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見果てぬ翼

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見果てぬ翼

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序章 鳥の羽ばたき

 冒険者は大地を踏んだ。
 まだ草木や花の残るまばらな山中であったが、足場は平野よりもはるかに悪かった。コートを着込んだ冒険者は、それでもさほど気にすることはなく、慣れた様子で歩いていた。
「ん……?」
 がさり、と軽い音を立てて踏んだ何かに冒険者が気づいた。彼は自らが踏んだそれを拾い上げる。
「羽……」
 鳥の羽にしては巨大なものだった。人の腕一本はあろうかというそれを冒険者――レン・オズワルド(れん・おずわるど)は観察した。確かめるまでもないが、恐らくは“あいつ”の羽だろう。
 レンは瞼をすっと閉じると、羽を額にかざした。羽毛の先が額に触れたと思ったとき、刹那の瞬間にレンの頭で何かが過ぎった。念力が物体へ干渉し、そこに残る思念や痕跡をすくい上げたのだ。
 瞼の裏に映し出されたそれは断片に過ぎなかった。しかし、“彼女”が抱く思いや思考はレンと同調し合って意思を伝え、その目が宿した視界はレンの視界となる。やがて――脳裏は痕跡の旅を終えて、レンは瞼を開いた。
「……そうか」
 そのとき、空からわずかに風のようなものがなびいた。
 レンが空を見上げると、まるで竜のように巨大な体躯を持つ鳥が、ちょうど真上を飛んでいた。はるか高き天空を飛ぶ鳥の姿はかすかにしか見えないが、翼をはためかせて耳朶を打つような鳴き声をあげた。感情が高ぶっているのか、それは奇声のようにも聞こえる。
 鳥はレンの上を通り過ぎて遠く向こうの山岳へと飛んでいった。彼の目指す場所も、その鳥の飛んでいった山岳だった。
 鳥の背中を見つめたまま立ち止まるレン。すると、
「レンさーん! なにやってるんですかー? 鳥さん、もう行っちゃいましたよー!」
 先に行っていたノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)が声を張り上げて彼を呼んだ。
「ああ、いま行く」
 レンはそう言って羽をポケットに突っ込むと、ノアのもとへ急いだ。



 山岳の足場の悪さは修行にはうってつけだ。榊 朝斗(さかき・あさと)はそんなことを発端に岩間の影を跳び渡っていた。
「目標補足……0.35秒……誤差修正」
 鉄のように冷たく無機質な声。およそ抑揚というものに乏しいそれが聞こえた瞬間、すでに銃弾は雨のように飛来していた。
「わわっ!」
 紅玉を溶かしたようなロングコートを翻して朝斗が岩に隠れると、銃弾が岩を殴打して砕こうとする。いくつもの雨に崩れ散った岩からむき出しになる朝斗の顔。
「くっ……!」
「遅いです」
 間髪いれずに、アイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)が魔道銃の引き金を絞っていた。銃弾は切れていることを計算していたが、アイビスの反応速度はそれを上回っている。決められていたかのようになめらかな動きで、アイビスは銃弾を装填した。
 飛来する銃弾の雨を掻い潜って、朝斗は低く跳んだ。再び岩の裏に隠れる彼に、アイビスの射出角度が変更される。
 途端、飛び出す影。
「消去」
 魔道銃が咆哮する。銃弾は影をぶち抜いて――アイビスはハッとなった。
「遅いよ」
 すでに朝斗は上空に飛んでおり、銃口はアイビスを捉えていた。振り返るが遅く、アイビスの眼前に朝斗は降り立とうろしている。――コートはない。
 朝斗の表情に勝利の確信が見えた。
「!?」
 刹那、その表情は一変した。アイビスの脚部に装備されていた銃が火を噴いたのだ。しまった――と思ったときには、朝斗は銃弾から逃れるために身をねじっていた。もちろん、銃口は外れる。
 銃口が、朝斗の額を捉えていた。
「ま、まいった」
 朝斗が両手をあげると、ようやくアイビスは銃を降ろした。しかし、なんとも詰めの甘いことだ。まったく。
「はぁ……ファイアヒールのこと、すっかり忘れてたなぁ」
「いつ何時、敵はどこに武器を隠しているか分かりません。暗器武装は考慮すべきです」
「せっかくコートまでおとりにしたのに……」
 朝斗は己の失意を悔やみながら、主人の身代わりになってあやうく穴だらけになるところだったコートを拾い上げた。幸いにも、銃弾は内部の金属繊維が受け止めてくれたようだ。ほとんど傷ついていないことにほっと息をついた。
 そのときである。コートがはためいたことで、風が吹いたことに気づいたのは。
 不思議そうに空を見上げたとき、奇声のような鳴き声が聞こえてきた。同時に、天空を飛ぶ巨大な鳥の姿を見る。
「あれは……イルマンプス」
 呆然と朝斗は呟いた。
 まるで美術品のような美しさを持つ、赤と黄色の彩色が混じりあった怪鳥――イルマンプス。
「イルマンプスはこの辺じゃあ生息してない生物のはずなのに……」
 朝斗は遠くに飛んでいった怪鳥の背中を見つめる。
「朝斗……別の方角から人の反応がありました」
「人……?」
 アイビスに振り返った朝斗の眉がしかめられた。普段は大人しいはずのイルマンプスの激しい奇声、そして人の気配。それらが相まってだろうか……。
「アイビス」
「どうしましたか?」
「イルマンプスを追おう。なにか、嫌な予感がする」
 二人は、イルマンプスが去っていった方角へと歩を進めることにした。



 炭鉱の発掘機械の修理――言葉にすれば単純なものだ。もちろん、作業そのものもさほど難しいものではない。機晶技術に関する知識は必要最低限はいるものの、あとは機晶石の経路を介した機械そのものの修理が出来れば問題ない。機晶技術そのものの問題になってくると専門分野に任せねばならないが、仮にそうなったとしてもテクノクラートの一人は連れていれば何とかなるだろう。
 だが……
「道に迷ってしまいましたわ」
「修理云々の前に、現場に着くかどうかの瀬戸際になってどうするんですか」
 平然と告げたラグナ・オーランド(らぐな・おーらんど)に対し、如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)は呆れた顔で言った。とにかく、背負っていた荷物を降ろすことにする。
 なんでもラグナはこの近くの村から炭鉱で使う発掘機械の修理を頼まれたということだが、それに佑也を問答無用で引っ張ってきたのだ。ラグナの荷物持ち兼助手としてついてきたのはいいが、結果がコレである。
「はあ……」
 佑也がため息を禁じえずにいると、ラグナ アイン(らぐな・あいん)がのほほんと笑顔で言った。
「まあまあ、佑也さん。なっちゃったものはしょうがないですよ」
「アイン……」
「いまはとにかく、これからどうするかを考えましょう」
 それはそうなのだが、その笑顔を見るに迷子そのものを楽しんでいるような気がするのは佑也の気のせいだろうか? ラグナの生み出した機晶姫“ラグナ”シリーズ第一機のマイペース加減に感嘆さえ覚えそうになっているとき、“ラグナ”の第二機が佑也に同情するような声をかけてきた。
「まあ……それに、このような展開はある程度は予想できてたことですしね」
 ラグナ ツヴァイ(らぐな・つう゛ぁい)は佑也に向けて、非常食などを詰めたリュックを片手で掲げてみせた。予想からすでに準備は整えてある、ということだ。アインが背負っているものを合わせると、二日ばかりは野宿でも問題なさそうである。……もちろんそんな事態は避けたいのだが。
 と、自分の運命を悲観してきた佑也――その頭上で、なにやら鳥の鳴き声が聞こえてきた。
「あれは……」
 呆然と呟いて、上空を飛んでいった鳥の姿を見やる。同じく他の三人も鳥の姿は確認できたらしく、ラグナが指先で顎を掴んだ。
「ふむ……あのような鳥はこの辺りには住んでいなかったと思いますが…………なんだか事件の予感がしますね」
「ま、まさかラグナさん……」
 ラグナの表情が、オモチャでも見つけたように不敵に笑みを作った。むしろ事件の予感はその笑顔にある、と佑也が思った瞬間、その予感はすぐに的中した。
「よし! では、頂上まで行って調査してみましょう」
「ちょ、ちょっとラグナさん、仕事は……!?」
「先方には少し遅れるかもしれないと伝えてありますから、寄り道で一日二日遅れても大丈夫ですよ。さあ、行きましょう」
 佑也が引き止める声もまるで聞かず、ラグナは鳥の飛んでいった方角――頂上を目指して歩き始めた。
「こういう時は、下手に降ろうとせずに、頂上を目指した方が良いと何かの本で読んだ事があります。ですから、理由はともかくお母さんについて行った方が良いと思いますよ?」
 ラグナだけではなく、アインも佑也に一言置いて歩き出す。
 放心したようになる佑也の肩に、ぽんとツヴァイの手が置かれた。
「先程の怪鳥、『イルマンプス』という名前のようですね。このパラミタ動物図鑑に載っていました」
「…………なんでそんなもの持ってるの?」
「動植物図鑑は登山に必須のアイテムですよ?」
 ツヴァイはとっくに諦めているようで、イルマンプスについて書かれた動物図鑑を閉じると、彼女も二人の後を追った。どうやら、もう選択の余地はないようである。
 後に残された佑也もとうとう諦めて立ち上がると、
「……俺は大学の授業とか喫茶店の経営とかがあるんですけど」
 そんな誰も聞いてくれる人のいない呟きを漏らして、ラグナたちの後を追った。