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【賢者の石】陽月の塩

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【賢者の石】陽月の塩
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 ■ 大切な人と 海辺で ■
 
 
 
 夏の日差しを降り注いでいた太陽は、今日最後の赤を投げかけながらパラミタ内海に没していこうとしている。
 ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は宿舎でくつろいでいたセオボルト・フィッツジェラルド(せおぼると・ふぃっつじぇらるど)を誘いにいった。
「Hi 夕日が奇麗よ。砂浜を歩きましょう。きっと美しく素敵な光景が広がっている筈よ」
「今日は一日動き詰めでしたからな。のんびりとした時間を過ごすのも良いでしょう」
 セオボルトにも否は無い。ローザマリアに促されるままに宿舎を出た。
「私、この時間がたまらなく、好き。海が、儚くも美しく情熱的な側面を見せる瞬間だと思わない?」
 そう言ってローザマリアは海と空を両腕を広げて指し示した。
 東はもう夜の闇。西は赤々と燃える夕焼けの緋。
 夕日が放つ最後の光が海に金色の輝きを与えている。
 白い清楚なワンピースを着たローザマリアは、色彩の狭間の中に溶けてしまいそうにも見えた。
 砂浜に奇麗な貝殻を見つけたと言ってはしゃがみこんで手の平に載せ、大切そうに握りしめ。
 波に追われて逃げ損なって、白いサンダルの足下を波に濡らされ。
 そのたび笑うローザマリアは、普段軍人として活動している時の様子が嘘のように年相応に愛らしい。
 そんなローザマリアと寄り添って歩きながら、セオボルトは海の雑学を話して聞かせた。
「エビの種類は知っていますか? まず大きく分けて泳いでいる遊泳類と海底を歩いている歩行類の2つがあるんですよ」
「プラウンやシュリンプとロブスターの違いね。日本ではどちらも『エビ』って呼ぶみたいだけど」
「伊勢エビもロブスターもどちらも歩行類ですが、伊勢エビはイセエビ類、ロブスターはザリガニ類で微妙に違う種類の生き物なんですよ。ちなみに遊泳類は甘エビのような小エビ類や車エビのようなクルマエビ類があるらしいです。といってもうろ覚えですが」
 もう1つ2つ海の雑学を披露しようかと考えていたセオボルトの耳に、パシャッと水音が届いた。そちらを見ると、ローザマリアは脛の辺りまで海に漬かり、海水を両手ですくって跳ね上げていた。
「セオ、見て。1つ1つの滴がこんなにも輝いて――私、昔からこうやっていると、自分が海の妖精になった気分になれるの」
 白いワンピースが滴に濡れ、セオボルトをどきりとさせるが透けたその下には水着。ローザマリアはどうやら海に入ることも想定して来たようだ。
 ひとしきり海の水を跳ね上げて遊んだ後、ローザマリアはセオボルトと寄り添って砂浜に座った。
 名残惜しげに沈んでゆく夏の太陽。
 それが沈みきる前にローザマリアはセオボルトの名を呼んだ。
「どうかしましたかな?」
 尋ねるセオボルトの顔をしばし見つめていたローザマリアは……そっと身を乗り出して口づけた。
「一度、やってみたかったの」
 凄く在り来たりのことだけれど、とローザマリアは恥ずかしそうに微笑んで、そして一層セオボルトに身を凭せ掛ける。
「その在り来たりこそが、私の宝物だから――」
 
 
 
 日中、シビレルクラゲと戦い続けた橘 ニーチェ(たちばな・にーちぇ)は、宿舎に戻るともうぐったり。これで漸く休めるとのんびりしていたのだけれど、そこにレオンハルト・ルーヴェンドルフ(れおんはると・るーべんどるふ)が誘いに来た。
 トランクスの水着にウィンドブレーカーという恰好のレオンハルトは、どう見てもこれからゆっくり休もうという態勢ではない。
「例えどれほど日差しに焼かれようと、折角海に来て遊ばず帰れるか。行くぞ!」
「ニーチェちょっと休みたいです疲れたですやーん」
 どう反論しようとレオンハルトは揺るぎない。
 さっさとニーチェを海へと強制連行していった。
 
 行くまでは疲れたとか眠いとかと抵抗していたニーチェだったけれど、いざ到着すると早速サンダルを脱いで浜の感触を楽しむ。
「レオンさんっ、足のしたがさらさらして楽しいですよ!」
 一応水着を着ているが、タンキニにパーカーを羽織っているのであまりそれらしくは見えない。もう少しこう、出るところが出てくびれるところがくびれているのなら、もっと露出するのだけれど……。
「にゃっ!」
 そんなことを考えていたニーチェは、いきなりレオンハルトにぎゅっと捕獲されて驚いた。
「どっかのニーチェが行方不明になると困るからな」
「こんなとこで行方不明になんてならないですよ。やー、レオンさんはーなーしーてー!」
 暫くもだもだばたばたとニーチェは抵抗した。
 その抵抗を楽しんだ後、レオンは言う。
「騒ぐばかりが行楽では有るまい。星空の下、海の音に耳を澄ますというのもなかなか風流な物だぞ?」
 それも一理あるかと、ニーチェは抵抗をやめた。
 海と浜との境界線。
 潮騒の音に包まれて。
 そんな中、しばらく寄り添いあう穏やかな時間…………は、罠。
 バッシャーン。
「みゃ〜?」
 レオンハルトに海に放り込まれたニーチェは急いで海面から顔を出す。
「どっちが海面か分かんなくなってニーチェ死ぬところでしたよ! って、わ、ぷ!」
 追い打ちをかけるようにレオンハルトに水をかけられ、ニーチェは慌てて息を止めた。
「風情を楽しむというのも勿論確かに悪くはないが、まあ何だ。ぶっちゃけ飽きた」
 遠慮無しに水をかけてくるレオンハルトに、ニーチェも水を掛け返して反撃するけれど、やっぱりと言うべきか……勝てない。
「レオンさんのばかぁー!」
 ニーチェの叫びが海へ吹く風に流されていった。
 
「うう……」
 ようやく海から上がった時には、ニーチェからは海水が滴っていた。
 ぐてぐてになった髪の毛とパーカーを絞りつつ、歩き出したレオンの後をてこてことついてゆく。
 どこに行くのだろうと思っていたら、レオンは花火をしている人に合流した。
「線香花火か。どちらが長い間線香花火を続けていられるか勝負しよう」」
「はいです、やりたいですっ!」
 花火大好きなニーチェは嬉しそうにレオンハルトから線香花火を受け取った。
 けれど線香花火に火をつけるなり、レオンハルトはさらっと言う。
「敗者は勝者の言うことを何でも1つ聞く事な。はいれでぃごー!」
「えっ!? ま、待ってそーゆーのニーチェ聞いてない! 言われてない! また罠ですかっ?」
 ニーチェが慌てている間にも、レオンハルトは線香花火に火をつけた。
 ぱちぱちと弾ける線香花火。けれど動揺しているニーチェの手元はゆらゆら揺れる。このままでは負けてしまう!
「たあっ!」
 ニーチェは線香花火を持っているレオンの手に手刀を食らわせた。
 じゅっ、とレオンの線香花火の玉が落ちる。
 いい笑顔でごまかそうとするけれど、レオンの笑顔が怖い。
「……いやだってその、ほら、……ねっ?」
 ニーチェは海水よりも冷たい冷や汗を垂らすのだった。
 
 
 
 すっかり陽が落ちた夜。
 けれど満月が照らしてくれるから足下に不安は無い。
「こうして2人だけでゆっくりするのは久しぶりだな」
 会津 サトミ(あいづ・さとみ)と並んで浜辺を歩きながら若松 未散(わかまつ・みちる)は呟いた。
 普段も未散とサトミは一緒にいるのだが、他のパートナーも一緒だからなかなか2人だけで話す機会はない。
「いつもこうだったら良いのにな」
 サトミは未散を独占できる嬉しさでいっぱいだ。サトミにとって世界は未散とそれ以外の区別しかない。邪魔な他のパートナーがいない、未散と2人きりのこの時間がずっと続いてくれると良いのにと思う。
 けれど、そんな幸せなはずのこんな時、サトミを見る未散の視線はどこか遠い。
「懐かしいな。姉さんは身体が弱かったからあまり海では遊べなかったけど、夜、こうして日差しが陰ってからそっと浜辺に出て、花火をしたことがあったんだ。噴出花火が見たいと私が言うもんだから、姉さんは自分も怖いのを我慢して導火線に火をつけてくれて……噴き出した花火に喜ぶ私に負けないくらい嬉しそうな顔をしてた……」
 サトミにそう話してくれるけれど、未散はサトミの背中越しに別の人を見ている。
 それはサトミによく似ていたという、未散が14歳のときに亡くなった姉。
 伝統芸能の家に生まれた為、未散にとって両親は親というより師匠という存在だった。だから未散は自然とお姉ちゃんっ子になり、姉もそんな未散の面倒をよくみてくれた。
 けれど病気がちだった姉は早すぎる死を迎え、そのショックで未散は身体の成長が止まり、また性格も天の邪鬼でネガティブなものへと変化してしまった。ふさぎ込んで引きこもりがちだった未散を見かねたハルにパラミタに行こうと誘われ、両親の反対を押し切ってパラミタに渡った。
 心機一転を狙ってやってきたパラミタは刺激的で新鮮で。
 けれどそれでも未散は姉のことを引きずるのはやめられなかった。
 未散も、姉を重ねることはサトミという人物自体を否定するようでいけないことだとは分かっている。けれど姉を忘れることは未散には出来ず、サトミの中に姉を捜してしまうこともやめられなかった。
「みっちゃん、僕は……」
 サトミは未散のことを妹として見ている訳ではない。自分が姉の代わりだとも思っていない。
 けれどそれを言えば未散を苦しめるだけだ。未散もサトミも、どうすれば未散がサトミのことをちゃんと『サトミ』として見られるようになるのか分からないのだから。
 心の中に抱えた葛藤を押し込めて、サトミは髪につけたアネモネの髪飾りに触れた。
 未散に貰った大切な宝物。
(今は傍にいられるだけでいい……)
 いつかそれに向き合わねばならないときが来るまでは、こうして2人でいられる時間を楽しもう。
 サトミは昼間手伝いをしたときの出来事やたわいない四方山話をしながら、ゆっくりと未散と浜辺を歩いていった。