろそろ町の薬師の店も開くころだろう。必要な物があったら買ってくるが」
冬月の声が後ろの方から聞こえてきた。
「ああ、すみません。ではこちらにリストで書き出してありますから、これをお願いします」
「――SPタブレットもいるんじゃないか?」
ざっとリストに目を通した冬月の言葉に朔夜が頷き、リストに書き加えた。
「あの、朔夜さん。石化解除薬、ありますか?」
念のため、確認をとっておこうとする加夜の手首に、このとき、そっと冷たい指先が触れた。
「すみません…」
先ほど背中の傷の治療を受けたルーツが、うつぶせの体勢のまま、つぶやく。
「もう少ししたら、我も手伝います……リカバリが、使えます、から…」
血の気の失せた青白い顔で、ようやくそれだけを発した彼に、加夜はほほ笑んだ。
「気になさらないで。いいからこちらでお休みになってください。ラルムちゃんのためにも」
「……ラルム…」
「先ほど目覚められたんです。今は枕元で、ずっと涙を我慢してらっしゃいますよ」
ルーツは重い頭を持ち上げ、向きを変えた。すると、そこに正座しているラルムが視界に入る。ラルムは両目いっぱいに涙をためて、嗚咽をかみ殺していた。
触れたいけれど、触れたらルーツの体に障るからと、我慢しているのだ。
「ラルム…」
ぎゅっと握り締められた小さなこぶしに手を伸ばす。
そんな彼らの姿を見守りながら、加夜はそっとその場を抜けた。
「冬月さん、もう行ってしまったかな…」
朔夜は、あとでリストに追加しておこうと思って入れ忘れていた物を思い出して、あわてて救護テントから飛び出した。
「ポニーさんがいるか見れば、分かるんじゃないでしょうか」
桜が的確な助言をする。
それにならって冬月のフライングポニーがいた教会の脇を見ると、冬月の姿があった。
「ああ、いました。よかった。冬月さ――」
名を呼ぼうとした声が、そこで初めて彼の様子に気づき、途切れた。
距離があるし、冬月のいる場所は木の影になっていて、細かな表情は分からない。だがたとえ表情が分かったとしても、関係なかった。冬月はいつも無表情で、こんな、だれの目にも触れていないと思っているときすらも、決して無防備に感情を面に出したりはしないから。
彼の胸にある深い思いを計るには、彼の全身から読み解かなければならない。
視線とか、立ち姿、動作、ちょっとした指の動き、そして彼のまとっている静けさまで。
そして今、だれにも見られていないと思っている冬月は、ポニーの手綱を手に、教会を見つめていた。
「朔夜さん? 行かれないんですか?」
「…………」
朔夜はわざと、足音をいくぶん大きめに立てながら走り寄った。
冬月が遠くからでも自分が近づいていることに気づくように。――見られていたと、気づかないように。
「どうした? 朔夜」
近づく朔夜に気づいた冬月が彼の方を向く。
「冬月さん、間に合ってよかった。これ、リストに入れ忘れた物です。こちらもお願いします」
「分かった」
差し出された紙を受け取って、冬月はポニーに乗り上がった。
ふとその視線が何かに気づいたように朔夜の上で止まる。
「どうかしたのか?」
「――いえ。何でもありません。ちょっと疲れているだけです」
「そうか。治療が最優先なのは分かるが、適度に休憩をはさめよ。途中でおまえや彼女が倒れることが一番問題だからな」
なんだったら桜、強制的に入れ替わってでも休ませろ。そう言って、冬月は馬首を町のある西へと巡らせた。
遠ざかるポニーと冬月をにこにこ笑顔で見送り……朔夜はくるっと救護テントの方にきびすを返す。
「……朔夜さん、言ってもよかったと思いますよ?」
「何をです? 僕は、言うことはちゃんと言いましたよ」
ぶっきらぼうな物言いに、桜はふうっと息をつく。
「私、思うんですけど、朔夜さんはもうちょっと冬ちゃんにわがまま言ってもいいと思うんです」
「何を言えって言うんですか。そんなに行きたいなら行ってもいいって? バァルさんの所へ――」
ひと息にそこまで口にして、ハッとなった。しまった、しゃべりすぎた、と思うがもう遅い。
桜の言葉についカッときて、抑えがきかなかったのだ。疲れがたまっていたとはいえ、とんだ失態だ。
そう思ったが、止まらなかった。
どうせここには桜しかいない。
「……僕は、絶対そんなこと、口が裂けても言いません」
「朔夜さん、そうじゃなくて――」
「桜。それに僕は、喜んでもいるんです。冬月さんが何か、少しでも執着できるものを見つけることができて。あの人にはそういうものがたくさん必要なんです」
必要としていない者にこそ一番必要なものもある。それは、だれの言葉だったか。
「冬月さんがそれを見つけられたのであれば、僕もうれしい。それを与えられたのが僕でなかったのは、ちょっと残念ですが……そんな僕の思いなんか、このことに比べればごく些細なものです。
ただ、だからといって僕が指図していいことではないんです。バァルさんを助けたい、彼の下へ駆けつけたいと心から思うのであれば、だれからの言葉でなく、冬月さん自身が動くことを決めなくてはいけません。
もしそうなったら僕は……心から応援します」
朔夜はいつもの笑顔でそう言った。――どこかさびしげなほほ笑みになっていることには全く気づかずに。
(本当に分かってないんですのね、朔夜さんは。冬月さんは、とっくに見つけて動いてますのに)
救護テントをくぐる朔夜の頭の中で、桜はやれやれと首を振る。
こんなにもひとのことには気づけて、思いやりのある人なのに。自分のことになると全く見えないなんて。
(それに、冬ちゃんはたしかにバァルさんに少し心を動かされているかもしれませんが、とっくにバァルさんの下には行かないことを「決めて」いるんですよ、朔夜さん。冬ちゃんは、あなたが一番大事だと「執着」してるんです)
――もー! どこからどう見ても、桜の目から見ても明らかなことなのに! どうして分からないんでしょうっ!
(本当に手のかかる子! 冬ちゃんのパートナーでも恩人でもなかったら、とっくに見捨ててますよ、朔夜さんっ)
ぷん、と少しむくれつつ、治療に再び従事し始めた朔夜の中で、桜は先までのように殺気看破を発動させた。
少し離れた別のテントで寝かせられている敵――六黒たち3人が、目覚めて暴れたときにはすぐ対処できるように。
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