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【賢者の石】陽月の塩

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【賢者の石】陽月の塩
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 ■ 夜の海辺 ■
 
 
 
「やっぱり夜になると砂浜もひんやりしてて気持ちいいですね……♪」
 日中作業をする時は天御柱学院指定の水着の上に白衣を着て、日焼けしないように気を払っていた葉月 可憐(はづき・かれん)も、陽が落ちた今は邪魔な白衣は無しだ。
「ええ。昼間の暑さが嘘の様に、夜の海というものは心地よいですね」
 塩作りの合間には憩いも必要だと、ナナ・マキャフリー(なな・まきゃふりー)も誘われるまま浜辺に来ていた。アリス・テスタイン(ありす・てすたいん)が白ビキニの水着まで準備していてくれたのでそれを着て、その上に水色のパレオを巻いている。
 そんなナナの水着姿に、音羽 逢(おとわ・あい)はこみあげる衝動をぐぐぐと堪えた。
「拙者はミス・ブシドー……故に、以前のようにナナ様の水着姿を拝見でき、しかも夜の海だからといって、は、はしゃぎ回るような無様な恰好はしないで御座る!」
 おまけに今日はルースが同行していない。今こそがチャンスと囁きかける心の声を、逢は懸命に振り払う。
「静まれ、拙者のエクスタシーぃぃぃ!」
 己の煩悩との戦いにぜいぜいと息を切らしている逢を横目に、アリスはナナをこっそりとうかがった。
(ナナさん、気づいてるのかなぁ? 新婚さんにちなんで純白の水着を選んだんだって)
 水着を用意してきたと言ったら、疑いもなくありがとうと受け取ってくれだけど……とアリスが考えているところに、もう膝まで海に浸かっている可憐が声をかけてくる。
「ほら、アリスも……皆様もこっち来ましょうよ。冷たくて気持ちいいですよっ♪」
 学院の水着の上から白のYシャツをボタンを留めずに羽織ったアリスは、可憐の誘いにのってちょっとだけ海に足を浸けてみる。
「夜だとちょっと冷たいねー」
「浸けてるとすぐに慣れますよ。和葉ちゃん、何してるんですか? 折角なんですから海に入りましょう」
 可憐は今度は水鏡 和葉(みかがみ・かずは)に呼びかけた。
 砂にのの字を書いていた和葉は可憐の呼びかけに顔をあげた。着るつもりは全くなかったのに、可憐に押し切られて水着姿になるハメになってしまったことにちょっといじけていたのだけれど、ずっとそうしている訳にはいかない。
 水玉模様のタンキニにショートパンツ、その上から羊さんパーカーを羽織ってチャックもきちっとしているから、それほど水着らしい姿にも見えないだろう、と自分に言い聞かせて立ち上がる。
「水遊び? でも夜の水は冷たくない?」
「それが気持ち良いんですよ」
 可憐はにこにこと言うけれど、絶対に水を掛けられるに決まってる。
 ここは裏をかくべきだと、和葉は可憐から少し距離を取るように気を付けながら海に入った。案の定、水をかけてくる可憐を回避して、反対に水をかける。
「あっ、やりましたねっ」
 やり返す可憐の海水攻撃を和葉はうまく避けた。
「あははっ。届いてないよ……って、何っ?」
 背後から伸びてきた手に柔らかく抱き留められて、和葉は焦って顔を振り向けた。
「ナナ様ー! 放してー!」
「和葉ちゃん、覚悟して下さいねっ♪」
 お返しとばかりに可憐はばしゃばしゃと和葉に海水を掬いかけた。
「可憐さん、さすがに夜の水はちょっと冷たいってばー!」
「和葉ちゃんもさっきかけたじゃないですかー」
 ばしゃばしゃと可憐は誰彼構わず水をかけて笑った。
 そこに、フロッ ギーさん(ふろっ・ぎーさん)が颯爽と現れる。
「海風に呼ばれて来てみれば、可愛いファンたちがいるじゃねえか。だが、残念だったな、葉月可憐! オレはゆる族とはいえ、フロッギーさんだぜ? 水となればオレに適うものはない!」
 水なんてへっちゃらと水掛合戦に参戦してきたフロッギーさんにも、可憐は水を浴びせた。
「しょ、しょっぺー!」
 海水が口に入って、フロッギーさんはぺっぺっと吐き出す。
「しまった、海水だったぜ……っ!」
 ひるみつつもフロッギーさんは皆水かきのついた手で掬った海水を、皆に浴びせかける。
 水と悲鳴、歓声が飛び交う水遊びを、メープル・シュガー(めーぷる・しゅがー)は自分は参加せずに眺めた。
「みんな可愛らしいわよね。ルアークもそう思うでしょう?」
 メープルはルアーク・ライアー(るあーく・らいあー)に視線を送った。
「はいはい、そうだねー」
 ルアークの相づちにはまったく気が入っていない。戦闘があるからと聞いてやってきたのに、やることは何故か労働と水遊び。拍子抜けしたルアークの気分はかなりだれ気味なのだ。
 反応の鈍いルアークに、メープルはにっこりと笑顔を向けた。
「ところでルアーク? 女性の水着姿を褒めるのは男子の嗜みよね?」
 じっと視線をあててくるメープルの無言の圧力に耐えきれず、ルアークは棒読みで答えた。
「ん、まぁ可愛いんじゃない?」
 メープルが着ているのはワンピースタイプの水着だ。リボンやフリルで装飾された可愛らしい水着は確かにメープルによく似合っている。けれどただ褒めるだけでは終われずに、
「けど、ちょーっとボリュームが足りないみたいだけれど?」
 と付け加えてルアークは密かに溜飲を下げたのだった。
 
 ひとしきり水遊びを楽しんだ後、可憐は改まった様子でナナと向かい合った。
 ナナは何だろうと不思議そうにしている、見守る和葉たちはこれから何があるのかを知っている。
 さっきまではしゃいでいたのとは違う穏やかな笑みをたたえた可憐は、ホーリーシンボルを取り出した。
「イナンナ様付きの神官として、ナナ様の未来に祝福があらんことを祈ります」
 ホーリーシンボルをぎゅっと握りしめると、可憐はナナの行く先に光が、温もりがあるようにと強く願った。
「まだまだ駆け出しですので、おまじない程度の効果しかありませんが、今の私の精一杯で祈らせて頂きました。ナナ様……ご結婚おめでとうございます」
 そう言って可憐は祈りをこめたホーリーシンボルをナナの首にかけた。
 可憐が一歩下がったのを見ると、今度は和葉が昼間拾った貝で作ったペンダントを渡す。
「ナナ様、結婚おめでとうっ! ボクからもお祝いのプレゼントっ……あんまり綺麗にできなくてごめんねっ」
「ナナさん、おめでとうございます」
 アリスもナナに祝いの言葉を贈った。
 皆が祝うのを聞いて、メープルもナナの結婚を知る。
「あら、ナナさんは結婚されたのね。それはおめでとうございます。どうぞお幸せになってくださいね」
「ありがとうございます。みなさまからのお祝い……とても嬉しいです」
 ナナは淡く頬を染めて答えた。そんなナナの幸せそうな様子にメープルはしみじみとした口調で言う。
「女性の幸せは結婚に限らないと思うけれど……やっぱり運命の男性に出会えて共に過ごせるのは、とても幸せなことだと私は思うのよ。和葉ちゃんもそうは思わない?」
「え?」
 いきなりメープルに話を振られた和葉は、曖昧に首を傾げた。
「……そうなの、かな? だってさ、運命の相手かどうかってどうやって判断するの? ずーっと一緒にいたいのなら、家族やめぇ達だって一緒だよっ? ボクにはその違いがよく分からないよ……」
 戸惑う和葉に目をやって、ルアークは軽く肩をすくめた。自分の気持ちが分からない子供にはまだ運命の相手を語るのは早い。そう思ったけれど、口に出したら面倒なことになりそうだから黙っておいた。
 ナナは悩む和葉を眺めていたが、やがて
「少々お話でも致しましょうか」
 と口を開いた。
「ええ、ナナ様のお話聞かせてください。たくさんの幸せなお話……聞かせて頂けますか?」
「えへへ、幸せのお裾分けだね」
 可憐とアリスも期待の目でナナを見つめた。
 こんな風に幸せを語る日が来るなんて思ってもみなかった。これも皆とルースのお陰だとナナは心の内に感謝の言葉を呟いた。
「お、ナナ・マキャフリー、水鏡和葉たちとロマンティックなムードだな。ここはオレに任せておけ!」
 場の雰囲気を盛り上げようと、フロッギーさんはギターでバラードを奏でた。それをBGMのようにしてナナは話し始めた。
「ナナも最初はよく分からなかったのです。ですが、ルースさんと共に過ごし気づきました。『一番大切』で『ずっと一緒にいたい』という言葉の意味を。柵や苦難を共に乗り越え、喜びを分かち合う幸せは大切な方とも家族とも同じ。それはつまり、『ずっと一緒にいたい』ということは家族になろうということで、無論、パートナーたちも一緒です。そしてその中でも『一番大切』に想っていてくださるということに」
 そう語るナナの表情は幸せそうで。逢はこれからもナナの幸を守り通すとの誓いを新たにする。
 和葉はナナの話を読み取ろうと目を閉じてそれを聞き、そのまま静かに考えた。
「一番大切で、ずっと一緒にいたい……。そっか、そうだね……」
 和葉がやっと頷いた時、
「これが拙者からの……祝砲で御座る!」
 逢が打ち上げ花火に次々に点火した。
 次々に華やかな色彩が夜空に開く。
「お嬢ちゃんたち、こんな時なんていうか知ってるか? こう言うんだぜ。たーまやー! ってな」
「たーまやー♪」
 早速叫んだアリスに、そうそうとフロッギーさんは満足そうに頷いた。
「おい、そこのルアーク・ライアーもしっかり叫べよ!」
「なんで俺だけ名指しー?」
 文句ありげなルアークをメープルがつつく。
「良いじゃないの。せっかくだから叫んでみたら?」
 お祝いなんだから、と促され、ルアークはヤケのような大声で、たまやと叫んだのだった。
 
 
 
 昼間は皆と作業をしていたから、月崎 羽純(つきざき・はすみ)と話がほとんど出来なかった。
 話をする時間を作りたくて、遠野 歌菜(とおの・かな)は海辺を散歩しようと羽純を誘った。
 といっても歌菜は羽純と結婚して夫婦として暮らしているのだから、家に帰れば幾らでも2人きりで話せる時間は取れるのだけれど、それでも……こうして2人、肩を並べて歩く落ち着いた時間が欲しくなってしまう。
 去年も一緒に海に来たけれど、あの時はこうして結婚して夫婦として歩くなんて、まだ想像出来なかった。
 1年前の自分に、来年にはこうなっているんだよと告げたらどんな反応をするだろう。
 きっと信じられなくて、あわあわしてしまうに違いない。
 あの頃の自分と今の自分、
 あの頃の羽純と今の羽純。
 何が違っているのだろう……。
 そんなことを考えながら夜の海を眺めていると。
「ひゃっ!」
 いきなり羽純に頬を抓られて、歌菜は強制的に物思いから現実に引き戻された。
「な、何をするかなっ?」
 抓られた頬に手をやって、歌菜は羽純を見た。
「もしかして私、ヘンな顔してた?」
「いいや。けど、何を考えていたかは大体想像がつく」
「べ、別に変なことなんて考えてないよ!」
 何を想像されていたんだろうと、歌菜は慌てて首を横にぶんぶんと振った。
「変なことじゃなけりゃ何なんだ?」
「それは……」
 歌菜は無意識に左手の結婚指輪を触った。まだこの位置に指輪があることにも慣れないものだから、日に何度もこうして触れてしまう。そこにある結婚の証を確かめるように。
「ただ……こうして2人で居るのが、凄く不思議なの。上手く説明できないけど」
「まだ不思議とか言うのか、オイ」
「って、痛い〜」
 呆れ声と同時にデコピンされて、歌菜は涙目に羽純を見上げる。
「ううっ……だって、幸せすぎて現実味がないんだもん〜!」
「結婚式挙げて、同じ家に住んで、夫婦生活ってやつを営んでるのに……まだ不思議なのか?」
 現実味がないというなら実感させてやろうかと意地悪く笑う羽純に、恥ずかしくなるやら悔しくなるやらで、歌菜はばしゃばしゃと濡れるのにも構わずに海に入っていった。
「おい、歌菜?」
 歌菜が何をしようとしているのか分からず、羽純の呼びかけにわずかに動揺が混じる。
 ちょっと仕返し出来たようで嬉しくて、歌菜はふふっと笑って手に水を掬った。
「逆襲だよっ!」
 海の水を掬っては羽純にかけ、かけてはまた掬い。たちまち羽純はびしょ濡れになってゆく。
「……ってコラ! 子供かっ、濡れるだろーが!」
「だって羽純くんばっかり余裕でズルイんだもんっ。アハハ、水も滴るイイオトコ! な〜んてね♪」
 勝利のVサイン……を出したまでは良かったのだけれど。
「……覚悟はいいか?」
「えっ、えっ?」
 ここまで濡れたら海に入っても同じだと、羽純もざばざばと海に入ってきた。
 歌菜より手が大きい分、掬う海水の量も多い。
「ちょ、羽純くん、それやり過ぎー!」
 顔にかかった海水を手で拭いて、歌菜が抗議する。
「そう言いながらやり返すなよ」
「量で負けるなら回数で勝負だよっ」
 宙を舞う海水が満月の光を受けてきらきらと輝く。
 いつか海に来たとき、また思い出すのだろうか。
 海水をかけあって遊んだ、新婚の甘酸っぱいこのひとときを――。
 
 
 
 波打ち際からは少し距離を取った場所まで来ると、大洞 剛太郎(おおほら・ごうたろう)は持ってきたレジャーシートを広げた。
 その上に大ぶりの水筒とクーラーボックス、そして芋焼酎の一升瓶を次々と載せてゆく。
「いくら英霊と言えど、さすがに老骨には堪える仕事であったな」
 剛太郎の敷いたシートに大洞 藤右衛門(おおほら・とうえもん)はどっかと腰を下ろす。生前、平時は農耕で身を立てていた藤右衛門だが、歳も歳だし、海水の入ったバケツを運ぶのは、鍬をふるう筋肉とはまた違う。かなり疲れた様子ではあったけれど、剛太郎がクーラーボックスから缶ビールを取り出すと、破顔してそれを受け取った。
 今日の海水撒きの仕事の打ち上げだとばかりに、プルタブを引き起こした。
「では乾杯とゆこうではないか」
 藤右衛門は剛太郎の缶に自分の持つ缶を軽く当てると、ぐびぐびと喉を鳴らしてビールを飲む。
 一仕事終えた後のビールは格別だ。
 冷たいビールで喉を潤すと、剛太郎はクーラーボックスから今度は氷を取り出して、水筒の水で芋焼酎の水割りを作って藤右衛門の前に置いた。
 酒の肴は浜辺の匂いとどーんと身体に感じる波の音、そして満月の浮かぶ夜空。
 少し離れたところでは、誰かがしている花火の光が弾けている。
 藤右衛門のコップの減り具合に目を配り、剛太郎がおかわりの水割りを作る。自分も疲れているだろうに、そうして気遣ってくれる剛太郎に、藤右衛門は目頭が熱くなる思いだった。
 話す内容は昼間の作業のこと。
 思いの他足を取られる砂地での作業をああしたらもっと効率が良かったのでないかと反省してみたり、クラゲ退治や塩作りにいそしんでいた皆の様子を語り合ったり。
 そんな時間を過ごすうち、良い具合に酔いも回ってくる。
「剛太郎、そなたもそろそろ良い歳じゃのう」
 藤右衛門がしみじみと言うのを聞いて、剛太郎はやや身構えた。案の定、その後に藤右衛門は続ける。
「そろそろ身を固めても良いのではないかの? そなたには早く幸せな家庭を持って欲しいのじゃ」
 うっかり相づちでも打とうものなら、長々とした説教へとなだれ込むのは必至。
「超じいちゃん、もう一杯いかがでありますか」
「おお、ありがとう。それでそなたの結婚の……」
「あ、あちらでも花火が始まったようであります。花火は実に夏に似つかわしいものでありますね」
「ほう、そうじゃのう」
 藤右衛門の意識を家庭から離そうと、剛太郎は懸命なはぐらかしを続けるのだった。